魔の森は、昼でも薄暗い場所でした。
周囲には木がほとんど生えない荒野が広がっているのに、そこだけはまるで何かの結界のように、木がぎっしりと生い茂っているのです。冬でも葉を落とさない木々は、奇妙な形にねじ曲がっていて、緑の巨人の集団のように見えます。
フルートが魔の森に近づいくと、なんとも言えない雰囲気はどんどん強くなり、ブランの足取りが重くなってきました。フルートはブランを励ましながら前進していきましたが、とうとう一歩も歩かなくなってしまったので、しかたなく降りて歩くことにしました。
そのあたりに馬をつなぐような木立はありません。
「いいかい、ここで待っているんだよ。必ずお父さんに金の石を持ってくるからね」
ブランにそう言い聞かせて、フルートはひとりで森に向かいました。
森に近づいていくと、不気味な気配はますます強まります。フルートは進みながら、顔に噴き出す冷たい汗をぬぐいました。押しとどめるような圧力が森から伝わってきます。それはまるで、魔の森が目に見えない巨大な手を伸ばして、フルートを押し返そうとしているようでした。
ところが、急に森の一角から騒ぎが聞こえてました。
ィヒヒヒーン グィヒヒヒヒーン……!
馬のいななきでした。たくさんの馬が狂ったように鳴きわめいています。びっくりしたフルートは、思わず怖さも忘れて駆け出しました。
森のはずれにいたのは六頭の馬でした。木につながれていますが、どの馬も魔の森の気配におびえて、逃げだそうと暴れていました。後足立ちになり、蹄で地面や木を蹴りつけ、泡を吹きながら馬同士でかみつこうとします。
「こ、こら! やめろったら……!」
フルートはあわてて止めようとしましたが、馬たちは興奮していて、危険で近づくこともできませんでした。その中にガキ大将のジャックの馬がいることに、フルートは気がつきました。
「まさか……」
フルートが森の中を見た時、荒野から馬の足音が近づいてきて、少女の声が響きました。
「まあ、フルート! あんた、こんなところでなにしてるのよ!?」
おさげ髪のリサでした。スカートのままで馬にまたがり、片手に鞭を握りしめています。嫌がる馬を鞭で叱りながらここまでやってきたのです。
フルートも目を丸くしました。
「リサこそ。何をしに来たの?」
「チムよ!」
とリサは怒ったように答えると、鞍(くら)から飛び降りて、暴れている馬を眺めました。
「やっぱりここに来たのね。チムったら父さんの馬を勝手に連れ出したのよ。ジャックたちの姿も町に見あたらないし。ぴんときてここに来てみたら、案の定だわ」
話しながらリサは鞭を振り上げ、ぴしりと鋭く鳴らしました。
「どぅーっ! 落ちつきなさい、おまえたち!」
とたんに一頭の馬がぴたりと静かになりました。リサの家の馬でした。つられるように他の馬たちも次々おとなしくなります。リサの家はたくさんの馬がいる大きな牧場で、リサ自身も馬の扱いがとても上手だったのです。
「よしよし、ひどい目に遭ったわね。こんなところに連れてこられて、置いてきぼりにされて」
リサは馬たちの頭を優しく抱きながら話しかけました。馬たちがいっそう落ち着いていきます。
フルートはひとりごとのように言いました。
「ジャックたちは今日、魔の森に行くつもりだったんだな。ぼくたちには、わざと一日遅く行くように言っていたんだ」
どうりで、ずいぶんあっさりと計画を話したはずだ、とジャックの様子を思い出して納得します。
リサは意外そうな顔になりました。
「なによ。フルートはジャックやチムたちと一緒に肝試しに来たわけじゃないの? じゃ、なんでこんなところにいるのよ?」
フルートは答えに詰まりました。お父さんのことを話すのは、相手がリサでも、ためらわれる気がしたのです。
「なによ。なんで黙っているわけ?」
とリサがフルートを問い詰めます。
そのとき、森の中で鳥の鳴き声がしました。
ギギ、ギキキィィィー……!!!
つんざくような声にフルートとリサが思わず飛び上がると、今度は森から悲鳴が上がりました。
「助けてくれぇぇ!!」
叫びながら飛び出してきたのは二人の少年でした。空き地でフルートをからかったジャックの子分たちです。真っ青な顔で馬に走ると、飛び乗って一目散に逃げていきます。そばに立っていたフルートやリサなど見えてもいないようでした。
すると、その後を追って森からジャックと二人の少年が走ってきました。ジャックは猛烈に怒って両腕を振り回しています。
「戻ってこい、腰抜けども! ただの鳥の声じゃねえか! 戻ってきやがれ――!!」
ジャックたちとフルートとリサが鉢合わせしました。
ジャックは目を見張ると、たちまちばつの悪そうな表情になり、すぐにすごむような顔つきに変わりました。
「なんだ、おまえら。俺たちを連れ戻しに来たのか?」
リサは、くすりと笑うと、頭をそらして意地悪くいいました。
「ええ。きっと森の中で怖くて震えてると思ってね。案外近くにいたんじゃないの」
ジャックは地団駄(じだんだ)を踏んでわめきました。
「あんな腰抜けどもは、もう俺の子分でもなんでもねえ! 鳥が一声鳴いただけでおじけづきやがって。あんなヤツらは足手まといなだけだ!」
それから、ジャックはフルートをじろりと見ました。
「ふん、お嬢ちゃんまでこんなところに来たのかよ。小便もらさないうちに、とっとと家に帰れ」
「あら、フルートの方があんたの子分たちよりよっぽど度胸があるかもよ。鳥が鳴いたくらいじゃ逃げ出さなかったものね」
とリサはまた笑い、突然真顔になりました。
「ちょっと……チムはどこよ? あんたたちと一緒じゃなかったの?」
ジャックの後ろにいるのは背の高い二人の少年だけでした。小柄なチムの姿はありません。
ジャックは地面に唾を吐きました。
「あいつは真っ先に臆病風に吹かれて、飛んで逃げやがったよ。今頃は泣きながら家に帰ってるさ」
「馬鹿言わないで! チムが乗ってきた馬はここにいるのよ!」
とリサは言い返しました。リサの家の馬は二頭とも森の端につながれています。
「ぼくは途中でチムに会わなかったよ」
とフルートは言いました。チムを見かけなかったのはリサも同じです。
「チム! どこよ、チム!?」
リサは大声で呼びましたが、弟の返事は聞こえてきませんでした。
リサは青くなりました。
「あの子、魔の森の中で迷子になったんだわ! なんて馬鹿なの!」
「探そう」
即座にそう言って歩き出したのは、他でもないフルートでした。ためらうことなく木々の間をくぐって、森に入っていきます。
リサやジャックたちは一瞬ぽかんとそれを見送り、すぐに我に返りました。
「ちょっとジャック、あのフルートが探しに行くってのに、あんたはこんなところで震えてるわけ? チムはあんたの子分よ。親分なら一緒に探しなさいよ!」
リサにきつい調子で言われて、ジャックは息巻きました。
「当たり前だ! 行くぞ、ペック、ビリー! フルートより先にチムを見つけるぞ!」
それを聞いて二人の子分は顔をしかめました。また魔の森の中に戻るのが嫌だったのです。ジャックににらまれると、肩をすくめて言います。
「チムはチビ助だから、そのへんの葉っぱの陰にでも隠れてるんじゃないのか?」
「フルートなんか気にすることないだろう。すぐに泣いて逃げ出すに決まってるんだ」
けれども、リサがフルートの後を追って森に入っていき、それに追いつき追い越そうとジャックが走っていったので、ペックとビリーもしかたなく森に入っていきました。
森の中は薄暗く、ひんやりと湿った空気がよどんでいます。
子どもたちはあちこちへチムの名を呼びながら、探し始めました。