エルシー

朝倉 玲

Asakura, Ley

アサクラ私立図書館へ

 彼女が私のもとにやってきたのは、妻のエルシーが行方不明になって1週間目のことだった。

 

 私が、いても立ってもいられない気持ちで警察からの連絡を待っているところに、ひげ面の見知らぬ大男がやってきた。彼女は、その足元にいた。金と白の美しい毛並みのコリー犬だった。

 大男は、預かった手紙をなくしてしまった、と弁解しながら、ミスター・クレイからこの犬を私に渡すよう頼まれてきたのだと言った。

 クレイは世界的に有名な医学博士で、私の一番の友人だった。妻の捜索に心をすり減らしている私の身を案じて、せめてもの慰めに、と犬を贈ってよこしたのだろう。いかにも彼のやりそうなことだった。

 私はさっそく感謝の電話をかけたが、あいにくと彼は学会のためにスイスに発ったばかりで、向こう2カ月は戻らないということだった。そこで、私は彼が帰ってから礼を言うことにした。

 

 居間に戻ってみると、犬の姿がそこになかった。

 寝室のドアが半開きになっていたので中をのぞいてみると、犬は、妻の鏡台のスツールにちょこんと腰を下ろして、鏡に映る自分の姿を眺めていた。その様子がいかにも真面目くさって見えたので、雌犬でもやっぱり女性jなのか、と私は吹き出してしまった。

 すると、犬が駆け寄りざまに私に飛びつき、ピンク色の舌で私の顔をなめた。とても人なつこい犬だった。この1週間、心配に張りつめていた私の心が、ゆっくりとなごんでいく……

 私は犬の首を抱きしめると、こう言っていた。

「お前の名前はエルシーだ。エルシーに決めたぞ」

 

 

 エルシーは、とても茶目っ気のある犬だった。おしゃれも好きで、毎朝ライラックの香水を体中にふりかけてもらわなければ承知しなかった。ライラックは、私の妻もお気に入りだった。そんなことから、私は犬のエルシーをますますいとおしく思うようになっていった。

 彼女はいたずらも大好きだった。私が見ているテレビのスイッチを前足で器用に切ってしまったり、新聞を横取りしてさも英語が読めるように眺めたりする。わけもないのに、急に狂ったように吠えることも、幾度もあった。まるで、私の困っている様子を見て楽しんでいるようだった。私も、そんな彼女のいたずらを結構楽しんでいた。

 だが、たった1度だけ、彼女を本気で叱ったことがある。

 私が書斎を離れた隙に、エルシーがタイプライターにいたずらをしたのだ。

 私が戻ってきたときには、打ちかけの手紙が1通ダメにされていた。社用の手紙だったので、私はエルシーをきつく叱りつけて、紙を取り替えた。その時にふと、彼女がでたらめに押した文字が目に入った。

 『 I AM E 』

 偶然とは面白いものである。エルシーは自分の名前の頭文字まで、正確に打っていたのだ。

 一方、エルシーは私に叱られたのがこたえたらしく、しばらくはしょんぼりとしていた。タイプライターには、2度と触れようとはしなかった。

 

 やがて、警察から連絡が来た。妻の行方がつかめないので、捜索が打ちきりになったのだ。どうやら彼らは、妻が他の男と外国に駆け落ちしたと考えているようだった。だが、神に誓って言うが、妻はそんな女ではなかったのだ。きっと、思いがけない事故にでもあって、人知れず死んでしまったのに違いなかった。

 私はその晩、やけ酒を飲んだ。極上のブランディーも、私にはただ苦々しいだけだった。

 すると、エルシーが私の前に座って、私を見上げた。まるで、(私がいるじゃありませんか。そんなに悲しまないで)言わんばかりの顔つきだった。私はエルシーを抱きしめて、つらく長い夜を耐えた。

 

 

 時間とエルシーが、妻を失った悲しみを薄れさせてくれた。

 しかし、妻が思い出という小箱にしまわれかけた時、私の前にひとりの女性が現れた。モードという名の彼女は、妻にそっくりなプラチナブロンドの髪をしていた。

 彼女を一目見たとたん、私の妻への想いは、モードへの愛情という形で再び燃え上がった。私と彼女は、たちまち親密な関係になった。

 だが、エルシーはモードを好かなかった。

 好かないどころか、明らかに嫌っていた。モードが家に来るたび、エルシーはかみつかんばかりに吠えかかって、敵意をむき出しにした。

 モードの方でも、そんなエルシーを嫌って、ついに私にこう言った。

「チャールズ、あたしもう嫌よ。あの犬がいる限り、もうあなたのところには行かないわ。もしもあたしに来て欲しいのなら、あの犬をどこかにやっちゃってちょうだい」

 いくら私がなだめても駄目だった。モードはエルシーを追い出すようにと言い張った。

 エルシーはもはや、私にとってただの飼い犬ではなかった。心のなぐさめであり、支えだった。だが、結局は、妻の面影のあるモードを引きとめるほうが大事だった。私は仕方なく、エルシーをよそにやることに決めた。

 エルシーは知人の家に引き取られていった。彼女は最後まで車に乗せられるのに抵抗していた。そして、ついに連れて行かれてしまうと、知人の家から逃げ出して、百マイルも離れた私の家まで帰ってきてしまった。

 何度やっても同じことだった。どんなに遠い町に行っても、エルシーは必ず私のもとに戻ってきてしまう。私は、そんなにまで私を慕うエルシーが、涙が出るほどいとおしかった。だが、モードを失いたくない、という気持ちの方が、それに勝っていた。

 

 ついに私は決心した。

 猟師が毒餌を作るのに使うストリキニーネを手に入れて、こっそりとエルシーの餌の中に混ぜたのだ。ストリキニーネは無色無臭だから、彼女に気づかれる心配はなかった。

 エルシーは、私に呼ばれると尾を振りながら走ってきて、なんの疑いもなくその餌を食べ始めた。私はエルシーが苦しむ姿を見るに忍びなくて、家の外に出た。

 暗い気持ちで前庭をうろついていると、郵便受けに手紙が来ていた。スイスに行っているクレイからだった。まるで、私の行為を見透かすような手紙の到来に、心臓が一瞬停まる想いだった。

 私は、心の中で友人に詫びながら、その場で封を切った。手紙を読み進むうちに私の背筋が冷たくなっていく。それにはこんなことが書かれていたのだ。

 

 

「親愛なる我が友、チャールズ

 君もエルシーも元気でいることと思う。

 エルシーがあんな姿になってしまってショックだったとは思うが、君の愛情がそんなことで変わるはずはないと、僕は信じている。本当は僕自身で説明したかったのだが、学会の発表が迫っていたためにどうしても出来なかったことを、許して欲しい。

 先の手紙にも書いたが、彼女が事故に遭ったとき、僕がたまたま近くにいたのは本当に幸運だったと思う。脳を犬の体に移されたエルシーには辛かったかもしれないが、それももう少しの辛抱だと伝えて欲しい。事故で損傷した彼女の体は、数十回の手術でほとんど回復した、と研究所から連絡があったから、僕が帰国したらすぐに、君の奥さんをもとの体に戻すことができると思う……」

 

 

 クレイの手紙はまだ続いていたが、私はもう読んではいなかった。 息も止まるような恐ろしさにかられながら居間に駆け戻ると、エルシーはすでに虫の息で床に倒れていた。

 私はもつれる舌でエルシーに尋ねた。

「君はエルシー……本物のエルシーなのか……?」

 エルシーが私を見つめた。それは紛れもなく、私の妻の瞳だった。

 

 そして、彼女は目を閉じた。

 

 

――THE END――

「SFマガジン 1981年12月号」リーダーズ・ストーリイ 入選作品
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