人生のフルコース

朝倉 玲

Asakura, Ley

アサクラ私立図書館へ

 いらっしゃいませ、お客さま。当店へようこそ。

 予約をしていらっしゃらない?

 ご心配なく。ちょうど二つだけお席が空いております。

 夜景のよく見える窓際ですが、いかがでしょう?

 気に入っていただけましたか。それはよろしゅうございました。

 

 

 お客さま、よく冷えたシャンパンをどうぞ。

 初めてのお客さまに当店からのサービスでございます。

 失礼ながら、長年連れ添ったご夫婦と拝見いたします。

 ここまで共に歩まれた道のりなど振り返りながら、お二人で乾杯はいかがでしょうか。

 

 

 当店おすすめのメニューをお尋ねですか?

 そうでございますね……この「人生のフルコース」などはいかがでしょうか。

 変わった名前ですが、どのお客さまからも好評でございます。

 はい、お二つですね。かしこまりました。

 

 

 お待たせいたしました。

 こちらは前菜の「丸ごとのトマト」でございます。

 はい、サラダにもマリネにもなっておりません。

 先ほどまで畑になっていたものを、水道で洗ってまいりました。

 小学生の頃、プールから帰った後のおやつに召し上がりませんでしたか?

 ああ、やはり。

 奥様はキュウリをよくお召し上がりになった?

 はい、そう思いまして、もうひと皿は「もぎたてのキュウリ」でございます。

 夏休みの味をご堪能ください。

 

 

 続いては、屑野菜のコンソメスープでございます。

 いえ、屑と言っても残飯ではございません。

 冷蔵庫に少しずつ残っていた野菜を細かく刻んで、コンソメで煮込んだもの。

 病気で弱った胃や体に優しくしみる味でございます。

 学生時代、風邪をひいた旦那さまのアパートで、奥様が作ってさしあげませんでしたか?

 ああ、やはりやはり。

 何故それを知っているのか、とお尋ねですか?

 なにしろ、当店のシェフは一流でございますので。

 

 

 さて、メインディッシュは「ちょっぴり焦げたハンバーグとちぎったレタス」でございます。

 大学を卒業してからもおつきあいを重ねて、お客さまはめでたく結婚された。

 その一番最初の日にお二人で作ったメニューを再現いたしました。

 ハンバーグは奥様が、付け合わせのレタスは旦那さまが。

 二人で協力して作った夕食は、焦げていても、とても美味しかったことでございましょう。

 え、本当にどうしてそれを知っているのか、とお尋ねですか?

 なにしろ、当店のシェフは一流でございますので。

 

 

 このあたりでパンはいかがでしょうか。

 笑い顔のパン、ネコの顔のパン、星形のパン、カタツムリの形のパン。

 奥様はお子様方といっしょによくこんなパンをお作りになりませんでしたか?

 夜遅くお帰りになった旦那さまは、お子様方の寝顔を見ながら召し上がりませんでしたか?

 形はいびつでも、温かな味がしたことでございましょう。

 何故そんなにも自分たちのことを知っているんだ、とお尋ねですか?

 なにしろ、当店のシェフは一流でございますので。

 

 

 次はちょっと変わったメニューでございます。

 残念ながら、あまり美味しいものではございません。

 なにしろ「食べられないまま冷めてしまった鍋料理」でございますので。

 人はしばしば迷うもの。

 ふとした誘いに道それるもの。

 旦那さまにもそんな時期がおありになった。

 奥様が夕食を作って待つ家にお帰りにならない日もあった。

 ついに食べられないまま捨てられた鍋料理を再現してございます。

 

 

 そして、デザートは「ビターアイスクリーム」でございます。

 お二人の今の心をアイスクリームに再現しました。

 冷えきった苦い心です。

 さらに「とびきり苦いコーヒー」もどうぞ。

 当店においでになる直前に、これが二人最後の食事になるね、と話しながら召し上がったコーヒーです。

 

 

 お客さま、どうぞ互いのデザートを交換なさってみてください。

 奥様、旦那さまのアイスクリームには、後悔の味がしませんでしょうか。

 旦那さま、奥様のコーヒーには迷いと涙の味がいたしませんか。

 どちらのデザートも淋しい味です。

 食べきってしまえば、もっと淋しくなることでしょう。

 「人生のフルコース」をこのまま最後までお召し上がりになりますか?

 店を出れば、お二人はそこから右と左に別れて行かれる。

 お客さまはそれで満足なのでございましょうか?

 

 

 もうお帰りになる?

 お二人で家に戻られて、もう一度お子様方も交えて話し合ってみる?

 それはよろしゅうございました!

 ああ、お代はけっこうです。

 当店にはお客さまの笑顔がなによりのお代でございますので。

 

 

 どうぞ気をつけてお帰りください。

 当店は人生の迷い道に現れるレストラン。

 もう二度と店の入口をくぐることがございませんように。

 

 

――THE END――

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