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外伝10「ユリスナイ」

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1.リグト

 「リグト、明日から修業の塔入りだ。君もいよいよ貴族の仲間入りだよ」

 導師からそう言われて、教室を出ようとしていたリグトは振り返りまりました。肩のあたりで切りそろえた黒髪に整った顔立ちの少年です。歳は十三でしたが、背が高いのでもう少し年上に見えます。いえ、大人びて見えるのは、そのまなざしのせいかもしれません。薄い青い瞳はひどく冷静で、子どもらしい感情や感動を少しも外に表していませんでした。ただ、淡々と導師を見返しています。

 導師は口ひげを生やした中年の男でしたが、そんな少年に苦笑いをして言いました。

「相変わらず冷静だな、君は。嬉しくないのかね? いくら天空の国の魔法使いでも、修業の塔に入れるのはごく一部の者だけだ。それだけの実力がある、と認められたのだよ。修業明けには君も晴れて貴族の一員だ」

 そこは天空の国でした。世界の上空を音もなく飛び続けている魔法の国です。

 住んでいる人々は全員魔法使いですが、その実力には人によって差がありました。大半は日常生活に魔法を使いながら普通に暮らしていますが、中には桁はずれた魔力を持つ者もいて、彼らは特別な学校で学び、修業の塔で修業をしてから貴族になります。天空王の命令の下、地上へ降りて、正義と平和を守るために働くのです。

 リグトは導師に答えました。

「いずれこうなるだろうと考えていましたから。もっと早く修業の塔に呼ばれるかと思っていたから、むしろ遅すぎたくらいです」

 師を相手に不遜にも聞こえる口調ですが、生意気な調子はありません。少年はただ事実を語っているだけなのです。

 導師はまた苦笑しました。

「まったく相変わらずだな……。まあ、数百年に一人の逸材と言われる君だから、そう考えるのも無理はないかもしれないが。修業は明日の日の出からだ。夜明け前に修業の塔まで来なさい」

 わかりました、とリグトは答えました。本当に、導師から褒められても、照れるでも嬉しがるでもありません。当たり前のことを言われたように、淡々と受け止めているだけです。

 

 そんな少年に、ふと導師は心配顔になりました。

「先日の一件をシューバが根に持っているようだ。気をつけなさい」

 少年の顔が初めて表情を浮かべました。意外がる顔つきです。

「シューバ? 彼がどうして」

「彼が試験で不正したことを君が見破ったからだよ。あの事件で彼は大きく後退した。本当は君より先に修業の塔入りするだろうと言われていたのだ」

 けれども、少年は不思議そうに言いました。

「それで何故? 不正をしたのは彼です。罰を受けるのは当然ではないですか」

「人はそうそう潔いものではない。自分が悪いことをしたと考えて反省するより、それを見つけて告発した者を逆恨みすることのほうが、はるかに多いのだよ。君には理解できないかもしれないがな。……とにかく気をつけなさい」

 わかりました、と少年はまた答えましたが、その顔は他人事の表情のままでした。

 

 幸い翌日まで導師が心配するような妨害はなく、リグトは予定通り、未明に天空城へ行くことができました。国で一番高い山の上にそびえる天空城に、修業の塔があったのです。窓も入り口も一つもない石造りの円塔で、相応の魔力がある者でなければ中には入れません。リグトは難なく塔に入り込むと、待っていた導師たちの前に立ちました。

「よう来た、リグト」

 と責任者の老人が言いました。塔長(とうおさ)と呼ばれる魔法使いです。白いひげをしごきながら言います。

「そなたはこれから半年間、この塔でさまざまな修業を積むことになる。ここでは今現在も大勢の者が修業をしているが、互いに別々の空間にいるので、決して顔を合わせることはないし、修業の内容もそれぞれで違っている。半年間、そなたが会うのはそなたの導師たちだけだ。初めは過去見(かこみ)の修業から。何か質問はあるかね?」

「何故、最初が過去見の修業なのですか?」

 とリグトは尋ねました。

「魔法使いはまず己を充分に知らなくてはならない。自分のここまでの道のりを振り返るためだ」

 と塔長は答えました。リグトはうなずき、塔長や導師たちが塔の部屋から立ち去っていくのを見送りました。導師たちが送り込む巨大な修業の魔法を、リグトは一人で受け止め、こなしていかなくてはならないのですが、それを不安に思うこともありませんでした。

 

 すると、導師が塔長に話しかける声が聞こえてきました。

「彼は次期天空王と言われている子どもです。修業もかなりの内容になるのでしょうね」

「だが、彼には天空王となる決定的なものが欠けておる。彼はそれを見つけねばならん」

 と塔長が答えます。

 導師たちはリグトとは別の部屋に移動して、そこで話をしていました。彼らは非常に優秀な魔法使いなので、その会話も魔法で隠されていて、本来ならば聞くことはできません。けれども、リグトは特別優れた魔法使いの耳を持っています。その気になれば、導師たちの内緒話も簡単に聞き取れるのでした。

 導師の一人が塔長に尋ねました。

「天空王になるのに決定的に欠けているもの? それは何でしょう?」

「慈愛だ。彼には人を思いやる心というものが不足している。正義の心を持つのはよいが、あまりにも物事を善と悪だけで考えすぎる。人の心も世の中も、それほど単純に割り切れるものではない。ユリスナイの慈愛を感じることができない者は、天空王にはなれないのだ」

「天空王様は先日地上から戻られてから、体調を崩されています。闇を払うために力を使いすぎたのです」

 と別の導師が言いました。

「天空王様に万が一のことでもあれば、彼に天空王の冠が回ることでしょう。天空王様が、彼を自分の後継者と認めておられるのですから。修業は間に合うでしょうか?」

「天空王様も、今すぐどうこうということはないだろう。時間をかけて教えていくしかない。だから、彼には過去を見せるのだ。彼は力がありすぎて、早くに親元から引き離されてしまった。親から慈愛の心を教えてもらってきていないのだ。彼が生まれた時や、幼かった頃の様子を見せることにしよう。その中から慈愛を見いださせるのだ」

 

 やれやれ、とリグトは心の中で肩をすくめました。

 導師たちの会話は、すぐ隣で話しているように、ありありと聞こえてきます。ぼくの過去ねぇ、とまるで大人のように心でつぶやいてしまいます。

 自分が次期天空王候補になっている話は、今までにも何度も聞かされていました。そのこと自体は別になんとも思いません。自分には誰よりも優れた魔力がある、という自負があったので、それが当然だと思っていたのです。正義を守り、悪を退ける心も劣っていないつもりでした。自分では、天空王となるのに何一つ足りないものはないつもりでいるのに、いつも、導師たちは言うのです。君には足りないものがある。ユリスナイの慈愛を感じなさい、と――。

 慈愛とは他人を大切に想う心、他人に優しくする気持ちのことです。ちゃんとやっているじゃないか、と思います。自分は誰のことも傷つけたり、だましたりしません。悪いことや不正なこともしません。弱い人や困った人がいれば助けますし、悪事を働く者は決して許しません。まさかユリスナイだって、悪い奴にまで優しくしろとは言わないはずです。誰の前でも顔を上げ、正義の光を見ながら正しい道を歩いているつもりなのに、大人たちからしつこく慈愛を説かれることに、少年は正直うんざりしていました。

 それに――

 

「それに、どうせ過去を見に行ったって何もないんだから」

 とリグトはつぶやきました。導師たちにも聞き取れないくらい低い声です。

 自分が生まれた時や幼い頃の様子を見れば、親の慈愛を感じられるだろう、と塔長は言います。でも、リグトは覚えているのです。自分が親元を離れて特別な学校に入るまでの四年間、両親が自分を恐れていたことを。

 リグトはあまりに魔力が強すぎたのです。どれほど小さな魔法を使おうとしても、それは巨大な魔法の発動となって、家を壊し、周囲の者たちを巻き込んでしまいました。彼の両親はごく普通のレベルの魔法使いだったので、そんな彼の魔法を抑えることができませんでした。ただただ息子の魔力を恐れ、巻き込まれないようにと離れていたのです。かといって、見捨ててしまえば、それはそれで息子の恨みを買うと思って、姿を消すこともできず――。

 リグトは転んでも母親から助け起こされた覚えがありませんでした。歩き疲れた時に父親に背負ってもらった記憶もありません。いつだって、転んだら自分で立ち上がりました。疲れたら自分の魔法でなんとかしました。両親はいつもリグトから見える場所にいました。でも、彼らは決して自分のそばには来なかったのです。

 そんな過去を見に行ったって慈愛なんか見つかるもんか、とリグトは淡々と考えました。皮肉に笑うことさえありません。結局は、自分に力がありすぎただけのことなのです。特別な者が特別の生き方をするのは当たり前のことだと思っていました。特別な自分に両親がいないことだって、当然のことなのだと――。

 

 すると、リグトの耳に何やら騒がしい雰囲気が伝わってきました。導師たちのいる部屋に急な知らせが入ってきたのです。

「天空王様が!?」

 と塔長が声を上げたのが聞こえ、すぐに導師の一人がリグトに声だけで話しかけてきました。

「リグト、修業の開始を少し遅らせる。悪いが、ここでしばらく待っていなさい。魔法は使わないように。塔の中は場が不安定で、魔法の影響が拡大しやすいからな」

 リグトは思わず本当に肩をすくめました。修業を始めようというところに間が悪いことだ、と考えます。――天空王に何かあったらしいことについては、とりたてどうとも感じません。導師たちの話し声や気配が塔から消え、リグトは塔の中に一人きりで残されました。

 

 ところが、リグトが座って待っていると、塔の中で気配が揺れて、誰かが外から入り込んできました。導師たちではありません。振り向くと、自分より年上の背の高い少年がすぐ後ろに立っていました。高慢そうな顔でリグトを見下ろしています。

「シューバ」

 とリグトは相手の名を呼びました。以前、試験の不正を見抜かれて、リグトを逆恨みしている少年です。何も言わずに憎々しく自分をにらみつけてくる様子を見て、リグトは言いました。

「帰りたまえ。ここは君のいるべき場所じゃない」

 とたんに、シューバは、かっと顔を赤くしました。

「礼儀を知れ! ぼくは君の先輩だぞ!」

 と激しく言います。

 リグトはつまらなそうにそれを見返しました。

「年齢ではね。でも実力はそれとは関係ない。ここはぼくの修業の場だ。邪魔になるから出ていってくれ」

 相手を馬鹿にしているのでも、生意気を言っているのでもありません。リグトの口調は平静です。当然のことを言っているだけなのです。

 シューバは歯ぎしりしました。

「リグト――ちょっと力があって天空王様に気に入られているからって、いい気になるなよ! 貴様なんかが次の天空王になれるもんか!」

「それは君が決めることじゃないな」

 とリグトは静かに言い返しました。本当に、怒る子どもを相手にする大人のような態度です。

 シューバの目に怒りが暗くひらめきました。いきなりリグトに向かって手を突きつけます。

 リグトは眉をひそめました。

「よせ。塔の中は場が不安定なんだ。魔法を使ったら巻き込まれるぞ」

「ぼくは巻き込まれないさ。魔法に呑み込まれるのは貴様だ!」

 シューバの声が呪詛のように響き、続けて魔法の呪文を唱え始めます。

 リグトは立ち上がりました。同様に相手に手を突きつけ、相手を上回る魔力の呪文を唱えます。シューバの呪文がたちまち吹き飛ばされ、一緒にシューバ自身も跳ね飛ばされて、部屋の壁にたたきつけられました。そのまま、抑え込まれたように壁から動けなくなります。

 

 やれやれ、とリグトはシューバに背を向けました。魔法使いの声で導師を呼び出して、つまみ出してもらおうとします。

 とたんに、リグトは立ちすくみました。目の前で部屋が歪んでいました。目に見えない渦がそこにあって、向こうの景色を歪めているのです。渦はたちまち広がっていきます。

 魔法が暴走した! とリグトは考えました。元より不安定な塔の中です。シューバの呪文を跳ね返したリグトの魔法が、拡大して勝手に作動し始めたのです。まるでリグトが幼かった頃のようです。

 けれども、リグトはあわてずにまた手を向けました。暴走している魔法にもう一度魔法をかけて相殺させようとします。そう、今はもうリグトもこういうことができるようになっているのです……。

 すると、そこにまたシューバの声が響きました。

「セバトオートグリ!」

 暴走する魔法、それを相殺しようと唱えられた魔法、そこへ飛び込んできたシューバの新しい呪文――均衡が崩れ、たちまち巨大な魔法の渦が部屋中に広がります。

「!」

 リグトは急いでまた魔法を繰り出そうとしました。すべてを元に。相殺させて、元の状態に……。

 けれども、暴走する魔法がその魔力も呑み込みました。暴れ回る竜のようにとぐろを巻き、その渦の中心にリグトを引き込みます。

 あっ、と思った瞬間、リグトは遠い遠い場所へと弾き飛ばされ――

 

 それっきり、気を失ってしまいました。

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