ロムド国の王都ディーラにそびえるロムド城。
その王の執務室に数人の男たちがいました。ロムド王、リーンズ宰相、ゴーリス、ワルラ将軍……ロムド国の最重要人物たちです。
銀の髪とひげのロムド王は、机に向かって山のような書状に目を通していました。リーンズ宰相が静かな声で書状の説明をすると、王がかたわらにゴーリスを呼んで意見を聞きます。黒ずくめの服に大剣を下げたゴーリスは、大貴族なのに剣士と呼ぶほうがふさわしく見えます。ワルラ将軍は太い腕を組んで、壁に掛かった国の地図を眺めていました。老将軍は執務室でも濃紺の鎧姿です。
執務室の中には、もう一人の人物がいました。輝くような長い銀髪に灰色の長衣の痩せた青年です。非常に整ったその顔は肌が浅黒く、右目が青、左目が金の色違いをしています。中央大陸随一と名高い占い師のユギルでした。部屋の隅の椅子に座り、黙ってテーブルの上の占盤を眺めています。
すると、ユギルが急に顔を上げました。部屋の人々に向かって言います。
「到着されました。間もなくこちらへおいでになられます」
美しい占者の青年は、ことばづかいも丁寧すぎるくらい丁寧です。おお、と一同はいっせいに部屋の入り口を見ました。期待する顔で待ちかまえます。
ほどなく、外の通路から言い合う声が聞こえてきました。
「今すぐは無理だ! 私たちは城に着いたばかりなのに!」
「かまわん。早く父上たちに挨拶せねば」
「駄目だ、私はこの格好だぞ!? こんな姿で国王の前に出られるわけがない!」
「だから、かまわんと言っている。誰も気にしたりはせん」
「そんな馬鹿な!!」
まるで男二人が話しているようですが、片方は間違いなく若い女性の声です。会話から察するに、もう一人の声の主が無理やり彼女を王の執務室へ引っ張ってきているようです。
ロムド王は思わず苦笑しながら合図を送りました。それを受けてゴーリスが扉を開けると、そばまで来ていた男女が驚いて立ち止まりました。いぶし銀の鎧を着た大柄な青年と、長い金髪の背の高い女性です。女性は髪を後ろでひとつに束ね、白いシャツに茶色の上着とズボンを身につけて、若草色のマントをはおっていました。とても美しいのですが、男の格好です。腰には細身の剣まで下げています。
ロムド王が言いました。
「到着を待ちかねておったぞ。二人とも中に入りなさい」
年をとっても王の声は若々しく、あたりによく響きます。たちまち女性が真っ赤になって後ずさりました。
「わ、私は――こんな格好で陛下の前に出るような不作法をするわけには――」
「かまわんと何度言ったらわかるのだ、セシル。いいから来い」
大柄な青年は強引に女性の手を引いて執務室に入っていきました。その後ろでゴーリスがすぐに扉を閉めます。逃げることができなくなって、女性は立ちすくみました。赤くなったり青くなったり、めまぐるしく顔色を変えながら、部屋の中の人々を見回します。
そんな彼女へ王は穏やかに話しかけました。
「よくおいでになった、エミリア姫。メイからここまでは遠い。長旅で、さぞお疲れになったことだろう」
女性は面食らいました。ロムド王は男の格好をしている彼女を奇異の目で見なかったのです。王だけではありません。部屋に居合わせている全員が、平然と彼女を眺めています。濃紺の鎧を着た老軍人に至っては、これは実に美しい方だ、としきりに感心していました。
青年がロムド王に向かってお辞儀をしました。
「ただいま帰還いたしました、父上。お許しを得ないまま長らく城を留守にして、まことに申し訳ありませんでした」
青年はロムドの皇太子のオリバンでした。北の峰から移住するドワーフたちの警備役として、ロムド南西部にあるジタン山脈へ行き、その後、城には戻らずに、金の石の勇者たちと隣国メイへ向かってしまったのです。オリバンがロムド城を出発してから、かれこれもう三ヶ月が過ぎていました。
王はまた苦笑しました。
「まったくだ。エミリア姫と出会わなければ、今でもまだ城には戻らぬつもりでいたのだろう。まこと困った皇太子だ」
と、しかつめらしく説教しますが、すぐに面白がるような口調に変わります。
「で、どうであった? ユギルが占ってメイに送った縁談の書状だ。さぞ役に立ったであろうな?」
「それはもう」
とオリバンは答え、照れたように顔を赤らめました。そのかたわらで女性も真っ赤になりましたが、すぐに王に向かってお辞儀をしました。
「初めてお目にかかります。亡きメイ国王の娘で、エミリア・セシル・ガダ・ルフィニと申します。賢王と名高いロムド国王陛下に拝謁することができて、まことに光栄に思っております」
今までとまどっていたのが嘘のように流暢な挨拶でしたが、彼女がロムド王にしてみせたのは、拳に握った右手を胸に当てる男のお辞儀でした。そのまま王へ深々と頭を下げます。男装をしている彼女は、ドレスの裾を広げる女性のお辞儀ができなかったのです。
「おお、これはまことに凛々(りり)しい」
と王は笑顔で言いました。やはり、男のようにふるまう王女に少しも動じることがありません。同室の重臣たちも同様です。また王女がとまどった表情に戻ります。
すると、部屋の隅から銀髪の青年が言いました。
「ご心配には及びません、王女様。この城の者たちは男装の麗人を見慣れておりますので」
メイの王女はさらに目を丸くして青年を見ました。表情豊かな女性です。何も言わなくても、その考えていることがわかります。オリバンが苦笑いして言いました。
「いいや、セシル。彼はロムドの一番占者のユギル。美しくても、れっきとした男だ」
銀髪の青年は黙って一礼しました。女と疑われても落ち着き払っていて、なんだかすましているようにさえ見えます。
王女はたちまちまた真っ赤になって弁解しました。
「も、もちろんそうだろうとは思っていた――。だが、フルートのような例もあるし、ひょっとしたら、と思ったのだ」
「ほう、あいつはまた女になったのか。声変わりをしても、まだ大丈夫だったのか」
とゴーリスが口をはさんできました。貴族らしくないざっくばらんな口調に、王女がまた驚きます。
「彼はゴーラントス卿。フルートたちはゴーリスと呼んでいる。フルートを勇者に育てあげた剣の師匠だ」
とオリバンに教えられて、あなたが、と王女は驚きました。
「フルートはあなたからもらった剣をとても大切にしていた。炎の魔剣と同じくらいに。彼の心の拠り所になっているようだった」
ゴーリスは微笑しました。ひげにおおわれた無愛想な顔がほころんで、暖かい表情に変わります。
「それならばよかった……。頼りのひとつもよこさない薄情な弟子だ。こちらがどれほど心配していても、そんなことは想像もせん。だが、元気でいたなら、それでいい」
なんだかフルートの父親ででもあるようなことばです。そして、王の執務室にいるというのに、本当に庶民のような口調で話しています。
リーンズ宰相、ワルラ将軍、と重臣たちが次々王女に挨拶した後で、ロムド王がまた言いました。
「ロムドはあなたを心から歓迎している、エミリア姫。なりは大きくとも、なかなか女人に関心を示さなかった息子に結婚を決意させたのだから、あなたは実に大した女性だ。ユギルから、あなたとオリバンとの縁組みがうまくいくと聞かされて、我々は皆、本当に喜んだのだ」
すると、その占者がまた口を開きました。
「わたくしが最初に王女様の象徴を拝見したとき、王女様は白く猛々しいユニコーンの姿をなさっていました。殿下や勇者殿たちの敵となるのかとも思われましたが、その未来を見ていくうちに、ユニコーンは離れ、王女様は本来の象徴に変わられたのです……。王女様の象徴は、白い幹に金色の葉の美しい樹です。メイからこのロムドへ移り、ロムドを守るように枝葉を広げていく姿がはっきりと見えました。王女様はきっとロムドにとって大切な存在になっていかれます」
姿は若いのにひどく年老いて聞こえる声に、王女は何も言えなくなりました。青と金の瞳に何もかも見透かされているような、落ち着かない気持ちになります。
すると、青年は色違いの瞳を細めました。厳かさが溶けるように消えて、美しい微笑が広がります。
「王女様の象徴の樹の下では、青き獅子も疲れた心と体を横たえてまどろみます。青き獅子は皇太子殿下の象徴。王女様は殿下の心の癒しと支えになられることでしょう」
「それはまったくその通りだ」
とオリバンが即座に答えました。のろけているようにも聞こえますが、当人はいたって大真面目です。王女のほうがまた真っ赤になります。そんな様子に、王や重臣たちはいっせいに笑いました――。
やがて笑いが収まると、ロムド王がまた言いました。
「姫にはロムド城の男装の麗人を紹介せねばならんな。もうこの部屋に来ているのだ」
すると、その声に誘われたように、部屋の片隅に一人の人物が姿を現しました。ほっそりした長身の女性で、白い長衣を着込み、手には杖を握っています。首から下げているのは、光の神の象徴です。
「彼女は白の魔法使い。ロムド城を守る四大魔法使いの長で、ユリスナイに仕える神官だ。女性だが、ロムドで彼女に勝る強力な魔法使いは他にはおらぬ」
とロムド王から紹介されて、女性は頭を下げました。その長い髪は王女と同じ金色ですが、王女よりずっと淡い色合いをしていました。それを束ねる金の髪飾りの上で、赤い石が光ります。
「おそれいります、陛下。ですが、男装の麗人、というのは過分なおことば。拝見するに、王女様は本当に美しい方であられる。私などと並べられては、それこそ失礼になりましょう」
着ている服も男のものならば、話す口調も男性のようです。しかも、メイの王女よりもっと強いものを秘めていて、王に対してもはっきりとものを言います。顔立ちも、決して不美人というわけではありませんが、厳しさのほうが表に出てしまっています。
白の魔法使いは改めて王女に言いました。
「ロムド城での王女様の警護を、私が務めさせていただきます。どうかお見知りおきください」
そう言って彼女がして見せたのは、片手を胸に当てて頭を下げる、男性のお辞儀でした。王女に負けないほど板についていて、不自然さがありません。
王女は呆気にとられ、やがて、額に手を当てて笑い出しました。どうした? とのぞき込んだオリバンへ答えます。
「なるほどな。あなたたちがメイで私を少しもおかしな目で見なかったわけだ……。なんと公平ですばらしい城なのだろう」
素直な王女の賞賛に、ロムド王が笑顔になりました。
「ロムド城を気に入っていただけたのならなによりだ、エミリア姫。結婚式はまだ先のことになるが、我が新しい娘として、この城を自分の家と思ってもらえれば嬉しい」
「陛下の家族にかぞえていただけて、私のほうこそ本当に幸せに思います。どうか、私のことはセシルとお呼びください。男の名ですが、これが私の本当の名前です」
そう言って王女がして見せたのは、やはりメイ式の男性のお辞儀でした。颯爽とした姿には清々しささえ漂います。
大きくうなずく人々の中で、ロムド王が言いました。
「我がロムド国へようこそ、セシル姫。この国が、あなたのもう一つの故郷となるように」
セシルはいっそう深くお辞儀をして、そのまま顔を上げなくなりました。オリバンがそっと背中に手をかけると、急にその胸に飛び込んで、顔を埋めてしまいます。
故国メイで長い間虐げられてきた王女は、ロムド城の人々の暖かさに感激して、ついに泣き出してしまったのでした――。