「や、遅くなってすまなかったね」
「いえ、こちらこそ、お忙しいところをお呼び立てしてしまって、申し訳ありませんでした」
県警本部からはほど遠くない仙台市内の喫茶店で、北条明子が太田刑事と会ったのは、依頼の入った日の午後も六時を回った頃のことだった。
喫茶店の二階の窓から見下ろす大通りには華やかなネオンと自動車のヘッドライトがひしめき、歩道を勤め帰りの人々がひっきりなしに通っていく。
その雑踏の中をかきわけてきた太田刑事は、席に着くと早々にコートを脱いで、ハンカチで顔の汗を拭った。
気の弱い人間なら見ただけですくみあがりそうな、厳しい顔つきと貫禄の五十男で、県警本部内でも『鬼の二課長』と評判の人物だったが、自分の愛弟子とも言うべき明子の前では、子煩悩な父親のようにゆるみっぱなしの表情になっていた。
「塚口洋二が君の所に行ったんだろう?」
注文を取りに来たウェイトレスがカウンターの方へ戻っていくと、太田刑事はそう切り出した。
明子は思わず、にっこりした。先に太田にかけた電話では、私用があるので会いたい、とだけしか言わなかったのに、太田はちゃんと察していたのだ。
「太っ田(ふとった)さんの紹介と聞いて、調査を引き受けました。単なる中傷の可能性も大きいんですが−−−」
仁王のような太田をいともたやすく『太っ田さん』と呼んでしまう明子の口調には、太田に対する深い親しみと信頼の響きがあった。太田は一瞬満足そうに目尻を下げると、すぐに厳しい仕事の顔になった。
「あの塚口は死んだ高杉怜子の大学時代の恋人だったから、うちの一課では相手にしとらんのだが、少々気になってな・・・。 「いや、状況的には心中と見るのが妥当なのだ。あの場で酒に毒を入れられたのは死んだ二人だけだったし、自殺しそうもない人間が自殺することだって決して珍しくはないし」
「でも、ぼくもあの事件は初めからひっかかってましたよ。結婚に反対されて心中するなら、もう少し質素な死に方を選ぶような気がするんですよね」
と明子がいったことろへ、太田のコーヒーが早々と運ばれてきた。
太田はコーヒーをすすり、しばらく考えをまとめているようだったが、おもむろに、また話し出した。
「最近は子供が簡単に自殺をする。ビルの屋上から飛び降りたり、首を吊ったり。悩んだそぶりも、これといってはっきりした原因もなしに、突然死んでしまう子供も多い。まるで、死んで周囲の人間をあっと言わせたい為だけに死ぬような感じだ。
「今回の事件も、その手の自殺なのかもしれん・・・。高杉と由良は親に結婚したいと言っておらんのだよ。だから、結婚を反対された事実もない。まあ、結婚したいと言って許されたとは、わしも思わんがな。なにせ、女の方はあの高杉産業の社長令嬢だ。だが、二人がそれを思い悩んでいた形跡もない。
「突然だ。突発的に死んでいる。だが−−−それにしては、準備の良すぎる死に方なんだ」
明子は水の入ったコップを手の中で揺らして、氷をコロコロ鳴らした。
「ぼくは初め、親や世間に見せたくて、あんな派手な死に方をしたのかと思ったんです。でも、塚口氏の話を信用する限り、二人とも死んで華を咲かせるような人間ではなかったようですし。釈然としませんよね、この事件」
「できれば、わし自身の手でとことん調べてみたいんだが、よその課の領域を侵すわけにはいかなくてな。それで−−−」
太田は明子の顔を見て苦笑を浮かべた。太田は県警二課の課長なのだ。殺人事件などを担当する一課とは、畑違いになる。
「すまんな。君には、いつもこんな事件ばかり押しつけてしまって。本来は警察のするべき仕事なんだが」
「いいえ。面白そうな事件はいつでも大歓迎ですよ。それに、最近は仕事が少なくて、ちょっと財政難だったし」
と明子は答え、真一の顔を思い浮かべて笑った。
太田は腕時計をのぞきこむと、コーヒーを一気に飲み干した。
「もう行かなくちゃならん。二課でも目下二つほど仕事を抱えていて、フル回転なのさ。だが、後で滝沢に資料を届けさせよう。この後、どうするんだね?」
「八時に『エデン』でルパンと落ち合うことになってます。のんのが今、あそこでバイトをしてるんです」
「ほう、それは知らなかった。どうりで滝沢が行き先にこだわっていたはずだ。いや、ここへ来る前に、滝沢が『エデン』に行くならお供したいと言っとったんだ。この忙しいときに、と怒鳴りつけて仕事に追い返したんだがな。・・・では、資料は滝沢以外の奴に持たせるとするか」
人の悪い笑い方をしている太田に、明子は肩をすくめて見せた。
「それはやめた方がいいですよ。のんのに死ぬほど恨まれますから。あいつ、あんなに可愛い顔してるくせに、本気で怒ると相当に怖いんですよ」
「だろうな」
と言って、太田は声を上げて笑い出した。県警本部の人間が居合わせたなら、「鬼の二課長が笑った!」と叫んでパニックに陥ったことだろう。
だが、明子は屈託もなく一緒になって笑い出した。
十年来のつきあいの確かさが、そこにあった。
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