フルート・サイドストーリー集「金の石の休日」
第17話 森の奥に住むものは


 曲がりくねった古い街道を、一人の男が進んでいました。痩せた体をフード付きの灰色のマントですっぽり包み、杖をつきながら足早に歩いていきます。街道脇の草原では、赤や黄に変わった草の葉が日差しに照らされ、海のように波打っています。風は強いのですが、暖かな秋の午後です。
 やがて街道の先に家々の屋根を見つけて、男は足を止めました。フードを脱いで顔をほころばせます。
「やれやれ、やっと着いたぞ……。本当に久しぶりだな」
 男はまだ六十前でしたが、その姿はもっとずっと老けて見えました。髪は雪のように白く、顔には深いしわが刻まれています。それでも、全身には力があふれ、行く手を眺める目は喜びに輝いていました。
「ずいぶん長いこと留守にしてしまったからな。十年ぶりになるか。いろいろ変わっているんだろうな」
 街道の先にあるのは男が生まれ育った村でした。クアローの国の片田舎にある、本当にちっぽけな村ですが、川で水車が回り、畑で小麦がたわわに実る豊かな土地です。川辺に生えるポプラが金の梢をきらきら風に揺らしているのが、ここからでも見えます。それは十年前と変わりのない風景でした。
 男はまた歩き出しました。自然と足が速まります。歩きながら思い出していたのは、十年前、彼がこの村を出た日のことでした。


 「お父さん、やっぱり行くのね?」
 と彼の娘は言いました。十一歳になったばかりなのに、妙に大人びた子でした。その時の口調も、とがめたり引き止めたりするような調子ではありませんでした。
 彼は娘に笑って見せました。胸の中ではさまざまな想いが複雑に絡み合っていて、それをなんと言って説明したらいいのかわかりません。だから、ただこう答えました。
「父さんは行かなくちゃならないんだよ。どうしてもな」
 彼の娘は首をかしげました。行かなくちゃいけない、と言っても、それが義務でもなんでもないことを、ちゃんと見抜いていたのです。すみれ色の瞳で父親をじっと見上げ、それから後ろの自分たちの家を振り返って言います。
「お母さんは見送りに出られないって……。泣いてるから」
 男は何も言えなくなりました。奇妙な修業に明け暮れる彼に、ずっとついてきてくれた妻です。彼が少しも仕事をしないので、夫に代わって働いて家計を支えてくれました。その妻が泣いていると聞かされて、わかっていたことなのに、ひどく後ろめたい気持ちになります。
 けれども、やっぱり彼は旅立ちたかったのです。たくさんのものが自分を引き止めるのはわかっていましたが、それでも行きたくてしかたがなかったのです。

 男は言いました。
「父さんはね、ここではもう上達できないんだよ。どうしても師匠(せんせい)を見つけて、もっと修業しなくちゃならないのさ。自分だけではもう限界なんだ」
 娘はまた父親を見つめました。今度は首をかしげませんでしたが、男はやっぱり後ろめたい気持ちになりました。
 今のままでも、村では充分事足りていたのです。家畜が病気になったとき、誰かが足の骨を折ったとき、どうしても抜けない木の根が新しい畑にあったとき、村人は彼のところへやって来ます。男が手をかざせば、家畜や人は元気になり、木の根は自分から抜けて転がりました。村人は謝礼に麦やら野菜やらを彼の家に運んできます。そんなふうに、彼は村の魔法使いとして重宝がられていたのです。
 男は言い続けました。
「父さんはね、もっと強力な魔法が使えるようになりたいんだよ。父さんの力は、こんなものじゃないんだ。修業をすればもっともっと伸びると自分でわかるんだよ。でも、ここではそれができない。だから、自分が強くなれる場所を見つけに行きたいんだ……。父さんは、もっと大きな魔法使いになりたいんだよ」
 いつか男は瞳を強く輝かせていました。これから世界に出て行こうとする若者のような目です。まだ幼い娘に向かって、本気で語っていました。

 すると、娘がにっこりしました。彼によく似た顔で笑って言います。
「うん、あたしもお父さんが強くなるのは嬉しいな。魔法を使ってるときのお父さんって、すごくかっこいいんだもの……。どのくらいかかるの? 強くなって帰ってこられるまでに」
「わからないな」
 と男は苦笑いで頭を振りました。彼があてにしているのは、若い頃に聞いた修業の塔の噂です。いにしえの住人であるエルフたちが、自分の魔力を高める修業を行っているという話でした。修業の塔がどこにあるのかさえわからないのに、彼はそれを探して旅立とうとしているのです。
 あてのない旅。見通すことができない未来。それでも、彼は胸にあふれるものを抑えることができません。自分はもっと強くなりたい。もっともっと前へ進みたい――。貪欲なほどに熱く想います。愛しい妻や子どもでさえ、それを引き止めることはできませんでした。
「お土産は何がいい?」
 と男は娘に聞きました。家族を置いていく罪悪感を、そんなことばで和らげようとしたのです。娘はちょっと考え込んで答えました。
「じゃあね、髪飾りがいいな。リンジーが叔父さんのお土産にもらったみたいな、赤い石がついた綺麗なやつ」
 と後ろで一つに束ねた髪を片手で引き寄せて見せます。豊かな茶色の髪ですが、髪飾りはつけていません。そんな贅沢品は、この小さな村の中では手に入らないのです。
 そうか、と男は言いました。
「髪飾りだな、わかった。必ず買って帰ってくるから。……母さんを頼むぞ」
「お父さんも元気でね。風邪をひかないでね」
「なぁに、父さんは魔法使いだ。病気なんか自分で治してしまうよ」
 男は娘を抱きしめました。背が伸び始めたほっそりした体の感触は、彼の腕の中にいつまでも残りました――。


 男は思い出の場面にいつの間にかほほえんでいました。少し悲しい微笑です。あれから十年。本当に、こんなに長い時間がかかるとは思わなかったのです。
 約束の髪飾りは服の内ポケットに入っていました。小さいけれども本物のルビーがついた、純金製の高級品です。娘だけでは不公平になるので、ちゃんと妻の分も買ってあります。こちらには妻の瞳の色と同じ青いサファイヤがついています。
 結局、修業の塔を見つけるまでに五年もの歳月がかかってしまったのです。東方のユラサイの国に、まったく人目につかずに存在していました。エルフの隠れ里だったのです。
 古い古い里でした。修業の塔も古びて、崩壊寸前になっていました。エルフたちはもうその里を去り、老婆が塔の番人として残っているだけでした。
 けれども、いにしえのエルフが塔に残した魔法はまだ生きていました。塔を訪れた者に修業を与える魔法です。それは想像を絶する厳しい修行で、さすがの彼も途中で何度も逃げ出そうかと考えました。それでもついに修業をやりとげたとき、男の髪はすっかり白くなり、その姿も目つきも、相手がたじろぐほど厳しいものに変わってしまっていました。
 修業を終えても、彼はすぐには村に戻りませんでした。魔力は以前とは比べものにならないほど強力になったのですが、彼は一文無しだったのです。そのままクアローの王都を目ざし、自分の雇い主を捜しました。
 さまざまなことがありましたが、最終的に彼はクアローの国王の目に止まり、国王軍の魔法使いとして雇われることが決まりました。魔法使いとしては最高の出世です。家族を王都へ呼び寄せてよい、と言われ、支度金ももらいました。彼はその金で約束の品を買い、こうして村まで家族を迎えに来たのでした。

 村が近づいてくるに従って、男の胸は次第に早鳴ってきました。嬉しさが半分、不安が半分です。あれから本当に十年が過ぎました。家族はまだ彼を待ってくれているのでしょうか。
 数えてみれば、娘はもう二十一歳。すっかり大人になって、嫁いでいてもおかしくない年頃です。出稼ぎに出た者が村に戻らないことはよくあるので、五年たっても夫が家に戻らなければ、その妻は再婚してもよい、という不文律もありました。彼の妻も、いつまでも戻らない夫に愛想を尽かし、死んだものと考えて再婚してしまったかもしれません。
 ただ、彼は期待していました。妻の性格はよく知っているつもりです。家と娘を守りながら、今もまだ彼を待ってくれているような気がしてなりませんでした。
 村の上に高く茂るポプラが、風に金色の葉を揺らしています。葉ずれのざわめきが道を急ぐ男の耳に聞こえ始めます。
 懐かしい音だ、と男は考えました。生まれたときからずっと、彼が聞き続けてきた音です。川辺で回る水車と一緒に、やむことのない歌を続けます――。

 けれども、男はふと気がつきました。村は近づいてきたのに、水車の音が聞こえてこないのです。ポプラが葉を落とす冬にも、水車だけは決して歌いやめないのに。
 男はあたりの景色にも奇妙な違和感を覚えていました。もう村は間近です。村の草刈り場や畑が見えてきても良いはずなのに、草原がとぎれないのです。街道は背の高い草の海の中に曲がりくねっていて、いつまでたっても村が見えてきません……。
 違和感は村への最後の分かれ道まできたところで決定的になりました。街道は大きく右へ曲がって次の村へと続いていますが、彼の村へ続く左の道は、両側からおおいかぶさる草に埋もれていたのです。誰かがそこを通って村へ向かった痕もありません。分かれ道のすぐ先に、村の入り口を示す木の門がありましたが、それも根元が腐って倒れかかっていました。
「なんだ――これは!?」
 と男は思わず叫び、それ以上ことばが続かなくなりました。村に何事かあったのです。息も止まりそうな恐怖がいきなり彼を襲います。
 男は手にしていた杖で強く地面を突きました。村人たちを驚かせてはいけない、とずっとここまで自分の足で歩いてきたのですが、もうそんなことはかまわず、魔法の力で一気に村の中へと飛び込んでいきます。

 街道ほどではありませんが、村も荒れ果てていました。家々はまだしっかり建っていますが、人の姿がどこにもありません。川にかかった橋は半ば崩れ、水車はすっかり壊れて流れに沈んでいました。
 男はうろたえました。おおい、と声を上げて呼んでも、どこからも返事は聞こえてきません。自分の家へ行っても、やはり誰もいません。妻も娘も――。家の中はがらんとしていて、家具や荷物は全部どこかに持ち出されてしまっていました。
 いった何があったんだ!? と男は驚いて村を見回し続けました。男の疑問に答えてくれる者はありません。誰もいなくなった庭先で、伸びすぎた垣根と雑草だけがいやに生き生きと茂っています。
 男はかなり長い間、茫然としていましたが、ようやく思いついて、隣村へと飛びました。街道は隣村へ続いていたので、そちらには人がいるのだろう、と見当をつけたのです。
 案の定、隣村は以前と同じようにそこにありました。最初に出会った若者を捕まえて、男は尋ねました。
「隣の村は――シャンの村はどうしたんだ!? 村の者たちはどこへ行ったんだ!?」
 目つきの鋭い老人にいきなりどなられて、若者はびっくりしましたが、すぐに気の毒そうな顔に変わりました。
「シャン村に知り合いがいたのかい、じいさん? あの村は四年前に黒死病に襲われたんだ。魔法医がいなかったから、かなりの村人が死んでしまってね、生き残った奴も村を捨てちまったから、もう誰も残っていないんだよ」
 男は立ちすくみました。黒死病。しばしば大流行しては、大勢の人々を死に追いやる恐ろしい病気です。村一つ、町一つが全滅してしまうことも珍しくありません。男は真っ青になって若者に尋ね続けました。
「それで――生き残った村人は!? どこへ行ったんだ!?」
「さあ。みんなそれぞれ、つてを頼っていったみたいだけどね」

 亡くなった者はみんな村はずれの墓地に埋葬された、と聞かされて、男はまた魔法で自分の村へ引き返しました。今度は村はずれの墓地へ飛びます。
 そこも伸びた草におおわれて、どこから墓地が始まっているのかわからない有り様でした。古びた石の墓碑もありますが、大半はまださほど年月を過ぎていない木の墓標です。その多さに、男はまた震え上がりました。ざっと数えただけでも、村人の三分の二以上にあたる数があったのです。
 男は濃い眉の下から鋭いまなざしを墓地に向けました。風雨にさらされた木の墓の一つ一つに、馴染みの村人の顔が浮かんできます。修業の塔で彼が手に入れた魔法の目は、物事の真の姿を見抜きます。その下に眠っている人物を教えてくれるのでした。
 そして――男は草の特に深い場所に、探し求めるものを見つけてしまいました。寄り添うように並ぶ二つの墓に、片時も忘れなかった妻と娘の顔を見たのです。
 娘は別れたときよりも大人びて、すっかり娘らしくなっていました。四年前といえばもう十七です。恋に遊びに友だちとのおしゃべりに、人生を一番楽しむ時期だったはずです。その輝かしい時間を、病が突然断ち切ったのです。
 黒死病ならば、村にいた頃から彼にも治すことができました。彼がいれば、村人たちも、妻も娘も、みんな助かったことでしょう。けれども、そのとき彼は遠い場所にいました。魔法の修業に明け暮れて、ただ自分が強くなることだけに夢中になっていたのです。
 墓に浮かぶ娘の顔は淋しそうにほほえんでいました。口を開いて何かを語ることはありません。「お帰りなさい」も、遅すぎた父親への恨み言も、何も――。
 男は二つの墓の前に膝をつき、声を上げて泣き出しました。慟哭(どうこく)が空に響きますが、それを聞く者はありません。墓地を埋め尽くす草の海が、ただ風にざわめくだけでした。

  


 それからどこでどうしていたのか。
 気がつけば、男は故郷から遠く離れた森にいました。
 そこはエスタ国とロムド国の国境に横たわる、闇の森と呼ばれる場所でした。無数の怪物や悪霊が棲みついていて、入り込んだ者を襲うので、誰も恐れて足を踏み入れません。彼はそこに小さな庵(いおり)を作って暮らしていたのです。
 どうやってここまで来たのか、それまで何をしてきたのか、記憶はすっぽりと抜け落ちていました。たぶん、あてもなくさまよううちに、ここに流れ着いたのでしょう。改めて数えてみれば、彼が故郷の墓の前で泣いたときから、五年もの歳月が過ぎていました。
 男はすっかり変わっていました。修業を終えたときから老け込んで見えていたのですが、今では外見も心もすっかり本物の年寄りでした。長く伸びた白髪を振り乱し、杖をつきながら森を歩き回ります。何をするつもりもありませんが、歩き回らずにはいられなかったのです。一日中森を徘徊して、夜は庵に戻りました。
 そんな彼に闇の森の怪物たちはひっきりなしに襲いかかりました。老人を食い殺そう、取り殺そうとします。彼は生きていたいとは思いませんでした。ただ死んでいないから生きているだけなのに、怪物に襲われるといつも撃退してしまいました。反射的に魔法を使ってしまうのです。そんな自分をあさましいと思います。生きる目的など何もないのに、それでも死にたくはなくて、自分の生にしがみついているのです……。

 そんな彼が森の変化に気がついたのは、夏も終わりに近い日のことでした。闇の怪物たちが突然、森の奥へと逃げ始めたのです。西から何かが森へ入り込んでいました。
 老人はそちらへ目を向けました。こんな生活をしているのに、その瞳の鋭さだけは変わりません。近づいてくるのが魔法使いだということを見抜きます。きっとロムドの国王軍でしょう。森から国へ入り込む怪物が増えてくると、時々森へやって来て、ひとしきり怪物退治をしていくのです。国王軍の中には、怪物に対抗するために、必ず魔法使いが混じっていました。
 彼は誰にも自分の姿を見られたくはありませんでした。何故こんな場所に住んでいる、と問いただされるのも面倒です。国王軍が立ち去るまで、森の奥へ姿を隠そうとします。
 ところが、その時、彼は振り向きました。近づいてくる魔法の気配が、信じられないほど強大なことに気がついたのです。しかも、一つではなく二つも存在しています。非常に強力な魔法使いが二人も森に入り込んだのです。闇の森の怪物たちは、魔法で追い払われているのではなく、魔法使いたちが放つすさまじい気配に恐れをなして逃げ出しているのでした。これほどの魔法使いには今まで会ったことがありません。どんな連中だろう、と強い興味をそそられます。
 老人はしばらくためらっていましたが、ついに杖で地面を突くと、森の奥ではなく、近づいてくる軍隊の方へと飛んでいきました――。

 意外なことに、それは一組の若い男女でした。ロムド軍は同行していません。たった二人だけで、恐ろしい闇の森へずんずん入り込んできます。女の方は白い長衣、男の方は青い長衣を着て、それぞれ手に杖を持っていました。何かを探し求めるように周囲を見回しています。
 何を探しているのだろう? と老人は考えました。そばに来てみれば、彼らが放つ魔法の気配は肌を刺すほど強く感じられます。これほど強力な魔法使いを見たのは、本当に初めてのことでした。何もかもどうでもよくなっていたはずの心の奥で、ざわざわと泡立つようなものを感じ始めます。彼らの実力を見てみたい、と考えてしまいます。
 すると、ふいに女が鋭い声を上げました。
「そこだ!」
 隠れている老人の方をまっすぐに見て杖を振り上げます。彼はとっさにその場から飛び出しました。隠れていた茂みがいきなり燃え上がり、真っ赤な炎を吹き上げます。彼を攻撃してきたのです。
 老人は男女と向かい合いました。男女はあからさまな敵意をぶつけてきていました。わけがわからずにいる彼に、女が言います。
「この森に住む魔法使いというのはおまえだな! ユリスナイの御名とロムド国王陛下の名の下に命じる! 今すぐこの森から立ち去れ!」
 女はどう見てもまだ二十代でした。彼の娘のような年頃なのに、いやに迫力のある、厳しい声と表情をしています。その白い長衣の胸には光の神ユリスナイの象徴が下がっていました。神に仕える女神官なのです。
 男の方も女とほぼ同年代に見えました。見上げるような大男で、非常にたくましい体つきをしています。男の青い長衣の胸には武神カイタの象徴があります。こちらは戦いの神に仕える武僧に違いありませんでした。
 いきなり攻撃され、森から出て行け、と言われて老人は驚きました。わけがまったくわかりません。なんのことだ? と聞き返そうとします。
 が、そのとたん、彼の胸をまたよぎったものがありました。彼らの力を見てみたい――。そんな強い誘惑です。燃えていた茂みはいつの間にか火が消えていました。消火の魔法が発動していたのです。彼はそれにまったく気がつきませんでした。ただそれだけのことでも、女が並外れた魔法使いだとわかります。

 老人は男女に向かって胸を張ると、杖を握りしめて言い返しました。
「ここはわしの森じゃ! おまえたちのような若造どもに追い出されてなるものか!」
 ――声を出したこと自体、とても久しぶりのような気がします。口調まですっかり年老いてしまっていましたが、自分でも驚くほど大きな声が出ました。
 すると、青い衣の大男が言いました。
「おとなしく立ち去った方が身のためだぞ、ご老体。我々はロムド城を守る魔法軍団の将だ。魔法の腕には自信がある」
 老人は挑発するように笑い返しました。
「わしを追い出したいのならば力ずくでやるが良かろう! できるものならばな――!」
 こんなことを言っていることが自分で信じられません。ついさっきまで、巨大な獣か怪物が現れて自分を食い殺してくれないだろうか、と考えていたはずなのに、今、彼は杖を握り、相手に向かって魔法を繰り出そうとしているのです。その杖は修業の塔で得たものでした。我を忘れさまよい歩いた五年間にも、手放すことなく持ち続けていたのです……。

 「いたしかたない」
 と女神官は言いました。杖を握り直して、鋭くそれを彼に向けてきます。
 とたんに巨大な光の弾が飛んできました。魔力を一カ所に固めて飛ばしてきたのです。彼は自分の前に魔法の壁を作りました。光の弾が衝突して砕け、魔法の壁が激しく振動します。それが次々にやって来ます。
 老人は驚きました。こんな強力な攻撃が続けざまにできるとは、と考えます。彼の前で魔法の壁がひび割れて、さえぎるものがなくなります。
 とたんに、今度は武僧が出てきました。
「行くぞ、ご老体!」
 あっという間に駆け寄って飛びかかってきます。彼は杖を使いません。素手でつかみかかってきます。老人は大きく飛びのき、杖を突きつけました。魔法の稲妻で武僧を直撃しようとします。
 すると、武僧の頭上で稲妻が散りました。白い魔法の壁がさえぎったのです。女神官がそちらへ杖を向けていました。
「守りを忘れるな、青! 攻撃に集中しすぎだ!」
 と仲間を叱りつけ、自分も前へ出て杖で殴りかかります。彼は自分の杖でそれを受け止めました。魔法と魔法が激突して、激しい火花を散らします。暗い森の中がまぶしいくらいに照らし出されます。
 と、老人はまた飛びのきました。武僧が飛びかかってきたのです。たった今まで老人が立っていた場所を、大きな拳が殴りつけます。とたんに、地震のように森中が揺れ、老人は思わずよろめきました。この男も女に劣らない魔力の持ち主だ、と悟ります。
 その隙に女神官がまた攻撃してきました。体勢を崩した彼へ杖を振り下ろします。老人はそれを受け止め、杖に魔力を込めました。杖が輝き、女を跳ね飛ばします。
「白!」
 武僧がとっさに仲間へ手を向けました。木にたたきつけられそうになった女神官を魔法で守ります。
 いい連携だ、と老人はまた考えました。互いの動きをよく見て、協力して彼に立ち向かってきます。
 戦いながら、老人はいつの間にか笑っていました。心の奥底から、長い間忘れていたものが湧き上がってきます。熱い熱い想い――修業の塔で苦しい就業に耐えていたとき、胸にいつもあった想いです。自分にはどんなことができるのか。どこまで強くなることができるのか。それをどうしても確かめてみたい、という欲望です。戦いを通じて自分の力を推し量れることが、嬉しくてたまりません。
 彼は目の前の二人にも匹敵する、強力な魔法使いだったのです。女神官の繰り出す魔法を受け止めて跳ね返し、飛びかかってくる武僧をかわして反撃します。彼の攻撃は女神官が返してしまいますが、それでも彼は二人相手に決してひけを取っていません。自分はここまで強くなっていたのか――と感動さえ覚えます。

 老人は武僧が女神官を守りながら戦っているのに気がついていました。攻撃の主導権を握っているのは女神官です。
 そこで、彼は女の方へ攻撃を繰り出しました。強烈な魔法の弾を飛ばします。彼女が魔法の壁で防いだところへ、さらに二発、三発。先刻のお返しと魔法の壁を打ち砕き、さらに女神官を攻撃します。
 案の定、青い武僧が飛び出してきました。白い女神官を守ろうと杖を振り上げます。彼は杖の向きを変え、武僧の胸をまともに突きました。魔法が炸裂して、男の大きな体が吹き飛びます。
「青!」
 とっさに仲間を救おうとした女神官を、彼は杖でなぎ払いました。渾身の一撃を武僧に繰り出した直後です。威力は半減していましたが、それでも女神官は倒れました。手から杖が離れます。
 老人はその前に飛び込みました。自分でも思いがけないくらい体が良く動きます。杖を突き出し、女神官にとどめの一撃を食らわせようとします。武僧は地面にたたきつけられていて、助けに駆けつけることができません。彼の勝利です。
 すると、地面に倒れた女神官がにらみつけてきました。この状況でも一歩も引かない目をしています。鋭く振り向いた頭の後ろで、束ねた長い髪が光って揺れます。淡い金髪ですが、彼の目には、何故かそれが茶色に見えました。同じ髪型をしていた娘の顔が突然浮かんできて、思わず息を呑んでしまいます――。

 その隙を女神官は見逃しませんでした。
 手から魔法を発して老人を跳ね飛ばし、飛び起きて自分の杖を取り戻します。地面にたたきつけられて動けなくなったのは、今度は老人の方でした。そこへ鋭く杖を突きつけます。
 が、女神官は魔法を発動させませんでした。杖を向けたまま、老人を見つめます。武僧が起き上がりながらどなりました。
「どうしたんです、白!? 早くとどめを刺しなさい!」
 白い長衣の女神官は老人を見つめ続けました。厳しい声で尋ねます。
「何故ためらった。私を見て驚いたのは何故だ?」
 老人は目をそらしました。この女は彼の娘とはまったく似ていません。顔立ちも性格も全然違うのに、何故だか本当に娘を思い出してしまうのです。彼の娘も、生きていれば、ちょうどこのくらいの歳になっていたはずでした。
「おまえさんには関係のないことじゃ」
 と老人は答えました。体中を充たしていた熱いものが、急速に萎えて消えていきます。変わりに湧き上がってきたのは苦い苦い後悔でした。

 武僧が飛んできました。
「何をしています、白!? あなたがやらないなら、私が――」
「待て、青。この人ではない」
 と女神官が答えました。
「この人からは闇の気配が伝わってこない。今はもう殺意も感じられない。ユギル殿が言われていた闇の魔法使いは、この人ではないのだ」
 なんと、と武僧が驚きました。
「これほどの魔力を持っていながら? 闇の魔法使いは別にいると言うのですか?」
 女神官は杖を引くと、老人へ頭を下げました。
「申し訳ない、人違いだ。我々はロムド城を守る魔法軍団の一員なのだが、ロムドにやがて害をなす闇魔法使いがここに棲んでいる、と城の占者が言ったので、それを退治に来たのだ。だが、あなたは闇に属する者ではない。すまなかった」
 女のくせに男のような口調で話しますが、それが不快ではありません。むしろ潔さを感じます。生真面目な顔の中に、相手を心配する表情ものぞいていました。
 老人はすぐに立ち上がりました。思いやられてとまどう自分を感じます。
「このくらい、どうってことはないわい……。誤解が解けたなら行かせてもらうぞ。まったく、人騒がせな話じゃ」
 すると、武僧の青年が尋ねてきました。
「だが、ご老体は何故こんな場所におられるのだ? 一人でお暮らしなのか?」
 老人は顔をしかめました。彼が一番聞きたくない質問でした。
「おまえさんたちには関係のないことじゃ」
 と突き放すようにまた繰り返し、そのまま森の奥へ立ち去ろうとします。


 その時、老人は森の奥にすさまじい気配を感じました。全身にたたきつけるような衝撃を感じ、心臓に激しい痛みを感じます。息が詰まって呼吸ができません。
「いかん!」
 と女神官が杖を振りました。一瞬で老人を捕らえていた力が消え、彼は地面に倒れました。
 その前に飛び出して、武僧がどなりました。
「何か来ますぞ! ものすごい悪意だ!」
 言ったそばから次の攻撃がやってきました。見えない力が彼らを打ちのめします。武僧がすぐに杖を振りかざしてそれを防ぎます。森の奥の気配は、ものすごい勢いで近づいてきます。
「青、そのまま! 敵を止めるぞ!」
 と女神官が武僧の先に飛び出しました。杖を振り上げ、強く輝く魔法の弾を森の奥へ撃ち出します。とたんに、悲鳴のような声が上がりました。森の木々が風もないのにざわめき出し、狂ったようにしなり始めます。その中から現れたのは、巨大な白い塊でした。無数の顔、頭、手、足……数え切れないほどの人間で作った蛇のような姿をしています。生きた人間ではありません。死者たちが、腐り果て崩れた体で寄り集まっているのです。白骨化した死体もいくつもありました。
「なんです、これは!?」
 と驚く武僧に女神官が答えました。
「闇の森で迷って死んだ者たちの魂だ。寄り集まって悪霊になっている」
 死者の蛇は彼らの前で立ち止まっていました。女神官が杖を突きつけて、動きを止めているのです。そうしているだけで、息が詰まるほどの悪意と闇の気配が押し寄せます。
「このままにしておくと、こいつはロムド国へ突進する。倒すぞ!」
 と女神官は言い、杖を振り上げました。魔法の稲妻が悪霊の怪物に下ります。ところが、寸前でそれが散りました。一瞬黒い光の壁のようなものが見えます。闇の力で跳ね返したのです。
 武僧が飛び出して、杖で闇の壁をたたきました。黒い光が砕けた瞬間、女神官がまた魔法を繰り出します。白い光の弾が怪物の体を撃ち抜きます。

 ところが、吹き飛んだ怪物の体の奥から死者たちが湧き上がってきました。うごめきながら、うめきながら、また蛇の形になっていきます。
 女神官は唇を歪め、また杖を振りました。先より大きな光で敵を吹き飛ばそうとします。すると、向こうも巨大な黒い光を撃ち出してきました。白と黒の光の弾が真っ正面からぶつかり合います。力負けして砕けたのは、白い光の方でした。黒い光が女神官を襲います。
 とたんに武僧が女神官の前に立ちました。杖を放り出した両手で黒い光を受け止め、まるで大岩をつかんで放り投げるように、大きく横へと跳ね飛ばします。力ずくで闇の攻撃をそらしたのです。勢いあまって、武僧も後ろへひっくり返ります。
「青、なんてことを!」
 女神官が叱る声になりました。素手で闇の弾を受け止めたために、武僧の両手はひどい火傷を負ったようにただれていたのです。倒れたまま立ち上がることができません。そこへまた闇の弾が飛んできました。女神官は魔法で武僧を癒していたので、反応が一瞬遅れました。光の壁が間に合いません。闇の弾が彼らを直撃します――。

 すると、いきなり弾が砕けました。飛び散り、黒い光の粉になって消えていきます。
 男女は驚いて振り向きました。彼らの後ろから光の弾が飛んできたのです。老人が杖を高くかざし、悪霊の蛇に突きつけていました。自分でも気がつかないうちに彼らを守っていたのでした。
「かたじけない」
 と武僧が跳ね起き、杖を握って蛇に向かっていきました。両手の傷はもう治っています。女神官もすぐ攻撃に移りますが、その前に老人を振り向きました。
「ありがとう」
 老人は目を丸くしました。女神官が一瞬彼にほほえみかけたのです。厳しいほど生真面目な顔が、とても優しくなります。死んだ娘の面影がまた重なります……。

 青い武僧は悪霊の蛇と戦っていました。降りそそぐ闇の弾をかわして武僧が攻撃を繰り出します。闇の壁で防いで、蛇が反撃してきます。駆けつけた女神官がそれを受け止めて返します。どれほど攻撃して傷つけても、蛇の体はまた復活してきます。二人の魔法使いは、聖なる魔法を使う聖職者だというのに、どうしても闇の蛇を倒すことができません。
「何か――力が働いているぞ――」
 と女神官が言いました。激しすぎる戦いに肩で息をしています。
「左様ですな――ただの悪霊ではない」
 と武僧が答えました。こちらは、たくましい顔から滝のような汗が流れ落ちています。決め手が見つからなくて、二人とも攻めあぐねてしまいます。
 老人は躊躇(ちゅうちょ)しました。彼に怪物と戦う必要や義務はありません。ありませんが……
 ついに、彼は進み出ました。男女の魔法使いの間に割って入り、さらにその前へ出ます。
「ご老体!?」
「危険ですぞ!」
 若い魔法使いたちが警告しますが、それを無視して蛇の前に立ち、どん、と杖で地面を打ちます。
「醜悪な死人の蛇め! おまえの正体を見せい!」
 濃い眉の下から怪物をにらみつけます。

 すると、不思議なことが起きました。何十メートルもある巨大な蛇がみるみる縮み始めたのです。腐った死体や白骨の姿の悪霊が溶けるように消えていき、やがてその中心に一人の人物が現れます。黒い長衣を身につけ、フードをまぶかにかぶった男です。全身から得体の知れない雰囲気を漂わせています。
「あれは?」
 と驚く武僧に老人は答えました。
「昔、この森で死んだ魔法使いじゃな。闇に取り憑かれて悪霊になったんじゃ。自分が消滅せんように、周囲に他の悪霊どもを呼び集めておったようじゃな」
「黄泉(よみ)の魔法使いだな。大昔、エスタ王に仕えていた大魔法使いのなれの果てだ。ユギル殿が占いで言っていたのは、あの魔法使いのことだったのだ」
 と女神官は言い、黒い男に杖を向けて言いました。
「黄泉の魔法使いよ、即刻黄泉の門へ下り、おまえの国である死者の世界へ――」
 とたんに悪霊の魔法使いが攻撃をしかけてきました。無数の闇の弾を撃ち出してきます。青い武僧がとっさに光の壁で防ぎますが、すぐに壁にひびが入り、砕けそうになります。
 老人は自分の杖を壁に向けました。青い壁が緑色を帯び、光が強まって闇の弾を弾き返します。自分の魔法を武僧の魔法に重ねたのです。おお、かたじけない、と武僧がまた礼を言います。
 白い女神官が声高く唱えました。
「光の神の名において命じる! 立ち去れ、黄泉の魔法使い!」
 とたんに白い光が男を撃ちました。激しい風にあおられたように黒い長衣がはためき、フードが外れます。三人の魔法使いたちは、はっとしました。フードの下から現れたのは、年老いた男の顔だったのです。何もかもに絶望しながら、世を恨み続ける目をしています。その黒い姿も暗い顔も、白い光の中に溶けるように見えなくなっていきます――。

 森から悪霊の気配が消えました。昼なお暗く、怪物が徘徊する闇の森ですが、それでもいつもの静けさを取り戻します。
「黄泉の魔法使いを倒せましたか?」
 と武僧が尋ねると、女神官は首を振りました。
「寸前で逃げられた。森の奥へ逃げ込んでしまった」
 取り逃がした悔しさに唇をかんでいます。その森の奥を見透かしながら、老人は言いました。
「まあ、おまえさんの魔法を相当食らっておったからな。当分は何も悪さができんじゃろう。闇の森から抜け出してロムド国を攻めるような真似もできんはずじゃ」
 魔法使いたちはそれぞれに緊張を解きました。改めて互いの顔を見合わせます。
 女神官が老人に言いました。
「敵の正体を見抜く魔法か。いにしえの時代にはそんな魔法もあったと聞いていたが、自分の目で見ることがあるとは思わなかった。貴殿は実に素晴らしい魔法使いだな」
 その素直な賞賛に彼は思わずどきりとしました。また記憶によみがえってきたものがあったのです。少女の声が彼に話しかけます。
「お父さんって本当にすごい魔法使いだわ。それに、魔法を使ってる時のお父さんって本当に素敵。あたし、友だちにもたくさん自慢してるのよ――」
 彼がまたうろたえていると、女神官がほほえみかけました。
「我々と一緒にロムド城へおいでにならないか、ご老体? 国王陛下は優秀な人材をいつも求めておられる。貴殿ならば、きっとロムドを守る魔法軍団の将になれるだろう」
「おお、それはよい! ぜひロムドへ来られよ、ご老体!」
 武僧もそう言って笑い出しました。屈託のない笑い声が響きます。
 とっさに誘いを断ろうと思った老人ですが、笑顔の魔法使いたちを見て考えを変えました。ロムド城へ行くということは、この若い魔法使いたちとずっと一緒だということです。それはまんざら悪いことではない気がしました。
 答えを待っている男女に、彼は、ふん、とわざと尊大に鼻を鳴らしてみせました。
「ご老体とはたいそうな呼び方じゃな。わしはそんな年寄りじゃありゃせんわい。わしの名前はテオドールじゃ――」

  


 「深緑殿、もうすぐロムド城だぞ」
 そう声をかけられて老人は目を覚ましました。振動が体を揺らし、車輪の音が耳を打ちます。ここは街道を走る馬車の中です。彼を起こしたのは、向かいの席に座る黒ずくめの剣士でした。
「おお、もうディーラに到着してましたかの。すっかり眠り込んでおりましたわい」
 と深緑の魔法使いは身を起こしました。ずいぶん長い時間眠っていた気がします。懐かしい日々をずっと夢に見ながら――。
「ジタン山脈からここまでは長旅だ。しかも、深緑殿はジタンで闇や軍隊相手にずいぶん戦ってきたからな。さぞ疲れただろう」
 話しかけている黒衣の剣士は、ロムド王の重臣のゴーラントス卿――ゴーリスでした。彼らは赤いドワーフの戦いを終え、敵軍の捕虜と共にロムド城があるディーラまで戻ってきたのです。
「いやいや、疲れてなぞはおりません。ただ、年寄りになるとやたらと眠うなるものでしてな。猫のようにどこでもすぐに眠り込んでしまいますのじゃ」
 と言いながら、老人はひげをしごいて笑いました。彼が闇の森からロムド城に来て、深緑の魔法使いという名をもらってから、十二年の歳月が過ぎています。穏やかな顔をした老人に、白髪を振り乱して森を徘徊していた老魔法使いの面影はもうありません。

 馬車は王都の中を走り続けていました。窓の外を見慣れた景色が流れていきます。城に近づくにつれて立派な建物が目立ってきます。貴族たちの屋敷です。
 それを眺めるゴーリスが、なんとはなしに嬉しそうな様子をしているので、深緑の魔法使いが話しかけました。
「久しぶりでご家族に会えますな。ずいぶん長いことディーラを留守にしたから、奥方もさぞお待ちかねじゃろう」
「一ヶ月半ぶりだからな」
 とゴーリスがぶっきらぼうに答えました。家に帰れることを喜ぶ気持ちを老人に見抜かれて、照れ隠しをしているのです。老人はいっそうほほえみました。
「ご令嬢はいくつになりましたかの?」
「ミーナか? 一歳二ヶ月だ。ジタンへ出発する前にはまだ歩けなかったが、そろそろ歩き出しているかもしれん」
「それは楽しみでございますの。……ご家族は大切になさりませ、ゴーラントス卿。待っていてくれる家族があるということは、どんな宝玉にも勝る宝ですからの」
 ゴーリスはすぐには返事をしませんでした。深緑の魔法使いが天涯孤独の身の上だということを、彼は知っていました。老人が自分自身のことを思い出して言ったのだ、とわかったのです。
 魔法使いは窓の外の景色を眺めています。たくさんの家屋敷が並ぶ町並みです。身分や貧富の差はあるものの、大勢の人がそこで家族と暮らしています。ゴーリスの妻と娘が待つ屋敷もその中にあります。けれども、深緑の魔法使いの家はここにはないのです。ロムド城に与えられた一室が彼の家でした。
 そうだな、とゴーリスは静かに言いました。
「待っていてくれる人がいるということは、確かに幸せなことだな」
 老人はただ穏やかに町並みを眺めています――。

 馬車がロムド城に到着しました。城の重臣の帰還を、召使いが声高に皆へ知らせます。
 先に馬車を降りたゴーリスが、城の大階段を見て、おや、という顔になりました。笑いながら魔法使いを振り向きます。
「貴殿の家族がお出迎えだぞ、深緑殿」
 老人は馬車から降りようとしていましたが、それを聞いて驚いて顔を上げました。その目に飛び込んできたのは、誰よりも先になって階段を下りてくる三人の男女でした。それぞれに、白、青、赤の長衣を着て、手には杖を持っています。ロムド城の四大魔法使いたちでした。
「深緑!」
 と白の魔法使いが呼びました。白い長衣の胸に神の象徴を下げた女神官です。普段は厳しい顔をしている彼女が、とても嬉しそうな顔をしています。
 それに続くのは青い長衣の見上げるような大男――武僧の青の魔法使いです。さらに黒い肌に猫のような瞳の、赤の魔法使いもやって来ます。
「ようやく帰ってきましたな、深緑!」
「マ、ネタ、ゾ!」
 大声や異国のことばで、それぞれに呼びかけてきます。
 老人は目を丸くしました。
「これはまた大歓迎じゃな。どうした? 帰る途中ずっと心話で伝えとったから、わしが今日戻るのはわかっとったはずじゃろう」
「そう言われても、深緑の元気な顔を見るまでは落ち着きませんでしたぞ。無事に帰ってきて本当に良かった」
 と青の魔法使いが笑います。相変わらず屈託のない笑い方をする武僧です。
 白い長衣の女神官も言いました。
「ジタンでの任務、ご苦労だったな、深緑。途中、長い間連絡が取れなくなったから、本当に心配していたのだ」
 そう言う彼らがいた王都も、実は敵の襲撃を受けていました。三人の魔法使いたちは都を守って激戦を繰り広げたのですが、そんな苦労は一言も口にしません。ただ仲間の無事な姿を喜んでいます。深緑の魔法使いは急に何も言えなくなりました。胸の中に、じんわりと暖かいものが広がっていきます。
 すると、ゴーリスが話しかけてきました。
「陛下へのご報告は俺がしよう。久しぶりで四大魔法使いが揃ったんだ。積もる話もあるだろうから、水入らずで過ごすといい」
「お気遣い感謝する、ゴーラントス卿」
 と白の魔法使いが礼を言うと、黒衣の剣士は片手を上げて城に入っていきました。本当に、大貴族なのにとてもそうは見えない、気さくなゴーリスです。

 城の大階段に四人だけになると、深緑の魔法使いは改めて仲間たちを眺め、これはこれは、と言いました。
「出発するまえにも思っとったが、帰ってきてみれば、白はまたいちだんと綺麗になっとるのう。何がどうしたんじゃね?」
 真の姿を見抜く目を持つ老人です。一見厳しく見える女神官が、以前よりぐっと女らしく優しい雰囲気になっていることに、すぐに気がついたのです。白の魔法使いはたちまち真っ赤になり、それを隠すように、わざとそっけない口調になって答えました。
「髪型を変えたせいだろう。結い上げていると、髪留めが外れたときに髪が顔にかかって視界を奪われる。そんなことが戦闘中に二度も続けてあったから、結うのをやめたのだ」
 と後ろで一つに束ねた髪を引き寄せて見せます。淡い金色の髪です。髪の色は違うのに、遠い日に同じ仕草をした娘を思い出させます。
 老人は静かに言いました。
「懐かしい髪型じゃの」
 青の魔法使いがそれにうなずきます。
「そうそう。白は若い頃にもこの髪型をしてましたからな――」
 失言でした。たちまち女神官がじろりとにらみつけてきます。
「今はもう若くなくて悪かったな」
「いやいや! 白は今でも充分若いですぞ。とても三十路(みそじ)半ば過ぎには見えませんからな」
 さらに墓穴を掘って、怒った白の魔法使いにくるぶしを蹴られます。
「ラ! シ、レイ、ゾ、アオ!」
 と赤の魔法使いも青の魔法使いを責めます。
 深緑の魔法使いは笑い出してしまいました。
「おまえさんたちなんぞ、みんな若造じゃわい。ひよっこどもがピイチクパアチク騒いで、賑やかなもんじゃ。金の石の勇者殿たちと、ちっとも変わりゃせんよ」
 年下の三人の魔法使いは、たちまち苦笑しました。
「深緑にはかなわないな」
 と白の魔法使いが言います。

 そんな女神官の髪を見ながら、深緑の魔法使いは言いました。
「よう似合っとるぞ、白。……今度、新しい髪飾りでも買ってやろうかの?」
 昔々、娘と妻のために買った髪飾りは、いつの間にか彼の手元からなくなっていました。落としてしまったのか、捨ててしまったのか、人にあげたのか。それさえ記憶には残っていません。けれども、赤い石がついた金の髪飾りは、この女神官の淡い金髪によく合うような気がしました。本当に同じような髪飾りを見つけて贈ってやろうか、と考えます。
 深緑の魔法使いがこんなことを言うのは初めてだったので、白の魔法使いは目を丸くしましたが、すぐに、にっこりほほえみました。
「それは楽しみだな」
「お父さん、楽しみにしてるわ。きっとお土産に買ってきてね――」
 少女の声がまた重なります。老人は黙って目を細めました。

 白の魔法使いが城に向き直りました。一つに束ねた長い髪が揺れて、きらりと輝きます。
「さあ、中に入るぞ。陛下にご許可をいただいたから、今日は全員非番だ。みんなでゆっくり食事にしよう」
「宴会ですな」
 と青の魔法使いが上機嫌でまた笑います。
「シンリョク、ナ、メニ、アイール、ヴィネ、ル」
「ほほう、アイール産のワインが? 何年ものじゃ?」
 赤の魔法使いと深緑の魔法使いが話し始めます。
 午後の日差しはロムド城に降りそそぎ、いたるところに日だまりを作っています。
 春の暖かさに包まれた大階段を、四人の魔法使いは連れだって上っていきました――。

(2008年11月4日)







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