もどる? もどらない?

朝倉 玲

Asakura, Ley

アサクラ私立図書館へ

第3章 ゴロスケ

 ぼくは金色の光に背を向けた。

 とてもきれいで気持ちよさそうに見えるけど、そっちへ行ったらおしまいだってことに、ぼくは気がついていた。

 今はまだ、そっちへ行っちゃいけないんだ。

 ぼくにはまだ、やりたいことがいっぱいあるんだから。

 ぼくの、やりたいこと――

 

 急に頭の中にさえちゃんの顔が浮かんできて、ぼくはどきっとした。

 そうだ。さえちゃんに、ちゃんと聞かなくちゃいけないんだ。

 どうしてあんなに怒ったのか。何がそんなにさえちゃんを怒らせたのか。

 それを確かめなかったら、気持ちはいつまでたっても宙ぶらりんのままだ。

 よし、とぼくは心を決めると、水色の中をもと来た方向へ1歩踏み出した。

 

 

 

 とたんに、ぼくは目が覚めた。

 ぼくは、広いゴミ捨て場に倒れていた。目の前に大きな空き缶や粗大ゴミが山のように積み上げられている。

 でも、ぼくの倒れていた場所は、ちょうど草のはえた、風通しの良い日陰で、涼しくて気持ちの良いところだった。そこでぼくは眠っていたらしい。

 こんなところでよく寝てたよなぁ――と、自分であきれながら立ち上がろうとしたら、体が動かなかった。

 手足をのばして横倒しになった格好のまま、自分では指一本動かすことができない。

 どうして? どうなっちゃったんだ!? と叫ぼうとしたけれど、声も出なかった。

 それでも、近くでうるさく鳴くセミの声は聞こえていたし、吹き抜ける風が頭や背中の毛を優しく揺らしていくのも、ちゃんと感じられた。

 ――え? 背中の毛?

 

 そう。ぼくの背中には毛がはえていた。手や足にもはえている。顔には長いひげまである。風が吹くたび、毛やひげが震えるから、はっきり分かる。

 これって……この体って……

 

 すると突然、ぼくの頭の中に大きなしゃがれ声が響きわたった。

『よく気がついたな、まこと。そう。今おめえは俺の体ン中に一緒に入ってるんだ。待ってな。今、姿を見せてやるから』

 それは、あの水色の世界で『そっちへ行ったら帰ってこられなくなるぞ』と言ってくれた声だった。

 

 ぼくの体が、ゆっくりと立ち上がり始めた。

 ――いや、立ち上がると言っても、手足をつけた四つんばいの格好でだ。その場で、ううんと大きく伸びをすると、手足の指先でとっとっと軽く歩き出した。

 一つ一つの動作に、体がしなやかに動く。おしりの先には「しっぽ」が揺れているのも感じられる。

 そうやって、ぐるっとゴミの山を回ると、そこに大きな鏡が捨ててあった。

 鏡に映ったぼくの姿は、予想通り、猫だった。それも、大きな黄色いトラ猫だ。

 ゴロスケ! とぼくは心で叫んだ。

 学校の帰り道、いつも塀の上に座っているノラ猫で、ぼくとさえちゃんは、給食に魚のフライやソーセージが出ると、こっそり持ち帰っては、ゴロスケに食べさせていたんだ。

 

 すると、トラ猫が鏡の中からぼくに向かって、きゅっと片目をつぶって見せた。

『そう、俺様さ。たまたま散歩してたら、おめえが乗用車に跳ね飛ばされて、あの世に逝きそうになってたんで、俺の体ン中に、おめえの魂を同居させてやったんだ。なぁに、猫にゃこんなこと朝飯前なのさ。おめえには、時々昼飯を分けてもらった恩があるしな』

 としゃがれ声がぼくにしゃべった。

 そうか、ぼくは車にはねられたのか。と、ぼくは考えた。

 さえちゃんが事故にあったんじゃないか、って走っていって、自分が事故にあってるんじゃ、話にならないよな……。

 

 でも、それじゃ、ぼくの体はどうなったんだろう?

『もちろん、救急車で病院に運ばれたぜ。連れてってやるよ』

 とゴロスケが言った。

 どうやら、同じ体の中にいるぼくの考えは、ゴロスケに筒抜けになっているみたいだ。

 ゴミ捨て場から、有刺鉄線の下をくぐり抜け、よその家の裏庭を通り抜けて、塀の上に飛び上がる。

 さすがに猫だ。どんなところでも、すいすいと歩いていってしまう。

 

 歩きながら、ゴロスケがのんびりと話しかけてきた。

『ここしばらく、まことの家を見ていたけどな、遅かれ早かれ何か起こるんじゃねえかと思っていたのよ。親のトラブルってのは、すぐに子どもたちのほうに出てくるからなァ』

 ぼくは、どきっとした。

 確かに、最近ぼくのパパとママは仲が良くなかった。

 朝、顔を合わせても何も話さないし、ぼくがベッドに入ると、パパの不機嫌そうなどなり声やママの泣き声が、毎晩のように聞こえていたんだ。

 ぼくはなんだかひどく不安で……でも、それをママに確かめるのもなんだか怖くて、それでずっとイライラしていたような気がする。

 だから、さえちゃんとけんかになった時も、いつもより頭に血が上っちゃったんだ。

 そのあげくに、車にひかれちゃうなんて――

 

「おやじさんたちがもめてた理由は知らねえのか?」

 とゴロスケが聞いてきたので、ぼくはうなずいた。

 ゴロスケは知っているのかな?

『あったりめえだ。俺ァ猫だぜ。猫ってのは、町の観察屋だから――」

 言いかけて、ゴロスケはふいに黙った。

 行く手の塀の上に、1匹の猫がいた。それも、ゴロスケと同じくらい大きな、真っ黒な猫だ。片目が大きな傷でつぶれている。

『ちっ、黒毛のカイか』

 ゴロスケは、いまいましそうにつぶやくと、低く身がまえた。体中を緊張が電気みたいにびりびりと走っていく。

 向こうも同じように身がまえながら、低くうなりだした。

『今日こそ決着をつけようぜ、トラ毛のゴロー』

 笑うみたいに、黒猫が言った。

 猫の体の中にいるからだろう。ぼくにも、猫のうなり声がちゃんと言葉になって聞こえてくる。

 ゴロスケは迷惑そうに頭を振った。

『今はヤボ用で取り込み中だ。後にしてくれ』

『怖じ気づいたのか? ヤキが回ったな、ゴロー!』

 

 言うなり、黒猫のカイが飛びかかってきた。

 牙をむきだしにした顔が迫ってきて、ぼくは思わず悲鳴を上げた。目を閉じたいけど、閉じられない。

 ゴロスケは身をかわしてカイの牙をやり過ごしたが、バランスをくずして塀から落ちてしまった。

 体をひねって、足から地面に落りる。

 その後を追って、カイも地面に飛び降りてきた。

 

『しかたねぇな』

 そう言うなり、今度はゴロスケのほうから飛びかかっていった。

 ものうごいうなり声が上がり、牙がひらめく。

 組みつきざまに相手の体にかみつき、爪を出した後足でけり合う。

 毛が飛び散り、わき腹に激痛が走る。

 ぼくがまた悲鳴を上げると、ゴロスケにどなられた。

『うるせえ! 邪魔だから黙ってろ!』

 また、ゴロスケがカイに飛びつく。

 今度は、背中にのしかかって、首の後ろにがっぷりかみついた。

 カイは大きく叫ぶと、必死でゴロスケを振り切って飛びのいた。

 また毛が散り、血のしずくが道路に飛び散る。

 そのまま、2匹はにらみ合ってうなり続け……

 ふいに、カイのほうが目をそらすと、そのまま向きを変えて逃げ出していった。

 

『ふん』

 ゴロスケは逃げていくカイを見送ると、逆立てた毛をおさめて、わき腹の傷をなめ始めた。

 けっこう深い傷だ。かなり痛い。

 病院に行った方がいいんじゃないのかな。薬をつけないと……

『けっ。ノラ猫がこれくらいの怪我でどうにかなるもんかよ。なめときゃ、そのうち治るんだよ』

 とゴロスケが笑った。うーん、ノラ猫の世界って、きびしい!

 

『それよか、喧嘩したら腹が減ってきたな。ここらでちょいと腹ごしらえしていくか』

 そういってゴロスケが目を向けた先には、道ばたに置かれた生ゴミのバケツがあった。

 えっ? えっ?? うそだろ~っ!? ぼ、ぼく、そんなもの一緒に食べたくなんかないよ~っ……!!!

 『冗談だ』

 ゴロスケはまた、にやっと笑うと、ぴょいと塀の上に戻って、何ごともなかったような顔で歩き出した。

 まったく、もう~……

 すると、ゴロスケが、ぼそっと言った。

『一緒に痛い思いさせちまって、悪かったな』

 

 ――ゴロスケ!

 その時、ぼくはこの大きなトラ猫が、ほんとに本当に大好きになっていた。

 

 

 

 『ついた。ここだぜ』

 とゴロスケが言って足を止めたのは、町で一番大きな病院の裏庭だった。

 そのまま、するするっと立ち木をよじ登って、4階のベランダに飛びうつってしまう。

『まことがこの病院に運ばれたのは幸運だったぜ。ここは俺様の巡回コースなんだ。入院してる人間は退屈してるからな。看護婦や医者に内緒で、けっこういいもん食わせてくれるんだぜ』

 そんなことを言いながら、ゴロスケは慣れた足どりでベランダの柵の上を渡っていって、一つの窓の前で立ち止まった。

 窓から病室をのぞくと、ベッドの上に、白い包帯をぐるぐる頭に巻いたぼくが寝ていた。

 顔には大きなばんそうこうが貼ってあるし、布団の上に出た両腕も包帯だらけだ。

 うわぁ、痛そうだなぁ、なんて人ごとみたいに考えていると、泣き声が聞こえてきた。

 

「あたし……あたしのせいなの。あたしが、まことくんをぶったりしたから、まことくんも怒って行っちゃって……でも、戻ってきてくれたの。そしたら、そこに車が急に曲がってきて……まことくんを……!」

 ベッドの足元で泣いていたのは、さえちゃんだった。涙で顔をぐちゃぐちゃにして、それを両手でこするもんだから、なおさらひどい顔になっていた。ぼくのパパとママが一緒にいて、さえちゃんのせいじゃないよ、となぐさめていた。

「ううん、あたしのせいなの! あたし……あたし、きのうママから、まことくんがもうすぐアメリカに引っ越すって教えられたの。でも、まことくんが何も言わないから……夏休みに遊ぼうなんて言ってるから、頭に来て、うそつきってどなっちゃったの。 まことくん……うそなんて言ってなかったのかもしれないのに……」

 

 アメリカに引っ越す? ぼくは、びっくりした。

 そんな話、全然聞いてないぞ。どういうことなんだ?

 すると、今度はぼくのママが、突然顔をおおって、わっと泣き出した。

「……私が悪いんだわ! まことにアメリカ行きのこと、ちゃんと話しておかなかったから…………!」

 あとはむせび泣きで、言葉にならなかった。

 

 そうだったの? とぼくはゴロスケにたずねた。

『らしいな』

 とゴロスケが答える。

『夏休みの間に、家族中で引っ越す話になっていたようだな。だが、まことのおふくろさんは、アメリカになんぞ行きたくなかったのよ。日本にゃ自分の親も友達もいるし、マイホームだって建ててあるんだからな。しかも、アメリカに行ったら、いつまた日本に戻ってこられるかわからねえ、と来てる。おふくろさんが嫌がるのも無理はねえと思うぜ』

 ああ、それで最近パパとママはけんかばかりしていたんだ。と、ぼくは心の中でうなずいた。

 毎晩聞こえていた、パパの不機嫌そうな声とママの泣き声は、この話だったんだ……。

 

 パパは、泣きじゃくるママとさえちゃんをじっと見つめていたけれど、ベッドの上のぼくに目を移すと、静かな声でこう言った。

「そうだな。アメリカ行きは断ろう。こんなまことを日本に残して行くわけにはいかないしな」

 ママが、それを聞いて、びっくりしたように顔を上げた。

「だって……だって、あなた……大事な赴任なんでしょう? こ、これに従わなかったら、もう昇進はできなくなるんだって……」

 すると、パパはおもしろくなさそうな顔つきになって言った。

「あんまり僕を見損なわないでくれよ。お前たちより大事なものなんて、この世にあると思うのか?」

 

 パパ……!

 僕は心で叫んでいた。

 毎日、朝早くから夜遅くまで仕事仕事。日曜日だって、取引先との何とかだって言って出かけていくから、一緒に遊びに行くこともなかった。だから、パパは何よりも仕事が一番好きなんだと思っていたのに……

 

『まったく、人間ってやつァどうしようもねえよなぁ。てめえのせがれが生きるか死ぬかって場面にでもならねえと、自分に正直になれねえんだからな』

 ゴロスケがのんびりと口をはさんできた。

 ぼくは、どきっとした。

 死ぬの? ぼくはこのまま死んじゃうのか?

 そんな――

 

『あわてるなって。ちゃあんと、生き返る方法はあるさ。要は、魂になってるおめえが俺の体から出て、あそこの自分の体に戻りゃいいんだ』

 とゴロスケが言った。

 体に戻る? ……でも、どうやって?

 ぼくはゴロスケの体の中におさまったままだ。

 いくらもがいても暴れても、自分の体にいるみたいで、ぜんぜん外に出られない。

 すると、ゴロスケがひげをふるわせて、にやりと笑った。

『なぁに、簡単なことよ。こうやって――俺が、死ねばいいのさ』

 そういうなり、ゴロスケはベランダの柵をけって、宙に飛び出した。

 

 落ちる――!!

 ぼくは思わず目をつぶろうとした。

 だが、ゴロスケはしっかと目を開けたまま、ものすごいスピードで近づいてくる地面を見つめている。

 4階のベランダから飛び降りたんだ。いくら身の軽い猫だって、無事じゃすまない。

   落ちる――

      落ちる――

         落ちる――…………

 

 地上が迫る。

 堅いコンクリートの地面が、ぐんぐん近づいてくる。

 たたきつけられたら、ひとたまりもない。

 いやだ!! 死にたくない!!!

 ぼくは、心の中で悲鳴を上げ――――

 

 

 気がつくと、ぼくは病室のベッドの上にいた。

 パパとママとさえちゃんが、ぼくの顔をのぞきこんでいる。

 みんな、信じられないように目を丸くしていて、それから、いっせいに笑顔に変わった。

「まこと! まこと!!」

 ママが涙ぐんでぼくを抱きしめる。パパが大声で医者や看護婦を呼びながら、廊下へ飛び出していく。さえちゃんは、両手で顔をおおって、また泣き出していた。今度のは、うれし泣きだ。

 帰ってこられた――!

 ぼくは大きなため息をついた。

 頭はがんがんしているし、体もそこらじゅうものすごく痛んでいたけれど、それさえ、自分が生きている証拠に思えてうれしかった。

 

 でも、ぼくはすぐに思いだした。

 ゴロスケ!

 ゴロスケはどうなったんだろう!?

 4階のベランダから飛び降りて――そして……!!?

 

 あわてて窓のほうへ目をやると、外のベランダの柵に、黄色いトラ猫がちゃんと座っていた。

 ゴロスケだ! 助かっていたんだ!!

 すると、ゴロスケがぼくに向かって、きゅっと片目をつぶって見せた。

『猫にゃ命が九つある、ってことわざ、知ってるか? これぐらいのこと、猫にゃ朝飯前なのよ』

 頭の中に、そんなしゃがれ声が響いてきた。

 そして、ゴロスケはゆっくり立ち上がると、そのままどこかへ歩いていってしまった。

 

 

 

 1カ月後、ぼくはママと2人で成田空港にいた。

 怪我はまだ完全には治っていなかったけれど、いろいろと検査して異常がなかったので、あとはアメリカの病院に通院することになったんだ。

 パパはぼくたちの住む家を準備するために、一足先にアメリカに行っていた。

 アメリカの学校は、4月じゃなくて9月から始まるらしい。それに合わせて、ぼくとママは、夏休みの終わりにアメリカへ行くことにしたんだ。

 

 空港には、おじいちゃんやおばあちゃん、ママのお友だち、それに、さえちゃんもお父さんに連れられて、見送りに来てくれていた。

 ロビーに、ぼくたちの飛行機のアナウンスが流れる。

「じゃ」

 と言って、ママが荷物を持って立ち上がった。

「お正月に帰ってくるわ。国際電話は高いから、Eメールを書くわね。みんなも体に気をつけて……」

 そう言うママの顔は、晴ればれとしていて、もう少しも悲しそうじゃなかった。

 さえちゃんがぼくの前に来た。

 さっきまで泣いていたみたいな赤い目をしていたけど、もう涙は流していなかった。

 さえちゃんは、ぼくの手をぎゅっと握ると言った。

「あたしね、まことくんがアメリカに行くって聞いて、もう2度と会えなくなっちゃうような気がしたの。でも、違うよね。どんなに遠いところに行ったって、生きてさえいたら、必ずまた会えるんだもんね」

 ぼくはうなずいて、ママと同じことを言ってみせた。

「お正月には会いに来るよ。それから、ぼくは手紙を書くね――」

 

 正月に戻ってきたときには、ゴロスケにも会えるかな、とぼくは考えていた。

 病院を退院してから、さえちゃんにだけは何もかも話して、2人でずいぶん近所を探し回ったんだけど、とうとうゴロスケには会えなかったんだ。

 あのしゃがれ声も、もう2度と頭の中に聞こえてこなかった。

 でも、九つの命を持つゴロスケだもの、絶対どこかで生きているに決まってる。

 生きてさえいたら、必ずまた会えるよね。

 ぼくは、さえちゃんの言葉を心の中でかみしめた。

 

 うん。きっとまた会えるさ。

 ねっ、ゴロスケ――。

 

――The End――

 

 

→よければ別の選択の結末もご覧ください。

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