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第2巻「風の犬の戦い」

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第1章 東からの使者

1.旅人

 ひとりの男が馬に乗って街道を進んでいました。

 長い旅をしてきたのでしょう、全身埃まみれでマントもぼろぼろです。長くのびた茶色の髪とひげの間で、緑の瞳が疲れ切ったようにあたりを眺めています。

 時は五月。周囲はすっかり初夏のたたずまいでした。薄緑色の草におおわれた荒野のあちこちに、赤や白の小さな花が咲き乱れ、風がミツバチの羽音と甘い花の香りを運んできます。荒野は今、一年で一番美しい季節なのです。

 けれども、旅の男は行く手に向き直ると、また黙々と馬を進めていきました。自然の美しさは男の心を奪うことができなかったのです。

 ところが、やがて町の入り口を示す門にさしかかったとき、男がふいに馬を止めました。門の上には横木が渡してあって、「シル」と町の名前が刻んであります。それを見上げる旅人の瞳に、輝く光が宿り始めました。

「シル……そうだ、確かにこの町だ……。この町にわしらの希望の星はいるのだ……!」

 しわがれた声は、感動に震えていました。

 旅の男は、わずかに残っていた元気を奮い起こすように頭を上げると、馬の腹を蹴って町に駆け込んでいきました。

 

 シルはロムド国の西にある小さな町です。西の街道沿いにあるので、町中をたくさんの旅人が通っていきます。その人たち相手に商売をする店や旅館も通りに面して建っていますが、馬で一時間ほど先の場所にもっと大きな宿場町が控えているので、旅人たちは小さなシルの町など通り過ぎていってしまいます。

 シルの人々もそんな旅人の様子には慣れっこで、自分たちのペースで商売をしては、適当に慎ましく暮らしていました。店の客引きの声も聞こえない、なんとものんびりした田舎町です。

 

 男は町中に入ると馬の脚をゆるめ、きょろきょろとあたりを見回しました。明らかに、何かを探している様子です。

 すると、通りに面した一軒の店から、子どもがひとり出てきました。おつかいに来たようで、手に買い物の包みを持っています。

「これ、そこの子ども」

 と旅人は馬の上から呼びかけました。子どもが驚いたように立ち止まって顔を上げます。少女のように優しい顔立ちの、小柄な少年でした。

「なんでしょう?」

 と少年が丁寧に答えました。まだ変声期前の高い声なので、本当に女の子が少年の格好をしているように見えます。

 旅の男は、ほんの一瞬口ごもると、思い切ったようにこう言いました。

「この町に、金の石の勇者がいると聞きおよんでいる。どこにお住まいであろうか?」

 すると、少年が青い瞳をまん丸にしました。そのまま何も言わず、ぽかんと旅人を見つめ返します。

 旅人の顔に不愉快そうな表情が浮かびました。こいつは馬鹿だろうか、尋ねた相手を間違えてしまったのだろうか、と考えたのです。

 すると、少年が首をかしげて言いました。

「家ならわかりますけど……金の石の勇者に、何のご用なんですか?」

 男はさらにムッとしました。おまえにそんなことは関係なかろう! とどなりそうになりましたが、すんでの所で思いとどまると、馬から飛び降りて、できるだけ丁寧な口調で言いました。

「勇者殿に大事な用事があるのだ。直接お会いして伝えねばならぬ話だ。子ども、金の石の勇者のお宅まで連れて行ってはもらえぬだろうか?」

 少年はとまどうような顔のまま旅人を見つめていましたが、ふと、その目を下に向けて旅人の足下を見ました。そこには、いつの間に来ていたのか、一匹の白い子犬がいて、しきりに男の靴の匂いをかいでいました。

「ポチ」

 少年に呼ばれて子犬が駆け寄りました。少年はそれを抱き上げると、しばらくほおずりするように犬に顔を寄せてから、改めて旅の男に言いました。

「わかりました、金の石の勇者の家までご案内します。ついてきてください」

 今にも爆発しそうなほどじりじりしていた男は、それを聞くとほっと肩の力を抜きました。

「そうか……! そうか、そうか、かたじけない!」

 笑い顔になってそう繰り返すと、男は馬の手綱を引きながら、少年の後について歩き出しました。

 

 少年は先に立って町中を歩いていきます。その足下に、白い子犬がまとわりついています。少年がときどき子犬に優しいまなざしを向けます。

 ふと、男は少年に話しかけました。

「子ども、おまえの名は何というのだ?」

 すると、少年と子犬が同時に振り返りました。青と黒の四つの瞳が旅人を見つめます。

「フルートです」

 と少年は、はっきりした声で答えました。

「そうか」

 男はそう言うと、また黙って少年の後についていきました。

 すると、どこかから、くすり、と誰かの小さな笑い声がしました。フルートという少年が笑ったのではありません。男はあわててあたりを見回し、誰も自分たちに注目していないのを確かめて、首をひねりました――。

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