跳ね橋の上がった城の中から、突然大きなどよめきが上がりました。驚愕(きょうがく)の声です。
続いてそれが悲鳴に変わったので、外堀の前にいるカイルの戦士たちは不思議に思いました。城の中で何かが起きているようです。女だけでなく、男の叫び声も聞こえてきます。
すると、城を囲む石垣の上に一人の男が立ちました。まだ燃え続けている城の火に、身につけた防具が紫色に輝きます。
「セイロス!」
とギーは歓声を上げました。死んだと思っていた友人が生きていたので、心底ほっとしますが、セイロスが左手にさげているものに気づいて仰天しました。それは人間の頭でした。体から切り離された首からは、まだ血がしたたっています。
「あれは……!?」
ざわめくカイルの戦士たちへ、セイロスは手のものを高々とかかげて見せました。
「そうだ、バオルの族長の首だ! この城に王はもういないぞ――!」
しん、と一瞬の静寂の後、カイル族の中から割れるような歓声が沸き起こりました。誰もが武器や腕を振り上げ、大声で勝ち鬨(どき)を上げます。
「俺たちの勝利だ!!」
「これで丘は俺たちのものだぞ!!」
「セイロス! セイロス!!」
「カイル族ばんざい!!」
口々に叫んで大喜びをします。
最前線に出てきたカイル族の族長も、バオル族の族長の首を見極めて言いました。
「良くやった、神官殿! これでもうバオルの連中は我々に抵抗できなくなった! 橋を下ろせ。我々も城に入る!」
ところが、セイロスは言いました。
「この城を住人ごと焼き払う! 城に火をかけるんだ!」
これにはさすがのカイル族の戦士たちも驚きました。族長が眉をひそめて言い返します。
「バオルの族長は死んだ! 族長の跡継ぎはまだ幼いから、バオルはもう抵抗できない! これ以上の戦いは無用だぞ!」
いいや、とセイロスは答えました。
「バオルの人間は根絶やしにしなくてはいけない! 今後、島の誰もがカイル族に敵対する気持ちを持たないように、カイル族に逆らえばどうなるか、徹底的に示してみせるんだ!」
族長はますます顔をしかめました。彼らは好戦的な種族ですが、それでも引き時はわきまえていて、降伏してきた敵はむやみに殺さない、という暗黙の取り決めがあったのです。
すると、族長の隣でギーが声を張り上げました。
「セイロス! 城に火をかけたら、おまえまで巻き込まれるじゃないか! 早く脱出してこい!」
城のある丘からはたくさんの悲鳴と嘆きの声が聞こえ続けていました。セイロスは一人で石垣の上に無造作に立っているのですが、そこへ切りかかっていくような敵もありません。確かに、バオル族たちは彼らの族長を殺されて戦意喪失してしまったのです。
けれども、セイロスは言い張りました。
「火をかけろ! 村も砦も、禍根(かこん)と共にすべて焼き払うんだ!」
「それは必要のないことだ! 早く橋を下ろせ!」
と族長も譲りません。
すると、セイロスはバオルの族長の首を下ろしてつぶやきました。
「まったく――この臆病者どもめ」
堀を挟んだ場所にいるカイル族に、つぶやきは聞こえません。
とたんに、城内で激しい爆発が起きました。いきなり丘の頂上の砦が吹き飛んで燃え出したのです。巨大な炎が立ち上って、黒煙と火の粉を空に吹き上げます。
な、なんだ……!? とカイル族の戦士たちが驚いていると、今度はもっと手前の、石垣のすぐ向こうでも次々に爆発が起きて、火の手が上がりました。先の火矢の火事よりはるかに大きな炎が上がって、たちまち丘全体が火に包まれます。
「ど、どういうことだ!? 誰が火をかけた!?」
とカイル族の族長はどなりましたが、返事はありませんでした。先ほどまで隣の丘から火矢を撃っていた戦士たちも、今は城の前に集まってきています。誰も城へ火矢を撃つことはできなかったのです。セイロスでさえ、まだ彼らから見える石垣に立っているのですから、彼のしわざでもないはずでした。燃えさかる炎に背後から照らされて、セイロスの姿が黒い影絵のように浮かび上がっています。
すると、その石垣に、城壁の内側から大勢の人がよじ登ってきました。バオル族の人々ですが、皆、体を炎に包まれて泣きわめいていました。火を消そうと我先に堀に飛び込み、そのまま激流に呑まれていきます。
それを見て、カイル族の族長はまた愕然としました。
「このためだったのか、神官!? 連中を一人も逃がさないために、堀をシャー川につなげたと言うのか……!?」
丘から聞こえてくるのは炎が燃えさかる音と建物が焼け落ちる音、そして、燃えながら死んでいく人々のたくさんの悲鳴でした。上がった跳ね橋の内側に大勢が体当たりする音も聞こえていましたが、跳ね橋は巨大な扉のようにそそり立ったまま、決して下りることはありませんでした。やがて、体当たりの音が弱まって聞こえなくなっていきます――。
すると、彼らのすぐ近くから声がしました。
「何をぼんやりしている、カイルの戦士たち! 川に飛び込んだ連中の中に、岸に流れ着く者が出ているぞ! 見つけ出して、一人残らず殺せ!」
それはセイロスでした。つい先ほどまで堀の向こうの石垣に立っていたはずなのに、いつの間にかこちら側に来ていたので、誰もが驚きます。
「女子どもも一人残らず殺すというのか? 敵の捕虜は奴隷(どれい)にするのが、わしたちの習わしだぞ」
とカイル族の族長は言いました。セイロスを批難したつもりでしたが、その声は震えていました。
セイロスは冷静に答えました。
「女子どもまで一人残らずだ。生き残った者はカイルに恨みを持って生き続ける。女ならば油断を誘われたところで寝首をかかれるし、子どもならば成長した暁にカイルを打倒するようになる。将来までカイル族の繁栄を望むなら、敵に中途半端な情けはかけるな!」
一瞬、セイロスの目がぎらりと赤く光ったように見えて、カイル族の族長は息を呑みました。これ以上この男に逆らえば、自分までが敵の族長のように殺される、と突然悟ってしまいます。
「ほ――堀を見て回れ! 生きて流れ着いているバオルがいたら、息の根を絶つんだ!」
と族長はあわてて命じました。カイル族の戦士たちは、それでも少しためらっていましたが、族長からもう一度命じられて、堀の下流へと駆け出しました。やがて、堀の岸辺から新しい悲鳴が上がり始めます。バオルの残党狩りが始まったのです――。
そんな光景を、ランジュールは空中に仰向けになり、腕と足を組んでふわふわと漂いながら、見下ろしていました。
「やぁれやれ。ほんっとに徹底してるねぇ、セイロスくんは。敵にこれっぽっちも情けをかけないんだからさぁ。さっすが中身はデビルドラゴン」
そう言って、うんうん、と感心したようにうなずき、ちょっと考えてから、興味深そうに続けます。
「初代の勇者くんはあの通りだろぉ? で、今の勇者くんは優しすぎて、敵を殺すこともできない坊や。普通に考えたら、どっちが勝つかなんてわかりきってるんだけどさぁ。今の勇者くんには、ものすごい仲間たちがいるんだよねぇ。しかも、勇者くんはあんまり優しすぎるせいで、時々とんでもなく強くなるしさぁ。この勝負、どっちに軍配が上がるかは、ぶつからせてみないとわからないよねぇ。うふふふ、最後に勝つのはどっちの勇者なんだろぉ? 結果を見るのが楽しみだなぁ。うふ、うふふふ……」
ランジュールは一人上空で笑っていました。地上では城が燃え、阿鼻叫喚(あびきょうかん)が続いていますが、そんなことはおかまいなしです。
どこかで、空を焦がす火事を朝焼けと間違えたニワトリが、咽を振り絞って刻(とき)を告げていました――。
The End
(2013年8月26日初稿/2020年4月14日最終修正)