地蔵と娘   サジ
我が父は地蔵堂に祀られています。7人の友と一緒に、赤い涎掛けを掛け、吸え無い 煙草を手向けられすまし顔です。 父は39年バレンタインデーに、家族を残し38歳で仲間と供に旅立ちました。 2月14日、大漁に魚を積んだ父が乗り合わせる船は、嵐に出くわし遭難沈没「皆」 行く経不明の帰らぬ人です。ですから、お墓で寝むる父は、遺骨では無く、、、、。 浮き球なのです。 父は幼少の頃、親戚の隣家に養子に、行きました。子供の居無い夫婦が、父を我が子 にと望んだのです。数年後、弟が産まれました。 隣家に養子へ行き、兄に成った父の心境はどうだったのかなーーと胸が痛いです。 そして歳月が過ぎ、母をお嫁さんへ迎え、程無く家を建て、・・・母が嫁ぎ5年後 に、私が産まれました。弟が2年後に産まれ、翌年が父の悲しき知らせが来る何て、 母は思っていなかったでしょう。 1月お正月、私の誕生日を迎え、3月弟が1歳に成る誕生日を待ち、5月鯉幟の竿を 買い、楽しみに、3月と5月を待ってたでしょう。 「なのに」父は、旅立ってしまいました。私達を残し無念の旅立ちでした。そんな父 達に、船の持ち主が地蔵堂と8人のお地蔵様を祀って下さったのでした。 父は誰よりも赤い口紅を差して、何故かほくろを頬に付け手を合わせて、見守ってく れてます。地蔵堂の仲で肩を寄せ合い、孫の話しに花が咲いてるでしょう。 「愛してるよお父さん。尊敬してるよお父さん。」又「遊びに行くね。紅葉の手を繋 いで。」
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