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第12巻「一角獣伝説の戦い」

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67.皇太子

 フルートたちは、あっと思いました。

 皇太子のベッドの上に短剣が浮いています。間に飛び込んできたセシルの背中へ、鋭くきらめきながら落ちていきます。

「セシル!!」

 とオリバンは叫びました。助けが間に合いません。

 

 すると、突然誰かが言いました。

「やめろ、ロダ!」

 少年の声です。セシルの下でハロルド皇太子が目を開けていました。相変わらず苦しそうに浅く息をしながら、それでも宙の短剣をにらんで言い続けます。

「姉上に手出しはさせない! 下がれ――!」

 とたんに、短剣がぽとりとベッドに落ちました。部屋の隅から、ロダがにじみ出るように姿を現します。

 セシルはベッドにしがみつきました。

「ハロルド! 目を覚ましたのか――?」

「姉上……」

 と皇太子が答えました。病に痩せ衰えた姿ですが、顔立ちや口調の高貴さは失われていません。その穏やかな顔や、声変わり前の声は、セシルにとてもよく似ていました。思わず弟の手を握ったセシルに、ほほえんで見せます。

「姉上は、本当にいつも無理をなさる……。ぼくのために死んだりしてはだめですよ」

 ハロルド! とセシルはまた言いました。すみれ色の目から涙がこぼれていきます。皇太子の声は本当に弱々しく、笑顔も今にも消えていきそうなほどはかなかったのです。死ぬな、ハロルド、と王女は泣き続けました。頼みの綱だった金の石は壊れてしまいました。皇太子を救う手段はもうないのです。

 

 すると、ロダが言いました。

「いつまでもしぶとい皇太子だ。まだ抵抗する力が残っていたとはな。だが、それが姉のためだというのはわかっている。王女を殺せば貴様も終わりだ」

 行け、という声と同時に、ロダの腰に下がった金属の筒から、また小さな生き物たちが飛び出してきました。ネズミほどの大きさの五匹の狐です。部屋を横切ってセシルや皇太子に襲いかかっていきます。

 オリバンやフルートたちは動けませんでした。いつの間にか見えない敵に捕まっていたのです。手足を抑えられて、振り切ることができません。

 その間に狐がセシルたちに襲いかかってきました。セシルはとっさにまた自分の体で皇太子を守りました。鋭い牙に服が裂け、血が噴き出します。

「セシル!」

「姉上――」

 オリバンと皇太子の声が混じり合います。

 そのとたん、セシルがまた身を起こしました。自分の背中を振り向き、鋭く言います。

「下がれ、おまえたち!」

 すると、小さな狐たちがいっせいにセシルから離れました。弾かれたように飛びのき、床の一カ所に寄り集まってセシルの様子をうかがいます。

 む、とロダが眉をひそめました。彼は先に王女がランジュールの魔獣を退けた場面を見ていなかったのです。

「どうした、管狐(くだぎつね)。王女の体を食い破って殺してやれ!」

 けれども、やはり狐は動きません。ロダは舌打ちすると、固まっている獣たちに片手を向けました。五匹の狐が溶け合うようにひとつになって、驚くほど大きな灰色の狐に変わります。巨大な口から肉食の鋭い牙がのぞきます。

 けれども、王女はまったく引きませんでした。燃えるようなすみれ色の瞳で狐の怪物をにらみつけ、さらに言います。

「我々に手出しは許さない! おまえたちの住処(すみか)に戻れ!」

 たちまち大狐がまた後ずさりました。後足の間に尾を入れて首をすくめる様子は犬にそっくりです。

 ロダは叫び続けました。

「行け! おまえの主は私だ! 私の命令に従え!」

 王女は立ち上がりました。狐に向かって、凛とした声で言います。

「おまえたちの正体は自由な野の獣。人の命令に従うような存在ではない。自由になれ、狐たち。おまえたちの主はおまえたち自身だ」

 とたんに、ケーンと狐の鳴き声が響き渡りました。巨大な狐が弾けるように散って、部屋中を飛び回り、銀の管の中に飛び込んでいきます。すべての狐が灰色の影になって戻ると、管を吊していた鎖が切れました。ロダの腰の帯から管が音もなく床に落ちます。

 なんと……! とロダは歯ぎしりしました。王女は管狐をロダの支配から解き放ってしまったのです。

 

 その時、オリバンが身をよじり、自分の足のわきに剣を振り下ろしました。とたんに、げっとロダが声を上げ、自分自身が切られたようによろめきます。

 フルートも自分の剣を突き上げました。自分におおいかぶさっている見えないものを貫きます。再びロダは声を上げ、同時に彼らを抑える力が消えました。

「大丈夫か、セシル!?」

 とオリバンがどなりました。まだ敵が近くにいるような気がして、駆けつけることができません。王女は上着もシャツも背中の部分が裂けて、白い肌から血を流していましたが、それでも平然と答えました。

「当然だ。軍人がこれくらいの傷で動じるか」

 ポチが低く身構えながら言いました。

「見えない敵の正体はロダの分身です。分身を傷つけられると、ロダもダメージを受けるんです。ぼくには気配で分身がいるところがわかります。場所を教えるから、攻撃してください」

「よし」

「わかった」

 とオリバンとフルートは剣を握り直し、子犬と一緒に飛び出していきました。子犬が立ち止まって激しくほえかかる場所へ剣をふるうと、そのたびに手応えがあって、魔獣使いがまたよろめきます。

 ロダはうなり声を上げ、自分の体を抱いてフルートたちをにらみつけました。

「いまいましい金の石の勇者どもめ――。出直してやる。待っていろ!」

 捨て台詞と共に部屋から姿を消し、後にはフルートとポチ、オリバンとセシル、そして、ベッドに横たわるハロルド皇太子が残されました――。

 

 フルートは駆け寄るように床にひざまずきました。金のペンダントと石がばらばらになって転がっています。割れた金の石は灰色で、本当にただの石ころのようです。

「金の石……」

 とフルートは呼びかけました。まるで人間を呼ぶような声です。

「もういいよ、金の石。ロダは逃げていった。目を覚ませよ。いつまでもそんな格好でいたら、心配になってくるよ……」

 そっと手を伸ばして、割れた石に手を触れますが、石は何の反応も示しません。精霊の少年も姿を現しません。

 その時、フルートは突然、願い石のことばを思い出しました。守護のはそなたたちを守って力を失っている。力を使いすぎれば、守護のは砕けて消滅するだろう――。

「金の石! 金の石!!」

 フルートは必死で呼び続けました。やっぱり、石から精霊は現れません。フルートは割れた石を握りしめ、堅く目を閉じました。自分が持っているという守りの心を、なんとか金の石に伝えようとします――。

 

 オリバンとポチは、そんなフルートとベッドを見比べました。ベッドではセシルがまた泣きながら皇太子と話していました。

「しっかりしろ、ハロルド。死ぬんじゃない。おまえは未来のメイ国王なんだぞ。おまえが死んでしまったら、メイはどうなる?」

 すると、皇太子はほほえみました。透き通ったはかない笑顔を返します。

「姉上が女王になってください……。もともと、私は大人になるまで生きられなかったんです。ひ弱で力のない私が、国民を守るなんてことは……。姉上は、強くて心の優しい方だ。ずっと、ひとりぼっちの私のそばにいてくださった……。姉上なら、きっと立派な女王になれます。私の母上なんかより、ずっと……」

 セシルは激しく頭を振りました。長い髪が金色の炎のように揺れます。

「生きろ、ハロルド――! 私が死んだって、おまえは生きるんだ! そして、父上のように賢く優しい王になって、メイの国と民を守るんだ――」

「メイのために?」

 と皇太子がほほえみながら尋ねました。優しい声は本当にセシルによく似ています。

 セシルは泣きながら答えました。

「おまえ自身の幸せのためにだ。それが、私にも一番の幸せだから」

 皇太子はまた笑いました。

「姉上はいつもそうだ……。ご自分の幸せより私の幸せを願って、私を心配してくださった。だから、私はいつも嬉しくて、同時にいつも切なかった。姉上を幸せにしてさしあげたいと、いつも考えていましたよ……。姉上の不幸の元はこの王室です。なんとしても、王室から姉上を守りたかったのだけれど……」

 皇太子はベッドの中に横たわっているのに、なんだかどんどん遠ざかっていくように聞こえる声でした。

 

 泣き続けるセシルにオリバンが近づき、後ろから皇太子をのぞき込みました。皇太子が目を見張ります。

「そなたは何者だ――? 何故ここにいる?」

 皇太子はベッドから動くことができません。部屋の中でオリバンたちが戦っていても、その姿を見ることはできずにいたのです。

 オリバンは一礼して答えました。

「セシル姫の友人だ、ハロルド王子。彼女がここまで来るのを手伝い、ロダを追い払った」

 その声に、皇太子がさらに驚いた顔になります。

「さっきから姉上を何度も呼んでいたのは、そなたか……。セシルと親しげに呼び捨てにしていた。まるで……恋人のように」

 弱り切った声に、ちらりと何か違った響きが混じりました。

 泣きながらも顔を赤らめた王女の隣で、オリバンは生真面目に言いました。

「そうではない、王子。我々はただの友人だ」

 たちまち王女がまた顔色を変えます。ただの友人、ということばに、拒絶されたような気持ちになってしまったのです。そんな姉の表情の変化を、皇太子はじっと見つめました。

「そうですか……姉上は、その人がお好きなんだ……。その人がいたから、ずっと私のところには来なかったんですね? 私がこれほど苦しんで、姉上に会いたいと願っていたというのに……」

 ハロルド? とセシルは聞き返しました。皇太子の様子があきらかに変わっていました。恨みがましい声になっています。にらむようにオリバンへ向けたのは嫉妬の目です。

 それは誤解だ、とオリバンは答えようとしました。彼女は命の危険を冒してここへ戻ってきたのだ、と。

 

 その時、部屋にポチとフルートの声が響きました。

「ワンワン、危ない!」

「よけろ、オリバン――!」

 皇太子が右手を動かしました。病人とは思えない、速くまっすぐな動きです。

 とたんに、オリバンは左の横腹に焼け付くような痛みを感じました。驚いて見下ろすと、皇太子の右手がいぶし銀の鎧の横にありました。その手が何かを握っています。先ほどロダがベッドに落としていった短剣です。

 太い針のような切っ先は、鎧の隙間からオリバンの体を突き刺していました――。

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