荒れ果てた大地の真ん中に、黒い鉄格子の門がそびえていました。
けれども、周囲に壁や石垣はありません。乾いてひび割れた地面の低い場所を浅い川が流れ、その向こうに門だけがぽつんと建っています。
それは生者と死者の世界を隔てる黄泉の門でした。この世での生を終えた魂は、狭間(はざま)の世界を通って川を渡り、黄泉の門をくぐって死者の国へ向かうのです。
今、黄泉の門は大きな扉をぴたりと合わせていました。閉じた門を挟んで、向こう側と話をしている人物がいます。
「えぇとねぇ、ものすごく美人で、超がつくぐらいものすごぉく性格の悪いお姐さんなんだけどねぇ。しばらく前にこの門をくぐったはずなんだけど、覚えてないかなぁ?」
そう言っているのは痩せた体に白い長い上着をはおった幽霊の青年――ご存知ランジュールです。半ば透き通った肩の上には、幽霊蜘蛛のアーラが乗っています。
ランジュールが話している相手は、黄泉の門の番人のケルベロスでした。頭が三つある巨大な犬の怪物で、死者の魂を門の奥へ追い込むのが役目なのですが、魔獣使いのランジュールには飼い犬のようになついていました。今もランジュールに話しかけられて、尻尾を振りながらワンワンワンとほえます。
ランジュールは顔を輝かせました。
「そぉそぉ、黒いドレスを着た魔女のお姐さん! レィミ・ノワールって名前だよぉ! 今どこにいるか、ケルちゃんは知ってるぅ?」
ワンワンワン、とケルベロスはまたほえました。三つの頭が同時に鳴くので、一声上げただけでもかなりの騒々しさです。
ランジュールは急にがっかりした顔になりました。
「そぉっかぁ。あの牛男くんに死者の国に連れていかれちゃったのかぁ。完全に死者の国に行かれちゃうと、ケルちゃんでも呼び戻すことはできないもんねぇ。それは残念」
やれやれ、とランジュールは黄泉の門にもたれて座り込みました。シ? と肩の上から大蜘蛛が尋ねたので答えます。
「ボクはねぇ、魔女のお姐さんに魔法使いのお嬢ちゃんの秘密を教えてあげよぉと思ったのさぁ。あのお姐さんはお嬢ちゃんをとことん嫌ってたから、きっとものすごぉく面白いコトになると思ったんだけどねぇ。死者の国に行かれちゃったんじゃ、どぉしよぉもないなぁ。あぁあ、せぇっかくここまで来たっていうのに、無駄足の骨折り損。つまんないなぁ」
ランジュールはぶつぶつ言いながら自分の片足をひょいと持ち上げました。その足が途中でぽっきり折れて曲がっていたので、アーラは肩の上で飛び上がりました。骨折り損を体で表したランジュールに、シシシ! と文句を言います。
「えぇ? くだらないことやってないで、セイロスくんに秘密を教えればいいだろぉってぇ? だぁってぇ、セイロスくんってば、あの通りなんだよぉ。ボクが親切に教えてあげたって、感謝するどころか、またボクをこき使おうとするに決まってるんだよねぇ。ボクのかわいい魔獣たちもまたダメにされちゃうだろぉし。アーラちゃんがセイロスくんに使い捨てにされたら、それこそ大変だもんねぇ」
ランジュールが心配するようなことを言ってくれたので、大蜘蛛は機嫌を直しました。シ? とまた尋ねるように鳴きます。
「うん、どぉしよぉねぇ。セイロスくんに秘密を教えるのは癪(しゃく)に障るしぃ。かといって、誰にも教えないのももったいないしぃ……」
本人としては真剣に悩んでいるのかもしれませんが、口調がのんびりしているので、あまり深刻には聞こえません。
門を挟んだ後ろではケルベロスが三つの口を開けてあくびをしています。
すると、門の奥の方からかすかな音が聞こえてきました。何かがうなっています。
ケルベロスは耳をいっせいに後ろに向けて跳ね起きました。ランジュールも顔色を変えて飛び起きます。さっき折れていた足はいつの間にか元通りになっていました。
「あの音はお迎えの風! まずいよ、アーラちゃん! ここにいたら引っ張り込まれちゃう――!」
そう言っている間に音はたちまち大きくなり、黄泉の門が、バン、と勢いよく開きました。あたりに猛烈な風が巻き起こり、門の中へ流れ込み始めます。それは死んだ魂を死者の国へ引き込む風でした。今まで見えなかった幽霊たちが姿を現し、風に巻かれて黄泉の門に吸い込まれていきます。
ランジュールも風にあおられてひっくり返り、地面にしがみつきました。白い上着が風をはらんではためき、ランジュールを地面から引きはがそうとします。
「ま、まずぅいぃ……!」
風で息が詰まりそうになりながら、ランジュールは言いました。門のすぐ際(きわ)にいたので、風から逃げることができなかったのです。大蜘蛛のアーラは糸と八本の脚で必死に彼にしがみついています。
「ケ、ケルちゃん! ケルちゃんはどこ!? ボクたちを助けてよぉ!」
けれども、そのケルベロスは門から飛び出し、風から逃れようとする魂たちを追いたてていました。人の幽霊だけでなく、奇怪な姿をした怪物や獣や鳥の幽霊も入り混じっています。彼らは三つ頭の犬から逃げ惑ううちに風に捕まり、次々と門に引き込まれていきました。そのまま死者の国まで運ばれていくのです。
ケルベロスが仕事に励んでいるのを見て、ランジュールはがっかりしました。これでは助けてもらうことができません。
とたんにひときわ強い風がふいてきて、上着を大きくあおりました。ランジュールの手が地面からはずれ、痩せた体が吹き飛ばされてしまいます。
彼は黄泉の門に呑まれそうになって、とっさに門の格子にしがみつきました。両手両足を格子に絡め、激しく吹きつける風に耐えながら叫びます。
「嫌だったらぁ! 勇者くんと皇太子くんを殺して二人の魂をお土産にするまで、ボクは黄泉の門はくぐらないんだからねぇ! しかも、ボクは世界最大の秘密まで知ってるんだからぁ! これで何も言わずに逝っちゃったら、絶対に、ぜぇったいに、もったいないじゃないかぁ! ネタの無駄死に反対ぃぃ……!!」
いったい誰に対して怒っているのか、そんなことをわめき続けますが、風はいっこうに止まりません。
ごうごうと渦巻く風の中、ランジュールと大蜘蛛は今にも飛ばされそうになりながら黄泉の門にしがみついていました――。