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外伝1「ジュリア」

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4.拒否

 「けれども、それから間もなく、あの人に陛下からの勅令が下ったの」

 とジュリアは話し続けていました。メールとポポロは、もう茶々を入れたり、はやし立てたりすることもできなくて、ただただ彼女の話を聞いています。ジュリアの口調は淡々としていました。

「新しくお城に来た若い占い師が陛下に進言したのだと聞かされたわ。今でこそユギル様は押しも押されもしない城の一番占者だけれど、あの当時は、年も若かったし、誰もその占いを信じようとはしなかったわ。ただ、国王陛下だけが信じて、あの人に、シルの町まで出向いて、魔の森から現れるという金の石の勇者を迎えるように、とご命令になったの。私たちは、結婚式を一ヶ月後に控えていたのだけれど、勅令ではどうしようもなかったわ。あの人は単身でシルの町へ向かって、私は自分の屋敷であの人を待つことになったの……。でも、三ヶ月たっても、半年たっても、金の石の勇者はいっこうに現れない。それならばいっそ私の方からシルの町のあのひとのところへ押しかけようかとさえ考えたけれど、小さい頃から庶民の中に出入りしていたあの人と違って、私はどうしても貴族のふるまいが抜けないわ。シルの町に潜入しているあの人の正体を明らかにするようなことはできなくて、ただ、便りを交わし合うことしかできなかったの。でも、それも、一年を過ぎる頃に、突然向こうから婚約破棄を言い渡してきてね――最初に話した通りよ。自分にはシルの町で待つ任務があって、結婚している暇がないから、この婚約はなかったことにして、別の男性の元へ嫁ぐように、って。――ねえ、冗談じゃないことよねぇ」

 そう言って、ジュリアは少女たちに笑って見せました。何故だか見ている方が胸が痛くなってくるような笑顔でした。

「あの人は、本当に嘘をつくのが下手なの。こちらからいくら手紙を送っても、話をしたいと言っても、使いの者を追い返してしまうばかり。でも、その使いの者が、どんどん荒れていくあの人の様子を伝えてくれたわ。酒に溺れて、見る影もなくなったような、あの人の姿をね……。シルの町では、いつの間にか『酔いどれゴーリス』と呼ばれるようになっていたらしいわね。それでも、あの人は待ち続けたの。いつ現れるかわからない、金の石の勇者をずっと――」

 

 そして、実に十年の後、ついに現れたのがフルートです。それまで、ただのシルの町の子どもだとばかり思っていたフルートが、待ち続けていた金の石の勇者だとわかったときの、ゴーリスの驚きがどれほどのものだったか、ジュリアにはわかるような気がしました。そして、過ぎてしまった十年という歳月の長さと重みを、改めてかみしめてしまったのに違いない、ということも……。

「金の石の勇者が見つかっても、あの人はすぐには都に戻ってこなかったわ。フルートを勇者として鍛える役目があったから。その後、ロムドの国は闇の黒い霧におおわれてしまったの。フルートが金の石の勇者として旅立って、ゼンやポチと活躍した話は知っているわよね? あの人は、ロムド城でそれをずっと見守っていたわ。その後は、今度は陛下の側近とも言えるような地位に抜擢されて……十年間、陛下の命令に従って待ち続けたことと、金の石の勇者を育てた功労を認められたのね。あの人はとても忙しくなって……そして、とうとう、一度も私を訪ねてくださらなかったの」

 メールとポポロは目を見張りました。十年間、待ちに待ったのはジュリアも同じです。その彼女をゴーリスが訪ねようとしなかった、というのは、少女たちには理解できないことだったのです。どうして? と尋ねると、ジュリアはほほえみました。過ぎた思い出にも、淋しそうな表情をしています。

「責任を、感じていたのでしょうね。王都ディーラに戻って、私がまだ結婚もしないであの人を待ち続けていたと知った時、あの人はとても驚いたのだと人から伝え聞いたわ。でも、あの人から来たのはお手紙だけ。それも、今すぐ誰かと結婚するように。今まで正式に婚約を解消しなかったのは自分の不手際だったから、慰謝料として私の望むだけのものを支払う、ってね。……それだけの内容よ」

 少女たちはまた、何も言えなくなってしまいました。大人の世界のやりとりというのでしょうか。本当は好き合っているはずの二人が、やっとまた一緒に暮らせる場所に戻ってきたというのに、それでも相手を拒否しようとする心理が、彼女たちにはまだよくわかりませんでした。ただ、ことばにならない怒りと悲しみがこみ上げてきてしまいます。

 やっとのことで、メールが言いました。

「そんな――そんな馬鹿な話って、ないじゃないか!」

 ポポロも必死で言いました。

「でも、それでも、ジュリアさんはあきらめなかったのでしょう!? だって……だって……!」

 ジュリアは、本気で怒り悲しんでくれる少女たちを優しい目で見つめました。いい子たちね、と心の中で言うと、笑顔になって答えました。

「もちろんよ。だって、私たちは現に、こうして結婚しているんですからね――」

 

 

 手紙を受け取ってすぐ、ジュリアは馬車でディーラのゴーリスの屋敷へ向かいました。屋敷の門や入口に立つ門番や取り次ぎをすべて押し切り、制止しようとする人々の間をすり抜けて、奥の書斎まで駆け込みます。

 十年あまり待ち続けたその人が、書斎の真ん中に立っていました。たくましい体つきは相変わらずですが、黒かった髪にはめっきり白いものが混じり、顔は頬がこけて、いっそう厳しい顔つきになっています。ジュリアは思わず泣き出しそうになりました。十年分、年をとったのは自分も同じです。けれども、目の前にいたゴーリスは、十年のその倍近くも年をとってしまったように見えたのです。長い間の苦労が、そのまましわに変わって顔に刻まれたようです。

 すると、ゴーリスが少しだけ笑いました。黒い瞳が淋しげなほほえみを浮かべます。

「あなたは、相変わらず走るのがお得意のようだ」

 近くにいるのに遠く離れた場所にいるような、間に見えない壁があるような、越えることのできない距離感がふたりの間に横たわっていました――。

 

「慰謝料で解決なさるとおっしゃるのですか?」

 とジュリアはゴーリスに尋ねました。考えを変えさせるためにも相手を責める口調にしたいのに、どうしても、哀願するような声になってしまいます。ゴーリスは表情も返事も冷静でした。

「俺にはこれしかできることがない。あなたに十年も無駄な時間を過ごさせてしまったことは、本当に申し訳なく思っている。金や物で償えるものではないことはわかっているが、他に方法がないのだ」

「なんでも、私の望むだけのものを支払うと?」

 ジュリアはすでに泣き声になっていました。泣くまいと、冷静に話し合おうと、道々心に誓ってきたのに、やはり耐えることができませんでした。すぐ目の前に立つ愛しい人に、どうしても手が届かないのです。

「俺は嘘は言わない。さすがに、この命だけは差し出せないが、それ以外のもので俺に支払えるものであれば、なんでもあなたに差し上げよう」

 ジュリアは笑いました。笑いながら涙がこぼれてきます。

「もしも、私があなたにゴーラントス家の地位と財産をすべてよこせと申し上げたら、それでもかまわないとおっしゃるの?」

 ゴーリスの顔に薄い笑みが浮かびました。先のほほえみとは違った、冷ややかな笑顔でした。

「それであなたの気がすむのならば。もとより、俺はゴーラントス家など望んではこなかった。それがほしいと言うのならば、すべてをあなたに譲り渡そう。陛下は家臣の身分を気にされない方だ。俺は一介の剣士として陛下にお仕えする。俺はそれで充分なのだ」

 ジュリアの目から涙がこぼれ続けました。そこにいるのは決して嘘を言わない人物です。そのことばは紛れもない本心で、本当に、どこにもとりつく島がありません。

 ジュリアは泣きました。泣きながら、懸命に言い続けます。

「では、金の石の勇者は? あなたは金の石の勇者の後見人でいらっしゃる。その権利をお譲りください、と申し上げたらば?」

 

 とたんに、ゴーリスの表情が変わりました。ジュリアを哀れむような表情が、一転して、信じられないほど険しくなります。目を白く光らせながら、ゴーリスは答えました。

「それはできない。あいつは俺の所有物ではないし、俺はあいつの後見人というわけでもない。あいつは金の石に選ばれた勇者だ。誰の命令も受けずに、ただ石と自分の意志に従って世界のために戦うのが役目だ。そもそも俺のものではないものを、あなたに渡せるはずはない」

 声も態度も、はっきりとジュリアを非難しています。ジュリアは恐ろしくなって、思わず後ずさりました。ただ言ってみただけです、と言おうとするのに、怖くてその声さえ出せませんでした。

 そんな彼女に、ゴーリスは宣言するように言いました。

「俺に支払えるものであるなら、俺はいつでもなんでもあなたにそれを支払う。それが俺の償いだ。だが、今日は帰るがいい。もう日が暮れる。暗くなってからの道は物騒だ。また出直してこられよ」

 冷たく固い拒絶でした。どんなに追いすがって引き止めようとしても、この人は絶対に自分の元へは戻ってこないのだと思い知らされてしまいます。

 はらはらと涙を流しながら、ジュリアは尋ねました。それこそが、一番最初に、当たり前に出てきそうな質問でした。

「ゴーラントス様……他に好きな方がおできになったのですか?」

 すると、たちまちゴーリスの態度が和らぎました。同情するような、優しい距離感を漂わせて答えます。

「俺は生涯、結婚はしない。あなたとも、あなた以外の女性とも、誰ともだ」

 もう帰られよ、とゴーリスがまた言いました。

 ジュリアは泣きながら、ゴーリスの屋敷を後にしました。

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