どれ、帰ろうと思った時です。
「ねえ、あなた。わたし今とても優しい気持ちなの。なんだかとっても幸せな気持ちよ。
神様にお祈りしましょう。今日の感謝の言葉を捧げましょう。」
静かにお祈りをしている夫婦を見てアンは満足でした。
ところが、です。後ろに降りて来た黒い翼にアンは小さく悲鳴をあげました。
死神の使い、キリーです。
彼もまだ新米ですが、あまりにも無口でアンは彼が苦手でした。
「どうしてあなたがここにいるの?」
「仕事。」
「いったいこの家の誰を天国に送るの?」
「あの女性、マリア。」
「ダメ!」
「仕事なんだ、どけよ。」
アンは涙ぐんでいました。たった今、赤ちゃんを授けたのに…あ、赤ちゃん!
「今はダメよ、キリー。1年待って。」
「待てない、今日の予定だ。」
「あなたが今日仕事をしたら、間違いになるわ。赤ちゃんがいるんですもの。それとも子供の名前までリストにのっているの?」
「なんだって?」
キリーはリストを確認しました。なるほど、子供の名前はありません。
「1年後にする。」
黒い翼は嘘のように消え去りました。
でもアンの心配はなくなりません。
毎日、パンジーの窓辺に通いました。
どうか、無事に元気な赤ちゃんが産まれますように。
アンは家の中の夫婦といっしょにお祈りしました。
時々黒い羽を見かけましたが、キリーはいつも黙って消えてしまうのでした。
やがて花壇から色が消え、雪が降りクリスマスも過ぎました。
マリアは自宅で出産し、かわいい男の子が産まれました。
再びパンジーが咲くころ、キリーがやってきました。
「1年たった。」
「もう少し、もう少し待って! 赤ちゃんはお母さんがいないと生きていけないの。」
「待たない。」
「赤ちゃんが死んでしまうわ。お願いだから、もう1年待って。そうしたら赤ちゃんは自分で歩くし、おっぱいだっていらないのよ。」
アンは泣いていました。どうして泣きたいのかわかりません。
天国は良いところです。
本当のところ、赤ちゃんが産まれた以上、止める理由はもはやありません。
キリーが聞き入れてくれるとも思えません。
「あと1年だからな。」
意外にもキリーは待つと言ってくれたのです。
アンは再び窓辺から家族を眺めることになりました。
前より頻繁に黒い羽を見かけます。
今日は、来てないのかな?
アンはいつのまにかキリーの姿を探していました。
時々、キリーはアンと並んで窓の中をのぞいて行くのです。
夢のように1年が過ぎました。
赤ちゃんは忙しく泣き、笑い、そして家族の絆を強くしていきました。
その年の最初のパンジーが咲いた日、赤ちゃんは歩きました。
すぐに転んでしまったけれど、確かに歩いたのです。
お母さんに抱かれて笑う赤ちゃん。
アンは見ているだけで幸せでした。
あんまり幸せだったのでキリーの手をひいて言いました。
「ねえ、見て! あの赤ちゃん、もう一人前よ。大人と同じものも食べられるのよ。」
アンは言ってしまってから青ざめました。
そうです。キリーの「仕事」の時期です。
そして、仕事が済んだらキリーと会えなくなるのです。
二人は黙っていました。
やがてキリーが言いました。
「仕事だからな。」
けれど窓の中を見つめたまま、手は動きません。
重苦しい沈黙が続いていました。
風さえも吹くのを止めてしまったかのようです。
その時、ひとすじの光とともに優しい声が聞こえました。
「どうしたのじゃな?」
「神様!」
アンはベルを落としてしまったのにも気がつかないくらいびっくりしました。
神様はすべてご存じのはずです。
言い訳や嘘は許されません。
「ごめんなさい、神様。私はキリーの仕事のじゃまをしました。」
「申し訳ありません。仕事を先延ばしにしていました。」
「そのことだがね…」
神様は話しはじめました。ゆっくりとベルを拾い上げながら。
「マリアの天国行きは50年遅らせることにした。わしは次の赤ん坊を授けに来たのじゃよ。
隣の家にも若夫婦が引っ越して来ただろう? あちらにも子供が必要じゃ。」
「神様、ありがとうございます。」
アンは喜びました。
あの家族は明日からも幸せに暮らせるのです。
でも、少しだけ寂しさも心をよぎりました。
キリーには会えなくなるのです。
「そして、君たちの罰だが」
アンはビクッとしました。
お互いの仕事のじゃまをするのは、とてもいけない罪です。
「君たちは人間として生まれ変わりたまえ。アンはマリアの娘に、キリーは隣の家の息子になるのだ。」
二人の顔に驚きと、そして笑みがこぼれました。
そうです。神様はすべてご存じなのです。
「もちろん、今の記憶など持たない真っ白な魂で産まれてくる。だが、きっともう一度巡り合える。」
「神様、ありがとうございます。」
アンとキリーはそっと手を握りました。
神様が静かにベルを鳴らします。
二人の魂は淡く光りながらマリアとその隣人に吸い込まれていきました。
「ねえマリア、聞いて下さいな。私、赤ちゃんができたの。とっても嬉しいわ。
幸せな気持ちね、素晴らしいわ。」
「まあ、おめでとう。実は私もよ。同じころに産まれるわね。
私達、もっともっと仲良しになれるわ。もちろん子供達もよ。」
神様は空の上から見下ろし、満足げに微笑みました。
「奇跡を起こすのは神様の仕事じゃからのう。」
窓辺ではパンジーが風に揺れています。光も風も微笑んでいました。
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