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外伝1「ジュリア」

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1.台所

 「さあ、それじゃそこに粉をふるい入れて混ぜてね。こねてはだめよ。切るような感じで、さっくり混ぜるの――」

 湖の畔に広がる保養地ハルマス。そこに建つゴーリスの別荘の台所で、奥方のジュリアが少女たちを相手に菓子作りの講習の真っ最中でした。

 メールが混ぜる手を止めて尋ねます。

「このくらいでいいかな?」

 いつもはおてんばで男顔負けの戦いぶりを見せる渦王の王女も、今日は白いエプロンなどしめているので、けっこうかわいらしく見えています。ジュリアはほほえみ返しました。

「そうね、このあたりがまだ粉っぽいから、もう少し……はい、いいわ。ポポロ、スグリの実を入れてちょうだい」

「はい」

 小柄な少女がすぐに近寄ってきました。黒衣の上にやはり白いエプロンをしめて、手には小さな器を抱えています。器の中では、たくさんの小さな赤い実が宝石のように輝いています。

「そのまま混ぜちゃっていいの?」

 とメールが尋ねると、ジュリアがまたゆったりとほほえみました。

「ええ、やっぱり切るような感じで全体に混ぜてね。これは種なしスグリだから、口当たりが良くておいしいのよ」

 豊かな栗色の髪が、ほほえみに合わせて優しく揺れます。美人ですが、それ以上に暖かく落ちついた雰囲気が伝わってくる女性です。そばにいるだけで安心できる気がして、メールもポポロも、知らないうちに一緒にほほえんでいました。まだ子どもはいないのに、何故かとても母性を感じさせる人でした。

 

 台所の窓の外には雲ひとつない青空が広がっていました。生きるか死ぬかの闇の声の戦いは終結し、平和な時間が戻ってきています。少女たちは、激戦を切り抜けてきた少年たちに、ねぎらいの気持ちを込めてご馳走しようと、ゴーリスの奥方のジュリアに習ってケーキを作っていたのでした。混ぜ合わせたタネを型に流し込み、燃えているかまどの中に入れます。

「さあ、これで後は一時間くらいかしらね? 焼き上がるまで、私たちもちょっとお茶にしましょうか」

 とジュリアが言って、少女たちに黒茶を淹れてくれます。その間に、少女たちが道具を洗って片付けます。

 すると、ふふふ、とジュリアが笑いました。

「本当は呼び鈴を鳴らして小間使いに片付けさせるほうがいいのだけれど、なんだか面倒くさくてね。こうやって自分たちでやってしまったほうが気楽なのよ。ごめんなさいね」

 メールとポポロは目を丸くしました。自分たちが使ったものを自分たちで片付けるのは、少女たちにとっては当たり前のことです。

 けれども、実を言えば、ジュリアほどの身分の貴婦人が自らお茶をいれたり、台所に立って料理を作ったりすること自体、本当はとても珍しいことなのでした。ゴーリスも相当気さくな人物ですが、実際には国王に直接仕えていて、城にも居室を準備されているほどの大貴族です。その奥方となれば、生活の一切のことは召使いや女中たちに任せっきりにして、ただ城の一室に座って、彼らに命令を下しているのが本来あるべき姿なのでした。

「でも、そういうのは、とてもつまらないでしょう? ただ座っているだけだなんて退屈でしかたないもの」

 とジュリアが笑って話します。落ちついた物腰とは裏腹に、案外はっきりした物言いをします。そんな彼女がたまらなく素敵に見えて、少女たちはまた一緒になって笑いました。本当に、貴族の生まれとは思えない、親しみやすい人物です。

 

 そんな雰囲気は、お茶を飲む間も続きました。他愛もない話をするうちに、メールがふと、尋ねます。

「ねえ、ジュリアさん。フルートから聞いたんだけどさ、ジュリアさんとゴーリスって、婚約してから結婚するまで十年以上待たされたんだって? ゴーリスが金の石の勇者をシルの町でずっと待ってたから。それってさ、ジュリアさんはつらくなかったの?」

 待たされる、ということばに、メールは敏感です。職務や戦闘に出かけていく渦王を、城で待ち続けていた亡き母を思い出すからです。フルートからジュリアとゴーリスの話を聞かされてから、いつか、その時のことを詳しく聞いてみようと考え続けていたのでした。

 あらあら、とジュリアが首をかしげました。とても不躾で失礼なメールの質問にも、怒った様子は見せません。ちょっと考えてから答えます。

「そうね……つらくなかったと言えば、嘘になるわね。なにしろ、あの人はシルの町に行って間もなく、私との婚約を破棄してきたから。その状態で待ち続けるのはね、たしかに、ちょっとつらかったわね」

「婚約を破棄してきた!?」

 メールとポポロは同時に驚きました。いつもはおとなしくて引っ込み思案なポポロですが、さすがにこういう話には夢中になってしまいます。

「ど、どうして? 嫌いになったとか、そういうことじゃ……ないですよね?」

 と自分から尋ねていきます。そう、今、二人はこうして結婚しているのですから、そんなことが理由のはずはありませんでした。

 ジュリアはまた静かにほほえみました。遠い昔を眺める目です。

「違うと思うわ。自分にはシルの町での任務があるから、あなたと結婚している暇はない。この婚約はなかったことにして別の男性のところへ嫁ぐように、と一方的に手紙を書いてよこされてね、後は、こちらからいくら使いをやっても、けんもほろろの扱いだったの。あの人は、ああ見えてとても真面目だから――私を待たせ続けることに我慢できなかったのでしょうね」

 わぁお、とメールが声を上げました。あまり女の子らしくない調子です。ポポロがまた尋ねました。

「でも、それでもジュリアさんは待ってたんですよね。どうして……? 小さい頃から家同士で決められてた許嫁かなんかだったの……?」

「いいえ、私は地方の小貴族の娘ですからね。家柄も資産も、あの人とは比べものにもならないわ。そんな家同士で婚約なんてするはずなくてよ」

「だけどさ、その資産目当てで待ってたわけでもないよね? そんなの、想像がつかないもん!」

 とメールが言います。悪気は全くないのですが、本当に、この海の王女は歯に衣着せない言い方をします。ジュリアはそれでも怒ることなく、静かにうなずきました。

「そうね、そんなことで待ち続けたわけじゃないわ……」

 ほほえむ瞳を窓の外に向けます。中庭のどこかでは、夫のゴーリスがフルートや占い師のユギルたちと話をしているはずです。

「じゃ、どうして!?」

 少女たちはいっせいに身を乗り出して尋ねました。メールもポポロも、納得のいく話を聞かせてもらうまでは、とても退けない気持ちでいます。その真剣な表情に、ジュリアはまた、あらあら、と声を出しました。

「とんでもない話を始めてしまったかしらね? ……そんなに聞きたくて?」

 メールとポポロが大きくうなずきます。

 「それじゃあ――ケーキが焼き上がるまでの間、少しだけね。でも、この話は他の人たちには言ってはだめよ。特に、主人には内緒。人に話したとわかったら、後で怒られてしまうから」

 そう言って、ふふふっと笑うジュリアは、まるでメールたちと同じ年頃の少女のようでした。

 メールとポポロは大きくうなずき、そして、三人の女性たちは、台所の片隅で、内緒の思い出話を始めたのでした――。

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