それから十日が過ぎましたが、黒い霧はずっと居座ったままでした。
シルの町の人たちは、毎朝目を覚ますと、今日こそ霧が消えているのではないかと期待して窓を開けましたが、さすがに一週間を過ぎるあたりから、だんだん絶望的な気持ちになってきました。
「いったいどうなっているんだ、この霧は?」
「お天道様が全然顔を出さないぞ。このままじゃ畑の作物が枯れてしまう」
「ひょっとしたら、もう二度と昼間が来ないんじゃないのか……?」
人々は顔を合わせるたびにそんな話をしていました。黒い霧が人々の心にも不安な闇を運んできているようです。
フルートの家でも、お父さんが毎日暗い顔をしていました。
「牛たちがおびえて乳を出さなくなっているんだ。これはただの霧じゃないぞ。黒いだけじゃなく、なにか悪い気配が漂っているようだ」
けれども、そう聞かされても、フルートやフルートのお母さんには何もできることはないのでした。
霧が出てから学校は休みが続いていました。フルートは毎日窓から外を眺めながら、ゴーリスが戻ってくるのをじっと待ち続けました。
すると、十一日目の朝早く、王都から国王の使者がやってきて、町の広場に立て札を立てていきました。王家の紋章が入った白い看板には、こんなことが書かれていました。
『勅令
ロムドの国を謎の黒い霧がおおいつつある。しかし、この霧は人身、動植物に直接被害を及ぼすものではないと思われる。いたずらに心惑わすことなく、落ち着いて行動するように。
ついては、金の石の勇者を召喚する。魔法の金の石を持つ者は、速やかに我がもとへ登城するように。
国王 ロムド十四世』
国王からの命令には少し難しいことばが使われていましたが、要するに、黒い霧には直接の害はないからあわてないように、ということと、金の石の勇者は国王の城に来るように、ということが書かれていました。
これを読んでシルの町の人たちは驚きました。黒い霧がこのあたりだけでなく、ロムド国全体を広くおおっているらしい、とわかったからです。ロムド国は決して小さな国ではありません。この霧はいったいどこから来て、どこまで広がっているのだろう、と誰もが不思議に思います。
ただ、霧を吸ったから病気になるということはないようなので、その点には少し安心しました。
一方、シルの人々は、国王が金の石の勇者を呼び出したことにも、とても驚いていました。魔法の金の石や金の石の勇者のことは、シルの町の住人ならどんな子どもでも知っています。金の石は町の西にある魔の森の奥で、たくさんの魔物や怪物たちに守られている、と語り継がれていました。その石を持ち帰った者は金の石の勇者と呼ばれるのです。
「だが、金の石の勇者なんかいないだろう」
「ああ。誰も森から金の石を持ち出せた奴はいないんだからな」
「国王陛下はどうして金の石の勇者なんか召喚されたんだ?」
と町の人々は話し合いました。
フルートがその金の石を持っているとは、誰も想像もしていません──。
広場で国王の勅令を読んだお父さんは、家に帰ってフルートたちにそれを教えました。
お母さんはたちまち顔色を変えました。
「何かの間違いじゃないの? 国王様がフルートをお呼びになるだなんて……。それに、こんな得体の知れない霧の中を、フルートに国王様の城まで行かせるだなんて、絶対に無理よ」
「ゴーリスの話では、金の石の勇者がこの国を闇の危険から救う、と占い師が予言した、ということだったな?」
とお父さんはフルートに言いました。
「それが本当だとしたら、国王陛下は金の石の勇者にこの霧を払わせるお考えなんだろう。この霧は闇といってもいいほど暗いからな。だが、正直、おまえにそんな力があるとは、私にも思えないよ」
フルートは金の石のペンダントを首から外して見つめていました。心配する両親に何も答えようとしません。石はランプの光を受けて柔らかい金色に輝きながら、時折、奥の方からきらり、きらりと澄んだ光を放っていました。
そんな息子の様子に、お父さんはため息をつきました。
「しかし、決めるのはフルート自身だ。フルートは確かに魔法の金の石を持っているんだからな。おまえはどうしたいんだ?」
すると、フルートはお父さんを見上げました。
「ぼくはお城に行くよ。時が来たらぼくは呼ばれるって泉の長老が言っていたんだ。邪悪な気配の霧が国中をおおって動かないでいる。きっと、今がその『時』なんだと思うんだ。ぼくは、行かなくちゃいけないんだよ」
フルートは迷いのない目をしていました。
「まあ、フルートったら――」
お母さんが青ざめて息子を止めようとすると、お父さんがさえぎりました。
「金の石の勇者には役目がある。フルートがその運命に定められていたら、私たちが何を言っても止めることはできないんだよ」
けれども、それは言いたくもないことを宣言しているような口調でした。
心配する両親に、フルートはにっこり笑ってみせました。
「ありがとう、お父さん、お母さん。ぼく、行ってくるからね」
そこで、フルートの両親は大急ぎでフルートの旅支度をととのえました。
お父さんは牧場の仕事があるし、お母さんは家を守る仕事があるので、フルートと一緒に国王の城まで行くわけにはいきません。息子が安全にひとり旅できるように、二人はできるだけの準備をしました。
食料と水、薬や薬草、毛布や衣類などが、フルートの馬の背に積み込まれました。ゴーリスがフルートのために準備してくれた栗毛の馬です。フルートは普段着の上に厚地のマントをはおって、腰に自分のショートソードを下げました。
お父さんが銀貨の入った袋をフルートに手渡しながら言いました。
「これが旅費だ。国王様の城まで行って帰ってくるには充分とは言えないが、うちで準備してやれるのはこれが精一杯なんだ。大切に使うんだぞ」
フルートは大きくうなずきました。自分の家が裕福でないことは、フルートもよく承知していたのです。
フルートは家の外に出ると、荷物を積んだ馬にまたがりました。
「せめてゴーリスが一緒にいてくれたら良かったのに……」
お母さんは最後までフルートの心配をしていました。
フルートはマントを跳ね上げて腰のショートソードを見せました。
「大丈夫だよ、お母さん。ぼくだって自分の身を守れるくらいには強くなったし、いざとなったら、どんな怪我でも治せる金の石があるんだから」
「おまえの上に、神様のご加護があるように」
とお父さんがフルートの道中の無事を祈ってくれました。
フルートは両親に手を振ると、荒野に向かって出発しました。
国王の城は、シルの町から東の方角にあります。城に至る街道は町の真ん中を通っていましたが、フルートは人目につきたくなかったので、町の外側の荒野をぐるりと通って、町はずれのあたりで街道に入りました。街道には、馬車が走りやすいように、赤茶色の石がずっと敷き詰めてあります。
街道のすぐ近くにゴーリスの家があったので、フルートはついでに寄ってみましたが、やっぱりゴーリスは帰ってきていませんでした。フルートはちょっとがっかりして、すぐにそんな自分に苦笑いしました。心のどこかにゴーリスに頼りたい気持ちがまだあったことに気がついたのです。
フルートは頭を上げると、行く手を見ながら馬に話しかけました。
「さ、急ごう。国王様の城があるディーラの街に行かなくちゃ――」
ところが、霧のたれ込める街道を進んで行くと、シルの町の終わりを示す門のそばに、ひとりの少年が立っていました。ガキ大将のジャックです。
ジャックは門に寄りかかって腕組みをしていましたが、フルートが近づくと話しかけてきました。
「やっぱり国王の城に行くんだな。ここで待っていれば、きっとおまえが通るだろうと思っていたんだ」
フルートはうなずきました。
「呼ばれたからね。呼ばれたら、ぼくは行かなくちゃいけないんだ」
ジャックは口をへの字に曲げて、ふん、と鼻を鳴らしました。
「罠(わな)だとは考えねえのかよ。こんな怪しい霧が蔓延(まんえん)してるんだぞ。金の石の勇者を目障りに思う奴らが、罠を仕掛けて待ち伏せてるかもしれねえだろうが」
それを聞いて、フルートはにっこりしました。ジャックの口調はぶっきらぼうですが、心配してくれているのがわかったからです。
「その時はその時さ。なんとかなるよ」
と言って自分の胸元をぽんとたたいてみせます。
「それに、ぼくにはこれがあるから」
「魔法の金の石か」
ジャックは苦々しく言いました。
「以前はそいつが欲しいと思ったが、今となっては、もう絶対にいらねえぞ。そんなものを持っていたら、この先どんな恐ろしい目に遭うかわからねえもんな」
フルートはそれには答えずにほほえみ返すと、手を振りました。
「じゃあ、行ってくるね。見送りありがとう」
ふん、とジャックはまた不愉快そうに鼻を鳴らしました。
「やっぱりおまえはいけ好かないヤツだぜ。とっとと行っちまえ。途中でくたばったりするんじゃねえぞ」
「うん、ありがとう」
フルートはまたにっこり笑うと、門をくぐって街道を進み始めました。
めざすは王都ディーラの街。フルートは振り返ることもなく、前だけを見つめて進んでいきます。
そんなフルートの姿が荒野の彼方に見えなくなるまで、ジャックはずっと見送っていました……。