祝宴の翌日、フルートとゼンは、ドワーフたちに見送られて洞窟の外に出ました。
青く晴れ渡った空の下、炭の粉を混ぜたような雪が、あたりをすっぽりと包んでいます。
「本当に、いろいろお世話になりました」
とフルートが頭を下げると、ドワーフの最長老が言いました。
「礼を言うのはこっちの方じゃ。グラージゾを退治し、洞窟に光を取り戻してくれたこと、本当に感謝しとるぞ。金の石の勇者が見事目的を遂げられることを、皆で祈っておるからな」
居並ぶ長老たちがいっせいにうなずいたので、フルートはもう一度頭を下げて、感謝の気持ちを表しました。
すると、ゼンの父親が言いました。
「フルートの馬は俺が預かっておいてやる。おまえたちは『走り鳥』を使え。旅路がはかどるからな」
ゼンは目を丸くしました。
「ホントか、親父? ホントに、走り鳥を使っていいのか!?」
と歓声を上げ、わけがわからないでいるフルートをこづいて言いました。
「いいぞ! 走り鳥は猟師の乗り物で、馬の三倍の速さで走るんだ! 山だって谷だって、まったく気にしないで走り続けるんだぞ! 洞窟に七羽しかいない貴重な鳥なんだ!」
「長老の話し合いで決まったことだ。ゼン、おまえの装備も我々が話し合って決めたんだぞ。今、洞窟で準備できる最高のものだ。だが、くれぐれも無茶はするなよ」
とゼンの祖父が言います。
「わかった!」
と答えたゼンは、布の服の上から、細かい細工が入った鋼の胸当てをつけ、その上に毛皮の服をはおっていました。胸当ては、フルートの胸当てと同じように、背中のほうまですっかりおおう形のものです。腰にショートソードと丸い鋼の盾を下げ、木の矢と鋼の矢が混じった矢筒と弓を背負っています。どれもこれまでのゼンの武器よりずっと上質で強力なものでした。
「食料や荷物は走り鳥につけておいた。それで、これからどう進むつもりなんだ?」
とゼンの父親に聞かれて、フルートは答えました。
「南へ向かいます。黒い霧はロムドの南の湿地帯から発生しているんです。ただ、そこへ行く前に白い石の丘に行くと、大きな助けが得られるって炎の馬に言われました。その丘がどこにあるのかは、まだわからないんですが」
すると、ゼンの父親は眉を上げました。
「炎の馬――火の山の守護獣か。おまえはとんでもない奴といろいろ知り合いらしいな。では、それの言うことに従うのがいいだろう。南へ行け。そうすれば、きっと目ざす場所も見つかるだろう」
フルートたちの前に二羽の走り鳥がつれてこられました。長い二本足と長い首を持つ灰色の鳥で、小ぶりなダチョウそっくりの姿をしています。背中に小さな鞍を置き、くちばしには細い手綱がつけられています。荷物は長い首の付け根のところに、まとめてくくりつけてありました。
フルートとゼンは走り鳥の背中にまたがりました。フルートは走り鳥に乗るのは生まれて初めてでしたが、走るときの揺れ方は違うものの、手綱さばきが馬と同じだったので、じきに慣れて自由自在に走らせられるようになりました。
「じゃ、行ってくるぜ、親父、じいちゃん」
とゼンが言いました。
フルートは居並ぶドワーフたちにもう一度頭を下げると、まっすぐ南を見ました。山裾に広がる雪原と、点在する森が見えています。雪原も森も、黒い雪におおわれて一面薄黒く染まり、その彼方の地平線近くには、おぼろにかすむ黒い雲が広がっていました。黒い霧がそこまで押し寄せているのです。
フルートは背筋を伸ばすと、走り鳥の横腹を蹴りました。
「はいっ!」
「それ行け!」
とゼンも声を上げます。
二羽の走り鳥は、子どもたちを背に乗せて、風のように走り始めました。
洞窟のドワーフたちは、歓声を上げ、手を振ってそれを見送りました──。
それから三時間あまり、フルートとゼンはひたすら南へ進みました。走り鳥は、全力疾走の馬より速いスピードで、いつまでも楽々と走り続けます。まわりの景色が飛ぶように後ろに流れていきます。
太陽が頭の真上にさしかかる頃、ゼンがフルートに並んで言いました。
「おい、そろそろ昼飯にしようぜ。さっきから腹の虫が鳴きっぱなしだ」
言われて、フルートも自分もひどく空腹だったことに気がつきました。南へ向かうことで頭がいっぱいで、全然意識していなかったのです。それを話すとゼンが笑いました。
「腹ぺこなのに気がつかないなんて、信じられないな。『まずは食え』ってのが、俺たちドワーフの基本だぜ。敵と戦う前に腹ぺこでぶっ倒れたんじゃ、笑い話にもならないじゃないか」
「確かにね」
とフルートも笑うと、走り鳥を停まらせました。
ゼンが鳥から荷物を下ろしながら言いました。
「こいつらをつないでおく必要はないぜ。勝手に餌を探しに行って、また戻ってくるから」
ゼンの話によると、走り鳥は雑食で、草でも木の葉でも虫でもなんでも食べるということでした。ドワーフの猟師たちは北の山脈をこの鳥で何日も走り回って、鹿狩りをするのです。
ゼンが軽くぽんと鳥の背を叩くと、二羽はたちまちどこかへ走っていきました。
「さあ、昼飯、昼飯」
とゼンは荷物の中から小枝の束を取りだし、器用な手つきで組み上げると、雪の上にあっという間に焚き火を起こしました。その上に小さな鍋を置き、水筒の水を入れて袋に入った材料を放り込むと、じきに鍋からおいしそうな匂いが漂い始めます。
「ほら、乾燥野菜と干し肉のおかゆだ。熱いから気をつけて食べろよ」
とゼンはフルートに湯気の立つ器を渡してきました。火を起こしてから三十分とかかっていません。フルートが感心すると、ゼンは得意そうに笑いました。
「俺は猟師だからな。外で手早く料理するのには慣れてるのさ。材料さえあれば、ウサギ肉のパイだろうが、猪の煮込みだろうが、すぐに作ってみせるぜ」
「すごいや。そのうち、ぜひ食べてみたいな」
とフルートは言い、ゼンが作った料理がとびきりおいしかったので、またびっくりしました。本当に、ゼンはいろいろな意味で頼もしい少年でした。
「さて、ところでここはどこら辺なんだ?」
スプーンを口にくわえながら、ゼンが尋ねてきました。
そこで、フルートは自分の荷物の中からロムド国と周辺を描いた地図を取り出しました。国王からもらったものです。
「ぼくたちは洞窟からまっすぐ南に向かってきたから……たぶん、今はこのあたりなんだと思う。黒森の入り口の西側だ。道をたどれば早いんだろうけど、道は黒森の中を通っているし、森には凶暴になった獣や怪物がいるから、このまま荒野を走っていった方がいいんじゃないかと思うんだ」
「走り鳥なら道があってもなくても速度は変わらないぜ。南の湿地帯まで最短で行くほうがいいだろう」
とゼンが言いました。
フルートは地図の上に指を走らせました。
「だとすると、このルートだね……。黒森の西側を通って、南を目ざすんだ。正確には南南東かな。そうすれば湿地帯にまっすぐ行くことになるよ」
「途中で横切ってるこの線はなんだ? 道か?」
「うん、西の街道って呼ばれてる道だよ。ぼくの住んでるシルの町も、この街道沿いにあるんだ」
「しるしがついてるな。ここか? けっこう近いところを通り過ぎるんだな。立ち寄った方がいいんじゃないのか?」
とゼンが言うと、フルートはほほえんで首を振りました。
「ううん、いいよ。ぼくが町に帰るのは、ちゃんと自分の役目を果たした後さ」
それを聞いてゼンは意外そうな顔をしました。
「だけどよ、おまえが家を出てからずいぶんになるんだろう? 親父さんやおふくろさんが心配しているんじゃないのか?」
とたんにフルートは両親を思い出しました。二人ともフルートが顔を見せれば絶対に喜びます。けれども、そうなったら、両親にこれから向かう場所と敵を話さなくてはなりません。黒い霧の中心に潜む、得体の知れない邪悪な敵です。二人とも、きっとひどく心配することでしょう……。
「いいんだよ。このまま、まっすぐ進もう。今は一刻も早く霧の源に行かなくちゃいけないんだから」
話しながらフルートは地図を手早くたたみました。頭に浮かんできたお父さんやお母さんの顔を消し去ろうとするように――。
ふぅん、とゼンはつぶやくと、立ち上がって雪原を見渡しました。
「左手に見えているあれが黒森だな。で、太陽は今ここにある。とすると、俺たちが目ざすのは、こっちの方角か……よし、わかった」
「まもなく、ぼくたちは黒い霧の中に入ると思うよ」
とフルートが言いました。
「そうしたら、景色の見通しがきかなくなるんだ。街道をたどってるわけじゃないから、迷いやすいかもしれない」
すると、ふふん、とゼンが笑いました。
「おまえ、ドワーフの方向感覚を知らないな。俺たちは一度方角を見定めたら、あとは絶対に迷わないんだぜ。暗い地下でも迷ったりしないように、そうなってるんだ。まあ、任せとけって。絶対に迷子にはさせないさ」
フルートは思わずまた笑いました。本当にゼンは頼りになる道連れです。
「ごちそうさま。おいしかったよ。さ、また先に進もう」
とフルートは立ち上がり、焚き火を消して食事道具を片づけました。ぴゅうっ、とゼンが口笛を吹くと、どこからか走り鳥が戻ってきます。
二人は鳥に乗って、飛ぶようにまた走り始めました。遠い彼方の湿地帯を目ざして、南南東へまっすぐと――。