「やれやれ、天空王様からのおとがめがなくて本当に良かった。ほっとしたよ」
天空王の前からレオンと一緒に退出したビーラーは、城の前庭を歩きながらそんなことを言っていました。心底安心したのでしょう。白い尾をぶるんぶるん振っています。
ところが、レオンは生返事でした。
「うん、そうだな……」
ビーラーは怪訝そうな顔になりました。
「どうしたんだ、レオン? さっきから何をそんなに考えているんだ?」
けれども、レオンが返事をしないうちに、城の一角から鐘の音が響いてきて、わっと賑やかな声が湧き起こりました。城内にある学校が終業時間を迎えて、学校の建物からいっせいに生徒たちが飛び出して来たのです。場所の瞬間移動ができる生徒も多いので、前庭はたちまち元気な子どもたちでいっぱいになります。
その中にはレオンと同じクラスの生徒たちもいました。三、四人の少年が楽しそうにしゃべりながら歩いてきます。
ところが、彼らはレオンとビーラーが行く手に立っているのを見ると、はっと足を止めました。ちょっと見上げるような目つきになると、誰からともなく進行方向を変えてしまいます。レオンを避けたのです。
「なんだ。久しぶりにレオンが戻ってきたのに挨拶もなしか」
とビーラーは不満そうに言いましたが、レオンは黙って学校とは別の方角に向かいました。城内は広かったので、まもなく下校の喧噪は遠ざかってしまいます。
「どこへ行くんだ? 家に帰るんじゃないのか?」
とビーラーがまた尋ねると、レオンは言いました。
「図書館に行くんだよ。調べたいことがあるんだ」
「調べたいこと? いったいなんだい?」
レオンと並んだり後ろに回ったりしながら、ビーラーは尋ね続けます。
すると、レオンは立ち止まりました。短い草が絨毯のように広がる場所だったので、その上に座ってビーラーを抱き寄せます。ビーラーがレオンの顔をなめ返すと、ちょっと笑ってから話しかけます。
「おまえはいつだって変わらないな。ずっとそばにいて、いつも同じようにぼくに話しかけてくれる。でも、学校のみんなはそうじゃないんだ。ぼくが次の天空王の候補だって噂がばっと広がったら、とたんにぼくから離れるようになった。近所の人も、父上や母上でさえそうだ。いやによそよそしくなってしまった」
ビーラーは白い頭をかしげました。
「それはレオンを嫌っているわけじゃない。みんなレオンに一目置いて敬意を払っているんだ」
レオンはうなずきました。
「それはわかってる。昔のぼくだったら、みんなからそんなふうにされて、きっとすごく得意になっただろうと思う。ぼくは誰からも尊敬されたいといつも考えていたからな……。だけど、今はなんだか妙に淋しいんだ。ぼくだって、聞いてほしい話ぐらいあるし、考えたことを伝えたり、それに対して意見してほしかったりするんだから。尊敬がこんなに孤独なものなら、ぼくは尊敬なんてされなくていいような気がするよ」
ビーラーは黒い瞳でじっと見つめていましたが、レオンが口をつぐむと、膝に前脚をかけて伸び上がりました。彼の顔をまたなめて言います。
「ぼくがいるさ、レオン。ぼくはいつだって、いつまでだって、君の友だちだ」
「ありがとう」
とレオンは言って笑顔になりました。愛犬を抱きしめ直して言います。
「数は多くないけれど、君のように態度を変えない人たちもいるんだよな。例えばフルートたちがそうだ。ぼくがまだ生意気だった頃も今も、全然変わらない態度で接してくれる。だから、ぼくは彼らのために役に立ちたいと思ったんだ。友だちの力になりたいって――おかしいだろう? あんなに他人を馬鹿にしていたぼくなのにさ。本気でそんなことを考えてしまうんだよ」
自分を恥ずかしがってそんなことを言うレオンに、ビーラーは体をすりつけました。犬の顔で笑って言います。
「友だちの大切さってのは、誰でも後から覚えていくものさ。そして君はそれを覚えたんだ。よかったな」
レオンはまたビーラーをぎゅっと抱きしめました。白い毛並みの向こうの体温が伝わってきて、レオンの心も温めてくれます――。
すると、ビーラーがまたレオンをのぞき込んで尋ねてきました。
「ところで、あの子はどうなんだい? 海の王女のペルラさ。彼女もレオンの大切な人になってないのかい?」
レオンは驚き、たちまち真っ赤になりました。思わずビーラーを突き放して言い返します。
「ど、どうしてそこで彼女が出てくるんだよ!? 関係ないじゃないか!」
「彼女も全然態度を変えなかったからさ。ぼくが何度も、レオンは天空王候補だと言ったのに。それに、闇大陸での君たちは、最初のうちこそ喧嘩ばかりだったけど、後半はすごくいい雰囲気だったからな。彼女を海に送ったときに、また会う約束はしなかったのかい?」
「だ、だから、なんでそんな約束しなくちゃいけないんだよ!? 彼女はフルートが好きなんだぞ! それに、ぼくだって――」
レオンはうっかり口を滑らせそうになって、あわてて止めました。彼がポポロに片思いしていることは、ビーラーにも内緒にしていたのです。
けれども、ビーラーはあっさり言いました。
「君はポポロが好きだからペルラは関係ないって? そんなことないだろう。だいたい、ポポロはフルートの恋人なんだから、いい加減あきらめたほうがいいぞ」
レオンはまた真っ赤になりました。彼の本音は愛犬にはすっかりばれていたのです。
恥ずかしさに拗ねて黙り込んだ彼に、ビーラーは言い続けました。
「ペルラもいい子だと思うぞ。確かに言うことはきついこともあるけど、素直だし、レオンのいいところをよく知っているしな」
「か、彼女は海の民だぞ! 空と海じゃ住むところが全然違うじゃないか!」
「そんなのは愛があればなんとでもなるさ。今度彼女に会ったら、絶対にアタックしたほうがいい」
「勝手にくっつけようとするなって!」
レオンはとうとう憤慨して立ち上がりました――が、それはうろたえている自分の気持ちを隠すためでした。ペルラの名前を出されるたびに、どうしようもなく心臓の鼓動が早くなって、自分で自分をどうしていいのかわからなくなるのです。ポポロの名前を聞いても、そんなことにはならないのに……。
「と、とにかく、ぼくは図書館に行く。どうしても調べなくちゃいけないことがあるんだ」
とレオンは無理やり話を元に戻しました。懸命に冷静さを取り戻そうとします。
「調べるって何を?」
とビーラーも元の質問に戻ります。
「パルバンに安全に行く方法をだよ。今回は三の風に阻まれて、竜の宝があった場所まで行けなかったが、フルートは絶対にまた行こうとするはずだからな。それまでに、なんとか無事にパルバンを進める方法を探し出すんだ」
「闇大陸に行くとまたこっちの時間がどんどん過ぎるんだぞ。それでもまた行くっていうのか?」
「フルートならきっとそう考えている。彼はそういう奴だからな――。だから、時間をかけずに安全に行く方法を考え出さなくちゃいけないんだ。ここの図書館になら、手がかりがありそうな気がするんだよ」
ビーラーは納得したようにうなずきました。レオンは本当に友だちを大切にするようになったな、と改めて考えていたのかもしれません。レオンの脚を頭でぐいと押すと、いたずらっぽく言います。
「そのときにはまたペルラも仲間に入れてやるんだぞ」
「ビーラー、どうしておまえはそう……!」
せっかく落ち着きを取り戻したレオンの顔が、また真っ赤になります――。
灰色と赤の煉瓦でできた図書館の中で、レオンはあちこちの棚からかき集めてきた本を机にうずたかく積み上げました。
椅子に座りながら、またぶつぶつ言います。
「ビーラーときたら。自分がかわいい雌犬に目がないからって、ぼくまで一緒にするなって言うんだよな……! どうしてぼくがペルラとくっつかなくちゃいけないんだ!」
そのビーラーはもう家に戻っていました。犬は図書館に入れない規則だったのです。レオンが帰るときにまた迎えに来ることになっていました。
レオンは、まったく! と文句を言い続けながら腰を下ろしましたが、少しばかり勢いが良すぎました。はずみで本が机から床に転がり落ちたので、蝶のような羽根と姿の図書館の精霊がすっ飛んできます。
「いやだ、大切に扱ってちょうだい、レオン! あなたが集めてきたのは、とびきり貴重な本ばかりなのよ!」
「わかってる。悪かったよ」
レオンは首をすくめると、謝りながら床へ手を伸ばしました。落ちた本を拾い上げようとします。
とたんに、昨日ペルラを海に送ったときの光景がよみがえってきました。
青い海原の中の小島に彼女を下ろし、じゃあ、と言って別れようとしたとき、彼女はレオンの手を強く引いて言ったのです。
「フルートもあなたも、またパルバンに行くつもりでしょう? そのときには必ずあたしも呼んで。いいわね。必ずよ」
レオンを見上げる瞳は深い海の色でした。奥底に熱い情熱を秘めた青です。
フルートとまた行きたいんだな。レオンはそう言おうとしてやめました。ペルラが素直に認めるはずがないのはわかっていたからです。自分の気持ちを隠すために、きっと悪口などを言ってごまかそうとするでしょう。
彼はなんだか急におもしろくない気分になって、ペルラの手を振り切り、返事もせずに空に戻ってしまいました。ペルラが島からずっと見送っているのはわかっていましたが、とうとう振り向きもしませんでした――。
「ちぇっ」
レオンは舌打ちして、落とした本を拾い上げました。机の上に広げてページをめくります。
「とにかく、パルバンの安全な行き方なんだよ……それを見つけなくちゃいけないんだ」
何かを忘れようとするようにつぶやくと、レオンは本に没頭していきました――。
The End
(2016年4月30日初稿/2020年5月4日最終修正)