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第3巻「謎の海の戦い」

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8.水蛇(みずへび)

 フルートは砂の上に座り続けていました。

 早くここを出発しなくちゃ、と思うのですが、どこへ行けばいいのかわからなくて立ち上がれません。急がなければゼンやポチが戻ってきてしまうのに……。

 ゼンが心配していたとおり、フルートは一人でここを旅立とうとしていたのでした。

 フルートはそっとあたりを見回して耳を澄ましました。ゼンとポチは姿も見えなければ声も聞こえてきません。怒ってずいぶん遠くへ行ってしまったようです。仲間たちを「足手まといだ」と言ったときに彼らが見せた表情が浮かんできて、フルートは思わず膝の上に顔を伏せました。自分は彼らを傷つけてしまったのです。

 本当は、足手まといだなんて、一度だって考えたことはありません。いつだって、ゼンもポチも、ポポロも、フルートを助けてくれます。自分たちが傷ついて死にそうになっても、それでもフルートを助けようとしてくれるのです。

 でも、だからこそ、本当にあの悪夢のようになってしまうかもしれない、とフルートは思うのです。癒しの金の石も、何もかも間に合わなくて、彼らを死なせてしまうかもしれない。そう思うと、フルートは身震いするほど怖くなります。あれは確かに夢です。けれども、現にこうして渦王が自分たちを妨害してきています。悪夢が現実にならない、という保証はどこにもないのです――。

 フルートは目を上げて海を見ました。行かなくてはなりません。どんなに腹をたてたとしても、ゼンたちは必ずまた戻ってきます。早くこの場を立ち去らなければ、結局、彼らを巻き込んでしまうのです。

 海の中を歩いていこう、とフルートは考えました。真珠と長老の魔法のおかげで、それは可能です。どのくらいかかるかわからないけれど、どれほど歩けばよいかもわからないけれど、それでも、自分だけで海王を救い出しに行こう、と決心したのです。

 ところが、フルートが波打ち際まで行ったとき、遠くから大きな声が聞こえてきました。ゼンとポチの声です。どきりとなったフルートの耳に、またゼンの悲鳴とポチの叫び声が聞こえてきました。

「ワンワン! ゼン、ゼン!!」

 ただごとではない声でした。

 フルートは、たちまち身をひるがえすと、声のした方へ走り出しました――。

 

 海中から突然姿を現した大蛇に巻きつかれて、ゼンは身をよじりました。力ずくで蛇をふりほどこうとします。ところが、それを上回る力で蛇に締めつけられて、ゼンは思わずまた悲鳴を上げました。ものすごい力です。

「ワン! ゼン!」

 ポチが蛇に飛びかかってかみつきました。青く輝く体に牙を立てます。が、次の瞬間、牙は蛇の体をすり抜けて、ポチは海の中に落ちました。口の中に塩辛い海水の味が残ります。

 そこへ、フルートが駆けつけてきました。ゼンに絡みついている青い蛇に目を見張り、すぐさま背中から炎の剣を抜きます。

 ポチがフルートに叫びました。

「ワン! こいつは水の蛇です! 体全体が海の水でできているんです!」

 フルートはまた驚きました。確かに青い蛇の体は半ば透き通っていて、体ごしに向こう側の海が見えています。けれども、蛇はゼンをしっかりと巻き取ったまま、高々と持ち上げているのです。とても水とは思えません。

「ゼン!」

 フルートは叫びながら海に駆け込んで、炎の剣で切りつけました。鋭い刃で蛇の青い体を横なぎにします。とたんに、ジュッと激しい音がして、もうもうと白い蒸気が上がりました。炎の魔力を持つ剣と蛇の体がふれあって、一気に水が蒸発したのです。

 ところが、蛇はびくともしませんでした。剣に切られたところも、次の瞬間にはまたふさがってしまいます。フルートは唇をかみ、力任せに何度も剣を振り下ろしました。

 ポチが風の犬に変身して飛び上がりました。こちらも、犬の頭と前足をした白い蛇のような姿です。激しい風の流れになって水の蛇に絡みついていくと、風圧で蛇の頭が大きくゆがみました。風に吹き飛ばされた水が、白いしぶきと泡になって、あたり一面に飛び散ります。とたんに、ゼンを巻き取った蛇の体が、がくりと大きく下がりました。

「ゼン!」

 フルート思わず手を差し伸べました。

 ゼンも、懸命に蛇の体を押し返しながら、片腕を伸ばしました。その手と手が、あともう少しで握り合いそうになります。

 ところが、その時、ふいに蛇の体が崩れました。

 ザザーッと激しい音をたてて水そのものの塊に変わると、海の中に落ちていきます。大きな水柱が上がり、しぶきが飛び散って、その中にゼンが見えなくなります。

 

 水柱がおさまり、しぶきも海に帰ったとき、ゼンの姿はどこにもありませんでした。海の上にも、波の下にも、どこにもゼンが見あたりません。フルートは、真っ青になってあたりを見回しました。たった今までそこにいたのに……。

 ポチも風の犬の姿で海の上を飛び回り、ゼンを探し続けました。けれども、どこまで飛んでも、ゼンは見つかりません。ゼンを連れ去る水蛇の姿も見えませんでした。

「そんな馬鹿な……」

 フルートは炎の剣を握ったまま、呆然とつぶやきました。まるで魔法でゼンを奪い取られたようでした。

 飛び戻ってきたポチが、フルートの胸に飛び込むなり、子犬の姿に戻って頭を押しつけてきました。

「ワンワン! どうしましょう! ゼンは『人魚の涙』を吐き出しちゃったんですよ!」

 悲鳴に近い声でした。フルートは顔色を変えました。

「なんだって! なぜ!?」

「ワン! 咳をした拍子に口から真珠が飛び出したんです! 黒い魚が飲み込んで行ってしまいました! どうしましょう、フルート! ゼンがおぼれちゃいます……!!」

 犬は涙を流せませんが、もしもできたなら、ポチは間違いなく泣きべそをかいていました。フルートは、そんなポチを抱きしめて海を見回し続けました。青い海原はどこまでも果てしなく続いています。

 悪夢が脳裏によみがえってきました。ゼンが敵に打ちのめされ、傷ついて息絶えていきます――

 フルートは唇をぎゅっとかみしめました。腕の中で震えている子犬を抱き直すと、強い声で言い聞かせます。

「大丈夫。ゼンはこんなことで死んだりしない。絶対に、死ぬもんか……!」

 それは自分自身にも言い聞かせる声でした。

  フルートは海から浜辺に上がると、もう一度海を眺めました。

 海はあまりに広すぎて、闇雲に探しに行くのは無謀です。フルートはあせって混乱しそうになる頭と心を必死で押さえながら、冷静に考えようとしました。

 あの水の蛇はゼンを殺すのが目的ではなかったような気がします。もし、殺すだけのつもりなら、どこかへ連れ去る必要はないからです。では、どこへゼンを連れて行ったのでしょう。どこへ――誰の元へ?

「やっぱり渦王か……」

 とフルートはつぶやきました。西の大海に住むという、乱暴者の王のしわざに違いありません。フルートたちが海までたどりついたのを知って、仲間を連れ去っていったのです。

 だとすれば、ゼンは人質です。人質は生きていてこそ価値があります。ゼンは死んでいない。まだ生きている。フルートは改めてそう考えて、少し勇気がわいてきました。

 太陽が頭の真上から照りつけてきます。ここに流れ着いたときよりも高い位置にあります。正午が近づいているのです。フルートはその太陽の位置から方角をつかむと、西のほうの海を眺めました。腕の中の子犬に話しかけます。

「渦王は西の大海の島に城を築いている、ってマグロが言っていたよね。それがどこにあるのかはわからないし、ここがどこなのかもわからないけど、でも、とにかく西に向かえば西の大海に出るような気がするんだ。誰かと出会って、渦王の居場所が聞けるかもしれない。ポチ、ぼくを乗せて海の上を飛べるかい? 渦王の島を探して、ゼンを助け出そう」

 子犬は頭を上げました。ついさっきまで、あれほど迷って悩んだ顔をしていたフルートが、今は強い光を瞳に宿して海を見つめています。

 

 ポチは、ワン、と答えました。

「もちろんです。ゼンが見つかるまで、どこまででも飛んでいきますよ」

 フルートはうなずき返しました。

 

 ところが、ポチが風の犬に変身しようとしたとき、彼らの後ろから低い音が聞こえてきました。何かがざわめくような音です。

 思わず振り返ったフルートたちは、ぎょっと立ちすくみました。いつの間に現れたのか、たくさんの小さな海の生き物が、砂浜の上に集まっていました。赤い甲羅の体で押し合いへし合いしながら、小さなハサミのついた前足を振っています。

「カニです。でも、こんなにたくさん……」

 とポチが絶句しました。カニは体長は5センチほどの小さなものですが、何万匹もの大群で白い砂浜の上を埋め尽くしていたのです。それがフルートとポチに向かって赤いハサミをいっせいに振る光景は、どう見ても普通ではありませんでした。

 フルートは姿勢を低くして炎の剣を構えました。この小さな生き物たちは渦王が差し向けた敵かもしれません。襲いかかってきたら、即座に炎の弾で撃退するつもりでした。

 すると、ふいにカニたちが、人のことばで話し出しました。

「なぞなぞ、なぞなぞ……なぞなぞ、なぞなぞ……」

 カニたちは、確かにそう言っていました。

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