「森の子ども……?」
フルートは目の前に立つ少年をつくづくと見上げました。緑色と茶色の服に身を包んだ長身は、本当に一本の木のように見えます。
すると、シルヴァという少年が、ふふん、と鼻で笑いました。
「何も知らないんだな。この島にはな、森の民と海の民が住んでるんだ。俺は森の民の子どもなのさ。しっかし、意外だったな。金の石の勇者がこんなチビの泣き虫だったなんてさ」
フルートは思わず真っ赤になると、頬に残っていた悔し涙を急いでぬぐいました。
「ど、どうしてぼくのことを知っているのさ?」
と聞き返すと、シルヴァはまたおかしそうに笑いました。
「この島の連中は一人残らず、一匹残らず、あんたのことを知ってるよ。あんなに鳥たちを大騒ぎさせて上陸したんだ。気がつかないわけないだろう。ものすごく強くて勇敢なやつだって聞いていたんだけどね、結局、噂なんて当てにならないってことか」
フルートはまた真っ赤になりました。言い返したいところでしたが、自分が泣いて悔しがっていたのは事実なので何も言えませんでした。
すると、シルヴァが空を見上げていいました。
「あんたの犬を連れ去ったのはメールの花鳥だ。ホント、あんなにあっけなくメールの計略に引っかかるんだもんな。馬鹿じゃないのか、あんた?」
森の少年はかなりの毒舌家です。けれども、フルートはもう、別のことに気を取られていました。
「メール? それは誰?」
「渦王の一人娘さ。わがままで乱暴者のお姫様だよ」
ちらっとシルヴァの声に嫌悪の響きが混じりました。
「メールは花使いさ。咲いている花を自分の好きなものに形作って、それを操ることができるんだ。渦王の命令で、あんたの犬をさらっていったのさ」
フルートは、少しの間考え込むと、真剣な顔と声になって聞き返しました。
「シルヴァ、ぼくの友だちがもう一人、渦王にさらわれてきたはずなんだ。知らないか?」
「もう一人って、あのチビのドワーフのことか?」
とたんに、フルートは歓声を上げて、思わずシルヴァに飛びつきました。
「いるんだね!! やっぱり生きてたんだね!?」
緑の少年は面くらったように後ずさってフルートの手を振り払いました。
「なんだよ、出しぬけに……。ああ、ドワーフなら、ハイドラに連れられてこの島に来てる。渦王の城に監禁されてるよ」
「ハイドラ?」
「渦王が使う水蛇のことだよ」
とシルヴァは面倒くさそうに答えました。
フルートは唇をかむと、改めてあたりを見回しました。草原になった花畑を風が吹き抜けていきます。風が行く先は森の中です。フルートは手の中の銀の首輪を見つめて、またシルヴァを振り返りました。
「渦王の城はどっちの方角にある? ぼくはどうしてもみんなを助けに行かなくちゃならないんだ」
「みんなって……海王も助け出すのか?」
と聞き返されたので、フルートは、はっとしました。
「やっぱり、ここに一緒につかまっているの?」
「どこにいるのか、俺は知らないよ」
とシルヴァは肩をすくめました。
「でも、島中のやつらがそう噂してる。海王は海底の黒い岩屋に閉じこめられてるんだろうってな。ドワーフの友だちは渦王の城の牢獄の中さ。連行されるのを見たからな」
「ゼン……」
無事だろうか、と考えて、フルートは思わず鎧の上から金の石を押さえました。
シルヴァが首をひねって、面白そうにフルートをのぞき込みました。
「本気で行くつもりか? 渦王は本当に冷酷で乱暴なんだぞ。おまえみたいなチビなんて、あっという間にひねりつぶされちまうぞ」
けれども、フルートはそれには答えず、リュックサックにポチの首輪をしまうと、剣帯を締め直しました。炎の剣とロングソードが背中で触れあって堅い音をたてます。
その様子に、シルヴァがまた、ふふんと笑いました。
「格好だけは勇ましいな。わかった、俺が城まで道案内してやるよ。この島のヤツらは、ほとんどが渦王の手下なんだ。見つかったら、あんたも一発でつかまっちまうからな」
「それは助かるけど……大丈夫?」
とフルートは思わず聞き返しました。絶対に案内人が必要な状況なのに、つい相手の心配をしてしまうのがフルートです。
とたんに、シルヴァの目の中に鋭いものがひらめきました。
「俺が渦王なんかに後れを取るもんか! いいからついてこい!」
突然そうどなると、先に立って、さっさと森に入ってしまいます。今までのからかうような調子とは、うってかわった激しさです。フルートは目を丸くすると、あわてて後を追いかけました。
森の中にはまっすぐな幹の木が高くそびえ、梢から鳥の声がにぎやかに響いていました。頭上の木の葉を通った光が森の中に降りそそぎ、あたり一面を緑色に染めています。大きな葉の植物や蔓草がいたるところに生い茂っていて、森の緑をいっそう濃くしています。
その中を、シルヴァはすいすいと進んでいきました。倒れた木や大きな藪があちこちにあるのに、まるで平地を歩いていくように軽やかです。ゼンも猟師だったので森の中を歩くのは得意でしたが、このシルヴァという少年の歩き方は、それよりももっと早くて、まるで本物の鹿かなにかのようでした。
緑色と茶色の少年の姿は、うっかりすると、緑の森の中に紛れていきそうで、フルートは後をついていくのに必死になりました。けれども、いくら追いかけてもシルヴァには追いつけません。そのうちに、フルートは息が切れ始め、足がもつれてきました。咽が焼けつくように乾きます。
ちょっと待って、とシルヴァに声をかけようとしたとたん、めまいがフルートを襲いました。フルートは倒れそうになって思わずそばの木にしがみつき、そのまま力なく崩れていきました。
まもなく、シルヴァが後ろに誰もいないのに気がついて、引き返してきました。フルートは木の根元にうずくまったまま動けなくなっていました。
「おい、どうしたんだよ!?」
と森の少年が駆け寄ってきました。フルートは返事をしようとしましたが、めまいがひどくて声も出せません。少年は眉をひそめました。
「どうしたんだよ。具合が悪いのか?」
そのとたん、フルートのお腹が盛大な音をたてました。空っぽの胃袋が代わりに返事をしたのでした。少年は目をまん丸にして、次の瞬間、思い切りフルートの背中をたたきました。
「あっきれた、腹が減って動けないのかよ! 信じらんないヤツだな! あんた、それで本当に勇者なのか!?」
けれども、フルートはそれに答えることさえできませんでした。空腹でこんなに目が回るなんて、今まで想像したこともありませんでした。
シルヴァは大きく肩をすくめて立ち上がりました。
「しょうがないな……食べ物を見つけてきてやるよ。ここで待ってろ」
と言い残すと、あっという間に森の中へ消えていきました。
フルートは、そろそろと背中からリュックサックを下ろすと、中から水筒を取りだして水を飲みました。焼けるような咽の痛みが消えて、体中に水がしみこんでいくような気がします。フルートはやっと息が楽になって大きなため息をつきました。空腹もさることながら、咽の渇きもひどかったのです。
油紙の中にポチの干し肉が少しだけ残っていました。それを口に入れてかみ始めると、じんわりと肉の味が広がって、何とも言えずおいしく感じられます。無理もありません。フルートは前日の朝食もろくに食べないうちに旅立ってから、ここまでの間、ほとんどまともに飲み食いしていなかったのです。
できるだけゆっくり干し肉を食べながら、フルートはゼンのことばを思い出していました。
「まずは食え、だ。敵と戦う前に腹ぺこでぶっ倒れたんじゃ、笑い話にもならないだろう?」
そう言って陽気に笑う顔が浮かんできます。
本当だね、ゼン、とフルートは心でつぶやきました。空腹でいては、肝心の時に動けなくなって、何もできなくなるのです。戦士ならば食べることは基本中の基本と、肝に銘じなくてはならなかったのでした。
干し肉を食べ終わってまた水を飲むと、ようやくめまいは薄らいできました。けれども、まだまだ空腹はおさまりません。リュックサックの中にもう食べられるものはありませんでした。水筒も空です。シルヴァが食べ物を見つけてきてくれるのを期待するしかありませんでした。
フルートはうずくまったまま、じっとシルヴァを待ち続けました。緑の少年はどこまで行ったのか、なかなか戻ってきません。そのうちに、フルートはうとうとと軽い眠りに入り始めました――。
その時、突然森の中に大きな声が響き渡りました。
フルートは、はっと目を覚ましました。
また悲鳴が上がりました。シルヴァの声です。
フルートは、がばと跳ね起きると、声のした方を見ました。木立の向こうから、何かが争うような気配が伝わってきます。
「シルヴァ!」
フルートは背中のロングソードを引き抜くと、ふらつく足で走り出しました。