もどる? もどらない?

朝倉 玲

Asakura, Ley

アサクラ私立図書館へ

第3章 タイムマシン

 迷い続けるぼくの頭の中で、さえちゃんは怒った顔をしていた。

「もう顔も見たくない!」と言われたことも思い出した。

 

 そうだ……ぼくがアメリカに転校すれば、さえちゃんは本当に2度とぼくを見ることができなくなるんだ。

 そうしたら、さえちゃんはどう思うだろう? ひどいこと言っちゃったと思って、後悔するかな。けんかなんてしなきゃよかった、って思うかな…………。

 ぼくの口元に、思わずほほえみが浮かんだ。きっと、かなり皮肉っぽい笑いだったろうと思う。

 

 だけど……だけどさ、さえちゃんがぼくの転校の話を聞いて、「ごめんね」って謝りに来たら、ぼくだって考えないわけじゃないんだ。いいよ、って許してやって、「アメリカに行ったって、ずっと友達だよ」って言ってやるんだ。

 さえちゃんが訪ねてきたら……謝りに来たら…………

 

 ぼくは、夏休みの間、ずっと待っていた。

 でも、8月になって、ぼくたちがアメリカに引っ越す日が来ても、とうとうさえちゃんは現れなかった。

 家を出るときも、新幹線に乗るときも、ぼくはうしろを振り向いた。

 飛行機に乗るときにも、ぼくは、送迎デッキにさえちゃんの姿を捜してしまった。

 ――見送りになんて、来ているわけはなかったのに。

 

 とうとう、さえちゃんは来なかった。

 だから、ぼくもさえちゃんを忘れることに決めた。

 忘れようとして――本当に、ほとんど思い出すこともなくなって――そうして、15年の年月が流れた…………

 

 

 

 「おめでとうございます、博士!」

 ニュースキャスターが興奮にうわずった声で言う。

 僕は笑顔でそれに応えると、かたわらの美女を抱き寄せた。

 彼女の名は、シルビア・ハーソン。今、米国で一番人気のある映画女優で、この僕の婚約者だ。

 シルビアは、一万ドルの微笑を浮かべながら、僕の首に腕をからめると、居並ぶ報道関係者の面前で、僕にキスをした。

 たちまち人々の間からため息がもれ、フラッシュの嵐が起こる。

 

「で、タカダ博士、こちらが新開発のタイムマシンなのですね」

 と、先のキャスターが僕に聞いてきた。

 皆の視線が、今度はいっせいに僕たちの後ろのマシンに集中する。好奇心と期待に充ちた目、目、目……。

 回り続けるテレビカメラの向こうでは、全世界の人々が、同じような目をしているはずだった。

 

 僕は、シルビアを抱いたまま、もう一方の手でマシンに触って見せた。

「そうです。これが正真正銘、本物のタイムマシンです。ご存じの通り、ネズミと犬を使った実験では成功しています。今度は、いよいよ人間が乗り込んで、時間の旅に出発する番なのです。――旅にでるには、うってつけのスタイルをしているでしょう?」

 と僕はユーモアを言って、場の笑いをかった。

 そう。研究所のホールに置かれた僕のタイムマシンは、1990年代後半の乗用車の形になっているのだ。

 見た目は赤いセダンカーにそっくりだし、実際に公道を走ることもできる。

 昔の車の車体に、タイムマシンのシステムを積み込んで作ったのだから、当然だ。

 何故こんな形のタイムマシンを? という質問に、僕はしかつめらしく答えた。

「乗用車というのは、操縦者をさまざまなショックから守るような構造になっています。人が安全に時間の中を移動して行くのには、好都合なのです。また、1999年に突然マシンが現れても、このスタイルなら、怪しまれにくいでしょう。ついた先の時代を移動して歩くことだって可能です。そして、なにより――」

 僕は、咳払いをひとつすると、全員に向かって、にやりと笑って見せた。

「僕は1980年代に流行った、とあるSF映画の大ファンだったんですよ」

 狙いの通り、どっと笑いが起こった。やはり米国人。ずいぶん昔の作品でも、あの映画のことは誰もが知っているのだ。

 

 彼らの笑いがおさまるのを待って、僕は続けた。

「このマシンが初めて時間移動していくのは、1999年7月19日の午前11時30分ごろ。場所は日本です。向こうに1時間30分から2時間ほど滞在して、証拠の写真を撮り、またこの場所に戻ってきます。15年前にタイムワープして、帰ってくるわけですが、皆様にとっては、ほんの5分間ほどの時間旅行に見えることでしょう」

「日本、というと、博士のお生まれになった国ですね」

 と別の新聞記者が尋ねてきた。

「では、やはりマシンに乗り込むのは――」

「もちろん、僕です。15年前の僕の故郷を訪ねてみるつもりです」

 

 再び激しいフラッシュの嵐が起こった。

 光の洪水の中心で、僕は笑顔のまま目を閉じて、表情を隠した。

 15年前に僕が行こうとしている、その本当の理由は話せない ――誰にも――

 

 ふいに、シルビアが僕の首に抱きついてきた。

 驚いて目を開けると、意外なくらい真剣な緑の目が、僕をのぞき込んでいた。

「本当にいくの? マコト。あたし、なんだか不安だわ……」

 売れっ子女優なんて派手な職業をしているくせに、素顔のシルビアはとても素直で、飾り気がない。だから、僕も彼女が好きになったんだが。

 僕は安心させるように彼女を抱き寄せて、ささやいた。

「大丈夫、何も心配はいらないよ。動物実験は完璧に成功してるんだし、向こうにいる時間だって短い。君にとっては、たったの5分間だよ。だから、安心して待っていてくれ。……この実験から帰ってきたら、結婚式だよ」

 シルビアは涙ぐんだ目で微笑むと、僕の唇に激しくキスをしてきた。

 営業用でもなんでもない、恋人同士の熱いキスだった。

 

 

 タイムマシンの狭い車内に収まると、ホールの喧噪が遠くなった。

 僕はシートにもたれて、大きく息を吐いた。

 時間の旅に不安はない。僕の作ったタイムマシンは完璧だ。15年前の日本に行くのだって、この車でロサンゼルスまで旅するより安全なくらいなのだ。

 

 15年――僕が日本を離れてから15年――。

 あれからいろいろなことがあった。

 日本からアメリカの小学校に転校した僕は、じきに言葉を覚え、友人もたくさんできて、何不自由なく暮らせるようになった。

 だが、僕の母は、いつまでたってもこちらの生活になじめず、次第に父とも仲が悪くなって、僕がジュニア・ハイ2年目の夏、とうとう離婚して日本に帰ってしまった。

 日本に未練のなかった僕は、そのまま父と共にアメリカに残った。

 シニア・ハイでは、物理学の先生に感化されて、時空間物理学に興味を持つようになったのだが、僕は生来こちらの方面に向いていたらしく、どんどんスキップ(飛び級)を重ねて、17才で大学を卒業し、18才の時に、時空間旅行の研究で博士号を取ってしまった。

 時空間旅行――つまり、タイムトラベルのことだ。

 

 以来、僕は研究を続け、何度も失敗を重ねながら、ついに、この赤い乗用車形タイムマシンを完成させた。

 初め、タイムマシンなど絵空事だ、と僕を嘲笑っていた世間も、ネズミや犬が何年も前の時代に飛んで、当時の映像を収めたビデオテープと共に戻ってくると――そして、その映像が本物だと分かると――たちまち大騒ぎを始めた。

 今や、僕は世界で一番有名な人物だった。

 タイムマシンの初旅行を自分自身で行うことを発表してからは、英雄のような扱いにさえなっていた。

 その興奮ぶりは、多分、1969年に人類が初めて宇宙船で月まで行き、月面に降り立ったときに匹敵していただろう。

 

 だが、そんなお祭り騒ぎのただ中で、僕一人だけは、どこか冷めていた。

 もちろん、緊張はしている。

 この旅から無事戻れば(もちろん、戻れるに違いないのだが)、ノーベル賞の栄誉だって待っているのだから、それなりに興奮もしている。だが――

 僕が15年前に行きたい、本当の理由――

 

 1年前、初めてネズミでの時間旅行が成功した直後、僕に会いに来たヤツがいた。眼鏡をかけて、にこにこと人なつこく笑う顔に見覚えがあった。日本で小学4年の時に同じクラスだった、渡辺タカシだ。

 仕事で米国に来ていて、ニュースで僕のことを知り、すぐに都合をつけて会いに来てくれたのだ。

 僕は懐かしくて、嬉しくて、その夜はタカシと一緒に飲みながら語り明かした。

 思い出話に花が咲き、級友たちの最近の噂に驚いたり笑ったりする。……だが、そのうちに、僕はタカシから意外な話を聞かされてしまった。

 あの夏、さえちゃんが死んだ、というのだ。

 

「1学期の最後の日、学校から帰る途中で交通事故に遭ってさ」

 とタカシは教えてくれた。

「運転していた男が、病院へ運ぶって言って、自分の車に彼女を乗せて、そのまま行方が分からなくなったんだ。遺体が見つかったのは1カ月後――山の中でね。事故のあと、間もなく亡くなっていたらしいよ……」

 

 1学期の最後の日? 学校から、帰る途中で事故に遭った…………?

 僕の記憶は、一気に十数年前のあの日に戻っていた。

 さえちゃんにいきなり「うそつき!」と言われて、殴られたあの日。

 怒って駆けだした僕の後ろで、急ブレーキの音がしなかったか?

 それじゃ、さえちゃんはあの時――――

 

 謝りに来たら、許してやる、と意固地になってさえちゃんを待っていた、夏休みの日々。さえちゃんは、とうとう現れなかった。

「来なかった」んじゃない。「来られなかった」んだ。

 あの時、さえちゃんはもう死んでいたのだから……

 

 タカシと話したその日から、僕のタイムマシンのデザインが決まった。

 1990年代型の乗用車。それも、日本車。

 あの日の日本を走り回っても不自然に見られないために。

 そして、さえちゃんを助けに行くのだ――

 

 SFの世界では、時間旅行者が過去の出来事に働きかけるのは厳禁ということになっている。

 そんなことをしたら、歴史が変わってしまうから。

 でも、本当にそうかな? と僕は思っている。

 歴史というのは、さまざまな出来事が複雑に影響しあって作られている、大きな川のようなものだ。たとえ途中の川底の小石をひとつ動かしたところで、川の流れは変わらないように、過去の出来事を少々修正したところで、歴史の大きな流れには、ほとんど影響など起こらないのではないだろうか。

 

 だが、世間はまだまだ過去への干渉厳禁主義だ。

 それを下手に刺激したくなかったので、僕は自分の旅の目的をじっと胸に秘め、今回の時間旅行も、タイムマシンの中から過去の映像を記録してくるだけ、と発表していたのだった。

 

 さえちゃん、待ってろ!

 僕は心の中で叫んでいた。

 僕の精神は、一足先に15年前に戻っていたのかもしれない。

 だが、タイムマシンが時間を跳び越える瞬間、僕の目がシルビアの目と合った。

 彼女は、涙で大きな瞳をうるませながら、じっと僕を見つめていた。

 僕は、彼女にひとつうなずいて見せた。必ず戻ってくるよ、とメッセージを込めて。

 そして、その瞬間、世界の色が大きく変わり始めた――――

 

 

 気がつくと、僕は懐かしい風景の中にいた。

 緑の濃い公園、アスファルトの車道とコンクリートブロックの歩道、建ち並ぶ家々にも見覚えがある。

 僕が小学生の時、登下校に使っていた道だ。

 車内の計器を見ると、ぴったり1999年7月19日の午前11時30分をさしていた。

 ――やった、大成功だ!

 僕は思わず自分の膝を叩いて歓声を上げた。

 

 僕のタイムマシンには、衝突回避機能がある。人に見られたり、物にぶつかったりしない場所を、自動的に選んで、そこへジャンプしていくのだが、それでも、狙いとそう違わない場所に出られたらしい。

 この時刻なら、まだあの事故も起こっていないはずだ。

 僕は、車型マシンのエンジンを回すと、小学校に向かって発進した。

 

 公園の角にさしかかったとき、歩道をすごい勢いで走ってくる男の子とすれ違った。

 口をへの字に曲げ、今にも泣き出しそうな顔で駆け抜けていく。

 ――小学4年生だった、あの日の僕だ。たった今、さえちゃんと喧嘩して、殴られたのに違いない。

 僕は思わずその後ろ姿を見送った。泣き笑いしたいような気分に襲われていた。

 あの日、僕はさえちゃんを助けることができなかった。一緒にいさえすれば、さえちゃんは死なずに済んだかもしれないのに。

 今度こそ、間に合ってみせる。絶対に、さえちゃんを助けるんだ。

 僕は行く手に向き直って、車のスピードを上げようとした。

 

 とたんに、キキィッ! と急ブレーキの音が、角の向こうから聞こえてきた。

 僕は、はっとした。

 まさか……今のがまさか……

 心臓が凍るような想いで、大急ぎで角を曲がると、その先の交差点で1台の乗用車が停まっていた。――赤信号に変わったのに気づかないで急ブレーキを踏んだらしい。横断歩道に少し乗り上げている。

 さえちゃんは――さえちゃんは、その横断歩道の反対側の端で、信号が青になるのを待っていた。

 

 まだ無事だった!

 僕は、ほっとすると、車のスピードをゆるめた。

 僕の目の前の信号も赤になっている。停止線で車を停めると、僕はフロントガラス越しに、さえちゃんを見つめた。

 間違いない。あの日のままのさえちゃんだ。

 青いTシャツに白いキュロットスカート、2つに分けた髪をおさげに結って、手には学校の荷物や作品の袋を抱えて立っている。ああ、そうそう。僕の顔をひっぱたいた上ばきの袋も、ちゃんと持っている……。

 僕は本当に涙がにじんできて、急いで指でぬぐいとった。

 そうさ。定められた運命なんてヤツがあってたまるもんか。

 未来は変えることができるんだ。人間がその気になれば、きっと、必ず――

 

 いつの間にか、信号が青に変わっていた。さえちゃんがこちら側に向かって、横断歩道を渡ってくる。

 さえちゃんを守るには、どこかでUターンしなくてはならない。

 慌てて方向転換する場所を探していると、後続の車が、クラクションも鳴らさずに、僕の車を追い越しにかかった。

 そのまま、いきなり左折ウィンカーを出して、僕の目の前で角を曲がろうとする。その先には、さえちゃんがいる――

 危ない!!

 僕の叫びと、車の急ブレーキの音がだぶった。

 ゴツン、という鈍い音が聞こえたような気がした。

 僕は車のドアを開けて、外に飛び出した。

 

 横断歩道の上に、さえちゃんが倒れていた。頭から赤い血がどんどん流れ出している。

「さえちゃん!!」

 僕は大声を上げて駆け寄っていった。

 さえちゃんをひいた運転手は、車から降りかけていたが、僕の声を聞くと、ぎょっとしたように車に引っ込んで、全速力で逃げていった。まだ若い、長髪の男だった。

 ――よし、これでいい。あいつの手からは、さえちゃんを守ったぞ。

 僕は心の中で、少し満足した。

 だが、ぐずぐずしてはいられない。さえちゃんはどんどん出血しているし、顔色も悪くなってきている。

 早く病院に運ばなければ……。

 

 通行人が群がって、119番だ、救急車だ、と騒いでいた。

 僕はさえちゃんの呼吸がしっかりしているのを確かめると、頭の傷をハンカチでしばり、両腕に抱き上げた。

「救急車なんて待っていられません! この先の病院に、僕が運びます!」

 そして、さえちゃんを車の後部席にそっと横たわらせると、できるだけショックがかからないように気をつけながら、車を発進させた。

 もちろん、僕だって、頭を打った人間をむやみに動かしちゃいけないことは知っている。でも、このまま放っておいたら、救急車が到着する前に、さえちゃんは出血多量で死んでしまうだろう。状況は一刻を争うのだ。

 一時停止も赤信号も無視して、僕は病院へ急いだ。後部席から聞こえてくるさえちゃんの息づかいが、荒く苦しそうになっていく――

 

 と、さえちゃんが、うめくようにつぶやいた。

「ゴメン……ゴメンね……まことくん…………」

 僕は、はっとして思わず振り返った。

 さえちゃんは真っ青な顔で目をつぶっている。うわごとだった。

 さえちゃんがあの日、何に腹を立てていたのかは分からない。でも、その直後から、さえちゃんは反省してくれていたんだ。

 僕はまた涙ぐみそうになって、慌てて前に向き直った。

 もう少しだ。次の角を曲がれば、病院に着く――

 

 

 どうしてその時、それが思い浮かんだのだろう?

 僕は唐突に、シルビアの顔を思い出していた。

 他人には決して見せない、少女のように素直な瞳で、僕を心配そうに見つめていた。

『大丈夫なの? マコト。あたし、なんだか不安だわ……』

 もちろん大丈夫さ、と僕は心の中で答えていた。

 さえちゃんは、きっと助かる。誰かに連れ去られて死んでしまう、なんて悲劇は、もう起こらないんだ。

 

 悲劇ハ、モウ、起コラナインダ――

 その一言が、僕の頭の中で、警鐘を鳴らした。

 そう。悲劇はもう起こらない。それを防ぎたい一心で、僕はここまで突っ走ってきたんだから。

 だが――ダガ、モシモ、悲劇ガ起コラナカッタラ――ソノ時ハ、ドウナル?

 

 僕は、はっとした。

 あの日、さえちゃんと喧嘩したから、僕は日本へ戻らずに、アメリカに残る道を選んだ。そして、物理学の道へ進み、博士号を取り、研究を続けてタイムマシンを完成させた。

 今の僕がこうしてあるのは、すべて、さえちゃんと喧嘩したからだったんだ。

 だが、もしも、さえちゃんが助かったら、どうなるのだろう?

 さえちゃんが事故に遭ったことは、絶対、当時の僕の耳にも入る。当然、見舞いにも行くだろう。

 その時、さえちゃんの意識が戻っていたら、きっと、さえちゃんは僕に謝る。さっき、うわごとでつぶやいたように。

 そうしたら、僕はきっと、ジュニア・ハイの夏に、母と一緒に日本に戻ったに違いない。さえちゃんの待つ日本に。

 物理の道へは進まず、もちろん、タイムマシンも発明せず、シルビアに出会うこともなくなるだろう――

 

『帰ってきたら、結婚式だよ』

 自分がシルビアに言った言葉がよみがえる。

 そう。帰ったら、シルビアと結婚するのだ。タイムマシン発明者の栄誉も、人類初のタイムトラベラーの名誉も、全部僕のものだ。

 帰ったら――今のこの僕の時代に帰れたら――

 

 サエチャンサエ助カラナケレバ、僕ハ、ソノ時代ニ帰レルノダ――

 

 いつの間にか、僕は車を停めていた。

 そして、僕はすべてを悟った。

 事故に遭ったさえちゃんを連れ去って、山中に置き去りにして死なせたのは、他でもない、この僕自身だったんだ。自分の時代に帰るために、僕がやったのだ――。

 

 さえちゃんの苦しそうな息づかいが伝わってくる。次第に弱くなってきているようだ。

 このままタイムマシンで僕の時代へ連れていったら? と僕は必死で考えた。

 そこで最新の治療を受けさせたら、さえちゃんは助かるし、僕の時代だって変わらない。

 ――いや、だめだ。タイムマシンは質量やエネルギーを厳密に計算して設定してあるから、さえちゃん1人を余計に乗せただけで、もう、元の時代には戻れなくなってしまう。

 

 ……どうしよう……

 

 僕は、ハンドルを握りしめたまま、激しく迷っていた。

 すぐそこの角を曲がれば、病院がある。さえちゃんは助かる。

 この道をまっすぐ走れば、行く手には山がある。麓に、うっそうとした森が迷路のように広がっている山が……

 

 さえちゃんが、またつぶやいた。

「まことくん……ゴメン……ね……」

 僕は、はっとした。

 思わずさえちゃんを振り向いたけど、まともに見られなくて目をそらしてしまった。

 すると、何故だか1匹の猫と目が合った。

 大きなトラ猫が道路のそばにうずくまって、じっとこっちを見ていたんだ。

まるで、僕がしようとしていることを見抜いているみたいに──

 

 僕はトラ猫からも目をそらした。

 唇を強く強くかみしめると、おもむろに車のアクセルを踏み込む。

 僕の車がタイヤを鳴らして走り出す。

 僕が選んだ行く先は――

           それは――

                それは―――― 

 

――The End――

 

 

→よければ別の選択の結末もご覧ください。

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