フルート・サイドストーリー集「金の石の休日」
第12話 見送る者


 北風が吹きつけるロムド城の屋上に、ひとりの男が立っていました。上から下まで黒ずくめの服を着て腰には大剣を下げ、黒っぽいマントと半白の髪を風に吹かれています。ロムド王の片腕と呼ばれている重臣のゴーラントス卿――ゴーリスでした。厳しい顔つきで、じっと城の西の平原を眺めています。
 時は十二月の末。新年を間近に控えて、城下街の煙突からはたくさんの煙が立ち上り、馬車の音がひっきりなしに響いて、城も街も活気のある喧噪に包まれています。けれども、街壁をへだてた外に広がる平原は静かです。畑や牧場は前日に降った雪におおわれていて、働く人の姿も見えません。ただ、風だけが平原を吹き抜けて、遠くで獣のうなるような音をたてています。
 すると、城の中から階段を上がって屋上に来た人物がいました。平原を眺め続けるゴーリスの後ろに立ちます。
 ゴーリスが振り向きもせずに言いました。
「何か用か、ユギル殿」
 足音と気配だけで、誰が近づいてきたかわかっていたのです。
 ロムド城の一番占者の青年は、いつものように灰色の長衣を着て、その上に毛織りのマントをはおっていました。静かな口調で、ゴーリスの後ろ姿へ話しかけます。
「勇者殿とポチ殿がシルの町に到着された、と先ほどわたくしの占盤が告げました。これで勇者の皆様方全員がご自宅に戻られたことになります。それをお知らせにあがりました」
 ゴーリスはユギルを見ました。輝く長い銀髪に浅黒い肌、右目が青、左目が金の色違いの瞳の、本当に美しい青年です。ですが、ゴーリスはそんな見た目には少しも心動かされず、ただ青年の言ったことばに答えました。
「そうか、やっと到着したか」
 その黒い瞳に安堵の色が浮かび、厳しい顔が和らぎます。ユギルは穏やかにほほえみ返しました。
「はい。勇者殿のご両親の元に無事に。ゴーラントス卿が勇者殿をずっとご案じだったので、陛下から、すぐにゴーラントス卿にもお知らせするように、と命じられました」

 金の石の勇者フルートとその仲間たちが、薔薇色の姫君の戦いを終え、ロムド城をからそれぞれの家へと出発して、すでに六日がたっていました。その間、ゴーリスは晴れの日も雪の日も、毎日こうして城の屋上に立ち、フルートの故郷がある西の方角を眺め続けていたのです。
 ゴーリスはユギルのことばに思わず苦笑しました。この黒衣の男は身分高い大貴族なのですが、いつも貴族と言うよりは剣士という方が絶対にふさわしく見えます。国王が直々に心配していたという話を聞かされて、得意がるどころか、逆に申し訳なさそうな表情をします。
「恐縮なことだ。……なにしろ、あれだけのことがあった後だ。なんとなく気がかりでな。無事についたのならば本当に良かった」
 ユギルの占いを信じて、シルの町で十年間も金の石の勇者を待ち続けたゴーリスです。当時十一歳の少年だったフルートが金の石の勇者だとわかってからは、剣の使い方を一から教え、勇者と言えるだけの戦士に鍛え上げました。フルート自身は少女とも間違われそうな優しい顔立ちの少年なのですが、その勇気と強さは、共に戦った者であれば誰もが認めます。ゴーリスにとっては、世界にたったひとりの愛弟子なのでした。
 ユギルは静かな声で話し続けました。
「勇者の皆様方は、年が明けたら早々にそれぞれの家を旅立たれます。いよいよ世界に出発されるのです。新しい旅立ちにふさわしい時でございましょう」
「それも占盤に現れたのか。ユギル殿は占いの力をすっかり取り戻したようだな」
 とゴーリスが若い占者を眺めました。青年はゴーリスよりも上背がありますが、ほっそりした体つきをしています。エルフのように優美な姿ですが、その占いの力は大陸でも並ぶ者がないほど正確です。その能力を、ユギルはハルマスの町で魔王と戦った際に一時的に失い、その隙を突かれて、ロムド城はとんでもない事件に襲われたのでした――。
「まだ完璧には回復しておりませんが、力の九割方は戻ってきております。象徴も、先の出来事も、また読めるようになってまいりました。ゴーラントス卿にも大変ご心配をおかけいたしました」
 とユギルが頭を下げました。長い銀髪が、さらりと音を立てて揺れます。この青年は、いつもていねいすぎるほど上品な物腰なのです。

 そんなユギルを見て、ふとゴーリスが顔つきを変えました。面白そうに眺めて、くくっと小さく笑います。いつも無愛想な剣士には珍しいことだったので、青年は驚きました。
「なにか? ゴーラントス卿」
 いや、とゴーリスは言ってから、改まったようにこんなことを聞いてきました。
「そういえば、ユギル殿はいくつになったのだ?」
「年齢でございますか? 二十八になりましたが」
 いくら占者でも、話している相手の心の中まで読むことはできません。何故そんなことを聞かれるのかわからなくて、ますますいぶかしそうな顔をします。
 そんな青年をゴーリスは腕組みして眺めました。相変わらず面白そうな表情のままです。
「まったくな……。あのくそ生意気なガキが、実に立派になったもんだ」
 とたんにユギルは目を見張り、すぐに口をとがらせました。ゴーリスが自分のことを言ったのだとわかったのです。急に皮肉な口調になって答えます。
「おかげさまで。どうやらわたくしは、人をあざむいて化ける才能には、生まれつき恵まれていたようでございますので」
 ユギルは、今でこそ押しも押されもしない城の一番占者ですが、親に恵まれずに貧民街で育ってきた過去があります。ロムド城に来たばかりの頃には、ことばづかいも態度も粗野そのものだったのです。そんな最低層の人間を重臣として雇用するなど、家臣の素性を問わないロムド王でなければありえないことでした。
 ゴーリスがまた笑いました。皮肉や揶揄の笑いではありません。
「立派な大人になった、と誉めているんだよ。おまえが初めて陛下の前に現れたのは、確か十五の時だったな。今のフルートと同じ年齢だ。あれから十三年あまりが過ぎて、おまえは今、大陸随一の占い師になっている。まったく年月の流れというものはすごいものだ、と感心しているんだ」
 黒衣の剣士の口調は、ユギル殿、と呼びかけている時よりも、もっと砕けた調子になっていました。ぶっきらぼうですが、暖かいものがあります。
 ユギルも表情を変えると、前より親しい調子でほほえみ返しました。
「皆様方のおかげと思っております。陛下もゴーラントス卿も、他の皆様方も、こんなわたくしを信頼してくださいましたので。占者は、信じてもらうことで初めて人の役に立つことができる存在です。その信頼を与えてもらえたことには、いつも感謝しております」
「おまえの実力のたまものだ」
 とゴーリスは短く答え、また視線を西の平原に向けました。
 北風は城の屋上に吹き続けています。身を切るような冷たい風が男たちのマントをはためかせます。

 「あいつらはどうなっていくのだろうな?」
 しばらく沈黙した後で、ゴーリスが言いました。笑っていた顔が、また物思う表情になっています。黒っぽいマントの下で腕組みをしながら、遠い目で平原と、そこに連なるなだらかな丘を眺めます。故郷へ戻ったフルートや、他の勇者の少年少女たちを、心の中で追っているのです。
「おまえはこうして、ここにいる。十年後、あいつらはどこでどうしているんだろうな? デビルドラゴンを倒して平和を取り戻しているのだろうか? それとも、まだ戦い続けているのだろうか?」
「それは、占盤に尋ねてもわからないことです」
 とユギルは静かに答えました。
「勇者殿たちの未来は、何度占っても占盤には現れませんので。見えるのはいつでも、今と、今からほんの少し先に起こる出来事だけです。ですが、勇者殿たちに倒せなければ、誰にもデビルドラゴンを倒すことはできない、と占盤は告げ続けております。世界を救うことができるのは、金の石の勇者とその仲間たちしかいないのだ、と。これは十三年前に初めて勇者殿を占った時から、片時も変わることのない占いの結果です。たとえ未来は読めなくとも、勇者殿たちがデビルドラゴンに打ち勝つのは間違いないだろうと――」
「そう期待している、と」
 ゴーリスがすかさず言って、思わずことばに詰まった占者に薄く笑いかけました。
「わかっている。あいつらの戦いは、そんなに甘いものじゃない。いつでも命がけだったが、これからはますますその厳しさを増すだろう。なにしろ、あいつらがこれから出て行く舞台は世界だ。そこに、俺たち大人はもう、ついていくことができない。どれほど力になりたい、助けてやりたいと思っても、俺たちの力はもう届かないんだ。――いつかこんな日が来るだろうと思っていたし、あいつら自身が望んだことなんだが、それにしても厳しい旅路だと思わずにはいられない。俺たちにはもう本当に何もできん。ただ、あいつらの無事と勝利を天に祈るだけだ」
 黒衣の剣士は一気にそれだけを言うと、隠すこともなく大きな溜息をつきました。見上げる空は灰色です。間もなくまた雪が降り出しそうな気配でした。

 ユギルはそんなゴーリスを見つめ続けましたが、やがてまた静かに言いました。
「ですが、勇者殿の中にはゴーラントス卿から受け継いだものがございます」
 剣士は空を見上げたまま何も言いません。ユギルはかまわずに話し続けました。
「それは剣の伎倆(ぎりょう)だけではありません。もっと大きな、もっとさまざまなことを、勇者殿はあなたから学んで、自分のものにしておられます。もちろん、ゴーラントス卿からだけではありません。勇者殿のご両親から受け継いだものもありますし、他の方々から得たものもありましょう。ひょっとしたら、わたくしも、知らない間に何かをお教えしていたのかもしれません。勇者殿だけでなく、ゼン殿も、メール様も、ポポロ様も、ポチ殿、ルル様も、それは同様です。勇者の一行に出会い、育んできた大人たちが、彼らの中に何かをそれぞれに残しているのです……。それが、必ず勇者の皆様方を助けることでしょう。旅立っていくのは勇者殿たちだけでも、そこには必ず、大人たちの力が共にあるのです。そういう形で、わたくしたちは、勇者たちと共に旅をするのです」
 ゴーリスは苦笑いしました。はるかに年下の友人から諭されていることを感じたのです。そうだな、と答えます。
「俺たち大人にできることは、あいつらを信じてやることだけだ。与えてやれたものは、おそらく充分ではなかっただろう。だが、足りない分は、あいつら自身が見つけて、自分の手でつかんでいく。旅立ちを見送るというのは、そういうことなのかもしれんな」
 ユギルは黙ってうなずきました。

 城の屋上を風がうなりながら過ぎていきます。空はますます厚い雲におおわれ、その奥に白い輝きをはらみ始めます。雪の色です。城下町では相変わらず年末の喧噪が続いていました。良い年を迎えようと、人々は準備に忙しく走り回っています……。
 ユギルがまた口を開きました。
「殿下だけは、勇者殿たちを見送るのではなく、直接助けに行こうとお考えです。今は、ザカラス新王の戴冠式や、ジタン山脈へのドワーフ移住に関係した公務が控えておいでですが、それがすめば、本当に勇者殿の元へ駆けつけるおつもりのようです。実際、占盤は殿下も世界へおいでになると告げております」
「殿下らしいことだ」
 とゴーリスはちょっと笑って、皇太子のオリバンを思い浮かべました。大人よりも大きな体つきになり、堂々と落ち着き払っているように見えても、まだまだ少年の瞳を失っていないロムドの王子です。自分たちよりもフルートたちの近くにいる分、身軽に動いて勇者たちと行動を共にすることができるのでしょう。
 すると、ユギルが考え込む顔になって、ただ、と続けました。
「殿下は、お一人で世界へ出て行くわけではないようです。おそらく、新しい同行者が現れるのではないかと思います」
「新しい同行者? どんな人物だ」
 とゴーリスは興味を引かれました。
「具体的にはわかりません。ただ、占盤に映る殿下の隣に一瞬だけ、見慣れない象徴が現れたのです。銀の月でございました。はたして、どんな方が共に行って殿下をお助けしてくださいますやら――」
 ユギルにとっては、皇太子のオリバンは弟にも当たるような大切な存在です。先ほどゴーリス相手にもっともらしいことを言いながら、自分も王子を心配するような口調になってしまいます。
 とたんに、ゴーリスが吹き出しました。
「銀の月の象徴か――それが誰か、俺にはわかる気がするぞ」
 ユギルは色違いの目を丸くしました。
「ど、どなたでございますか!?」
 と、つい焦る口調になって聞き返します。占者の自分に読み解けない象徴をゴーリスが解いたことが信じられませんでした。
 すると、ゴーリスは腕組みをしてユギルを見ました。笑うような口調のままで言います。
「銀の月は、今までもずっと殿下の隣にあったはずだ。そして、今は俺の目の前にいる。殿下と共に世界へ行く銀の月は、きっとおまえだ、ユギル」
 と少年の頃から変わらない、占者の輝く銀の髪をじっと見つめます――。

 ユギルは本当に驚きました。
「で、ですが……わたくしはこれまで、自分自身の象徴を占盤に見たことがないのです。理由はわかりませんが、わたくしは自分自身のことを占うことができないのです。それに、わたくしはロムド城の一番占者です。そのわたくしが城を離れて世界に出るなどということは、とても――」
「おまえの占いはいつも正しい」
 とゴーリスは言い切りました。
「たとえ、どんなに突拍子もなく聞こえていても、時が来れば、おまえの占いは必ず当たっていく。それは俺が一番よく知っていることだ。それに、今まで自分が占えなかったからと言って、これからもずっとそうだとは限らないのだろう? きっと、おまえも世界から呼ばれているのだ。フルートたちと一緒に世界を守れ、とな。――うらやましいことだ」
 最後の一言を苦笑まじりで言って、剣士はまた空を見上げました。どんなに望んだところで、勇者たちと共に行くことは許されないゴーリスです。雪色に輝く雲を見つめ続けます……。
 ユギルはしばらく黙って考え込んでいましたが、やがて、また静かな口調に戻って言いました。
「銀の月の象徴が示すのが本当にわたくしかどうかは、時が充ちれば、おのずとわかることでございましょう。ただ、勇者殿たちにとって、信じて待っていてくださる方がいることもまた、大事なことなのだろうと思います。疲れたとき、傷ついたとき、港のように戻れる場所があれば、それは大きな勇気に変わりますから」
「そうありたいものだな」
 とゴーリスは空を見たまま答えました。
 白く輝くその雲から、ついに雪が降り出しました。風に乗って城下町を越え、平原へと飛んでいきます。雪はたちまち数を増し、あっという間に世界を白くかすませました。
「いつまでもここにいるわけにはいかんな。陛下の元へ参上しなくては」
 とゴーリスはきびすを返しました。自分の持ち場、自分の必要とされている場所へと戻っていきます。
 その後に続きながら、ユギルはもう一度、平原を振り返りました。
「雪は明後日まで降り続きます。新しい年は、美しい銀世界から始まることでございましょう」
「それは予言か」
 歩きながらゴーリスが言います。
「はい」
 ユギルは穏やかに答えると、ゴーリスと共に城の中へ入っていきました。
 誰もいなくなった城の屋上に、雪は次々と降りかかり、やがて城も世界も何もかもを白く包んでいきました――。

(2007年11月9日)







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