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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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43.大地の民

 ゼンは岩屋の上の方の回廊を、鏡をのぞきながら歩いていました。時の鏡は本当にたくさんあります。その回廊だけでも百枚以上が並んでいて、それぞれがまったく別の場面を映しているのです。

「ったく、ほんとになんて数だよ。時のじっちゃん、よくこれだけの鏡を作ったよなぁ」

 とぶつぶつ言いながら、鏡の中の場面を確かめていきます。

 夕日に照らされながら家路をたどる家族の姿が映っています。母親が赤ん坊を胸に抱き、父親が年上の子どもを肩車しています。年上といっても、せいぜい三つかそこらの歳です。夕焼けを指さして、よく回らない口で言います。

「大変、お父ちゃん! お空が火事だ――!」

 父親が笑います。

「大丈夫だよ。あれは空の野火だ。空が、残っているゴミや古いものを焼いて、綺麗な星空になる準備をしているんだよ」

 ふぅん、と子どもは感心して父親の頭にしがみつきました。その光景は、なんとなく、サータマンで出会った父娘の姿を思い出させます……。

 鏡に見える光景は様々です。こんな当たり前の風景を映している鏡もあれば、血みどろの戦場を映し出している鏡もあります。立派な身なりをして人民に命令を下す王がいるかと思えば、その隣の鏡には、ぼろぼろの服で今にも飢え死にしそうになっている人々が横たわっています。子どもの誕生を喜ぶ人々の姿、華やかな結婚式の場面、病に苦しむ老人、葬列が映ることもあります。葬送の鐘が響く教会の墓地の上には、鈍色(にびいろ)の雲におおわれた空が広がっています。人生の終わりにふさわしいような、静かで暗い風景です。

 

 すると、ふいにゼンは足を止めました。まったく思いがけず、見覚えのある光景に出くわしたのです。

 岩の斜面の真ん中に鉄の扉がそそり立ち、その前に銀の鎧兜の少年が立っていました。まだ魔金で強化されていない頃の防具を着たフルートです。すぐそばの大岩を、驚いたように見上げています。扉の前も岩の上も、一面雪でおおわれていますが、その色は白ではなく、炭の粉を混ぜたような黒い色でした。

 フルートは今よりずっと幼い姿をしていました。岩の上に向かってこう言います。

「ぼくはフルート……。仲間を捜しに、ここまで来たんだ」

 その声も高く澄んだ子どもの声です。変声期を迎えて低くなってきた、今の声とは違います。

「仲間?」

 と別の子どもの声が答えました。鏡の前に立つゼンは、思わず頭をかきました。岩の上に毛皮の上着を着て弓矢を背負った小さな少年が立っていたからです。それは三年半前の自分の姿でした。今よりずっと背が低く、もっとずんぐりした格好をしています。ゼンがフルートと北の峰で初めて出会ったときの光景でした。

 鏡の中のゼンが言っていました。

「人間がドワーフの洞窟に仲間捜しに来たって言うのか? そんな話、聞いたこともない。怪しいな」

 露骨に人間不信の顔をしています。鏡の前の今のゼンは、今度は思わず苦笑しました。そういや、あの頃は本当に人間ってヤツが嫌いだったっけなぁ、と考えます。

 今だって、ゼンは決して人間が好きではありません。特に、ロムド城にむらがる貴族のような連中は、鼻持ちならなくて大嫌いです。ただ、今はゼンも知っているのです。人間すべてがそんな連中ではない、信じていい人だって確かにいるんだ、と――。

 鏡の中ではフルートとゼンが話し続けていました。雪から這い出してフルートを刺そうとした毒虫をゼンが退治すると、フルートがにっこり笑って、ありがとう、と言います。今と少しも変わらないその笑顔に、鏡の中でゼンが面食らっていました。人間のくせにドワーフにお礼を言うなんて、なんだこいつは、という顔をしています……。

 ゼンはがしがしと頭をかき続けました。自分の昔の姿がなんとなく照れくさかったのです。声に出してひとりごとを言います。

「どうやら、この鏡は時のじっちゃんが見てない場面も覚えてるみたいだな。あの時、じっちゃんはそばにはいなかったんだから……。いったいいつのことまで覚えてるんだろうな?」

 そんなことを言いながら、過去の自分たちの鏡からそそくさと離れます。

 

 さらにいくつか鏡をのぞいていくと、また見覚えのある光景に出会いました。今度は戦いの場面です。紫に輝く鎧兜に身を包んだ大将に従って、白や銀の鎧兜の軍勢が怒濤のように荒野を駆けていきます。それに恐れをなして、黒い軍勢が退いていきます。角や牙の生えた闇の怪物たちです。

 それは今から二千年前の、二度目の光と闇の戦いの場面でした。先頭を行く紫の大将は、初代の金の石の勇者です。ゼンは、前回この岩屋に来て鏡をのぞいたときにも、この初代勇者の姿を見ていたのでした。

 黒い闇の軍勢を追い払った光の軍勢が立ち止まりました。人間の他に、エルフ、ドワーフ、ノームの姿も見えます。逃げていく敵の後ろ姿に向かって、全員がいっせいに鬨(とき)の声を上げます。

「この頃はドワーフとノームだって仲がよかったんだよなぁ」

 とゼンはまたつぶやいていました。ゼンたち北の峰のドワーフは別ですが、他のドワーフたちとノームたちは、どうやら犬猿の仲らしいのです。いつからそうなっちまったんだろう、と考えます。ラトムを見ている限り、ノームに問題があるような気はしないし、ドワーフだって、それほどひどい種族ではないはずなのに。服のボタンを掛け違うように、ある時、二つの種族に行き違いが起きて、それが今に至るまで続いているのかもしれません。

 ただ、ゼンがのぞいている鏡は、その行き違いまでは映し出しませんでした。代わりに映ったのは、紫水晶の兜を脱いで皆に顔を見せた初代勇者の姿でした。光の軍勢から、また、おおーっと大きな歓声が上がります。

 初代の金の石の勇者は、フルートよりずっと年上の青年でした。整った高貴な顔立ちをしていて、堂々と皆の前に立っています。そんな雰囲気もフルートとはかなり違います。むしろ、皇太子のオリバンの方に似ているのですが、改めてよく見ると、顔立ちはオリバンとはまったく違っていました。王者の風格が、オリバンを連想させるだけなのです。

 ふぅむ、とゼンは腕組みしました。初代の勇者は名前をセイロスと言います。今から二千年も前の、一度も会ったことがないはずの人物なのに、やっぱりゼンはいつかどこかで見たことがあるような気がするのです。いつ、どこで? とゼンは鏡を見つめながら考え続けました。黒髪の間にのぞくセイロスの額には、今よりずっと大きな金の石が輝いていました――。

 

 メールは大理石の床に面して並ぶ鏡を次々にのぞいていました。ここは彼女の大嫌いな地下です。その恐怖を忘れようとするように、必死で鏡の景色を確かめ続けます。

 すると、急に一つの鏡から、ドワーフ、と言う男の声が聞こえてきました。思わずそちらを見ると、灰色の服を着た壮年の男が岩に座っていました。その前に、十数人の人々が学校の生徒のように集まっています。皆、意外なほど小さな体をしていて、背が高いほうでもせいぜい人間の子どもくらい、小さな方は生まれたばかりの赤ん坊くらいの背丈しかありません。その人々に、壮年の男が話しかけていました。

「ドワーフ一家――と言うんだな、おまえたちは。で、こっちはノーム一家。親戚同士なのか。なるほど」

 メールは目をぱちくりさせました。そこに集まる人々は、背の高い方は赤い髪とひげをしていて、確かに今のドワーフとよく似た姿をしていました。それに対して小さな方は灰色の髪とひげをしていて、ノームと瓜二つの姿です。その間に座っている壮年の男は、なんとなく古めかしい格好をしています。どうやら、かなり昔の場面のようでした。

 二つの家族の小さい人々が、口々に言いました。

「もっと石のことを教えてください、ヒールドム様!」

「俺たちはもっともっと石や金属のことを知りたいですよ!」

「大地は闇に引き裂かれたけれど、それでもなお、こうして残ってわしらを支えてくれている。わしらは、そのすばらしい大地の秘密を知りたいんだ!」

 それを聞いて、ヒールドムと呼ばれた壮年の男は、嬉しそうに笑いました。

「おまえたちは大地と共に生きたいんだな……。いいだろう、大地のことで俺が知っていることは、おまえたちに残らず教えてやろう。おまえたちは大地の民になれ、ドワーフ、ノーム。ドワーフ一家は体が強くて力もあるから、それをもっと強めてやろう。地面をどこまでも掘り進んで、大地が生み出す石や金属を見つけることができるようにな。ノーム一家には素早く地面に潜る力をやる。それで、大地が隠す貴重な石たちを見つけ出せ。そして、おまえたち両方に、それを使って物を作り出すことを教えてやる。鍛冶という仕事だ。おまえたちは鍛冶の民とも呼ばれるようになるだろう。その力で、大地と一緒に生きていくんだ。大地が与えてくれる恵みを、人々に分け与えるためにな――」

 小さな人々はいっせいに歓声を上げました。自分たちに力と技術を約束してくれる男を見上げて、こう言います。

「ヒールドム様! 俺たちが鍛冶の民なら、あなたは鍛冶の神様だ!」

「神様かぁ」

 ヒールドムと呼ばれた男はまた笑いました。

「そんな柄じゃないが、まあ、おまえたちがそう呼びたいなら、好きにすればいい」

 

 メールは鏡の前で首をかしげていました。ヒールドム、という名前をどこかで聞いたことがあるような気がしたのです。

 それは、フルートたちの間で信じられている大地の神の名前でした。ミコンにいた頃に耳にしたのですが、一度きりだったので、メールはそれを思い出すことができませんでした。ただ、一つの事実を理解します。大昔、ドワーフとノームは同じ種族だったんだ、と。大地を愛する彼らに、力のある魔法使いが大地の民としての能力を与えたのです。だから、彼らにはこんなにも共通点が多いのです。

 鍛冶の神の前で小さな人々は本当に嬉しそうでした。ドワーフもノームも肩をたたき合い、賑やかに話し合っています。それを見ながら、メールはつぶやいていました。

「ドワーフとノームが仲違いしてるなんてのは、おかしいよね。絶対に、おかしいよね……」

 それは、まっすぐな目と心が見つめる真実でした。

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