「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第6巻「願い石の戦い」

前のページ

プロローグ 闇夜

 月のない暗い夜でした。

 黒塗りの馬車が石畳の通りを走ってきて、とある屋敷前に停まりました。降り立った人物は黒っぽいマントに身を包んでいて、暗がりの中、供の者がかざす小さな灯りだけを頼りに屋敷の入口へ進んでいきます。

 すると、待ちかまえていたように中から扉が開きました。扉の隙間からもれた光が、外に立つ者たちを一瞬照らします。

 それは初老の男でした。まぶかにかぶったフードの奥から、口ひげをたくわえた高貴そうな横顔がのぞいています。供の者を従えて、屋敷の中へ消えていきます――。

 

 屋敷の一室では、すでに三人の男たちがテーブルを囲んでいました。彼らの前にあるグラスには琥珀色の酒が注がれていますが、誰もそれに手を出してはいません。ただ難しい顔を並べて、部屋に入ってきた口ひげの男にいっせいに頭を下げます。

「いったい何事だ? このような呼び出し方をするとは」

 供の者がマントを抱えて退出し、酒の杯を運んできた召使いも部屋を退いていくと、初老の男は口火を切りました。慎重な目つきで集まっている男たちを見回します。部屋にいる者たちは、全員が金をかけた立派な身なりをしています。

 三人の中で一番恰幅のよい男が口を開きました。

「公はお聞きになられましたでしょうか? 五ヶ月前にリーリス湖畔で起こった、黒い風の犬の事件の真相とやらの噂です――」

 口ひげの男は目を細めました。はっきりと不愉快そうな表情になります。

「噂というのは得てして根も葉もないもの。しかし、真相の噂となれば、それははたして真実であるのか、それとも単なる風評であるのか」

 恰幅のよい男は、あわてたように深く頭を下げました。どう見ても、口ひげの男のほうが彼らより格が上のようです。ご機嫌を取るような丁寧な口調になって続けます。

「むろん、噂とは信憑性のないものです。たいていが、単なるでっち上げに過ぎません。ですが、噂が派手で意外であるほど、民衆は喜び、あたかもそれが真実であるように、ことあるごとに話題に上らせるものです……」

「メンデオ公爵。リーリス湖で黒い風の犬が暴れたときに、怪物を倒したのは実は金の石の勇者であったと、世間ではもっぱらの噂になっております。これをどのように思われます?」

 耐えかねたように口をはさんできたのは、三人の中で一番年若い男です。いささか神経質で、興奮しやすそうな目をしています。

 メンデオ公爵と呼ばれた口ひげの男は、ますます不機嫌な顔になりました。

「風の犬を退治したのは国王陛下直属のハルマス警備隊だ。そこに何故、金の石の勇者などが関わってくるのだ」

 勇者の名を口にするときに、公爵ははっきりと嫌悪の表情を浮かべました。噂はすでに聞いているのです。聞いていてなお、それを否定しようとしているのでした。

 他の三人はいっせいにまた頭を下げました。公爵の機嫌をこれ以上損ねないよう気を遣いながら、恰幅のよい男が言います。

「公、僭越ながら、我々はこれを由々しき事態と考えて心配しておるのです。むろん、風の犬を倒したのが金の石の勇者だなどというのは、単なるデマでございましょう。ですが、民衆はそのデマを大歓迎しているのです。金の石の勇者は国民的英雄になっております。噂はどんどん広まっているのです」

「国民的英雄だと!」

 公爵はついに声を荒げました。

「金の石の勇者など、田舎の百姓の小せがれではないか! 魔法の石を手に入れただけでいい気になりおって。勇者の活躍とやらも、現実のことかどうか怪しいものだ」

「ですが、勇者は二年前に南の湿地帯まで下って、ロムド全土をおおった闇の霧を払っております。その半年後には、エスタの国で風の犬の群れを退治して、エスタの永久講和まで取り付けております。これは動かしようのない事実で――事実だからこそ、やっかいなのです」

「小せがれはまだ、たったの十三歳と聞くぞ。そんな子どもに何ができるというのだ」

 公爵はとにかく、金の石の勇者の働きに懐疑的です。恰幅のよい男は、溜息をつくような顔になりました。

「そうです。まだたったの十三歳の子どもです。その子どもが敵を次々に打ち破って世界を守るので、国民は喜んで熱狂的に支持をするのです」

「金の石の勇者が北の大地まで出かけていって、かの大陸の崩壊を食い止めたという噂まで流れておりますぞ」

 と神経質な目をした若い男がまた口をはさんできました。

「北の大地だと! ありえん! あそこは冬将軍に支配された、雪と氷だけの大陸だぞ。あんな場所へ人間が足を踏み入れたら、たちまち凍え死ぬに決まっている! そんな馬鹿げた噂まで民衆は信じているというのか!?」

「占い師どもが噂の源でございます」

 と今まで黙っていた三人目の男が静かに言いました。灰白の髪をした年配の男で、一人だけ公爵よりも年配に見える人物です。短く口をはさんだだけで、また黙り込んでしまいます。

 公爵は顔を引きつらせました。そのこめかみには青筋が浮き出していました。

「あの青二才の占い師か! 陛下に目をかけられているのを良いことに、近頃ますます図に乗りおって――! 己が国にとってどれほど危険なことを言っているのか、あの若造はまるでわかっておらん!」

 三人の男たちは、いっせいにまた頭を下げました。恰幅の良い男がうやうやしく口を開きます。

「国民の中には、将来金の石の勇者を自分たちの王に、と言い出す者たちさえおります」

 公爵は男をじろりとにらみつけました。

「この国には皇太子がいる。陛下と妹の間の正式な世継ぎだ。それをさしおいて、田舎の百姓の小せがれが王位に就くというのか?」

「民衆の他愛もない噂話の一つでございます。ですが、月日が過ぎてやがて勇者が成人していったとき、それが単なる夢語りではすまなくなる可能性がございます」

 公爵は何も返事をしませんでした。

 

「これはロムドにとって由々しき事態だと、我々は考えております」

 と恰幅の良い男は繰り返しました。

「公爵、国民は事実か事実でないかに関係なく、勇者を英雄に祭り上げ、華々しい戦果を噂しては喜んでいるのです。噂はますますエスカレートするばかりです」

 と若い男も言います。

 無口な老人が、重々しくまた口を開きました。

「国内に王位継承の候補者が二人も存在することは、国が乱れ滅びる前兆です。いかにもよろしくない。王位継承者は二人は必要ないのです」

 静かな声ですが、その奥に聞く者全員をひやりとさせるような響きがありました。

 公爵は居並ぶ男たちを見回し、やがて、ゆっくりとうなずきました。

「なるほど、よくわかった。金の石の勇者のことは貴殿たちに任せよう。このロムド王国を守るため、忠節の心の命じるままに行動するがいい」

 そのことばに、三人の男たちは深々と頭を下げました。

 

 公爵が屋敷を去り、その馬車の音も遠ざかっていくと、恰幅の良い男が、ふいににやりとしました。笑って見せた相手は、他の二人の貴族です。

「これで我々の旗頭はできた。メンデオ公爵のお墨付きだ。何の遠慮もいらん」

「しかし、ことは穏便に運ばねばならないでしょう。なにしろ、金の石の勇者は国王陛下の大のお気に入りだ。しかも、後ろにはあの銀髪の占者がついている。うまくやらなければ、たちまち我々を突きとめられてしまう」

 と年若い貴族が言うと、年配の貴族が答えました。

「それに関しては、わしにいささか心当たりがある。くれぐれも早まった行動は起こされるな」

 鋭いまなざしは、目の前にいる興奮しやすそうな男に向けられたものでした。若い貴族が首をすくめて黙り込みます。

 年配の貴族はひとりごとのように言い続けました。

「これも、陛下が下々の者に温情をかけすぎるからなのだ……。身分低い者たちは、陛下からお声をかけられただけで舞い上がり、自分の立場を勘違いする。近頃の宮廷の有様には、まったく目をおおうばかりだ。先王の時代にはこのようなことは――」

 言いかけて、そのまま口を閉じてしまいます。

「卿に策がおありだというのであれば、まずそちらにお任せいたしましょう」

 と恰幅の良い貴族が言います。今度は最年長の貴族に礼を尽くしている形ですが、その裏には先鋒をなすりつける気持ちが見え隠れしています。年配の男は表情を変えずに答えました。

「よかろう。卿らはまず見物しているが良い」

「金の石の勇者はエスタ王国と通じていると言います。このような国家的裏切りを許すわけにはまいりません」

 と若い貴族がまた熱心に言いましたが、年長の二人はただ冷笑で聞き流しただけでした。何を今さら、と言っているようにも、それに本気で憤慨している若者を世間知らずとあざ笑っているようにも見えました。

 

 金の石の勇者がいなければ、今頃このロムドの国はどうなっていたか。勇者がいなくなることで、世界はどうなっていくのか。そこへ思いはせるような話は、男たちの間からはまったく出てきませんでした――。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク