ジャックが入隊のためにシルの町を出発する日、大勢の人間が町の出口まで見送りに来ました。ジャックの父親や屋敷の使用人、父親の知人友人、近所の大人たち、学校の先生、同級生、ジャックが束ねてきた不良グループの少年たち。町長までが直々に来て祝辞を述べてくれました。今までジャックをどうしようもないごろつきだと罵ってきた人たちが、手のひらを返したようにジャックを賞賛します。それくらい、ロムドの正規軍に入隊するというのは難しく、名誉なことだったのです。
ずっとジャックを我が家の恥さらしだと怒り続けていた父親が、この日は満面の笑顔でいました。自分よりはるかに大きくなった息子を、人々の見ている前で抱きしめ、さすがはわしの息子だ、じいさまに負けない立派な軍人になってこい、と言います。わかったよ、と答えながら、ジャックは内心どうにもこそばゆいものを感じていました。入隊試験に合格しただけで人の態度はこんなにも変わるのか、と驚いてもいました。
最後にジャックは不良グループの副リーダーのペックを見ました。自分に一番古くから従ってきた子分の一人です。入隊試験を受けるために真面目に稽古や勉強をするジャックに、一時は反感を強めたこともありましたが、とある事件をきっかけに、それもすっかり収まっていました。
「みんなの面倒をしっかり見ろよ」
とジャックはペックに言いました。周囲の人々には聞こえないくらいの低い声です。
「あいつらがおまえを見捨てても、おまえは絶対にあいつらを見捨てるな。あいつらに最後まで責任を持て。それがリーダーの務めだぞ」
どなりちらし、力で子分たちを束ねてきたジャックです。悪いことも、人を傷つけることも平気でしてきましたが、それでも、子分たちに対してはきっちりとした信念を持っていたのです。ジャックからグループを引き継ぐことになっているペックは、黙ってうなずき返しました。
人々の大歓声に送られて、ジャックは旅立っていきました。目指す先は、ロムド城がある王都ディーラです。そこで正式に入隊し、所属の隊に振り分けられて任地に向かうのです。
石畳の道を馬で進んでいくと、やがて歓声は後ろに遠ざかり、行く手に門が見えてきました。町の終わりを示す場所です。その門の片方の柱に、一人の人物がもたれかかっていました。とても小柄な少年です。降りそそぐ初夏の日差しに、金の髪がきらめいています。
「フルート」
とジャックは驚きました。次の瞬間には、苦いもので胸がいっぱいになります。この日、リサはジャックの見送りに来なかったのです。どんなに待っても、密かにあたりを見回して探しても、どこにも姿は見当たりませんでした――。
「なんだ、なんの用だ」
とジャックは馬の上からフルートを見下ろして尋ねました。いつも以上にぶっきらぼうな声になっています。フルートは、本当にあきれるくらい綺麗で優しい顔をしています。何も知らない者が見たら、少女が男の子の格好をしてそこに立っていると勘違いしそうなほどです。
フルートには、ジャックが機嫌を悪くしている理由はわかりませんでした。わからないので、気にもとめずに、ただこう答えました。
「もちろん君を見送りに来たんだよ。あっちにはみんながいて騒々しかったから、ここで一人で待ってたんだ」
ジャックはすぐには何も言いませんでした。今から二年半あまり前、初めてフルートが金の石の勇者としてシルを旅立ったとき、ジャックはこの門までフルートを見送りに来ました。フルートは本当に気にくわない大嫌いなヤツだったのですが、何故だか気になってしかたなかったのです。フルートはその時のことを覚えていて、同じ場所へジャックを見送りに来たのに違いありませんでした。
ジャックはいっそう不機嫌になって言いました。
「いいのか、金の石の勇者がこんなところでのんびりしていて。最近どこにも出かけていないようじゃねえか。怠慢だぞ」
正直、これは言いがかりです。ジャックはこれからシルを離れていきますが、フルートは町に居続けます。リサがフルートとこれからも町でしょっちゅう顔を合わせることになると考えると、どうにも面白くない気持ちになるのでした……。
くすり、とフルートは小さく笑いました。この少年は、いつも決して怒りません。子どものように幼く見えるくせに、その目と表情だけはいやに大人びていて、ジャックよりはるかに年上のような態度を見せます。
「仲間の一人が修行中でさ、あと半年しないと修業が終わらないんだよ。敵もずっと動きを見せないでいるしね。動きたくても今は動けないんだ」
そう答えるフルートの声は、まだ変声期前のボーイソプラノです。口調も優しくて、本当に女の子が目の前にいるようです。それなのに、この少年は勇者なのです。世界を救うために選ばれて闇と戦う、金の石の勇者なのです。
ジャックは思わず馬の上で拳を握ると、それをフルートに向かって振り回しました。
「見てろ! 俺は絶対に軍隊で偉くなってみせるからな! 絶対に、誰よりも勇敢に戦い抜いて出世して――金の石の勇者より立派な英雄と呼ばれてやる!!」
フルートはびっくりしたようにジャックを見ました。あからさまにぶつけられる闘争心に、面食らった顔をしています。
と、その顔が急にまた微笑を浮かべました。少女のように穏やかな笑顔は、その奥に、なんとも言えない色合いをはらんでいました。痛み、苦しみ、悲しみ、切なさ、そして、それらすべてをあきらめるような不思議な優しさ――
ジャックが思わずとまどっていると、フルートは静かな声のままで言いました。
「金の石の勇者は、そういうのとは違うんだよ。みんなが言うような、そんな素晴らしいものなんかじゃないんだ……。でも、うん、ジャックはきっと強い軍人になっていくよね。国を守る勇敢な戦士になっていくと思う。がんばってよね。応援してるからさ」
何故だか、途中で話をはぐらかしたように見えたフルートでした。優しい笑顔の陰に、ことばにできない微妙なものが漂い続けます。歳にまったく似合わない、暗く深い影です……。
ジャックは何となく胸騒ぎを覚えました。不吉な予感に、ついこう口走ってしまいます。
「死ぬんじゃねえぞ、フルート」
「君こそね、ジャック」
とフルートが落ちついて切り返してきました。
「軍人になると、戦死したときに階級を上げてもらえるらしいけど、そんなふうにして偉くなりたいわけじゃないんだろう?」
「あ――あたりまえだ、馬鹿野郎!!」
とジャックは真っ赤になってどなりかえしました。こんな野郎を心配して馬鹿を見た! とたちまちまた不機嫌になります。フルートはくすくすと笑いました。こんなふうにフルートがジャックをからかうこと自体、普段とは違っていたのですが、ジャックはそれに気がつきませんでした。
「気をつけてね、ジャック。君の上に武運があるように」
と言われて、ふん、とジャックは鼻を鳴らしました。
「てめえなんざに祈ってもらいたくなんかねえよ! まったく、やな野郎だ! とっとと帰れ!」
馬の上で肩を怒らせ、憤然とまた進み出します。門に立つフルートのほうは、もう振り向きもしません。
それでも、フルートはジャックを見送っていました。大柄な若者を乗せた馬が街道を東へ歩いていくのを、ずっと見つめ続けます。その馬と人の姿が小さくなり、声も届かないほど遠ざかったとき、フルートは静かな声で言いました。
「さよなら、ジャック」
そのまま、祈るように目を閉じます――。
初夏の空は晴れ渡り、荒野の果ての地平線まで青く続いていました。
フルートが再び仲間と集まり、黄泉の門の戦いに巻き込まれていくのは、これから五ヶ月ほど後のことです。世界はまだ明るく静まりかえり、平和は、いつまでもどこまでも続いているように見えました。
The End
(2007年12月23日初稿/2020年3月22日最終修正)