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外伝1「ジュリア」

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2.出会い

 「私はさっきも言ったとおり、地方の小貴族の娘だったの。それでも、女性は十八の年になると社交界にデビューするのがしきたりだから、故郷から王都のディーラまで出ていったわ。実際にはもう十九になっていたのだけれどね……」

 デビューにかかるお金を準備するのに時間がかかったのよ、と言って、ジュリアが笑います。貴族と言っても、地方に住む身分の低い小貴族たちは領地も狭く、そこから上がってくる税金も少ないので、下手をすれば、都市部の庶民よりつましい生活をしなければならないのでした。

「古い馬車に御者と乳母の二人だけをお伴に、ディーラを目ざしたわ。ディーラには親戚に当たる人がいたから、そこにしばらく身を寄せることになっていたの。私も年頃の娘でしたからね、華やかな社交界を想像して、それは胸躍らせていたものよ」

 メールは海の王の娘ですが、貴族や社交界と言ったものは、海の民には存在しません。ポポロは天空の国の貴族ですが、こちらもまた、人間で言うところの貴族とはまるで違った存在なので、やっぱり社交界などというものはまったく知りません。珍しい話を聞く気持ちで、二人の少女は一生懸命ジュリアの話に耳を傾けていました。

「でもね、慣れない道だったものだから、馬車が街道脇の崖から転落してしまったのよ。小さな崖で、それも今はもう、陛下が直々に補修をお命じになって、何の危険もない場所になっているけれど。でも、運悪く、私たちはそこから落ちて、馬車は壊れてしまうし、御者も乳母も怪我をして動けなくなってしまったのよ。馬も負傷して、奇跡的に怪我をしなかったのは私だけ。もう夜の闇が迫ってくる時間帯で――だから、私たちの馬車も先を急ぎすぎて、曲がり角の崖に気がつかなかったのだけれどね――なんとか私は崖の上まで上がったけれど、街道を通りかかる人もなかったものだから、助けを求めて走ったわ。もうディーラにはだいぶ近い場所で、灯りが見えていたから、町の方向はわかったの。とにかく走って走って……どのくらい走ったかしら? よく覚えてもいないのだけれど、とにかく走って、町の入口まで来たところで、真っ先に出会った人に飛びついて助けを求めたの。『お願いです、馬車が壊れて供のものが怪我をしています。助けてください!』って……。夢中だったから、それがどんな人かも確かめる余裕はなかったんだけれど、それがね、あの人――アルバート・ゴーラントスだったのよ」

 少女たちはまた、きゃあ、とも、ひゃあ、ともつかない声を上げました。

「で、そこでゴーリスがかっこよく助けてくれて、それで二人は知り合ったわけ? うっわぁ! 物語みたい!」

 メールが歓声を上げます。けれども、ジュリアは笑いました。

「いいえ、かっこよく助けてなんてくれなかったわ。あの人はね、私をちらりと見ただけで、町の方を顎で示して言ったのよ。『向こうに衛兵の屯所がある。用事があるなら、そっちへ行け』ってね。よく見たら、黒ずくめの服にひげ面の怖そうな人で、腰には大きな剣を下げていたし。これはてっきり強盗の親分にでも声をかけてしまったに違いないと思ったわ」

 あれまぁ、と少女たちがあきれます。が、今でもゴーリスは決して愛想の良い人物ではありません。余計な物言いはしませんし、目つきにも態度にも厳しいところがあります。若い頃のゴーリスの姿もなんとなく想像がつくような気がしました。

 

 ジュリアが話し続けます。

「もう、私はドキドキよ。強盗の親分につかまってしまわないように、後ずさりながら、お礼を言いながら、町の屯所まで走っていこうとして――でも、私、その時裸足になっていたのね。高いかかとのある靴ではとても走れなくて、途中で脱ぎ捨ててきちゃったから。それにあの人が気がついて、『靴はどうした』って聞いてきたの。聞かれたら、答えるしかないわ。『走るのに邪魔だから脱ぎ捨てました』って正直に答えたら、今度は『走ってきた?』って。それから、『どこから?』と聞かれたから、崖の場所を教えたら、あの人はとても驚いてね……後でわかったのだけれど、私、夜道を裸足で六キロ以上も走っていたらしいのね。本当に夢中で、そんなに走ったなんて思ってもいなかったのだけれど。あの人が私に関わろうとしなかったのも当然。走っているうちに、私の髪の毛はざんばら、何度も踏んづけてしまったから、ドレスの裾もぼろぼろ。汗で化粧も落ちているし、とんでもない格好になっていたのね。あの人はあの人で、私を、頭が変になって家から抜け出してきた、かわいそうな娘だと思っていたらしいのよ」

 お互いさまよね、と言って、くすくすとジュリアが笑いました。少女たちは何も言えません。ただただ呆気にとられて、話を聞き続けます。

「その後は、あの人もすぐに助けてくれたわ。屯所に連れて行ってくれて、衛兵と一緒に馬車が落ちた場所まで駆けつけてくれて、乳母や御者を助けてくれて……。やっと、ディーラの親戚とも連絡がついて、迎えに来てもらえる段取りになって、やれやれ、とあの人に御礼を言おうとしたら――いないのよ。もう、どこにもいないの。名前も名乗っていかなかったわ。衛兵たちに聞いても、どこの誰とも全然わからなかったし……。これも後でわかった話なのだけれど、あの人は時々自分の屋敷を抜け出して、ディーラの下町まで剣の稽古に出かけていたらしいのね。お忍びだったから、自分の身分や名前を明かすわけにはいかなくて、いつの間にか姿を消していたの。もっとも、あの人自身、そういう場面で大げさにお礼を言われたりするのは好きじゃないから、逃げてしまったのだけれど、ね」

 そう言ってほほえむジュリアの顔には、慈しむような表情がありました。偏屈で無愛想な自分の夫を、心から理解して受け入れているように、少女たちには見えました。

 

「でもさ、それじゃどうやって二人は知り合ったわけ? どっかで再会したんだろ?」

 とメールが尋ねました。

 ジュリアはまた、あら、と言って頬に手を当てました。

「困ったわね。このくらいでいいことにしない? これ以上話したら、本当に、私はあの人に叱られてしまうのだけれど」

「そんなぁ! ダメだよ!」

「あたしたち、絶対に誰にもしゃべらないから!」

 少女たちがあまり熱心に頼むので、とうとうジュリアも根負けしました。絶対に、絶対に内緒よ、と言って、さらに思い出話を続けました――。

 

 

 その日、ジュリアは生まれて初めて出席した舞踏会で、ただただ圧倒されていました。とある老貴族の誕生祝いのパーティで、規模も内容もディーラの貴族たちからすれば、ごく普通のものでしたが、地方から出てきた小貴族の娘の目には、信じられないほど豪華な集まりに映りました。この世のものとも思えないほど美しく着飾った男女が、目の前で演奏する楽団の曲に合わせて、軽やかにステップを踏みます。それはまるで、おとぎ話に出てくるエルフたちの舞いのようです。

 ジュリアを連れてきた親戚は、パーティの主役や主だった人たちに、彼女を紹介してくれました。けれども、同じように社交界デビューする娘や息子を紹介しようとする貴族たちは数え切れないほどいて、身分も資産もない地方の小貴族の娘と挨拶以上の話をしようとする者など誰もいませんでした。

 それでも、ジュリアは目の前のきらびやかな集まりを、飽きることなく眺めていました。これが社交界というものなんだわ、とただただ感心してしまいます。誰も自分を相手にしてくれないことなど、これっぽっちも気になりませんでした。むしろ、ゆっくりとパーティや人々の観察ができるので、放っておかれて好都合なほどでした。

 すると、目の前を通り過ぎていく年配の婦人たちの話し声が聞こえてきました。

「まあ、なんであんな方がおいでになったんでしょう。場をわきまえてらっしゃらないこと」

「珍しいですわね。あの方がこんな集まりに出てらっしゃるなんて」

「いやですわ。せっかくのお祝い事が台無しになるじゃありませんの」

 口調こそ丁寧ですが、とんでもなく鋭い揶揄と非難の響きが込められています。それが、本当に美しく着飾った上品な婦人たちの口から出てきたので、ジュリアはびっくりしてしまいました。中央の貴族たちの陰険さを、この時、彼女は初めて目の当たりにしたのです。

 この人たちにこんな悪口を言われているのは誰かしら、と思わず会場を見回して、ジュリアはまたびっくりしました。主役の老貴族に挨拶を終えたひとりの貴族が、こちらへ向かって歩いてくるのに気がついたからです。周り中の人々が、先の貴婦人たちと同じ揶揄と非難のまなざしを向けています。好奇心に満ちた目で眺めている人々もいます。普段、パーティに滅多に顔を出さないその人物が、何故ここに現れたのだろう、と動向を見守っているのです。

 その人は、たくましい体を仕立ての良い黒ずくめの服で包んでいました。大股に、まっすぐ壁際のジュリアへ歩み寄ってきます。ジュリアは驚きのあまり声が出ませんでした。間違いありません。腰に剣はないし、身なりも、あの時よりずっと上等になっていますが、それは夜道でジュリアと供のものを助けてくれた無愛想な青年だったのです。

 青年はジュリアに手を差し出しました。

「俺と一曲踊ってもらえるだろうか――?」

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