「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

外伝11「森の奥に住むものは」

前のページ

1.村

 曲がりくねった古い街道を、一人の男が進んでいました。痩せた体をフード付きの灰色のマントですっぽり包み、杖をつきながら足早に歩いていきます。街道脇の草原では、赤や黄に変わった草の葉が日差しに照らされ、海のように波打っています。風は強いのですが、暖かな秋の午後です。

 やがて街道の先に家々の屋根を見つけて、男は足を止めました。フードを脱いで顔をほころばせます。

「やれやれ、やっと着いたぞ……。本当に久しぶりだな」

 男はまだ六十前でしたが、その姿はもっとずっと老けて見えました。髪は雪のように白く、顔には深いしわが刻まれています。それでも、全身には力があふれ、行く手を眺める目は喜びに輝いていました。

「ずいぶん長いこと留守にしてしまったからな。十年ぶりになるか。いろいろ変わっているんだろうな」

 街道の先にあるのは男が生まれ育った村でした。クアローの国の片田舎にある、本当にちっぽけな村ですが、川で水車が回り、畑で小麦がたわわに実る豊かな土地です。川辺に生えるポプラが金の梢をきらきら風に揺らしているのが、ここからでも見えます。それは十年前と変わりのない風景でした。

 男はまた歩き出しました。自然と足が速まります。歩きながら思い出していたのは、十年前、彼がこの村を出た日のことでした。

 

 

「お父さん、やっぱり行くのね?」

 と彼の娘は言いました。十一歳になったばかりなのに、妙に大人びた子でした。その時の口調も、とがめたり引き止めたりするような調子ではありませんでした。

 彼は娘に笑って見せました。胸の中ではさまざまな想いが複雑に絡み合っていて、それをなんと言って説明したらいいのかわかりません。だから、ただこう答えました。

「父さんは行かなくちゃならないんだよ。どうしてもな」

 彼の娘は首をかしげました。行かなくちゃいけない、と言っても、それが義務でもなんでもないことを、ちゃんと見抜いていたのです。すみれ色の瞳で父親をじっと見上げ、それから後ろの自分たちの家を振り返って言います。

「お母さんは見送りに出られないって……。泣いてるから」

 男は何も言えなくなりました。奇妙な修業に明け暮れる彼に、ずっとついてきてくれた妻です。彼が少しも仕事をしないので、夫に代わって働いて家計を支えてくれました。その妻が泣いていると聞かされて、わかっていたことなのに、ひどく後ろめたい気持ちになります。

 けれども、やっぱり彼は旅立ちたかったのです。たくさんのものが自分を引き止めるのはわかっていましたが、それでも行きたくてしかたがなかったのです。

 

 男は言いました。

「父さんはね、ここではもう上達できないんだよ。どうしても師匠(せんせい)を見つけて、もっと修業しなくちゃならないのさ。自分だけではもう限界なんだ」

 娘はまた父親を見つめました。今度は首をかしげませんでしたが、男はやっぱり後ろめたい気持ちになりました。

 今のままでも、村では充分事足りていたのです。家畜が病気になったとき、誰かが足の骨を折ったとき、どうしても抜けない木の根が新しい畑にあったとき、村人は彼のところへやって来ます。男が手をかざせば、家畜や人は元気になり、木の根は自分から抜けて転がりました。村人は謝礼に麦やら野菜やらを彼の家に運んできます。そんなふうに、彼は村の魔法使いとして重宝がられていたのです。

 男は言い続けました。

「父さんはね、もっと強力な魔法が使えるようになりたいんだよ。父さんの力は、こんなものじゃないんだ。修業をすればもっともっと伸びると自分でわかるんだよ。でも、ここではそれができない。だから、自分が強くなれる場所を見つけに行きたいんだ……。父さんは、もっと大きな魔法使いになりたいんだよ」

 いつか男は瞳を強く輝かせていました。これから世界に出て行こうとする若者のような目です。まだ幼い娘に向かって、本気で語っていました。

 

 すると、娘がにっこりしました。彼によく似た顔で笑って言います。

「うん、あたしもお父さんが強くなるのは嬉しいな。魔法を使ってるときのお父さんって、すごくかっこいいんだもの……。どのくらいかかるの? 強くなって帰ってこられるまでに」

「わからないな」

 と男は苦笑いで頭を振りました。彼があてにしているのは、若い頃に聞いた修業の塔の噂です。いにしえの住人であるエルフたちが、自分の魔力を高める修業を行っているという話でした。修業の塔がどこにあるのかさえわからないのに、彼はそれを探して旅立とうとしているのです。

 あてのない旅。見通すことができない未来。それでも、彼は胸にあふれるものを抑えることができません。自分はもっと強くなりたい。もっともっと前へ進みたい――。貪欲なほどに熱く想います。愛しい妻や子どもでさえ、それを引き止めることはできませんでした。

「お土産は何がいい?」

 と男は娘に聞きました。家族を置いていく罪悪感を、そんなことばで和らげようとしたのです。娘はちょっと考え込んで答えました。

「じゃあね、髪飾りがいいな。リンジーが叔父さんのお土産にもらったみたいな、赤い石がついた綺麗なやつ」

 と後ろで一つに束ねた髪を片手で引き寄せて見せます。豊かな茶色の髪ですが、髪飾りはつけていません。そんな贅沢品は、この小さな村の中では手に入らないのです。

 そうか、と男は言いました。

「髪飾りだな、わかった。必ず買って帰ってくるから。……母さんを頼むぞ」

「お父さんも元気でね。風邪をひかないでね」

「なぁに、父さんは魔法使いだ。病気なんか自分で治してしまうよ」

 男は娘を抱きしめました。背が伸び始めたほっそりした体の感触は、彼の腕の中にいつまでも残りました――。

 

 

 男は思い出の場面にいつの間にかほほえんでいました。少し悲しい微笑です。あれから十年。本当に、こんなに長い時間がかかるとは思わなかったのです。

 約束の髪飾りは服の内ポケットに入っていました。小さいけれども本物のルビーがついた、純金製の高級品です。娘だけでは不公平になるので、ちゃんと妻の分も買ってあります。こちらには妻の瞳の色と同じ青いサファイヤがついています。

 結局、修業の塔を見つけるまでに五年もの歳月がかかってしまったのです。東方のユラサイの国に、まったく人目につかずに存在していました。エルフの隠れ里だったのです。

 古い古い里でした。修業の塔も古びて、崩壊寸前になっていました。エルフたちはもうその里を去り、老婆が塔の番人として残っているだけでした。

 けれども、いにしえのエルフが塔に残した魔法はまだ生きていました。塔を訪れた者に修業を与える魔法です。それは想像を絶する厳しい修行で、さすがの彼も途中で何度も逃げ出そうかと考えました。それでもついに修業をやりとげたとき、男の髪はすっかり白くなり、その姿も目つきも、相手がたじろぐほど厳しいものに変わってしまっていました。

 修業を終えても、彼はすぐには村に戻りませんでした。魔力は以前とは比べものにならないほど強力になったのですが、彼は一文無しだったのです。そのままクアローの王都を目ざし、自分の雇い主を捜しました。

 さまざまなことがありましたが、最終的に彼はクアローの国王の目に止まり、国王軍の魔法使いとして雇われることが決まりました。魔法使いとしては最高の出世です。家族を王都へ呼び寄せてよい、と言われ、支度金ももらいました。彼はその金で約束の品を買い、こうして村まで家族を迎えに来たのでした。

 

 村が近づいてくるに従って、男の胸は次第に早鳴ってきました。嬉しさが半分、不安が半分です。あれから本当に十年が過ぎました。家族はまだ彼を待ってくれているのでしょうか。

 数えてみれば、娘はもう二十一歳。すっかり大人になって、嫁いでいてもおかしくない年頃です。出稼ぎに出た者が村に戻らないことはよくあるので、五年たっても夫が家に戻らなければ、その妻は再婚してもよい、という不文律もありました。彼の妻も、いつまでも戻らない夫に愛想を尽かし、死んだものと考えて再婚してしまったかもしれません。

 ただ、彼は期待していました。妻の性格はよく知っているつもりです。家と娘を守りながら、今もまだ彼を待ってくれているような気がしてなりませんでした。

 村の上に高く茂るポプラが、風に金色の葉を揺らしています。葉ずれのざわめきが道を急ぐ男の耳に聞こえ始めます。

 懐かしい音だ、と男は考えました。生まれたときからずっと、彼が聞き続けてきた音です。川辺で回る水車と一緒に、やむことのない歌を続けます――。

 

 けれども、男はふと気がつきました。村は近づいてきたのに、水車の音が聞こえてこないのです。ポプラが葉を落とす冬にも、水車だけは決して歌いやめないのに。

 男はあたりの景色にも奇妙な違和感を覚えていました。もう村は間近です。村の草刈り場や畑が見えてきても良いはずなのに、草原がとぎれないのです。街道は背の高い草の海の中に曲がりくねっていて、いつまでたっても村が見えてきません……。

 違和感は村への最後の分かれ道まできたところで決定的になりました。街道は大きく右へ曲がって次の村へと続いていますが、彼の村へ続く左の道は、両側からおおいかぶさる草に埋もれていたのです。誰かがそこを通って村へ向かった痕もありません。分かれ道のすぐ先に、村の入り口を示す木の門がありましたが、それも根元が腐って倒れかかっていました。

「なんだ――これは!?」

 と男は思わず叫び、それ以上ことばが続かなくなりました。村に何事かあったのです。息も止まりそうな恐怖がいきなり彼を襲います。

 男は手にしていた杖で強く地面を突きました。村人たちを驚かせてはいけない、とずっとここまで自分の足で歩いてきたのですが、もうそんなことはかまわず、魔法の力で一気に村の中へと飛び込んでいきます。

 

 街道ほどではありませんが、村も荒れ果てていました。家々はまだしっかり建っていますが、人の姿がどこにもありません。川にかかった橋は半ば崩れ、水車はすっかり壊れて流れに沈んでいました。

 男はうろたえました。おおい、と声を上げて呼んでも、どこからも返事は聞こえてきません。自分の家へ行っても、やはり誰もいません。妻も娘も――。家の中はがらんとしていて、家具や荷物は全部どこかに持ち出されてしまっていました。

 いったい何があったんだ!? と男は驚いて村を見回し続けました。男の疑問に答えてくれる者はありません。誰もいなくなった庭先で、伸びすぎた垣根と雑草だけがいやに生き生きと茂っています。

 男はかなり長い間、茫然としていましたが、ようやく思いついて、隣村へと飛びました。街道は隣村へ続いていたので、そちらには人がいるのだろう、と見当をつけたのです。

 案の定、隣村は以前と同じようにそこにありました。最初に出会った若者を捕まえて、男は尋ねました。

「隣の村は――シャンの村はどうしたんだ!? 村の者たちはどこへ行ったんだ!?」

 目つきの鋭い老人にいきなりどなられて、若者はびっくりしましたが、すぐに気の毒そうな顔に変わりました。

「シャン村に知り合いがいたのかい、じいさん? あの村は四年前に黒死病に襲われたんだ。魔法医がいなかったから、かなりの村人が死んでしまってね、生き残った奴も村を捨てちまったから、もう誰も残っていないんだよ」

 男は立ちすくみました。黒死病。しばしば大流行しては、大勢の人々を死に追いやる恐ろしい病気です。村一つ、町一つが全滅してしまうことも珍しくありません。男は真っ青になって若者に尋ね続けました。

「それで――生き残った村人は!? どこへ行ったんだ!?」

「さあ。みんなそれぞれ、つてを頼っていったみたいだけどね」

 

 亡くなった者はみんな村はずれの墓地に埋葬された、と聞かされて、男はまた魔法で自分の村へ引き返しました。今度は村はずれの墓地へ飛びます。

 そこも伸びた草におおわれて、どこから墓地が始まっているのかわからない有り様でした。古びた石の墓碑もありますが、大半はまださほど年月を過ぎていない木の墓標です。その多さに、男はまた震え上がりました。ざっと数えただけでも、村人の三分の二以上にあたる数があったのです。

 男は濃い眉の下から鋭いまなざしを墓地に向けました。風雨にさらされた木の墓の一つ一つに、馴染みの村人の顔が浮かんできます。修業の塔で彼が手に入れた魔法の目は、物事の真の姿を見抜きます。その下に眠っている人物を教えてくれるのでした。

 そして――男は草の特に深い場所に、探し求めるものを見つけてしまいました。寄り添うように並ぶ二つの墓に、片時も忘れなかった妻と娘の顔を見たのです。

 娘は別れたときよりも大人びて、すっかり娘らしくなっていました。四年前といえばもう十七です。恋に遊びに友だちとのおしゃべりに、人生を一番楽しむ時期だったはずです。その輝かしい時間を、病が突然断ち切ったのです。

 黒死病ならば、村にいた頃から彼にも治すことができました。彼がいれば、村人たちも、妻も娘も、みんな助かったことでしょう。けれども、そのとき彼は遠い場所にいました。魔法の修業に明け暮れて、ただ自分が強くなることだけに夢中になっていたのです。

 墓に浮かぶ娘の顔は淋しそうにほほえんでいました。口を開いて何かを語ることはありません。「お帰りなさい」も、遅すぎた父親への恨み言も、何も――。

 男は二つの墓の前に膝をつき、声を上げて泣き出しました。慟哭(どうこく)が空に響きますが、それを聞く者はありません。墓地を埋め尽くす草の海が、ただ風にざわめくだけでした。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク