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第1巻「黒い霧の沼の戦い」

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第5章 黒い霧の沼

33.沼地

 その夜、子どもたちは、エルフが白い石の根元に張ってくれたテントで休みました。エルフのテントには魔法の力があったのか、いよいよ敵陣を目の前にしても、緊張もせずにぐっすり眠ることができました。

 翌朝、すっかり元気になった子どもたちは、朝食をすませると、それぞれに身支度をととのえました。

 フルートは魔法の銀の鎧にロングソードと炎の剣を背負い、左腕には丸い鏡の盾をつけました。

 ゼンは布の服の上に鋼の胸当てをつけ、エルフからもらった弓と自分の矢筒を背負いました。矢筒には木の矢や鋼の矢と一緒に光の矢が三本入っています。ベルトの右側には小さな丸い盾を、左側にはショートソードを下げます。北の洞窟から着てきた毛皮の上着は、このあたりでは暑くて邪魔になるので、脱いで荷物にしまいこみました。

 ポチは身につける武器や防具は何もなかったので、小川に飛び込んで水浴びをすると、ぶるぶるっと体を震わせました。そうすると、長旅で汚れきった毛並みが真っ白になりました。

「おまえたちの石は外に出しておくがいい。そのほうが効果がある」

 とエルフに言われて、フルートは金の石を、ゼンは水晶のお守りを、鎧や胸当てから引き出しました。ポチだけはお守りを首輪のようにつけていたので、そのままでした。

 すっかり用意がととのった子どもたちに、エルフは言いました。

「さあ出発だ、小さな勇者たち。金の石を信じて進むのだ」

 フルートとゼンはうなずいて走り鳥にまたがりました。ポチはフルートの膝に飛び上がってマントの中にくるまります。

「行ってまいります。本当にいろいろありがとうございました」

「石の守りが堅くあらんことを」

 とエルフがまた短く祈ってくれました。

 フルートとゼンは走り鳥の横腹を蹴りました。

「はいっ!」

「それっ!」

 砂埃を上げて鳥が疾走を始めます。

 黒い霧の荒野めがけて走り去る子どもたちを、エルフはいつまでも見送っていました。

 

「霧の中に入るぞ!」

 とゼンが声を上げました。草原の外側に渦巻く黒い霧は、もう目の前に迫っています。

「ゼン、ぼくのそばに来て!」

 フルートが叫び返しました。

 二羽の走り鳥はぴったりと並び、見えない壁をくぐり抜けて、黒い霧の中へ飛び込みました。とたんに、むっと暗く湿った空気が押し寄せてきて、子どもたちは一瞬、息が詰まりそうになりました。なんとも言えない不愉快な感触が全身を包みます。

「このあたりは本当に濃いな。前がほとんど見えないぞ」

 とゼンが言いました。夜目の利くゼンでさえそんな具合なので、フルートにはもう闇のような黒い霧しか見えませんでした。走り鳥も、ぐんとスピードが落ちます。

 ところが、まもなくポチがフルートのマントから顔を出しました。

「ワンワン! 行く手に沼があります! すごく大きな沼ですよ!」

「ポチ、見えるの?」

 とフルートが驚くと、ポチは言いました。

「ワン、ぼくは犬ですから。目だけでなく匂いでもわかるんです。このまま進むと沼に突っ込みますよ。走り鳥を止めないと」

 どうやら犬のポチが一番霧の中を見通せるようでした。フルートとゼンはあわてて走り鳥を止まらせました。

 鳥の背から下りると、足元からぐちゃぐちゃと湿った土の感触が伝わってきました。確かにもう湿地帯に踏み込んでいるのです。

「走り鳥ではこれ以上はもう行けないな。こいつらは、こういう場所を走るようにはできてないんだ」

 とゼンが言いました。

「ここから先は歩いていこう。ゼン、走り鳥を安全な場所に逃がしてやろうよ」

 とフルートが言ったので、ゼンは驚きました。

「そんなことをしたら、俺たちの荷物が全部なくなるぞ。帰りはどうする気だよ」

「でも、こんな場所で鳥を待たせておいたら、きっと怪物か獣に襲われちゃうよ。メデューサさえ倒せば帰り道はなんとかなるよ、きっと」

「しかし……」

 フルートとゼンの意見がまとまらないので、ポチが言いました。

「ワン、ぼくが走り鳥に聞いてみましょうか」

「聞く?」

 フルートとゼンは聞き返しました。

「はい。ぼくは他の動物と話せるんです。だって犬だから」

 そしてポチは二羽の走り鳥に近づき、ワンワン、と犬のことばで話し始めました。キィー、クルルゥ……と鳥たちが答えます。それを見てゼンがフルートの横腹をこづきました。

「おい、やっぱりあいつを一緒に連れてきてよかっただろう?」

「そうみたいだね……」

 とフルートは苦笑しました。

 やがて、ポチが戻ってきて言いました。

「ワン。鳥たちはここで待っていたいそうです。北の峰へ帰る道はわかるけど、お二人を置いていくわけにはいかないって。もし危険な敵が迫ってきたら、逃げて、また待つって言ってますよ」

「おまえたち」

 ゼンは感激して二羽の走り鳥の首を抱きました。鳥たちは、人のことばは理解できないけれど、しっかりと子どもたちを主人だと思っていたのです。走り鳥がゼンに長い首をすりつけ、隣に立っているフルートへクークーと鳴きます。

 フルートはポチに言いました。

「鳥たちに、ありがとう、って伝えて。それから、危険が迫ってきたら白い石の丘に逃げてそこで待つようにって。敵を倒したら迎えに行くから」

 そこで、ポチはまたワンワンと鳥たちにフルートの言ったことを通訳しました。鳥たちは納得したようにクーと鳴くと、その場に静かにたたずみました。

 

「さあ、それじゃ行こう」

 とフルートはゼンとポチに呼びかけました。

「足元が悪いから気をつけないと。ぬかるみに足を取られたら進めなくなるからね」

「ワン。沼の中に細い一本道がありますよ。まわりは泥沼だけど、そこだけ草が生えていて、沼の真ん中のほうまで続いているんです。きっと闇の神殿に至る道だと思いますよ」

 それを聞いてフルートとゼンは顔を見合わせました。彼らには行く手の道がまるで見えていなかったからです。ポチを一緒に連れてきたのは本当に大正解でした。

 フルートは子犬にかがみ込みました。

「ごめんよ、ポチ。ぼくは君を見くびってた。小さくても、君はすごく頼りになるね」

「え?」

 ポチは驚いたように目を丸くすると、尻尾を振って飛び跳ねました。

「ワン、嬉しいな! ぼくもちゃんとお役にたってるんですね!」

「役にたつも何も。頼りにしてるぞ」

 とゼンが片目をつぶってみせたので、ポチはますます嬉しそうな様子になりました。

 フルートが改めて言いました。

「よし、それじゃポチは先頭でぼくたちを道案内してくれ。ゼン、君もぼくより暗闇で目が利く。ポチの次は君が行って、その後をぼくがついていくよ」

 そこで一行は、ポチ、ゼン、フルートの順番で、霧の中の沼地へと進み始めました。

 キィー、クルルゥー……

 走り鳥が鳴き声を上げて、彼らを見送りました。

 

 沼地は湿っぽく、道を通っていても泥がまとわりついてきて、足どりが重くなりました。フルートとゼンは何度も足を滑らせては、危なく沼の水の中に落ちそうになりました。

「ちっ、ホントにいやな場所だぜ」

 とゼンはぶつぶつ言いました。

「沼の表面から黒い霧がわきたっているんだぜ。メデューサのヤツ、ここの水を霧に変えて国中に流しているんだ」

 ところが、フルートは首をかしげました。

「そうかもしれないけど、魔法の力も加わっているはずだよ。もし単純に水を霧にしてるんなら、今頃沼は干上がっているはずだもの」

「確かに。沼の水は減った様子がないな」

 とゼンが霧の中を透かしながら言いました。普通の理屈では理解できない状況が、なんだかひどく不気味でした。

 

 やがて、沼地の霧はますます濃くなってきました。

 あたりは夜のように真っ暗になり、ゼンでさえ先頭を行くポチの姿が見えにくくなります。フルートにいたっては、前を歩くゼンの頭がかろうじて見えるだけです。一行は慎重に前へ進んでいきましたが、そのぶん歩みはどんどん遅くなりました。

 風も吹かないよどんだ空気の中を霧が流れていきます。沼の水が時々波打って、ピチャリ、ピチャリと音を立てています。それを聞きながら黙々と進んでいたゼンが、突然足を止めました。

「待てよ。風がないんだから、波は立たないはずだぞ。何の音だ──?」

 ポチとフルートも、はっと足を止めました。

 ピチャリ、とまた水のはねる音がしました。さっきより近くで聞こえたようです。また、ピチャリ。そして、その音はどんどん増え始めました。

 ピチャリ、ピチャリ、ピチャリ……ピチャピチャ、ピチピチピチ……

 フルートたちの周囲を水のはねる音が取り囲みます。

 フルートは炎の剣を抜きました。

「敵だ! 取り囲まれたぞ!」

「ちっ」

 ゼンもショートソードを抜きました。 この暗がりでは得意の弓矢は使えません。

「ワンワンワン! 水の中に何かがいます! それもたくさん──!」

 とポチが言ったとき。

 ザザァァァ!

 すぐ近くで大きな水音が起こってポチの悲鳴が上がりました。

「キャーーン……」

 声が上のほうへ遠のいていきます。ポチが襲われて上へ連れ去られたのです。けれども、あたりは真っ暗闇です。何が起こっているのか、まるで見えません。

「ポチ!!」

 フルートとゼンは叫びました――。

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