ここはロムド国の王都ディーラ。
城の周囲に広がる城下町にはたくさんの住人が暮らし、都の外からは街道を通って大勢の人々が集まってきます。
地方の商人や職人は仕事をするために都を訪れ、学生や魔法使いは知識を広げるために都をめざしてきます。物見遊山の旅行者や、都を通り抜けてその先の街や国へ向かう旅人も少なくありません。
一方、都の中に住居があっても、農夫は日中は都の外の畑へ農作業に行くし、商人は商売のために地方へ出かけていきます。彼らはたいてい道具や荷物を積んだ馬車と一緒です。
そんなわけで、ディーラを囲む街壁の門は、どこも大勢の通行人で賑わっていました。門が開く日の出から門が閉じる日没まで、都に出入りする人や馬車の列はほとんどとぎれません。
そんな門の一つに、列に並んで都へ入ろうとしている青年がいました。
門を通過するのには、役人に通行手形を見せたり通行税を払ったりしなくてはならないので、列はなかなか前へ進みません。
青年は最初はおとなしく待っていましたが、じきに退屈して大きな伸びをしました。
「あぁあ、いつまで待たせるんだろぉ。ちゃんと並んでるんだから、早く入れてほしいんだけどなぁ」
けれども、やっぱり列は進みません。
んー、と青年は焦れた声をあげると、急に地面を蹴りました。
「やめたやめたぁ! 礼儀正しく門を通ってあげようと思ったけど、やっぱりやめぇ! 近道させてもらおうっとぉ!」
とたんに青年の体がふわりと浮き上がりました。門まで続く列から抜け出すと、空中に飛び上がっていきます。
けれども、それを見て驚く人はいませんでした。誰もが何事もなかったように門へ並び続け、順番が来るのを待っています。
青年は腰に両手を当てて、それを見下ろしました。
「まぁったくぅ。こぉんなに大勢が都に入ろうとしてるんだから、もっと門の受付を増やさなくちゃダメじゃないかぁ。ロムド王も怠慢だよねぇ」
聞こえよがしに文句を言いますが、やはり誰も振り向きません。
それもそのはず、この青年は生身の人間ではありませんでした。白い上着を着込んで長い前髪で顔の半分を隠していますが、その服も体も半ば透き通って、向こう側の空が透けて見えています。ご存じ、幽霊のランジュールです。
ランジュールは風に乗るようにふわふわ漂いながら、街壁のほうへ移動を始めました。列になった人々の上を越えて、門をくぐろうというのです。
「いくらボクが幽霊だからって、壁を抜けたり上を越えたりするわけにはいかないんだよねぇ。ロムド城には魔法軍団の魔法使いが大勢いるから、無理に壁を越えよぉとすると、幽霊でも見つかって攻撃されちゃうからさぁ。だけど、門は大丈夫。前にもくぐって入ったことがあるんだから、そのへんはちゃぁんと実証ずみなんだよねぇ、うふふふ」
と、いつもの独特な話し方でひとりごとを言うと、女のように笑います。
ところが、ランジュールが人々の頭上を越えて門をくぐろうとすると、いきなりバチッと激しい音がして、体が跳ね飛ばされました。
音を聞きつけた人々が驚いて頭上を振り仰ぎ、いっせいに騒ぎ出します。
「なんだ、今の音は!?」
「雷!? こんな青空なのに――!?」
はじき飛ばされて空中に尻餅をついたランジュールは、あいたたたぁ、と自分の腰をなでながら立ち上がりました。
「なぁにぃ、今の? まさか幽霊よけだとか言うんじゃないよねぇ? 前に来たときには、そんなのなかったよぉ」
けれども、彼がもう一度門に近づいて、そっと手を伸ばすと、またバチッと音がして手が跳ね返されました。
人々はまた驚きました。並んでいた列が崩れ出します。
「なんだなんだ!?」
「上に何かいるのか――!?」
「おっと、やばぁい」
とランジュールは大慌てで門から離れました。跳ね返された手を振って、ふぅふぅ息を吹きかけながら、改めて門をにらみます。
「やっぱり幽霊よけが仕掛けてあるよねぇ。いつの間にぃ? ディーラに入れないと、ボクは困るんだけどなぁ。セイロスくんから、お城や街の様子を偵察するよぉに言われてるんだからさぁ」
セイロスというのは、二千年前に闇の竜と戦った金の石の勇者で、かつてこの場所にあった要(かなめ)の国の皇太子だった人物です。願い石の誘惑に敗れて闇の竜とひとつになり、人の姿で復活してきて、この世界を征服しようと企んでいます。
「そりゃさぁ、セイロスくんもかなり無茶な命令してくるけどさぁ。ボクは魔獣使いの幽霊であって、斥候(せっこう)なんかじゃない、って何百回も言ってるのに、ぜぇんぜん聞いてくれないんだからねぇ。あれだよね。セイロスくんはああ見えて、もぉ二千歳のおじいちゃんだから、頭がすっかり頑固になっちゃってるんだよね。お年寄りに理解してもらうのは、ほぉんと大変だよ。周りが困っちゃうんだからさぁ」
とランジュールはぶつぶつ言い続けました。この幽霊にかかると、闇の権化のセイロスもただの老人のような扱いですが、実際にはセイロスは美丈夫(びじょうふ)な青年でした。少なくとも、外見はそうです。
門のところでは、人々が遠巻きにする中、駆けつけてきた衛兵が調査を始めていました。彼らは門に爆発の魔法が仕掛けられたのでは、と思ったようでした。城から魔法使いを呼んだほうがいいんじゃないか? と話している声が聞こえてきます。
ランジュールは腕組みしました。
「魔法使いが来たら、さすがのボクも見つかるかもしれないなぁ。ここの門はあきらめて、別の門から入ろぉかしら。でも、そこにも幽霊よけがしかけられてたら、どぉしよっかなぁ。うぅん」
セイロスへ文句を言っていても、まだ都に侵入することを考えています。
すると、すぐ近くの空中から突然人の声がしました。
「やっぱりあなただったわね、ランジュール! あたしの結界に触れたから、そうだろうと思ったのよ!」
それは意外なくらい幼く聞こえる少女の声でした。声のした場所から二人の人物が現れます。濃い紫の長衣を着て黄色い巻き毛に細い紫のリボンを結んだ、七つくらいの少女と、その少女を右肩の上に座らせた男性です。男性は黒みがかった薄い紫の長衣を着て、首から医者の神ソエトコの象徴を下げていました。二人とも空中に浮いていて、ランジュールを見据えています。
あぁ!? と幽霊の青年はすっとんきょうな声をあげました。
「お嬢ちゃんとは、確か、ガタンの戦いで会ったよねぇ!? 幽霊専門の魔法使い――だっけぇ!?」
すると小さな少女はつんと上を向いて、おませな声で答えました。
「そうよ。あたしはロムドの魔法軍団に所属してる紫の魔法使い。幽霊対策の専門家よ。白様から、あなたが都に侵入してくるかもしれないから、守りを固めておくようにって命じられたの」
「えぇ!? じゃあ、あの門の幽霊よけはボク専用!? そんなぁ。ボクみたいに人畜無害な幽霊に、あんな罠をしかけるなんて、あんまりじゃないかぁ。早く解きなよぉ」
「どこが人畜無害よ! 皇太子殿下や勇者様の命をずっと狙っていて、闇の竜にまで力を貸してる悪党幽霊のくせに! さあ、あたしの術でさっさと死者の国に行きなさい! そして、もう二度とこの世に戻ってこないで!」
「おぉっと、そぉいうわけにはいかないなぁ。お嬢ちゃんこそ、ボクのかわいい魔獣ちゃんたちに殺されてくれないかなぁ? お嬢ちゃんがいると、いろいろやりにくいんだよねぇ。ボクの魔獣に頭からぱっくりと食べられてくれないぃ? うふふ」
ランジュールは楽しそうな声で物騒な話をしています。
すると、少女が返事をするより早く、少女を担いだ男性が口を開きました。
「ぼくを無視しないでほしいな。ぼくは確かに医者だけど、ロムドの魔法軍団の一員だし、攻撃魔法だってちゃんと使えるんだよ。紫に攻撃をしかけるというなら、ぼくだって黙ってはいないよ」
「あら、鳩羽(はとば)! こんな幽霊くらい、あたしひとりで大丈夫だったら!」
と少女は反論しましたが、鳩羽と呼ばれた男性はかまわず言い続けました。
「以前おまえに城に侵入されたことがあったから、こちらも守りを強化したんだよ。ぼくたちに何事かあれば、他の魔法軍団もここに駆けつけてくる。それでもディーラに侵入するつもりかい?」
ランジュールは口を尖らせました。
「そぉだよねぇ。前はこんなめんどくさいお嬢ちゃんはいなかったもんねぇ。そぉっか、新しく魔法使いを雇ったんだ。うぅん、どぉしよっかなぁ。ボクとしては、入るなって言われると、なおさら中に入りたいよぉな気がするんだけどさぁ――」
ランジュールは話しながら、細い目を鋭く光らせました。その傍らに、もやもやと何かが姿を現し始めます。
とたんに少女は手にしていた白い柳の杖を向けました。現れてくるものではなく、幽霊のランジュールに向けて紫の星を撃ち出します。
「おぉぉ……っとぉ!!」
ランジュールはきわどいところで攻撃をかわすと、怒って跳びはねました。
「お嬢ちゃん! まぁたボクを黄泉の門に送ろうとしたねぇ!? ボクはぜぇったいに死者の国には行かない、って言ってるじゃないかぁ! そぉいうことする悪いコにはお仕置きだよぉ!」
幽霊がさっと手を振ると、傍らの空間から巨大な怪物が飛び出してきました。長い二本の牙を持つサーベルライオンです。空中を大きく飛んで少女に襲いかかろうとします。
けれども、少女の前に薄紫の障壁が広がりました。サーベルライオンを跳ね返し、さらに薄紫の光の槍(やり)に変わって怪物を追いかけていきます。
ランジュールは驚きました。
「え、なに!? キミって防御魔法をその場で攻撃魔法に変えられるのぉ!? ライちゃん、急いで退却ぅ!」
とたんにサーベルライオンは姿を消しました。
それを追いかけるように自分も薄くなりながら、ランジュールはまたひとりごとを言っていました。
「セイロスくんには、ディーラの守りが堅くて入れなかった、って言っておこうっと。嘘じゃないもんね。それにボクは専門の斥候じゃないんだからさぁ。どうしても中の様子が見たいんなら、専門のヤツを送り出せばいいんだよねぇ。ほぉんと、セイロスくんったら幽霊使いが荒いんだからさぁ……」
ひとりごとは途中からまた文句に変わり、ランジュールが姿を消すのと同時に聞こえなくなりました。
後には少女を肩に担いだ男性だけが残ります。
少女は怒って男性の胸を蹴りました。
「どうして追いかけないのよ、鳩羽! あいつに引導を渡す絶好のチャンスなのに!」
鳩羽は少女の癇癪(かんしゃく)を平然と受け流しました。
「深追いはするな、というのが隊長のご命令だよ。ぼくたちの役目は、あいつが都に侵入できないようにすることなんだからね」
「鳩羽ったら堅いわよ! 手柄をあげるチャンスだって思わないの!?」
「そんなものより、まず身の安全が大事だよ。それにチームワークも大切だ。一人で勝手に行動することは、自分だけでなく仲間まで危険に巻き込むからね」
「もう、鳩羽ったらお父さんみたいなこと言ってぇ! あたしはもう子どもじゃないわよ!」
「ぼくから見たら、充分子どもさ……」
二人の魔法使いは口論しながら姿を消していきました。城に戻っていったのです。
少し離れた都の門では、異常のないことが確認されて、人の通行が再開していました。門の前にまた列ができています。
ほんの少し離れた場所で魔法使いたちと幽霊が争っていたことには、誰も気づいていないようでした――。