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第1巻「黒い霧の沼の戦い」

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14.脱出

 炎の馬はフルートを乗せて、あっという間に火の山から黒森の上空まで駆け戻ってきました。馬で普通に旅すれば数ヶ月はかかるような距離を、一気に駆け抜けたのです。

 夜明けが近づいていました。森をおおう黒い霧が海のように見えています。炎の馬は上空で立ち止まると、考え込むようにつぶやきました。

「これは良くありませんね……」

「何が?」

 フルートは緊張して聞き返しました。

「わたしたちが出てきたのは、このあたりなのです。今は黒い霧におおわれて見えません。霧が山を越えて森のこちら側まで流れ込んできたのです」

 フルートは足下を見下ろしました。空が白々と明るくなるにつれて、地上の様子もよく見えてきます。黒い霧は、太陽が昇ってくる南東から北西へ、ものすごい勢いで流れ広がっていて、その先に雪をかぶった山々が見えました。フルートが目ざす北の峰はその中にあります。

「もしかして、霧がぼくたちを追いかけてきているの?」

 とフルートが尋ねると、馬は答えました。

「わかりません。敵の勢力が強まったというだけのことなのかもしれません。ただ、この霧は闇をはらんでいるので、私たちが残してきた火が消えてしまっている可能性があります。あなたの馬が心配です。行きましょう」

 そう言うと、炎の馬は急降下して黒い霧の中に飛び込んでいきました。

 

 ほどなく、流れていく暗い霧の中から、馬のいななきが聞こえてきました。助けを求めるように、何度も何度も鳴いています。

「あっちだ!」

 フルートと炎の馬は、森の上をかすめて、いななきの方向へ飛んでいきました。すると、行く手の霧の中に小さな火が見えてきました。フルートたちが残してきた焚き火ですが、炎の馬の言うとおり、今にも消えそうに弱々しくなっていました。フルートの馬が火のそばで必死に鳴き続けています。

 そして、半透明のナメクジのようなスライムが、馬のすぐ近くまでぎっしり押し寄せていました。火が消える瞬間を待ちかまえています。

「早く、あそこへ!」

 とフルートに言われて、炎の馬はまっすぐスライムの群れに突っ込んで行きました。火に包まれた蹄でスライムを蹴飛ばしながら、フルートの馬へ駆けつけます。

 ヒヒン! ヒヒヒン!

 嬉しそうにいななく馬の横に、フルートは飛び降りました。

「ごめんよ、怖かったろう。もう大丈夫だからね」

 と背中から剣を抜きます。火の山で手に入れた炎の剣です。すぐさまスライムの群れに飛び込んでいきます。

 一方、炎の馬は焚き火に駆け寄りました。とたんに、ゴウッと炎がまた大きく燃え上がり、スライムの群れが音を立ててしりぞきます。

「あなたの馬は私に任せて、存分に戦いなさい」

「ありがとう!」

 とフルートは飛びかかってきたスライムを切り払いました。スライムはまっぷたつになって地面に落ち、ボッと火を噴いて燃え上がりました。返す刀で切ったスライムも、宙で火に包まれて燃え上がります。この魔法の剣には切ったものを燃やしてしまう力があったのです。なるほど、だから炎の剣なのか、とフルートは納得しました。

 炎の剣はスライムに効果絶大でした。切られたスライムは分裂して増えることができません。次々と火を噴きながら落ちて燃え尽き、後には灰さえ残りませんでした。やがて、フルートが炎の剣を持って近づいていくだけで、スライムたちは大きく引き下がるようになりました。

 

 すると、スライムの群れの後ろで急に騒ぎが起こりました。スライムがビュルビュルと体を震わせながら逃げ出しています。そちらから姿を現したのは、見上げるような黒い泥の塊でした。どろどろに溶けた体をうごめかせながら、前へ前へとはいずってきます。

 と、泥の触手が何十本も飛び出してきました。近くにいたスライムにとりつき、そのまま、ずるりと体の中に取り込んでしまいます。

 思わず立ちすくんだフルートに、炎の馬が言いました。

「霧に誘われて出てきた闇の怪物です。気をつけて。取り込まれたら溶かされますよ」

 フルートは炎の剣を構えて体を低くしました。怪物がすぐ目の前までやってきて、また何十本もの触手を突き出してきます。

 フルートは素早く触手を切り払いました。

 ボボゥ……!!!

 怪物は火を噴き、一瞬で体全体が炎に包まれます。

 ところが炎の馬が言いました。

「この怪物は回復力が強いので焼き尽くすことができません。今のうちに逃げましょう」

 そこでフルートは駆け戻り、自分の馬に飛び乗りました。ごうごうと怪物が燃える音を聞きながら駆け出します。

 炎の馬が先を走ったので、スライムが次々と行く手から飛びのきました。その間を駆け抜けていくと、背後でまた騒ぎが起きます。振り向くと、黒い泥の怪物が炎の中からはいだしてスライムに襲いかかっていました。炎の馬が言うとおり、復活してきたのです。

 フルートたちは全速力で駆け続けて、ようやく怪物の群れから脱出することができました──。

 

 森に朝が来ました。

 けれども、森は薄黒い霧におおわれていて、暗くよどんでいました。小鳥のさえずりも聞こえてきません。森中の生き物が、暗い霧の中で息を潜めているようでした。

 フルートは、走っている馬を停まらせました。

「よぉし、もういいよ。もう大丈夫だ」

 炎の馬も一緒に立ち止まりましたが、気のせいか、少し苦しそうに見えました。火の山まであっという間に行って帰ってきた魔法の馬が、ほんの少し早駆けしただけで息を弾ませています。

「どうかしたの?」

 とフルートが尋ねると、炎の馬が答えました。

「この霧のせいです……。私は光の生き物なので、闇を含んだ霧の中にいると、どんどん弱ってしまうのです。申し訳ないのですが、私はもうこれ以上一緒に行くことができません……。泉の長老から、あなたを北の峰まで案内するように、言われていたのですが……」

 そこで炎の馬は息をつぎました。まるで空気の薄い場所にいる人のように、話すだけでも苦しそうな様子でした。

「北の峰へお行きなさい……。道の終わりに、ドワーフたちの住む洞窟の扉があります……。あなたの仲間が見つかったら南へ向かい、白い石の丘を目ざすのです……そこで、大きな助けが得られるはずです……」

 そう話している間にも、炎の馬の体を包む炎はみるみる小さくなっていきました。炎のたてがみも輝きを失って薄くなっていきます。

 フルートは馬から飛び降りて炎の馬に抱きつきました。

「わかった、必ずそうするよ! だから、君は早くここを抜け出して! このままじゃ死んでしまうよ!」

「お別れです、金の石の勇者」

 炎の馬が金の瞳でフルートを見ながら言いました。

「優しく勇敢なあなたに、神の加護と炎のきらめきが、いつも共にありますように……。それでは」

 炎の馬は空に駆け上がっていきました。黒い霧の中をまっすぐに遠ざかって、やがて霧の彼方に見えなくなってしまいます──。

 

 森は暗く静まりかえっていました。

 フルートは、自分の馬へ戻ると、優しくその首をなでてやりました。

「さあ、出発しようか」

 ぶるる、と馬は鼻を鳴らし、主人を乗せてまた歩き出しました。

 森をおおう霧が少しずつ濃くなっています。風に乗って流れてきているのです。けれども、フルートはしっかり前を見ながら進んでいきました。その背中には黒光りする炎の剣があります。

 北へ北へ、北の峰を目ざして。フルートと馬は進み続けました。

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