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外伝1「ジュリア」

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3.求婚

 「ホントにホントっ!? あのゴーリスがホントにそんなこと言ったのっ!?」

「ジュリアさんのことが忘れられなくて、わざわざ会いに来たのね。うわぁ……なんか、すごいわ!」

 メールとポポロは、ジュリアの思い出話に大騒ぎです。すると、ジュリアがちょっと恥ずかしそうに笑いました。

「そんなにロマンチックな話でもなかったのよ、その時は。私は、あの人が貴族だったってことにびっくり仰天してしまって――絶対に、町の剣士かなにかだとばかり思っていたから――言われて一緒に踊ったけれど、ろくに話もできなかったの。助けてもらったお礼を言うのがやっと。そしたら、あの人はなんて言ったと思う?」

 少女たちは目を丸くしました。

「……どういたしまして、とか、大したことではない、とか?」

「いいえ。『あなたは走るのが得意なのか?』と聞いてきたのよ。大真面目な顔で」

 少女たちは大爆笑です。今はいぶし銀のようなゴーリスが、女性への話しかけ方ひとつ知らない無骨な青年になって、目の前に現れてきたような気がします。

「それで? それで? ジュリアさんはなんて答えたのさ?」

 メールが腹を抱えて笑い転げながら尋ねます。

「なんて答えていいのかわからなかったから、とにかく正直に答えたわ。『私の故郷は山の多い場所だから、小さい頃から歩いたり走ったりするのには慣れています』ってね。そうしたら、『そうか』と納得して、後はそれっきり、なにもおっしゃらなかったの――」

 少女たちはまた大爆笑です。

 

 

 けれども、そんなジュリアをどうやらゴーリスは気に入ったようで、その後、ことあるごとにジュリアの元に花や贈り物が届くようになりました。

 変人で偏屈でも、ゴーリスは古くからロムド国王に仕える名門貴族のひとりです。父親は三年前にこの世を去っていて、ゴーラントス家の跡継ぎが誰をめとるのかと注目されていました。本当ならば、噂も華やかなはずの立場の人物です。ところが、当人は必要最低限の集まりにしか顔を出さず、女性どころか人とも滅多に顔を合わせず、噂によれば、しょっちゅう屋敷を抜け出しては都の下町に出入りしている――それも、ろくでもない場所に入り浸っているということで、都の貴族たちは、ゴーラントスという名前を聞いただけで、顔をしかめて鼻の頭にしわを寄せるようになっていました。本来なら山のように押し寄せてくるはずの縁談も、ゴーラントス家の跡継ぎには、数えるほどしか舞い込みませんし、それも、片っ端から当人が断ってしまっていました。

 そんなゴーラントス卿に、ついに意中の女性が現れた。それも、都の貴族たちが誰も名前も聞いたことがなかったような、地方の小貴族の娘だという。ディーラの社交界はその話題で持ちきりになり、物見高い貴族たちが、毎日のようにジュリアを「見物に」やってきました。まったく、都の貴族たちのいい暇つぶしの種にされたのです。

 さすがのジュリアもこれには閉口しました。連日、貴族たちが入れ替わり立ち替わり訪ねて来るので、身を寄せさせてもらっている親戚にも多大な迷惑がかかります。ジュリアとしては、ゴーリスを嫌いというわけでもなかったのですが、どのみち都の大貴族と地方の小貴族とでは身分が違いすぎます。ジュリアがゴーリスを色仕掛けで落として玉の輿を狙っているのだという、とんでもない噂も耳に入ってきてしまいます。とうとうジュリアはゴーリスには何も言わずに、ロムドのはずれにある故郷へと戻っていきました。王都ディーラから北東へ、馬でも十日以上かかる辺境です。山間にひっそりと横たわる小さな領地で、ジュリアはまた元の静かで平凡な生活に戻れるはずでした。

 

 ところが、そこにもやがて都からゴーリスの贈り物が届くようになったのです。まれに手紙が添えられてくることもありました。たいていは短い時候の挨拶でしたが、ジュリアは丁寧に返事を書き続けました。贈り物などいただくいわれはないと思っていましたが、それでも感謝の気持ちは示さなければならないと考えたのです。

 すると、ある時、近いうちにあなたの故郷を訪ねたい、と書かれた手紙が届きました。まさか大貴族のゴーラントス卿がこんな田舎に来るはずはない、ただの社交辞令に決まっている、と思いながらも、なんとなくジュリアの胸がときめいたのは事実でした。

 本当にゴーリスがジュリアの屋敷を訪ねてきたのは、それから半年後、二人が初めて出会ってから一年あまり後のことでした。

 久しぶりに再会したゴーリスは、相変わらず黒ずくめで厳しい目をしていて、大貴族というより剣士と呼ぶ方が断然ふさわしいように見えました。やっぱり口数少なくて、ジュリアに会っても、喜んで何かを話すというわけでもありません。ただ、山のような贈り物を屋敷の居間に積み上げて、ジュリアの父親に向かって短く言ったのです。

「あなたの令嬢のジュリア殿を私の妻にいただきたいのだ」

 仰天したのはジュリアの両親とジュリアでした。とても身分がつり合わない、持参金も準備できないから、お断りさせてほしい、とゴーリスに懇願しました。

 

 

 「持参金? なにそれ?」

 とメールが不思議そうに尋ねました。ポポロにも意味のわからないことばです。

 ジュリアが穏やかに笑って答えました。

「人間が結婚するときのしきたりよ。奥さんの実家で、結婚していく娘にたくさんのお金や品物を準備してやらないといけないの。フルートのような庶民なら持参金も形ばかりだけれど、貴族はね、そういうわけにはいかないのよ。しかも、ゴーラントス家は大貴族。そこに嫁にやるとなったら、屋敷や領地全部を売り払ったって、とても持参金なんて準備できなかったのよ」

 それを聞くと、ふうっとメールは溜息をつきました。さっきから、彼女は貴族同士の結婚の話に溜息をつき通しです。

「人間ってホントめんどくさいよねぇ」

 と海の王女はひとりごとのようにつぶやきました――。

 

 

 それでも、ゴーリスはあきらめませんでした。ジュリアの両親やジュリアが何度断っても、それでも手紙を送り、金品を送り、自分自身で訪ねていきます。そんなことが一年以上も続いたある日、屋敷を訪れたゴーリスに、とうとうジュリアは自分自身で尋ねました。

「何故そんなに私に固執なさいますの、ゴーラントス様? 私はしがない小貴族の娘です。私よりもっと身分も資産も教養もある、あなた様につり合う方は、世間に大勢いらっしゃいますわ。それなのに、何故こんなにも私にばかり? 私のどこが、そんなによろしいとおっしゃるのですか?」

 穏やかで物静かに見えても、芯には強いものを持つジュリアです。その物言いも、遠慮している口調ではなく、本当に不思議に思って真相を確かめようとしている人のものでした。

 すると、ゴーリスが微笑しました。めったに表情を変えない黒衣の剣士ですが、ジュリアと二人だけでいるときには、ふっとその表情がなごむ瞬間があります。

「本当ならば、あなたはこの世で一番素晴らしい女性で、あなた以外の女性などとても考えられないからだ、とでも言わなくてはならないんだろうが――」

 とゴーリスが答えました。相変わらず、口調はぶっきらぼうです。

「あいにくと、俺はそんな歯が浮くようなセリフはとても言える人間じゃない。お世辞も社交辞令も、死ぬほど苦手だ。いつだって、俺に語れるのは、俺にとっての真実だけだ。一度だけしか言わん。聞きたければ聞くがいい」

 ジュリアはうなずき、ゴーリスは語り始めました。

 

「俺は今はこうしてゴーラントス家の家長を務めているが、もともとは、先代のゴーラントス卿だった父の、妾(めかけ)の子だ。俺の母親は俺が四つの年に死んだが、俺が覚えているのは、いつも父の気を惹こうと美しく着飾って、父の正妻と張り合っていた姿だけだ。まるで飾り羽根を広げて威嚇し合うクジャクのようだと思ったもんだ。母親らしいことをしてもらった覚えもない。母が病気で死んだときに自分が泣いたかどうかも覚えていない。泣かなかったのかもしれないな……。母が死んだとき、俺の父にはすでに正妻が産んだ三人の息子がいて、跡継ぎは充分間に合っていたから、俺はすぐに養子に出された。あなたのような地方の小貴族だったが、彼の目的は俺ではなく、俺を養子にして大貴族のゴーラントス家とつながりを深めて、その恩恵に預かることだった。おかげで、俺は四六時中ほったらかしにされていた。好都合だったがな。何をしてもとがめられることがなかったし、好きな剣術にも思う存分没頭することができたから。今でも俺は、着飾ったヤツらが嘘ばかり並べ立てる貴族の世界より、下町の庶民の生活の方が好きだ。子どもの頃からずいぶん遊び回って、なじみのある世界だからな」

 ジュリアの屋敷の小さな中庭の、東屋のように枝を広げる木の下で、ゴーリスとジュリアは並んで立っていました。ゴーリスの目はジュリアを見てはいません。ここにはない、遠い昔の景色を眺めています。

「ところが、俺が二十二の年に、ゴーラントス家の跡継ぎが次々に流行病(はやりやまい)で死んでしまった。三人が三人ともだ。正妻も同じ病気で死んだ。娘が他に二人いたが、これはすでに嫁に行っていて、家には子どもがひとりも残っていなかった。俺の父親はすでに七十に近い老齢になっていた。そこで、思い出したように呼び戻されたのが俺だ。いきなり、おまえはゴーラントス家の跡継ぎだ、次の家長だ、と言われて、徹底的に大貴族の勉強をさせられたが、なに、そんなもの。しょせん付け焼き刃だから、身につくものか。剣に自信はあったから、それで陛下のお役に立ちたいとは思っていたが、別に出世したいとも思わなかった。父は俺に陛下の親衛隊長か近衛隊長でも狙わせたかったようだが、まっぴらごめんだと思っていた。宮廷は嘘と虚構の世界だ。陛下は立派な方だが、それに付属する貴族どもには、ろくでもないヤツらが掃いて捨てるほどいる。そんなヤツらの中になど入るものか、そんな世界で育った女などめとるものかと、ずっと思ってきた。そのうちに父が死んで、本当に俺はゴーラントス家を継いだが、家を盛り立てるとか、存続させるとか、そんなことはこれっぽっちも考えてはいなかった。今も全然考えていない」

 

 ゴーリスは、普段からは想像もつかないほど饒舌(じょうぜつ)になっていました。吐き出すように話す口調が、感情の強さを伝えます。この大貴族の青年は、貴族でありながら、自分の地位や身分を深く憎んでいるようでした。

 けれども、ゴーリスがジュリアに目を向けたとたん、その強く険しい調子が、ふっとなごみました。おびえたように目を見張る彼女に向かって、静かにほほえんで見せます。

「あなたは違うな。そういう貴族どもとは違う人種だ……。あなたがそうだと言えば、それはまさしくその通りだし、あなたが違うと言うことは、確かに違うのだ。出会ってから、どのくらいたった? 二年は過ぎたか? その間、あなたが俺に嘘をついたことは、一度だってなかった。都の貴族たちの中では考えられないことだ。だが、あなたはいつだって、飾ることも偽ることもせずに、ただ本当のことだけを言う。――あなたは俺に何度も、結婚することはできない、と言った。だが、俺を嫌いだ、とは一度だって言ったことがないんだ」

 ジュリアは思わず真っ赤になりました。思いがけず、隠していた心の中をあらわにされてしまったような気がしました。裸でゴーリスの前に立っているような、どうしようもなく恥ずかしい想いでいっぱいになります。

 そんなジュリアを黒衣の戦士は引き寄せ、その白く細い手を、自分の無骨な両手で包みました。

「あなただから、結婚したいのだ。身分や家柄のある女など俺には必要はない。むろん、持参金などもいらん。ただ、あなたにそばにいてもらいたい。嘘を言わずに――ただ、俺のそばにいてほしいのだ」

 ジュリアはゴーリスを見上げました。せつないくらいに真剣な色がそこにあります。嘘をつけないのは、この人物も同じなのです。嘘がつけないからこそ、真実を求め続けるのです。

 ジュリアは、栗色の髪の頭をかしげて、やさしく相手を見つめました。

「それならば――そのくらいのことならば、私でもきっとできますわね、ゴーラントス様」

 そう答えてほほえんだとたん、大粒の涙がジュリアの目からこぼれ落ちました。

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