エッセィ「傍らに障害」
byサジ

偏見に向き合うこれは、私の永遠のテーマです。

過去私は、自分を偽り世間に擬態をして来ました。私がひた隠しして来た事それは「心身障害者で、有る事」この偽りは、家族も施設の先生も理解を示し寧ろ進められました。
見た目では全く障害は無くゆえに、就職するに当たり「マイナスを招く原因に成り兼ね無い、玉手箱だからです。」箱を開ける事が「最善かどうかは、ケースバイ、ケースでしょう。」特殊学級の頃の仲間は「隠してる人が、私を除き皆、偽り、、、後の半世紀、歩んで行くのでしょう。」我が身を案じながら、家族(親)の為に、家族(子供)の為に、パートナーの為に、、、、。
玉手箱を開ける事を選ぶ人も居ます。「、、、、私が.......カミングアウトしたのは、、有る人の存在の影響です。

「そう私が、告白を決意したのは、乙武さんの影響力です。」
ご自分を真っ裸に曝け出し胸を張る、精悍で勇敢な青年に心打たれました。
「、、、、、自分が恥ずかしかった。」堪ら無く恥ずかしかった。世間に擬態して居る自分が、堪ら無く許せなかった。
「そして、障害に依存してる私に気付きました。」障害を隠しながら、障害を盾に甘えてる自分が居ることを気付きました。

「障害が人生のどれ位の妨げに成るのだろう。」そう気付いたときに、私は楽に成りました。乙武さんのスマイルは、勇気付けてくれた。息子を思うと不安が起こる今の現状では、無く、成人してからの息子の障害がどれ位で留まり、社会への自立力は、果たしてどこまで届いているか・・・幼いと言う幼少時は、世間の目が甘く理解が有る、しかし、170pの青少年へは、理解有る眼差しは、カナリ厳しいだろう。「そんな悩みが、私の中に有った。」

しかし、一寸程の魂でも胸を晴れる年月の貯金が有れば、足り無い所を補えるだろう、そんな気持ちにたどり着けた。
向かうところの人生の山は、まだまだ険しい、迎え立つ課題の霧が立ち込めてもその場の霧が晴れるまで、次に控え霧の天候を見守る。
障害「妨げなど無いのだ。」傍らで突き当たる壁、、、大した災難では無い・・・我が身を裸で、世間を見下ろせば余りにもチッポケナ物で・・・「慌てず、焦らず、歩む道肌、私と我が子にだけ仕向けられた災いでは、無いのだ。明後日も明日も平等に有る、繰り返す夕日を見送りながら諦めず、今日を歩く。
前のページ次のページ
トップへ