渦王の軍勢の先頭で戦いが起こっていました。
目の前に巨大な黒い怪物と、何百という人のような怪物が現れたのです。黒い怪物は醜いライオンのような頭と魚の尾をしていて、鋭い爪がついた前足を持っています。闇の魔法で怪物に変えられたクジラでした。
「ひるむな、者ども！ 目を狙うんだ！」
先頭部隊の隊長が叫んでいます。無数の銛がお化けクジラの頭に向かって放たれます。クジラはうるさそうに頭を振ると、突然あたりにいた渦王の軍勢をばっくりと飲み込みました。大勢の海の兵士たちが怪物の口の中に消えていきます。
王や他の軍勢には、ウロコにおおわれた人のような怪物が襲いかかっていました。角が生え、醜くゆがんだ姿をしていますが、その正体は闇の魔法で姿を変えられた半魚人たちでした。
渦王は半魚人たちに行く手をふさがれて難儀していました。何匹もの怪物が戦車に取り付き、戦車を引くサメを食い殺そうとします。サメが負けじとかみつき返しますが、一匹を倒しても、またすぐ次の怪物が襲いかかってきます。王は長い矛をふるって怪物を追い払いました。黒光りのする三つ又の海の矛です。
すると、その王を狙って、別の半魚人が襲いかかってきました。手にした短剣で王を突き刺そうとします。王は矛を返して防ごうとしましたが間に合いません。
そこへ、もう一本の三つ又の矛が飛び出してきて、王を殺そうとした怪物を串刺しにしました。渦王の親衛隊長のギルマンです。元は同じ半魚人の仲間とわかっていても、敵には容赦なく海の矛をふるっていきます。たちまち王の周りから敵の姿が消えました。
「よくやった、ギルマン。ついてまいれ」
と渦王は言って戦車を一番先頭へ走らせました。そこではお化けクジラとの戦いが続いています。
そこへ、半魚人の怪物を蹴散らしながら、フルートたちの戦車が追いついてきました。
ギルマンが戦車と同じ速さで泳ぎながらニヤリとしました。
「おお。来たな、勇者たち」
「へっ、おいしいところをあんたに一人占めされちゃたまんないもんな」
とゼンも笑って軽口を返します。
けれども状況は笑っている場合ではありませんでした。王の軍勢は必死で戦っていますが、巨大なお化けクジラに次々に飲み込まれて食われてしまっているのです。先にクジラに飲み込まれたフルートたちは、波の馬に乗っていたから無事でしたが、直接飲み込まれたものたちは助かる術がありません。それでも、王の軍勢は勇敢に戦い続けていました。
「下がれ、皆の者！」
と渦王が声を上げました。お化けクジラの真っ正面に出て、高く両腕を差し上げます。海の魔法を使おうというのです。王の軍勢があわててクジラから離れていきました。
ところが、そこにまた半魚人の怪物たちが襲いかかってきました。ことばにならない奇声を上げながら、手に手に剣や銛を構えて、王めがけて群がってきます。
フルートは戦車の手綱をゼンに投げ渡しました。
「ゼン、頼む！」
素早くゼンとフルートが入れ替わります。フルートは炎の剣を抜くと、王に迫る怪物を切り捨てました。水中では剣は炎を吹きませんが、水が蒸発するジュッと言う音が一瞬響き、猛烈な泡がわき起こりました。
一方のギルマンは、魚のように巧みに泳ぎ回りながら、海の矛で敵を次々に倒していきます。海の水が敵の流す血で赤く染まり始めます。
戦車の上に立って呪文を唱え始める王の目の前で、お化けクジラが大口を開けました。戦車ごと王を飲み込もうというのです。
けれども、それより早くゼンが戦車をクジラの前へ走らせました。炎の剣を構えたフルートが、真っ正面からクジラに切りかかろうとします。
すると、その瞬間、クジラが身を引きました。たじろいだように大きく後ずさります。その様子に、ワン、とポチが吠えました。
「こいつ、あのときのクジラですよ！ フルートに痛い目に遭わされたのを覚えているんです！」
軍勢をいくらでも飲み込んでいたクジラが、フルートが近づいたとたん、口を閉じてしまいました。フルートに胃袋を焼かれたことを忘れられないのに違いありません。それを追ってゼンがさらに戦車を迫らせると、突然クジラが大きな前足をふるいました。彼らの頭上を鋭い爪がかすめすぎていきます。
「うひょお！」
とゼンが思わず声を上げました。まともに爪の一撃を食らったら、頭など簡単に持って行かれてしまいます。
その時また、渦王の声が響きました。
「下がれ！ 来るぞ！」
何が？ と問う間もなく、少年たちの目の前で海の水が光りました。明るい緑色を帯びていた水が鮮やかな青に変わり、大きく渦を巻き始めます。それに巻き込まれそうになって、ゼンはあわてて戦車を下がらせました。青い水はますます大きな渦になり、やがて、一匹の巨大な蛇の姿に変わりました。青い水の蛇――ハイドラです。
全長が数十メートルもあるお化けクジラと、やはり三十メートル以上もの長さがある水蛇のハイドラ。二匹の巨大な怪物は、海中でにらみ合いました。
先に動いたのはクジラでした。大声で吠えてハイドラにかみついていきます。
ところが、水蛇はするりとその牙の間を抜けると、ライオンに似たクジラの首に絡みつきました。そのまま、とぐろを狭めてクジラを締め上げていきます。
クジラがまた水中で声を上げて、前足の爪で何度もハイドラを殴りつけました。けれども、水の蛇は、一瞬は体がちぎれても、またすぐに元に戻ってしまいます。怪物の首を決して放そうとせず、じわじわと締め上げ続けていきます。クジラはのたうち、蛇を引き離そうと必死でもがきました。
すると、突然ハイドラがクジラの頭にかみつきました。鮮やかな血が水の中にばっと広がり、クジラの目がつぶされます。クジラはまた悲鳴を上げると、闇雲に突き進んで海流を抜け出していきました。水蛇を首に絡ませたまま激しく泳ぎ回りますが、やがて、その動きが鈍く緩やかになり、ついには泳ぎやめてしまいました。巨大な体が、ゆっくりと薄暗い海底に向かって沈んでいきます――
「すげぇ」
とゼンがつぶやきました。ハイドラはお化けクジラを絞め殺してしまったのです。フルートとポチも、水蛇の強さを声もなく見守っていました。
すると、ギルマンがかたわらに泳ぎ寄ってきて笑いました。
「そのハイドラに、おまえたちは戦い勝ったのだぞ。こんなちっぽけなおまえたちがな。我々がどれほど仰天したかわかるだろう？」
そう言われて、フルートとゼンは、思わず互いの顔を見合わせてしまいました。
戦闘は終わりかけていました。
半魚人の怪物たちは、ほとんどが渦王の軍勢に倒され、残りわずかになったものたちも、兵士に追われてちりぢりに逃げていきます。
海底から青い水蛇が一匹で戻ってきて、渦王の元へやってきました。渦王がうなずいて「ご苦労」と声をかけると、また青い水になって海流の中に見えなくなってしまいます。ハイドラはそんなふうに、水の流れの姿で王の軍勢と共に進んでいたのでした。
「敵はきっとまた来ますよ」
とフルートは渦王に言いました。魔王は、渦王と海王の軍勢が一緒になっては困るのです。必ず途中でまた妨害してくるはずでした。
渦王がうなずきました。
「間もなく海流は東の大海に入る。そうすれば敵の領分だ。ただで通してはくれんだろうな」
けれども、そう言う王の目は強く行く手を見据えていました。何者にもたじろぐことがない、勇気と力に充ちたまなざしです。
フルートたちは、王の軍勢を振り返りました。数え切れないほどの兵士たちが、真っ黒な集団になって渦王に付き従っています。先頭集団が戦いの勝ちどきを上げると、その声に後ろの隊列が次々に応え、海の中にときの声が響き渡ります。
渦王がまた隊列の先頭に立ちました。勇敢な海の王と軍勢を、海流がどんどん東へ運んでいきます――。
ゼンがフルートをつつきました。
「おい、メールのところへ戻ろうぜ」
そこで、少年たちは戦車を返すと、隊の最後尾へと戻っていきました。
