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外伝10「ユリスナイ」

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12.時間

 石造りの部屋の中で、大勢の大人たちがリグトを取り囲んでいました。全員が黒い星空の衣を着ていて、わっと声を上げます。歓声です。

「良かった、帰ってきましたぞ!」

「無事だったな。なによりだ」

 それは天空の国の塔長や導師たちでした。リグトは自分の時代、自分の世界に戻ってきたのでした。

 リグトは驚いてあたりを見回しました。修業の塔の一室、自分を囲んでいる人々。自分が魔法の暴走に巻き込まれて飛ばされる前と、あまり変わりがないような気がします。向こうの世界でリグトは二年半の時間を過ごしてきましたが、ここではそれほど時間は過ぎていなかったのです。

 そんな大人たちの後ろから、突然少年の声が上がりました。シューバです。見えない魔法の戒めに捕らえられた格好で座り込み、わめきちらします。

「リグト! 死に損ない! よくも戻ってきたな! そのまま行きっぱなしになってれば良かったんだ――!」

 これ! と導師の一人がたしなめ、シューバはたちまち口がきけなくなりました。恨みを込めた目でリグトをにらみつけてきます。

 

 塔長がリグトの前に立ちました。

「塔の中でとてつもない魔力が動いたのを感じたので、あわてて戻ってきたら、そなたはどこか別の場所に飛ばされた後だった。追うこともできないほど遠くだったので案じていた。まことに、無事で良かった」

 リグトは思わず目を伏せました。何をどう言っていいのかわからなかったのです。リグトが向こうの世界で経験してきたことは、あまりに信じがたいような出来事でした。無事で良かった、と軽々しく喜ぶことさえできないくらい――。

 すると、導師の一人が言いました。

「しかし、その姿はどうしたことだろうな?」

 姿? とリグトは自分自身を見回しました。とたんに、目の端をきらりと輝きが横切ります。それは自分の髪の毛でした。肩を越して背中の真ん中まで伸びたリグトの髪は、黒から、輝くような白銀に変わっていたのです。まるで、光そのもののような色合いです。

「強い光に焼かれた痕があるな。光源のようなものに近づいたのかね、リグト?」

 と塔長が尋ねました。リグトはやっぱり何も言えませんでした。ただ、きらめく世界の中で、最後にユリスナイが髪を撫でてくれたときの、優しい手の感触を思い出します――。

 

 そこへ、塔の外から別の大人が飛び込んできました。あわただしく塔長たちに何かを伝えます。塔長や導師たちはいっせいに顔色を変え、少しの間、話し合ってから、おもむろにリグトへ向き直りました。少年のリグトへうやうやしいほどに頭を下げて、こう言います。

「たった今、天空王様が亡くなられました。これからはあなたが新しい天空王です、リグト様」

 リグトは目を見張りました。天空王? 自分が? 信じられない想いに、ただただ混乱します。

 すると、床の上に座り込んだシューバが、また大声を上げ始めました。魔法でことばを封じ込められているので、まるで熊か牛のようにうなります。新しい天空王になったリグトを憎み、妬んでいることが、表情からはっきりと伝わってきます。

 そんな少年を見て、塔長がリグトに言いました。

「先の天空王がいなくなられたので、彼の処罰はあなたに委ねられました。彼は優秀なあなたの存在に嫉妬して、あなたを魔法の暴走に巻き込んで殺そうとした。どうぞ正義に基づく処分を、天空王様」

 リグトは立ちすくみました。青い顔でまだリグトをにらみ続けるシューバを見つめます。恐怖、怒り、悔しさ――そんなシューバの感情がリグトの胸にも伝わってきます。自分自身ではどうすることもできない、妬む心の苦しさも――。

 リグトは痛みをこらえるように目を細めました。シューバに近づいていくと、そっと手を伸ばします。

「そんなに苦しむことはないよ」

 とリグトは言いました。

「苦しみを忘れさせてあげる。それが、君への罰だ――」

 リグトの手が触れたとたん、シューバの顔つきが変わりました。怒りの表情が解けて消えたようになくなり、素直な少年の顔になってしまいます。きょとんと見上げてきた彼へ、リグトは話しかけました。

「ぼくが誰かわかる?」

 シューバは首をかしげました。光そのもののようなリグトの髪をまぶしそうに見上げます。

「先輩ですか……学校の? お見かけしたことはなかったですけど」

 リグトは思わず苦笑しました。リグトは向こうの世界で二年半の時間を過ごしてきました。その間に、彼は先輩だったシューバの年齢を追い越してしまっていたのです。

 ほう、という顔をしていた塔長が、穏やかに話しかけてきました。

「シューバ、こちらにおられるのは、新しい天空王だ。これから天空の国を導いていく、正義の王であられる」

 とたんにシューバは驚き、次に顔を輝かせました。

「お――お目にかかれて光栄です、天空王様! あ、ありがとうございます!」

 リグトを妬んでいたことも、リグトを陥れたことも、何一つシューバは覚えていませんでした。本当に嬉しそうに顔を染めるシューバを、リグトは悲しくほほえみながら眺めました。

「新しい天空王は慈愛の心を学びましたな」

 導師の一人が隣の導師にささやいていました。そんな内緒話も、リグトの耳には、はっきりと聞こえてきます。

 リグトは目を上に向けました。入り口も窓もない塔の一室。その石の壁の向こうに広がる青空を見上げます。空には、まぶしい日の光があふれています――。

 

 

 

 銀の鏡のような水面が揺れて、そこに映った塔の中の光景を消していきました。少年たちや塔長、導師たちの姿もさざ波の中で消えていきます。

 代わりにその水面に立ったのは、一人の老人でした。光の加減で金にも銀にも青にも見える、不思議な色合いの長衣を着ています。その輝くように白い髪とひげは長く、先端は足下の水面に溶けて見えなくなっていました。

 泉のほとりに立っていた天空王は、深く一礼しました。

「これは――泉の長老」

 そこは天空の国の中庭にある、鏡の泉のほとりでした。銀の髪とひげの天空王は、そこでずっと水面に映る過去の出来事を眺め続けていたのです。

「久しぶりに懐かしいものを見せてもろうた」

 と泉の中から姿を現した老人が言いました。まるで水底から聞こえてくるような、不思議な響きの声です。老人は、魔の森にある金の泉の長ですが、同時に世界中の泉と川の王でもあり、水を通じて、あらゆる水辺の出来事を知ることができるのでした。

 天空王はほほえみました。

「先だってミコンのユリスナイの都から帰ってきたばかりです。つい、あの頃を眺めたくなりました」

 

 泉の長老はうなずくと、水面をすべるように歩いて、天空王の隣に来ました。並んで鏡の泉の表を眺めます。そこにはもう、何も映ってはいませんでした。修業の塔の中の光景も、大昔の天空城の光景も――。

 長老がおもむろに口を開きました。

「ユリスナイと仲間たちが天空の国を作り、天空城を作ったのは、今からもう三千年以上も昔の出来事じゃ。あれから本当に長い時間が流れた」

「私が修業の塔から飛ばされてその時代に行き、ユリスナイたちに出会ってからも、三十年あまりがたちました」

 と天空王が穏やかに答えます。長老はまたうなずきました。

「そうじゃ。あの時からもまた、ずいぶんと時間がたったな、リグト――」

 老人から名前で呼ばれて、天空王は微笑しました。その髪とひげは今でも光そのものような銀色のままです。最後にユリスナイが触れてから、二度と元の色には戻らなかったのです。

 

 天空王は目を上げて、青空を見ました。今日も空には明るい光があふれています。

「結局、ユリスナイは闇の竜を完全に消滅させることはできませんでした。一度は消えても、世界に再び闇の想いがよどんだとき、そこから竜が復活してきたからです。平和な世の中は、天空の国でも地上でも、千年の間しか続きませんでした」

「そうじゃ。世界は再び、光と闇の魔法戦争に巻き込まれていった。それが今から二千年前の出来事じゃ。そして、闇の竜は世界の最果てに幽閉され、今に至っている。闇の竜は、今は影の存在じゃ。二代目の金の石の勇者たちが勇敢に戦っておる」

 二代目の金の石の勇者たちというのは、フルートとその仲間たちのことです。

 少しの間、考えるように沈黙してから、天空王はまた言いました。

「ユリスナイは光を呼ぶ魔法を、この世に残していきませんでした。誰かが同じ魔法を使うことを恐れたからです。ですが、ユリスナイの想いが結晶化した聖守護石だけは、彼女の魔法を覚えていました。ただ、あの魔法は人を媒体にしなければ発動しないので、石は、共に世界を守ってくれる勇者を捜したのです」

「それに応えて現れたのがフルートじゃな」

 と長老が言いました。長いひげをしごいて続けます。

「だが――金の石と勇者の二人だけでも、闇の竜を完全に消滅させることはできん。人の心から闇を消すことはできんからじゃ。その不可能を可能にするためには、願い石の存在がどうしても必要じゃった。そして、彼らは定めに従って、願い石とも巡り会った――」

「魔石たちが変わり始めております」

 と天空王が言いました。ほほえむような口調です。

「石たち自身、まだ気づいてはいないかもしれません。ですが、彼らもフルートを守ろうとしております。勇者の仲間たちは、全員が勇者を定めから守ろうとしているのです」

 泉の長老はうなずきました。

「良いことじゃ……。ユリスナイは自分と同じ定めを他の者が背負うことを望んではいなかった。フルートたちには、定めを越えた道を見つけてもらいたいものじゃ」

 天の王と泉の王は、そのまましばらく黙り込みました。三千年以上も世界の上空を飛び続けている天空の国を、今日も爽やかな風が吹き抜けていきます。

 

 やがて、天空王がまた口を開きました。それまでとは少しだけ違った口調で話し出します。

「私は――今でも時々夢を見ます。三千年以上も昔の、あの時の夢です。夢の中では私は少年のままで、ユリスナイもあの頃の姿のままで出てきます。あの時、彼女が光になっていくことは、世界のためにどうしても必要なことでした。世界の未来を守るために、彼女はどうしても行かなければならなかった。ですが――それは、わかっているのに、夢の中で、私は彼女に言い続けるのです。行かないでくれ、ぼくのそばにいてくれ、と――。引き止めるのは正しくないとわかっているのに――私は正義の王であるのに。やっぱり夢の中では、私はそう言い続けているのです。三十年以上もたった今でも」

「三十年が三千年になっても、それは同じことじゃよ、リグト」

 と泉の長老は穏やかに言いました。

「わしもまだ心の中でユリスナイに恨みごとを言っておる。よくも一人だけで行けたもんだ、おまえは本当に俺の気持ちなんか考えていない、とな――。何かに夢中になると、他はまったく見えなくなったのが彼女だ。自分がどれほど残酷なことをわしに頼んでいったか、これっぽっちも気づいていなかった。それが悔しくて、わしは彼女の残した石をずっと守り続けた。初代の勇者が現れるまで千年間、それからフルートが現れるまで、さらに二千年間。仲間たちは皆、自分の時間を終えてこの世界を去っていった。カイタもキータライトもヒールドムも……。だが、わしだけは人の体を捨て、泉の長老となってこの世界に残り続けた。ユリスナイがすべてをかけて守ろうとしたこの世界を、最期まで見届けたいと思ってな」

「そして、自分の時代に戻ってきた私と再会した――」

 と天空王に言われて、長老は苦笑しました。

「そうじゃな。三千年あまりの時間は本当に長かった。わしもすっかり年老いたがな」

「それでも、あなたがいてくれて私はとても嬉しかったですよ、ダイダ」

 と天空王は言いました。

 

 泉の長老は、再び静かな微笑を浮かべました。

「それも懐かしい呼び名じゃ――。本当のユリスナイを知る者同士、あの頃を懐かしみながら若い勇者たちを見守るのも、良いかもしれんな」

 銀の鏡のような水面は、いつの間にか金の鎧兜の優しい勇者と、その仲間たちを映していました。彼らは元気に話し合い、次の場所を目ざして旅立とうとしています。

 そんな姿を見つめながら、泉の長老は力強く言いました。

「生きろ。未来へ向かって生きていけ――。それがユリスナイの悲願だ」

「そして、幸せになりなさい、と。彼女はそうも言っていました」

 と天空王が応えます。

 かつて少年だった天の王と、かつて青年だった老人は、泉の上の少年少女たちを見守り続けました。二人の上にも、少年少女たちの上にも、日差しはまぶしく降り続けています。

 それはユリスナイの慈愛の光でした――。

The End

(2008年7月16日初稿/2020年3月24日最終修正)

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