フルート・サイドストーリー集「金の石の休日」
第11話 銀の占い師


 ロムド国の王都ディーラは、丘の上に広がる大きな街でした。ぐるりを石壁に守られた中へ東西南北から太い街道が集まってきています。
 街道の終点には、堀と城壁に囲まれたロムド城があります。高い塔がいくつもそびえる大きな城です。先代の王の治世には、城は明け方まで真昼のように照らされ、夜を忘れた貴族たちで一晩中賑わっていました。今はさすがにそこまでの華やかさはありませんが、それでも相変わらず大勢の貴族が出入りし、たくさんの灯りと花で飾られる、美しい城でした。

 その日、城内は特に浮き立っていました。隣国ザカラスを訪問していた国王が、三週間ぶりで城に戻ってくるからです。国王は、三年前に亡くした王妃に代わって、ザカラスの王女を新しい王妃に迎えることになっています。その挨拶の儀式のために、王女の元を訪ねていたのでした。
 城壁の前の大通りから大勢の歓声と拍手が聞こえてきました。人々が熱狂的な声を上げています。ロムド国王は国民から絶大な人気があります。王が城下町を通るときには、必ずこんなふうに市民の大歓迎を受けるのでした。
 その騒ぎを先触れに大勢の貴族や貴婦人たちが城の入口に並ぶと、やがて、その前に馬に乗った衛兵たちが行進してきました。それに続いて立派な馬車が滑るように城門をくぐり、城の正面階段の前でぴたりと停まります。王の乗った馬車です。貴族たちはいっせいに手を胸に当てて頭を下げ、貴婦人たちはドレスの裾をつまんで膝を曲げました。馬車から降りてくる王をうやうやしく出迎えます。
 馬車の扉が開いて、中から男が出てきました。国王ではなく、がっしりした体つきの黒っぽい男です。黒い髪とひげをしていて、全身黒ずくめの服を着ています。腰の大剣に手をかけながら、鋭い目で出迎えの人々をねめまわします。
 とたんに、貴族たちの中に密かに顔をしかめた者たちが続出しました。男はゴーラントス卿です。大貴族ですが、とてもそうとは思えない粗野な人物で、宮廷の鼻つまみ者にされています。ただ、剣士としての腕前だけは確かなので、今回、王の護衛役として抜擢され、ザカラスまで同行していたのでした。貴族たちは不愉快な表情を浮かべた顔を伏せ、じっと王を待ち続けました。
 ゴーラントス卿が剣から手を離して呼びかけると、馬車の中からロムド王が下りてきました。王は今年五十三歳ですが、とてもそうは見えない若々しい人物です。軽い足取りで城の前に降り立つと、いっせいに深く頭を下げた家臣たちにうなずき返しました。

 居並ぶ者たちの中から一人の中年の貴族が進み出てきました。ロムド国の宰相です。王より少し年下なのですが、王が若々しいので、こちらのほうが逆に年上に見えてしまいます。
「陛下、お帰りなさいませ。ご無事なお帰りを臣下一同心からお喜び申し上げます――」
 と型どおりの出迎えの挨拶を言う声が、ふいにとぎれました。驚いたように目を見張って、王の後ろを見つめます。
 城の前に並んだ貴族や貴婦人たちも、目を丸くして馬車を見ていました。そこから、もう一人の人物が降りてきたからです。銀の輝きが人々の目を打ちます。それは、灰色のマントを着た細身の少年でした。浅黒い肌のとても整った顔立ちをしていて、右が青、左が金の不思議な色合いの瞳をしています。短い銀髪が鮮やかに輝いています。人々の目を奪ったのは、その髪の色でした。
 少年は黙ったまま居並ぶ貴族たちを見回し、かすかに顔をしかめたようでした。王のすぐわきに近寄っていくと、他の者には聞こえない声で一言二言何か話しかけます。王が同じくらい低い声で何か答えます。
 宰相は面食らいながら王に話しかけました。
「陛下、そちらの少年は……? ザカラスで小姓をお見つけになられたのですか?」
 彼らの王は風変わりな人物です。城外に出かけた際に、思いがけない人間を雇って連れ帰ってくることが時々あります。それらの人々は、貴族の身分を持たないこともしょっちゅうですが、決まって非常に有能な人材で、王やロムド国のために多いに役に立ってくれるのでした。
 が、そんな王も子どもを連れてきたのは初めてでした。それも、とても変わった色合いの美しい少年です。宰相が小姓だと思いこんだのも無理のないことでした。
 とたんに、銀髪の少年が思いきり顔をしかめました。どうやら礼儀作法をあまりわきまえていないようです。王が宰相に答えました。
「そうではない。占い師のユギル殿だ。わしのお抱え占者に雇った。彼の部屋をわしの部屋の近くに準備するように」
 それだけを言うと、近づいてくる別の貴族の方へ歩いていって、まったく別の話を始めます。そちらはロムド国の大蔵大臣でした。大臣は少年のことなど気にする様子もなく、報告と相談を始めます。王が不在の間も国政は休むことなく行われています。早急に王の指示を仰がなくてはならないことが山積みになっていたのでした。

 宰相はとまどいながら少年を見つめました。年の頃は十五、六というところでしょうか。背は高い方ですが、とても痩せていて、その年代に特有の、ふてくされたような表情をしています。あるいは、小姓と間違われたことを本当に不愉快に思い続けているのかもしれません。――宰相は、とまどった顔をかたわらの黒い剣士へ向けました。
「どういうことなのでございましょうか、ゴーラントス卿?」
 黒ずくめの男は、これまた礼儀作法を無視して、あからさまに肩をすくめて見せました。
「陛下のおっしゃったとおりだ。彼はユギル、占い師だ。ザカラスで出会った」
 それから、ゴーラントスはぐっと声を低めて、宰相だけに聞こえる声でささやきました。
「子どもだが一流の占者だ。ザカラスで陛下が暗殺されるのを防いだ」
 宰相が一瞬で真顔になりました。真剣な目で少年を見直すと、すぐにうなずき返します。
「承知いたしました。陛下のご命令のとおりにいたしましょう。ではユギル殿、こちらへ」
 立派な身なりの大臣から「ユギル殿」と呼ばれて、少年は面食らったようでした。そんな少年を連れて、宰相は歩き出しました。国王はすでに大蔵大臣や他の重臣たちと城の中に入ってしまい、後には貴族や貴婦人たちが残っているだけです。三々五々散っていこうとしながら、彼らはあからさまな好奇の目を少年に向けていました。王が連れてきたこの珍しい容姿の少年は何者だろう、と誰もが考え、ひそひそ話をしています。あまり好意的とも言えない笑いまでひらめいています。このまま少年をこの場に長く置いてはならない、と宰相は判断したのでした。
 すると、貴族の中でも特に噂好きで遠慮のない者が二、三人、彼らを追いかけてきました。呼び止めて、少年の正体を尋ねようとします。
 そこへ、いきなり黒ずくめの男が割って入りました。貴族たちを無視して銀髪の少年に話しかけます。
「おまえの占盤は後で部屋に届けさせてやる。他に入り用なものがあれば、人を通じて、このリーンズ宰相に言えば揃えてもらえるぞ」
 追いすがって質問しようとしていた貴族たちは、黒衣の剣士にさえぎられて、憮然とした顔で立ち止まりました。黒い男は、少年のすぐ後ろを歩き続けながら、少年を守るように背中で彼らを拒否しています。先を行く宰相は、ちらっとそんなゴーラントスを振り返り、感謝のまなざしを向けました。

 宰相と少年と黒衣の剣士は、階段と廊下をいくつも通って城の一室に入りました。最後の最後まで追いかけてきた野次馬を遠目に見ながら扉を閉じると、ゴーラントスは首を振りました。
「やれやれ。城の貴族どもは鬱陶しくてかなわんな」
 自分自身が城で王に仕える大貴族なのに、そんなことを言います。
「ここは陛下の御部屋の二つ隣の部屋です。本当に、お入り用なものがあれば、なんでもおっしゃってください」
 とリーンズ宰相がユギルに向かって言いました。子ども相手に非常に丁寧な口調です。
 とたんにユギルは答えました。
「ほしいものなんてあるもんか! こんなうざったい部屋はまっぴらだぜ!」
 非常に美しい少年の口から、思いがけないほど乱暴なことばが飛び出してきたので、宰相は目をむきました。
 ゴーラントスが笑い出しました。
「うざったいか? 特に大切な客人しか泊まれん、城の中でも特別上等な部屋だぞ」
「知るかよ! こんなごてごて飾り立てた部屋じゃ占いに集中できないんだ。全部もってってくれ! 机と椅子さえあれば、俺は充分なんだ!」
 相手が自分の倍ほどの年の大人でも、まったく遠慮なくそんなことをどなっています。ゴーラントスは面白そうな顔をしているだけですが、他の貴族たちならば間違いなく烈火のごとく怒り出すことでしょう。
 この少年には宮廷の礼儀作法とことばづかいを教えなくては……と宰相は頭を抱えながら考えていました。

  



 その女性が突然ユギルの部屋へやってきたのは二日後のことでした。
 黒っぽいドレスを着た痩せた老婆でした。つやのない白い髪を頭の上で小さくまとめ、しわだらけの顔に丸い眼鏡をかけています。とても年を取っていますが、背中も腰も曲がってはいません。杖は手にしていますが、足取りもしっかりしています。机の前に座って占盤に向かっていたユギルに向かって、つかつかと歩み寄ってくると、遠慮のない目で少年を眺めます。
「あんた、誰だよ?」
 占いを邪魔されてユギルが不機嫌になると、老婆が口を開きました。
「あんたじゃありません! 誰だ、でもありませんよ! あなたはどなたですか、です。言い直しなさい!」
 老いた姿からは想像もつかないほど、張りのある強い声です。ユギルは目を丸くしました。怒るより先に、呆気にとられてしまいます。
 すると、老婆の後を追いかけてくるように、部屋にリーンズ宰相も入ってきました。ユギルに向かって言います。
「こちらはラヴィア夫人。今日からユギル殿の礼儀作法の先生です」
 少年はさらに目を丸くしました。その顔が、みるみる怒りに紅く染まっていきます。
「――礼儀作法だぁ!? なんでそんなことしなくちゃいけないんだよ! 俺は貴族なんかじゃない! 占い師だぞ!」
 けれども、老婆は少しも動じませんでした。手に持っていた杖で、ぴしりとユギルの胸元を差して言います。
「そう。あなたは陛下のお抱え占い師です。陛下のおそばにいて恥ずかしくないだけの礼儀とことばづかいを身につけなくちゃなりません。まず、一人称は『俺』ではなくて『わたくし』です。言ってごらんなさい!」
 ユギルはますます憤りました。顔を真っ赤にして立ち上がり、突きつけられた杖を力任せに押し下げます。
「このババア、いい気になってんじゃねえぞ。痛い目に遭いたいのか」
 ユギルは一年足らず前まで貧民街で不良少年たちのリーダーをしてきました。こんなふうに凄むのはお手のものです。
 ところが、老婆は素早く杖をユギルの手の中から引き抜くと、それでぽかりと少年の頭を叩きました。輝くような美しい銀髪の頭です。
「あなたこそ痛い目に遭いたくなかったら、さっさとそのことばづかいを改めなさい。ババアではなく、あなたの先生です。私を呼ぶときは、先生かラヴィア夫人。よく覚えておきなさい」
 しわくちゃな老婆とは思えない強い口調で少年を叱りつけます。ユギルがすさまじい形相になって本当に拳を握りしめたので、宰相ははらはらしましたが、すぐに少年は音高く椅子を蹴倒すと、ものも言わずに部屋を出て行きました。
 宰相は思わず溜息をつきました。
「相当手強いですな……。生まれてからずっと最下層で暮らしてきた子どものようです。さすがのラヴィア夫人にも、今回はちょっと酷なお願いをしたでしょうか」
「まあ、最初はあんなものでしょうね」
 とラヴィア夫人は答えました。丸い眼鏡の奥から、少年が飛び出していった扉を眺めます。
「それに、あなたに礼儀作法を教えるのも、なかなか苦労しましたよ、リーンズ宰相。身に染みついた習慣を大人になってから改めさせるのは、それはそれは大変なのです」
 宰相は思わず首をすくめ、自分の昔の先生を眺めました。そう、この人物もまた、国王から力を認められて城の外から王宮に連れてこられた経歴の持ち主なのです。一応貴族の身分はありましたが、家は平民よりも貧しくて、王と出会ったときにはディーラの裏町で居酒屋の呼び込みをしていました。
「あの子どもはものになりますでしょうか?」
 と宰相は尋ねました。
「すでに宮廷ではあの子の噂で持ちきりです。あれほどの容姿です。よからぬ噂もずいぶん流れております。陛下のお話によれば、ザカラスの王宮で二度、こちらへ戻ってくる道中で三度、陛下を狙った襲撃を予知して、未然に防いだそうです。占い師としては本物の力を持っている子です。底意地の悪い者たちの慰みものにされたくはないのですが」
「それはあの子ども次第ですね」
 とラヴィア夫人は答えてから、自分の杖に目を向けてました。その顔に、ごくかすかに、ほほえむような表情が浮かびました。
「ですが、あの子は実際には私に手を出しませんでした。ちゃんと私が自分より弱いことを承知していたのです。根は優しい子なのでしょう」
 宰相と老婦人は開け放たれた扉をまた眺めました。どこまで逃げていってしまったのか、少年が戻ってくる気配はありませでした。

  



 その日から毎日、ラヴィア夫人は決まった時間にユギルの部屋を訪れ、宮廷の礼儀作法やことばづかいを教えようとしました。どんなにユギルがどなっても拒絶しても、老婦人は平気です。ユギルが部屋を逃げ出していっても、稽古の時間の間中ずっと部屋に居座っていて、終わりの時間になると出て行きます。その間、ユギルは自分の部屋に戻れなくて、城内をうろうろしていました。
 城内の貴族たちは暇をもてあましています。ユギルを見つけると、すぐに話しかけて正体を探り出そうとするので、ユギルの方でも人を見かけるとすぐに逃げるようになりました。部屋にラヴィア夫人がいる間、ユギルがもっぱら時間を過ごしたのは、城の中庭の、それもめったに人が来ない奥まった場所でした。そういう場所だからこそ、こっそりやってくる貴族や貴婦人たちもいましたが、そんな時には黙ってすぐに場所を変えました。
 とにかく、ユギルは自分の姿を人に見られるのが苦痛だったのです。目立つ銀髪と色違いの目を、灰色の衣のフードの陰にいつも隠しているようになりました。

 そうして、季節は移り変わりました。ユギルが城にやってきたのは秋でしたが、いつの間にか、降りしきる落ち葉が雪に変わります。
 年が明けた一月、ロムド王とザカラスのメノア王女の結婚式がロムド城で執り行われました。雪の降り積もる寒い日でしたが、国内だけでなく、国外からも重要な人物を迎えての盛大な式典になりました。
 その間、ユギルは連日占盤に向かっていました。客人の中には、ロムド王や他の要人の命を狙う危険分子が必ず混じります。ユギルはそれを見つけ出し、宰相を通じて知らせ、一人残らず逮捕していったのです。特に、まだ幼い皇太子の命を狙う動きは多く、とても守りきれないと占盤に出たので、皇太子は結婚式に参列させない方がよい、とユギルは進言しました。
 王はユギルの占いの結果には全面的な信頼を置いていて、どんな内容であれ、ユギルの言うとおりに実行させました。結婚式の後には、暗殺の危険を避けて、皇太子を辺境部隊に入隊させる話にもなっていました。

 その間、ラヴィア夫人は一度もユギルの部屋にやってきませんでした。やれやれ、やっとあきらめたか、とユギルは安堵しましたが、参列客が全員無事に自分の故郷や国に戻り、城の中が平常に戻ると、礼儀作法の稽古のためにまたいつもの時間に訪ねてくるようになりました。
 逃げて隠れるにも、雪が降りしきる中庭に潜むのはいいかげんつらくなっていました。行き場のなくなったユギルは、ラヴィア夫人に向かってかみつきました。
「いいかげんにしてくれ! 礼儀作法なんか覚えなくたって、陛下は俺の言うことをちゃんと信用してくれるんだ! 俺は陛下の専属占い師だ。陛下さえ信じてくれるなら、他の奴らからどう思われたってかまわないんだよ。俺はこのままでいいんだ! もうほっといてくれ!」
 すると、ラヴィア夫人が言いました。いつもは叱るような言い方をする彼女が、この時は、意外なほど静かな口調でした。
「そうはいきませんよ、ユギル。あなたは陛下の専属占い師です。だからこそ、陛下のために他の者を説得しなくてはならない場面が、必ず出てくるのです。……人は見た目や態度で相手を判断するものです。今のあなたの態度では、あなたを信じる人は誰もいないでしょう。それがどんなに正しい占いの結果であったとしても、です」
 ユギルは老婦人をにらみつけました。どなり飛ばしたいと思いましたが、何故だか声が出ません。今のあなたを信じる人は誰もいないでしょう、ということばが胸に突き刺さります。少年は唇をかみしめると、黙って部屋を出て行ってしまいました。
 それを見送って、ラヴィア夫人は溜息をつきました。ユギルは今にも泣き出しそうな顔をしていました。本当に傷つきおびえた捨て猫のような少年です。人の差し伸べる手を絶対に信じないで、逆にその手をひっかき返します。寛大な国王だけは信頼するようになっていましたが、他の者たちにはかたくなに心を閉じ続けているのです。
 夫人は椅子に座りました。部屋に椅子はその一脚しかありません。客が自分の部屋を訪ねてくることなど、少年はまったく考えていないのです。夫人は待ちました。いつ部屋に戻るかもわからない少年を、ずっと待ち続けました――。

  



 ロムドに春が訪れました。
 中庭に積もった雪も溶け、地面がうっすらと緑におおわれていきます。木々が薄緑の芽を吹き出し、早咲きの花が揺れ始めます。池のほとりでは水仙が群れ咲き、水面に映った自分の姿をのぞき込んでいます。
 今日もまたユギルは礼儀作法の稽古から逃げ出していました。いつものように中庭に来ると、一本の木の下に立ち止まります。その木は中庭の手前の方に生えていて、城の回廊からよく見える場所にあるのですが、いつもなら奥庭に行くユギルが、この時だけは人目も避けずに木の下にたたずんでいました。見上げる枝では、白い炎のような形の花が満開になっています。マグノリアの花でした。
 そこへゴーラントスが通りかかりました。なんとなく、ぽつんと淋しげに見える少年の姿をしばらく眺めていましたが、おもむろに中庭へ降りていくと、少年に声をかけました。
「どうした。また部屋を逃げ出しているのか?」
 ユギルは振り返りました。青と金の色違いの瞳が、黒い剣士の姿を見て、皮肉っぽく笑います。
「しつこくてさ、あの婆さん。まだ俺を仕込めると思ってるんだぜ。いいかげん、あきらめろってんだよな」
 その口調も生意気そうな態度も、半年前に出会ったときとほとんど変わっていません。ゴーラントスは思わず笑ってしまいました。
「そういうおまえも相当しぶといと思うがな。ラヴィア夫人相手に、そこまで頑固に抵抗してるのはおまえぐらいなものだろう。なにしろ、あのリーンズ宰相や国王陛下の作法の先生だった方だ。ああ見えてプロ中のプロなんだぞ」
「陛下にも?」
 とユギルは思わず聞き返しました。リーンズ宰相の先生だった話は、以前、何かの際に聞いたことがあったのですが、国王にまで教えていたというのは初耳でした。
「陛下は十二歳で即位するまで、王族として周囲からまるで顧みられなかった方だ。王としてのありかたを、即位してから学ばれたと聞いている。さまざまな先生についたようだが、礼儀作法を教えたのが、あのラヴィア夫人だ。もうとっくに引退の年なのだが、こんなふうに必要に迫られて、ちょくちょくまた王宮に呼び出されているんだな」
 ゴーラントスは大貴族ですが、態度も口調も庶民的で、偉ぶったところが少しもありません。貴族が苦手なユギルも、この黒衣の剣士とだけは苦もなく話すことができました。
「ちぇ、余計なお世話なんだよなぁ」
 とユギルは口をとがらせました。ゴーラントスがまた声を上げて笑います。いつもは無愛想な剣士が今日はいやに上機嫌です。ユギルは思わずその顔を見ました。
「ゴーラントス卿、なんかいいことあったのかい? 嬉しそうだよ」
 とたんに剣士は笑いを引っ込めました。苦虫をかみつぶしたような、何とも言えない表情に変わります。
「そんなはずはない。俺はいつもと変わらんぞ」
 と言いますが、その口調がまた、何かを隠そうとしているように聞こえます。ユギルはゴーラントスの顔をじっと見つめました。その向こう側に象徴を読み出そうとします。
 とたんに、剣士は不機嫌になりました。
「勝手に占うな。俺はおまえの客じゃない」
 そのまま背を向けて城へと戻っていってしまいます。
 ユギルは首をかしげました。ゴーラントスを怒らせたことは別に何とも感じません。ただ、いつもの彼らしくない態度が不思議でした――。
 頭上の枝では白いマグノリアの花が風に揺れていました。

  



 それから間もなく、ユギルは国王に呼ばれました。新しい王妃を迎えてから、公だけでなく私生活でもなにかと忙しくなってしまった王です。ユギルが王とまともに話をするのは久しぶりのことでした。
 王の部屋に行くと、若い王妃がそばにいました。メノア王妃は今年二十二歳、王とは三十以上も年が離れています。一緒にいても、夫婦ではなく父娘のように見えてしまいます。
 それでも若い王妃はまるで屈託なく、王のかたわらのクッションに座って、王の椅子にもたれかかっていました。ユギルが入っていくと、目を輝かせて起き上がり、手を叩いて喜びます。
「まあ、おまえがユギルね! 噂通り、本当に綺麗だこと! これで占いまで一流だなんて、天の神様はずいぶん贅沢な贈り物をなさるのねぇ!」
 あまりに無邪気なその口ぶりに、なんだこの女は、とユギルは思いました。見た目の美しさなど、いつも鬱陶しいばかりで、嬉しいと思ったことなど一度もありません。占いの力を認められるのは不愉快ではありませんが、贅沢な贈り物とうらやましがられるほど、気楽で幸せな能力でもないのです。大きすぎる能力は、常に計り知れない危険と隣り合わせです。占う結果が重大であればあるほど、その正確さや確実さを、細心の注意で占わなければならないのです。
 すると、王が王妃に言いました。
「わしは彼と少し話すことがある。そなたは自分の部屋に戻っていなさい」
「はい、陛下」
 王妃は素直に立ち上がりました。同じ部屋の中にいた侍女たちを引きつれて王の前から退きます。
 その時、通りしなに侍女たちがこっそり意味ありげな視線をユギルに投げてきました。疑うような、うかがうような目つきです。王の部屋に呼ばれてきたのは、輝く銀の髪に浅黒い肌、色違いの瞳の、整った顔立ちの少年です。王に男色趣味がないことは承知でしたが、それでも思わず疑いたくなるほど少年は美しかったのです……。
 ただ、当の王妃だけが、少しも疑うことなく素直に部屋を出て行きました。人を疑うと言うことを知らない女性でした。

 「ずいぶんおめでたい王妃様だね」
 王妃と侍女たちがいなくなると、ユギルは率直に言いました。王が穏やかに笑います。
「何も苦労することなく育った人だ。心の中にやましいことも醜いものも、何も持っていない。一緒にいて心休まるぞ」
 ふぅん? とユギルは国王を見ました。ロムド国王とは天と地ほどの身分の差があるというのに、ユギルはじろじろと王を眺め、遠慮もなく言います。
「ま、陛下がそれで幸せだって言うんならいいけどさ。――王妃様、妊娠してるぜ」
 王は目を丸くしました。誰も、当の王妃自身でさえも気がついていない事実でした。けれども、王は「本当か」とは聞き返さず、代わりにこう尋ねました。
「予定日は? 生まれてくるのは王子と王女のどちらだ?」
 王にはすでに六歳になる皇太子がいます。新しい王子の誕生は、王位継承権を巡る争いを引き起こす可能性があります。
 ユギルは肩をすくめました。
「王女だよ。女の子さ。生まれてくるのは十二月だね」
 このくらいのことなら、占盤がなくても簡単に占えるユギルでした。
 そうか、と王は安心したようにうなずくと、改めてユギルの顔を見上げました。城に来てから半年の間に、少年はまた背が伸びました。今では王と同じくらいの身長があります。間もなく王が追い越されるでしょう。ただ、その顔は相変わらず、生意気そうにふてくされた少年の表情のままでした。
 王は微笑しました。
「ラヴィア夫人を手こずらせているようだな。宰相が嘆いておったぞ」
 ユギルはまた肩をすくめました。
「お説教なら俺は帰るぜ」
「そうではない。おまえに会わせたい者がいるのだ。ついてまいれ」
「会わせたい人?」
 ユギルはけげんな顔をしました。王を見つめて、その向こう側に象徴を読み出そうとしましたが、あまりうまく行きません。どうやら、王が会わせようとしているのは、ユギルが初めて出会う人物のようです。会ったことのない人、見たことのないものについては、ユギルはあまり正確に象徴を読み解くことができないのでした。
 しかたなく、ユギルは王の後についていきました。誰が待っているのかはわかりませんが、危険がないことだけははっきり見えていたからです――。

 いくつもの階段と廊下を通って、王がユギルを連れて行ったのは、今まで彼が来たこともなかった城の奥まった場所でした。
 そのあたりにはもう出入りする貴族たちの姿もなく、しんと静まりかえった雰囲気の中に、要所要所に衛兵が立っていました。
 王は一つの扉を静かに叩きました。中から返事があって、中年の侍女が顔を出し、王を見て、うやうやしくおじぎをします。
「これは陛下。ようこそおいでくださいました」
「起きているか?」
 と王が尋ねます。
「はい。今日は気分がおよろしいようです」
 と侍女は答えながら、王を部屋の中に招き入れました。ユギルもその後についていきます。
 そこは意外なほど明るくこざっぱりした部屋でした。余計なものはほとんどなく、ただ椅子とテーブルと作り付けのワードローブがあって、大きなベッドが部屋の真ん中に置かれていました。天蓋付きの立派なベッドです。窓から春の日差しがいっぱいに差し込んでまぶしいくらいなので、ベッドには薄いカーテンが下ろされていました。
 ユギルは首をかしげてカーテンの奥を見つめました。人がいるのを感じますが、その気配が普通と少し違っていたのです。象徴も見えます。それは、今にも立ち消えそうな淡いロウソクの炎でした。
 侍女がベッドのカーテンを開けたとき、ユギルは思わず納得しました。そこに寝ていたのは、一人の老人だったのです。彼が今まで会ってきた誰よりも――国王よりも、ラヴィア夫人よりも年を取っています。痩せ衰え、本当に骨と皮ばかりのような姿をしていて、ベッドに横たわったまま、身動きひとつしません。目を閉じ、歯が一本もなくなった口を半開きにしている姿は、もうその老人が何を見ることもなければ、話すこともないのだと感じさせます。体も頭もすべて年老いて、寝たきりになっている老人でした。

 国王は老人をのぞき込んで声をかけました。
「来たぞ、じい。気分はどうだ……?」
 ユギルがこれまで聞いたこともなかったほど、優しい声です。王は布団の下から老人の手をそっと引き出しました。細い枯れ枝のような腕や手は、細かいしわでおおわれています。それを静かにさすりながら、王は話しかけ続けます。
「じい、この前話して聞かせたな。ここにいるのが占い師のユギルだ。まだ若いが、非常に優秀な占者なのだぞ。わしはもう、何度も命を助けられている。じいに会わせたくて連れてきたのだ」
 けれども、どれほど話しかけられても、寝たきりになっている老人は何の反応も示しません。目は閉じたまま、口は半開きのまま、声も上げなければ、表情も手も、どこもまったく動きません。
 ユギルはとまどいながら王の後ろに立ち続けていました。老人が目を開けて彼を見ることはありません――。
 やがて、王はまた老人の手を静かに布団の中に戻しました。最後まで優しい口調で話しかけます。
「また来るからな、じい。達者でおれよ」
 侍女が出口まで王を見送りました。それに声をかけて、王は部屋を出ます。ユギルもその後について部屋を出ました。
 その時、部屋の中から声が聞こえたような気がして、ユギルは振り向きました。そこにはベッドに寝たきりの老人がいるだけです。その人が何か言うはずはありません。それでも振り向き続けるユギルの目の前で、扉が閉まりました。
「どうした?」
 と王がユギルに尋ねました。少年は扉の向こうを見つめたまま答えました。
「声が聞こえた気がしたんだ……。またおいでください、って言ってたような気がする」
 王は目を見張ると、一緒に扉を眺め、やがて、そうか、とつぶやきました。その顔には穏やかなほほえみがありました。
「そなたを連れてきて良かった。じいも喜んだのだろう」

 ユギルは少し考えてから尋ねました。
「今のは誰だったのさ?」
「わしのじいやだ。わしがまだ若かった頃に目付役をしていたのだ。今はもうすっかり年を取ってあんなふうだが、昔はそれはそれは怖い人物でな、わしはしょっちゅう怒られておったよ」
 そんな話をしながら、王はまた先に立って歩き出していました。自分の部屋に戻るのではなく、さらに階段を上がって、城の上の方を目ざしていきます。そうしながら、王は話し続けていました。
「わしがロムドの王になったとき、わしはまだ十二歳の子どもだった。わしの兄たちが皆、病気や事故で急死したために、思いがけずわしに王冠が回ってきたが、それまでわしが王になるとは誰も思っていなかったから、わしは王の勉強など何一つしてこなかった。むろん、国政など執れるわけがない。実際の王の仕事は当時の宰相が一手に引き受けて、わしは毎日――」
「勉強したんだろ。それと、礼儀作法の稽古かい?」
 とユギルは皮肉っぽく口をはさみました。
 すると、王は、にやりと笑い返しました。
「いいや、城を抜け出して遊び回っておったよ。そなたも稽古をさぼりまくっておるようだがな、おそらくわしにはかなわんぞ。じいたちは、わしがあまり勉強をさぼるので、城の一番高い塔のてっぺんに閉じこめて鍵をかけたのだが、わしは部屋のカーテンでロープを作って窓から脱出してみせたからな。まあ、下の階の窓まで降りて、後は階段で逃げたのだが。さすがに塔のてっぺんは風が強くて、それは揺れてな、あおられて転落したらひとたまりもないと思って、後は二度とやらなかった」
 ユギルはあきれて王を見ました。子ども時代の思いがけないやんちゃぶりに、なんだか気持ちをそがれてしまいます。
 王は歩きながら話し続けていました。
「勉強はさぼったが、代わりに城下町で人の話は山ほど聞いたぞ。いろんな場所へ出かけていったし、様々な職種、あらゆる階層の人にも会ってきた。そなたのような、貧民街で育った子どもと一緒に過ごしたこともある。本も読まないわけではなかったが、それよりも何よりも、自分のこの目で国を確かめたかったのだ。良き王になるには、自分で国民の生活を確かめるのが大切だ、とじいに言われていたからだ。じいは、怒ると本当に怖くて、わしはいつも青くなって城の隅っこに隠れていたものだが、じいが怒ることはいつもそのとおりだったし、じいがわしに言うことは、いつも正論だったのだ」
 いつしか王とユギルは城の塔の頂上まで来ていました。屋根のかかった見晴台になっていて、低い石壁の向こうに、城下町のディーラと、街壁を越えた先の平原が見えます。春の初めの平原は、若草と若葉のけむるような緑におおわれていました。その間に黒々と広がっているのは、種まきに備えて耕された畑です。畑の中に、赤茶色の石畳の街道がどこまでも続いています。
「美しい景色であろう?」
 と王はユギルに言いました。
「じいも、わしを時々こうしてここに連れてきて、こんなふうに景色を見せてくれた。春夏秋冬、いつの季節もロムドの平原は美しくて豊かだった。それを示しながら、じいは言ったのだ。『この景色こそが一番美しいのだと思いなさい』とな。『立派な城も、きらびやかな衣装も、みんな見せかけの美しさに過ぎません。本当に何より美しいのは、豊かな土地と、そこで平和に暮らす国民の姿です。この国を支えている者が誰かをはっきり見極めなさい。それを守ることこそが国を守ることであり、王の勤めなのだと知りなさい』とな。――わしは帝王学の授業を完璧にさぼり倒したがな、退屈な教授の授業などより、じいの話の方が、よほどわかりやすくて納得がいったのだ」
 ユギルは何も言えなくなって、ただ王と並んで見晴台の上から周囲の景色を眺めました。ロムドの大平原は緑豊かな土地です。なだらかな丘をいくつも連ねながら、地平線まで続いています――。

 すると、王は、ぽんとユギルの肩に手を置きました。目は景色を眺めたまま、話し続けます。
「人を見た目で判断するな、と言ったのもじいだった。わしはまだ子どもだったが、良い王になる素質がある、とも言われた。だから努力なさいませ、とな。そのことばに支えられて、わしは大人になっていったのだ」
 王はかたわらに目を向けました。銀の髪、浅黒い肌、色違いの瞳の少年を見つめます。
「そなたは確かにその姿で苦労してきたのだろう。人はどうしてもまず見た目で相手を判断するからな。だが、そなたにはそれを越えるだけの才能もある。このロムドに、そなたに並ぶだけの占者はおらぬ。その力を、わしに貸してほしいのだ。わしはこの国を守り続けたい。そのためには、力ある者たちがどうしても必要なのだ」
 ユギルはさらにことばが出なくなって、ただ王を見つめ返してしまいました。王は真剣です。とても十五の少年に向かって言っている口調と表情ではありません。
 ユギルは、やがてゆっくりと王に頭を下げました。
「俺が――その力になれるのだったら――」
 王はほほえんでうなずきました。

 ユギルが王と別れて自分の部屋に戻ると、部屋ではラヴィア夫人が椅子に座って待っていました。
「おや、今日はずいぶん早く戻ってきたのですね」
 と言われて、ユギルは部屋の入口で二の足を踏みました。まだ稽古の時間で、部屋に夫人がいることを忘れていたのです。あわてて逃げだそうとしましたが、ふと思い直すと、夫人を振り向きました。
「陛下のじいやって人に会ってきたよ」
 ラヴィア夫人は、また、おや、という表情をしました。
「陛下がお連れになったのですか?」
 ユギルはうなずきました。ちょっとためらってから、また尋ねます。
「あんたは、あの人のことをよく知ってるのかい?」
 いつもならば「あんた、ではなく先生かラヴィア夫人ですよ!」と叱るのに、この時の老婦人はそれを言いませんでした。ただ、深いしわを刻んだ顔にほほえみを浮かべると、静かに答えます。
「もちろん、よく知ってますとも。一緒に陛下を教育してきた戦友ですから」
「戦友?」
 目を丸くしたユギルに、ラヴィア夫人は声を立てて笑いました。この夫人は、年を取っていてもまだまだ元気です。
「なにしろ陛下は、子どもの時分にはそれはそれはやんちゃな方でしたからね。私もドマ殿も本当に苦労させられたものです。――ああ、ドマ殿というのが、陛下のじいやのお名前です。あなたもなかなかのものですが、ことばづかいはともかく、行儀は陛下よりあなたのほうがましなくらいです。陛下は本当に、一時たりとも目が離せませんでした」
 ユギルはいっそう目を丸くしました。何と言っていいのかわからなくなります。
 老婦人は穏やかに話し続けました。
「陛下は初めから今の陛下だったわけではありません。子どもの頃から大変賢い方ではありましたが、だからといって、何もせずに立派な王になれたわけではないのです。陛下は独特のやり方で国について学び、王について学んでこられた。だからこそ、今、『賢王』と呼ばれるようになっているのです」
 ユギルはまた考え込み、口を開きました。
「でも、それを教えてきたのはあんたたちだったんだろう?」
 老婦人はまたほほえみました。
「私たちがお教えしたのは基本だけです。それを元に、さらに学び考えてこられたのは陛下ご自身です。教育とはそういうものです。教えて作ってあげられるのは土台の部分だけ。その上に立って、さらに何を求め、何を学び、何を成し遂げていくかは、本人自身の能力と努力に委ねられるのです」
 ユギルはまた何も言えなくなりました。さっき城の奥で会った寝たきりの老人の顔を、なんとなく思い出してしまいます――。
 すると、ラヴィア夫人は口調を変えて椅子から立ち上がりました。
「さあ、せっかくあなたが時間のうちに戻ってきたのです。さっそくお稽古を始めましょうか」
 けれども、そう言って夫人がまた顔を上げたとき、少年はとっくに部屋から逃げ出していて、もうどこにも姿がありませんでした。
 おやまあ、と老婦人は頭を振りました。

  



 誰もいない部屋の中で、ユギルは机に向かって座っていました。目の前には黒い石の占盤が置かれています。彼の師匠が彼に残していってくれたものです。
 ユギルは真剣な顔をしていました。念を強く込めて占盤を見つめ、その両手を磨き上げられた石の表面にのせます。浮かび上がってくる様々な象徴を見つめながら、ユギルは占い続けました。さらに深く、さらに遠く。これまで占ったこともないほど真剣に、ロムドの将来を読みとろうとします。あらゆる出来事を示す可能性の中から、確実な未来を見つけ出そうとします。
 と、ユギルは眉をひそめました。
 未来を示す場所に、黒い影が広がっていくのが見えたのです。それは闇の渦でした。深く濃い闇が、ロムドの将来に広がっていきます。どんどん広がってロムドを飲み込み、さらに世界中に広がって、何もかもを飲み込んでいこうとします。
 ユギルは息を飲みました。この映像は以前にも一度見たことがあります。初めて占盤を使って占ったとき、この闇が現れて、やはり世界を飲み込んでいこうとしていたのです。
 ユギルは身震いしました。あやうく闇に連れ去られそうになった時のことを思い出します。気を弱く持てば、再び闇は彼に襲いかかり、また彼を奪い去ろうとするでしょう。必死に気持ちを奮い立たせながら、さらに占い続けます。その闇を払うにはどうしたら良いのか、見いだそうとします。占いというのはそういうものでした。何が起こるかだけではなく、それにはどうしたらよいのかまで見つけ出さなくては意味がないのです。
 すると、闇の中に金の光が見えました。澄んだ美しい光が、渦巻く闇を切り裂き、消し去っていきます――。

 王は重臣を集めて謁見の儀を執り行っている最中でした。謁見と言っても、実質は国政会議です。各大臣や担当の者から上がる報告を王が聴き、さまざまな決定をして命令を下します。そこには、国の未来を読む占者たちも何人か呼び集められていました。
 隣国エスタの動向、周辺の国々の動き、まもなく国境に到達する西の街道の整備状況と開拓の現状、今年の気候と生産物の作柄の予想……国をつかさどる者たちが確かめ、判断していかなければならないことは山ほどあります。真剣な報告とやりとりが続きます。
 すると、そこへ突然扉を開けて、一人の少年が飛び込んできました。灰色のフード付きの長衣を着込んでいますが、走ってきたのでフードが脱げ、鮮やかな銀髪がむき出しになっていました。いつもはフードの奥に隠す浅黒い肌や色違いの目も丸見えになっています。それでも少年は気にすることなく、ただ国王に向かって叫びました。
「闇がロムドを襲うぞ! いや、ロムドだけじゃない! 世界中の国々が危険に襲われるぞ!」
 人々は驚きました。会議に闖入してきたのはユギルです。ものすごく興奮していて、その場に誰が居合わせているのかも目に入っていません。リーンズ宰相が、たしなめるようにあわてて声をかけました。
「これ、ユギル殿――」
 けれども、ユギルは黙りませんでした。
「占盤に出たんだ! ものすごい闇だぞ! 世界中がその闇に飲み込まれてしまうんだ!!」
 謁見の間にざわめきが広がりました。ユギルの占いの結果はただごとではありません。――が、どなるようにそれを言っているのは、風変わりな色合いをしたやせっぽちの少年です。居合わせた重臣たちのほとんどは、今まで、まともにその姿を見たことも、声を聞いたこともありませんでした。美しすぎる異形な姿と、それとは裏腹な乱暴なことばづかいに、思わず眉をひそめます。

 すると、占者の一人が口を開きました。中年の男で、口ひげをたくわえ、立派な衣を着ています。
「はて、新しい占者殿は奇妙なことを言う。私の占いでは、そのような危険はまったく見えていないのだが」
 とたんに、なんだ、というような雰囲気が部屋中に広がりました。この男はユギルが来るまで城で一番優秀だった占者で、名前をミントンと言います。重臣たちは、ユギルが結婚式の際に占いで要人を守ったことも、その占いが他の占者たちよりも優れていることも聞かされていました。けれども、彼らの目の前に立つ少年があまりにも若くて粗野です。誰もが、少年のことばよりも、今まで一番信頼できたミントンのことばの方を信じたのでした。
 ユギルは思わず歯ぎしりをしました。自分の占いの結果には自信があります。相手がどんなに年上だろうと食ってかかっていきます。
「近眼で未来もよく見えないくせに偉そうに威張るな、へぼ占者! 闇はロムドも世界中も破滅に追い込むんだ! 誰もそれに抵抗できないんだぞ――!!」
 ミントンはユギルをにらみつけました。その顔が怒りに引きつっています。
「生意気なことを言う。ここに居合わせている他の占者たちにも聞いてみるが良い。誰もそのような未来を見たものはいないぞ。空想と占いを混同しているのだな、小僧」
「本当だ! 空想なんかじゃない!」
 とユギルはどなり続けましたが、人々の反応は冷ややかです。ユギルは唇を震わせました。

 そこへ、落ちついた声が話しかけてきました。ロムド国王です。
「将来、大きな闇がロムドと世界に襲いかかる、とユギル殿は言うのだな。闇の正体は何であるか、わかっているのか?」
 ユギルは首を横に振りました。占盤の上に現れた闇は、あまりにも深くて濃く、その奥を見透かすことはできなかったのです。ユギルは思わず泣き出しそうになりました。
 すると、国王は続けて尋ねました。
「では、その闇に打ち勝つにはどうしたらよいのか、それはわかったか? そのために、我々は何をすればよいのだ?」
 人々は驚きました。城一番の占者のミントンが目をむきます。国王はやせっぽちの少年の占いの方を信じているのです。
 ユギルは泣き出すのをこらえる顔で言いました。
「俺たちには闇を倒すことはできないよ。それができるのは、金の石を持った勇者だ。闇が襲いかかって世界が絶望に包まれた時、魔の森から金の石の勇者が現れて世界を救うんだ。俺たちがするべきことは、魔の森にその勇者を迎えに行くこと。そうしないと、ロムドに勇者は現れないからだ――」
 ざわめきがいっそう大きくなりました。馬鹿馬鹿しい、とあからさまに声を上げる者もあります。世界を闇が襲うという占いさえ信じられないのです。それを救う勇者の出現など、誰も信じるはずはありませんでした。その人々の前に立つように、占者ミントンが立ちはだかっていました。薄笑いを浮かべながらユギルを見下しています。
 ユギルは思わずまた歯ぎしりをしました。拳を握って殴りかかっていきそうになります。

 すると、部屋の騒ぎを抑えるように、男の声が上がりました。
「俺がその勇者を迎えに行こう」
 低いけれども、はっきりした声です。全員が、はっと振り返った先には、黒ずくめの剣士が立っていました。
「ゴーラントス卿……」
 とユギルは思わずつぶやきました。
 そのかたわらに進み出ながら、ゴーラントスは言い続けました。
「ロムドや世界を闇が襲う、というのは聞き捨てならない予言だ。俺が魔の森まで勇者の出迎えに行く。陛下、ご許可を願います」
 と玉座の国王に向かってひざまずきます。
 国王は何故か一瞬言いよどみました。
「だが、ゴーラントス卿、そなたは……」
「この城の中で、ユギル殿の占いを信じて迎えに行こうとする者は他にはおりますまい。ですが、私は彼の占いがいつも正しいことを知っております。私にご命令ください、陛下」
 ざわめきがさらにひどくなります。その中に、何故だか驚くような、意外がるような響きも聞き取って、ユギルはとまどいました。周囲の人々を見回し、王とその前で頭を下げるゴーラントス卿を見つめます。
 王がうなずきました。
「行ってくれるか、ゴーラントス卿。では、そなたに命じる。魔の森に一番近い町におもむき、魔の森から現れる金の石の勇者を迎えよ」
「勅令、確かに承りました」
 ゴーラントスはさらに深く頭を下げました。

 とたんに、ミントンが叫びました。
「納得できません、陛下! 私にも他の占者にも、そのような闇も未来もまったく見えておりません! なのに、我々より、そのどこの馬の骨ともしれない子どもの言うことをお信じになられるのですか!? ゴーラントス卿も馬鹿な真似はおやめになるが良い。絶対にそんなことは起こりませんぞ!」
「未来の占いに、絶対なんてことばはあり得ない。俺の師匠の言ったことだ」
 とユギルが言い返しました。そこにさらにミントンが言い返します。
「ならば、おまえの占いこそ、絶対そうなるなどと言えないではないか。子どものくせに城一番の占者にのし上がろうとするなど、身の程知らずも良いところだ。おまえの実力を思い知らせてやろう。――陛下、日を改めて我々二人に占わせていただきたく存じます。私とこの少年とで、ロムドの未来を占ってみましょう。その結果を聞いて、我々のどちらの占いが信憑性があるか、ご判断願います」
「占いの力比べをすると言うか」
 と国王はミントンとユギルを見比べ、少年に尋ねました。
「どうだ、ユギル殿。受けて立つか?」
 少年は色違いの目に悔し涙さえ浮かべていましたが、そう言われて、きっと頭を上げると、生意気なほどに胸を張りながら答えました。
「いいとも。どっちの占いが正しいか、こいつに思い知らせてやる」
「占い比べはいつが良い?」
 と王は占者たちに尋ねました。
「一週間後の次の謁見の儀の際に。星回りが良くなるので、占いの精度も上がります」
 とミントンが答えました。自信にあふれた声でした。
 では一週間後に、と王は宣言し、その日の謁見の儀は終了しました。

 人々の刺すような視線の中、ユギルは謁見の間を出ようとしました。怒りと興奮が過ぎ去り、急に自分の姿が気になってきて、灰色のフードをまぶかにかぶります。すると、すれ違いざまに、聞こえよがしに隣の男に話しかけた貴族がいました。
「陛下もとんでもない勅令をお下しになる。ゴーラントス卿は来月に結婚式を控えているではないか」
 ユギルはぎょっとしました。思わず振り向きますが、貴族はそれを無視して隣の男と話し続けています。あわててゴーラントスを探しましたが、すでに部屋を出た後で、どこにも姿が見あたりませんでした。
 ユギルは部屋を飛び出し、象徴を追ってゴーラントスを探し出しました。黒衣の剣士は中庭に出て、いつかユギルが見ていた木を見上げていました。マグノリアの花はそろそろ咲き終わりの時期を迎え、開ききった白い花びらが縁から茶色に変わり始めていました。
「ゴーラントス卿!」
 とユギルは息を切らして駆け寄りました。振り向いた男は落ちついた顔をしています。それへ思わずわめいてしまいます。
「なんでだよ! どうして迎えに行くなんて言ったんだ!? あんた、もうすぐ結婚するんだろう? 結婚式はどうするんだよ!?」
 いつか、この木の下で話をしたとき、剣士がなんとなく嬉しそうに見えていたわけも、これでわかりました。彼自身が心待ちにしてきた結婚だったのです。
 けれども、黒衣の剣士は静かに笑い返しただけでした。
「心配してくれるのか? 珍しいな」
「だって――!」
 ユギルは混乱していました。自分の占いを信じてもらえないのは、ものすごく腹が立ちます。けれども、逆にこんなふうに信じられてしまっても、やっぱり不安が募ってくるのです。未来の占いは不確定なものです。本当にそれが実現するかどうかは、その時が来てみなければわからないのです。
「あんた、無駄に待つようになるかもしれないぞ――」
 と言って、そのままうつむいてしまいます。何故だか本当に涙が出てきそうになります。自分の占いには絶対に自信があるのに、それでも不安がぬぐえません。
「おまえの占いは、そんなにあてにならないものなのか?」
 とゴーラントスが聞き返してきました。ユギルは首を振りました。
「そんなことはない。俺は何十回も占い直したんだ。あんなに本気になって深く占ったことなんか、今までなかった。それでも、本当に何十回やっても、結果は同じだったんだ。闇は本当に襲ってくる。金の石の勇者も必ず現れる。だけど――」
「それなら、堂々としていろ」
 とゴーラントスが言いました。低く力強い声でした。
「おまえはこの国一番の占い師だ。それは俺がよく知っている。おまえの占いはいつも正しい。だから、俺はそれを信じる。ただそれだけのことだ」
 そして、ゴーラントスは中庭から城へ戻っていきました。その後ろ姿にまとわりつくように、優しい日だまりの幻が見えていました。卿の婚約者の象徴だ、とユギルは気がつきました。剣士はこれから婚約者の元を訪れ、王の勅令で魔の森へ向かうことを告げるのでしょう。日だまりが、男を引き留めようとするように悲しげに揺れ続けています。それでも、黒い剣士は決して立ち止まらず、振り向こうともしないのでした。

 ゴーラントスが去った後も、ユギルは中庭にたたずんでいました。風が吹いて、頭上のマグノリアの花を散らします。白い花びらがユギルの肩の上に散ってきます。
 それを見ていたユギルが、ふいに頭を上げました。何かを決心した顔つきになると、足早に城に入っていきます。まっすぐに向かった先は自分の部屋でした。
 稽古の時間になっていて、ラヴィア夫人が椅子に座って待っていました。勢いよく部屋に入ってきたユギルに、驚いたように顔を上げます。
「まあ。どうかしたのですか、ユギル――?」
 すると、ユギルは、はっきりと言いました。
「俺に礼儀作法を教えてくれ! 正しいことばづかいもだ! 誰もが俺の言うことを信じるような、そんなやり方を覚えたいんだ――!」

  



 次の謁見の儀は、いつもの謁見の間ではなく、大広間を使って開かれました。城一番の占者ミントンと、半年前、王がザカラスから連れ帰った新しい占者が、占いで対決するという噂は、一週間の間に王都中に広がっていました。貴族たちは暇をもてあましています。こんなすばらしい出し物を見逃す手はありません。しかも、ミントンに挑戦する占者は、銀髪に浅黒い肌、色違いの瞳の、それは美しい少年だと言います。大勢の貴族たちと、それに負けないほど大勢の貴婦人たちが、占者たちの一騎打ちを見物しようとぎっしり大広間に詰めかけていました。
 一段高い壇上には、玉座に着いたロムド王と、いつもの黒ずくめの格好のゴーラントス卿、それに、宰相のリーンズが立っていました。他の重臣たちも王のわきや後ろに並んでいます。
 広間の中央には二つのテーブルが離れて置かれ、それぞれの椅子に二人の占者が座っていました。この日は特に立派な服を着た一番占者のミントンと、いつもの灰色の長衣で身を包んだユギルです。フードをまぶかにかぶっているので、噂の美貌は外からはほとんど見えず、貴婦人たちはおおいに不満でいました。

 二人の占者は、さっきからずっと占い続けていました。ミントンはカードを独特の切り方で混ぜ合わせては、そこから次々に札を引き出し、テーブルの上の場に並べて、そこに現れた絵柄を読み解いていきます。
 一方のユギルは黒い石の占盤を使っています。華奢な少年の姿には不似合いなほど大きくごつく見える道具です。盤の上に両手をのせ、じっと表面を見つめ続けています。
 二人ともずっと無言のままでしたが、やがて、ミントンが首をかしげました。壇上の王を見て声を上げます。
「やはり、何度占っても結果は同じです、陛下。世界はおろか、このロムドにも凶兆は何も現れてはおりません。東方のエスタに若干不穏な動きは感じられますが、それも今すぐ侵攻してくるような差し迫った危険ではありません。ユギル殿の言われるような、得体の知れない闇など、どこにもかけらさえも見あたらない。賢王と名高い陛下の統治の下、ロムドの将来は安泰でございます」
 とたんに、詰めかけた人々の間から歓声が上がりました。さすがはミントン殿だ、と賞賛する声も聞こえます。ミントンはことさら平然とした顔で、その声に応えて頭を下げました。誰からも信頼され、認められている占者でした。
 ふむ、と王は言いました。少し離れた場所で占盤を見つめ続ける少年に目を向けます。
「そなたの結果はどうだ、ユギル殿? 先日と、占いの結果に違いは出ておるか?」
 少年は顔を上げました。王に向かって答えようとします。

 ところが、その時、ミントンがまた声を上げました。
「やや……これは!?」
 と驚いたように、新たに自分がめくったカードを見つめています。何かあったのか、と王が尋ねてもすぐには答えず、しばらくカードを見つめ続けてから、おもむろにまた言いました。
「私のカードが大変なことを告げております……。ここにおられるユギル殿のことについてです。なんと、ユギル殿は占い師などではない、と。南方諸国の下町の、犯罪者がひしめく貧民街に暮らしていた泥棒だと――!」
 心底驚いたようにそんなことを言うミントンに、壇上のゴーラントスとリーンズ宰相は心の中で舌打ちしました。占いの結果などではない、とわかったのです。ミントンは人を使って、ユギルの素性を調べ上げたのでしょう。それを占いにかこつけて、詰めかけた人々の前で暴露しようとしているのです。
 ミントンが頭を振りました。
「いやいや、大変失礼つかまつりました。これは何かの間違いでございましょう。いくら自分が占った結果であっても、このような馬鹿げたことがあるわけがない。そんな、最低も最低の、卑しい生まれの者が、この王宮に出入りしているなど――ありえませんよな、ユギル殿」
 わざとらしいほど露骨に、ユギルに話を振ってきます。ゴーラントスとリーンズ宰相は今度は顔色を変えました。ミントンは、ユギルに話をさせようとしているのです。下町の乱暴なことばづかいがいつまでも抜けないユギルです。口を利けば、たちまちミントンが言っていることは正しいのだと証明してしまいます。しかも、ミントンはユギルを見下して挑発しています。プライドの高い少年が爆発するのは目に見えていました。
 すると、ユギルが灰色のフードを脱ぎました。銀の髪と浅黒い肌があらわになります。その顔立ちは噂通り美しくて、貴婦人たちだけでなく、貴族たちからも思わず溜息が上がりました。
 少年は青と金の色違いの瞳で、カードを手にした占い師を眺めると、おもむろに口を開きました。
「わたくしがどこの生まれと出たとおっしゃいましたか、ミントン殿? 大変不思議なことを拝聴したような気がいたしますが。南方諸国の貧民街の出身? このわたくしが、ですか?」

 ミントンは目玉が飛び出るほど大きく目を見張り、口をぽかんと開けました。先日謁見の間にいて、ユギルの話を直接聞いていた重臣たちも、いっせいに目を丸くします。自分たちの耳が信じられませんでした。あれほど粗野で不作法だった少年が、わたくしと言い、なめらかな口調で話しています。そのことばづかいは丁寧すぎるほど丁寧です。
 さすがのロムド王も、これには驚いた顔をしていました。ゴーラントスとリーンズ宰相も同様です。すると、ユギルはそちらへ目を移し、片手を胸に当てて王に会釈をしてから、また言いました。
「陛下、わたくしの占いでございますが、やはり何度占い直しても結果は同じでございます。いずれ、闇がロムドを含めた世界中の国々に迫ってまいります。それは、世界を破滅に導くほど巨大な闇で、誰もそれに対抗しうる者はありません。ですが、世界が絶望に包まれたとき、魔の森から金の石の勇者が現れます。勇者は人々のため、仲間と共に闇に立ち向かい、世界を闇から救い出すことでしょう。わたくしたちがするべきことは、ただひとつ。魔の森に一番近いシルの町へおもむき、勇者が魔の森から現れるのをお迎えすることです。――その適任者を占盤に問うてみたところ、ゴーラントス卿と現れました。先日の陛下のご命令のとおりです。どうかゴーラントス卿をシルの町へおつかわしくださいませ」
 呆気にとられて、ただただユギルの上品な口調を聞いていたゴーラントスですが、自分の名前が話の中に出てきたとたん、真顔に戻りました。壇上からユギルを見ます。すると、少年は色違いの目でゴーラントスを見返してきました。その表情は少年のものではありません。まだ年若くとも、れっきとした一人前の占者の顔つきをしていました。
 ゴーラントスはうなずき、国王に向かって言いました。
「陛下、改めて私からもお願いいたします。金の石の勇者を迎えに行く役目を私にお任せください」
 先日謁見の間で疑いと非難の声を上げた者たちが、今回は何も言えなくなっていました。気押されたように、若い占者と、それに従うと言い切っている黒衣の剣士を見つめます。
 国王はうなずきました。
「よかろう。その使命、そなたに――」

 「お待ちを、陛下!」
 とミントンがまた声を上げました。
「この子どもにだまされなさいますな。この者は、自分自身に降りかかる災難さえ占うことができない未熟者です。こんな者の占いを信じては、どのような結果になるかわかりませんぞ」
 と言いながら自分の占いの座から立ち上がり、ユギルに向かって歩いてきました。占盤を置いたテーブルをはさんで、見下す目で少年を眺めます。
「おまえは間もなくとんでもない災難に襲われるぞ。それが見えているか? 悪いことは言わない。今すぐこの場を立ち去るがいい。ロムドの未来を惑わす偽占者には、神の天罰が下ることになっているのだ」
 すると、ユギルは色違いの目を細めました。薄く笑うような顔で言い返します。
「では、その天罰はミントン殿に下ることになりましょう。偽の占いで未来を惑わそうとしているのはあなたです。ご自身の心配をなさいますように」
 ふん、という顔でミントンは笑い、そのまま憤然と背を向けました。大股でまた自分の席へ戻っていこうとします。

 すると、ふいにユギルが立ち上がりました。椅子を蹴倒して飛び出し、後ろからミントンをつかまえて強く引きずり倒します。
 いきなりのことに人々が驚きます。王もゴーラントスと宰相も思わず、はっとします。やはりユギルがこらえきれずに爆発したか、と考えてしまいます。そんな人々を、バルコニーから吹き込んできた強い風がどっとあおります。
 とたんに、天井のシャンデリアがいっせいに揺れ出し、その中の一つの鎖がブツリと音を立てて切れました。百本近いロウソクを立てた重いシャンデリアが、風にあおられた分だけ斜めの軌道を描いて墜落してきました。落ちた先は、ミントンが占いをしていたテーブルの上です。激しい音を立ててシャンデリアが砕けます。
 大小のガラスと金属のかけら、飛び散るロウソク、立ち上る煙……そんなものがすべておさまったとき、ミントンのいたテーブルと椅子は粉々になっていました。ミントンが席に戻っていたら、間違いなく押しつぶされていたことでしょう。
 ユギルはミントンの前に立ち、背中をシャンデリアに向けるようにして、顔と体をそむけていました。その長い衣が飛び散るかけらからミントンを守っています。
「だから、お気をつけなさいと言ったのです。あなたこそ、ご自分の出会う災難にお気づきになっていなかったのでしょう」
 とユギルはミントンに言いました。男は何も言えずに座りこんでいました。腰が抜けて立ち上がれなかったのです。

 「大丈夫か!?」
 壇上からゴーラントスとリーンズ宰相、それに国王までが次々と下りてきました。ユギルとミントンに駆け寄ってきます。
「鎖が傷んでいたのか。二人とも無事で良かった」
 とゴーラントスが言うと、ユギルは首を振りました。
「違います。これはわたくしの命を狙ったものです。シャンデリアの切れた鎖をお調べください。細工された跡があるはずです」
「なんと! 誰の仕業だ!?」
 王が厳しい声を上げます。ユギルはまた足下の占者に目を向けました。
「ミントン殿の差し金です。わたくしを殺すか、大怪我をさせて、城から追い出すつもりでおられたのです。ところが、思いがけず強い風が吹いたために、シャンデリアはわたくしではなく、ミントン殿ご自身を直撃しそうになりました――」
「ば、馬鹿な! 私がおまえのような子どもに、どうしてそんなことまでしなくてはならんと言うのだ!」
 とわめきだしたミントンに、ユギルは顔を向けました。
「占いをねじ曲げ、自分の思い通りの未来を呼び寄せようとする占者は、必ず自分自身の占いから報いを受けることになります。あなたは占いにかこつけて、わたくしを亡き者にしようとした。確かにシャンデリアは落ち、災難は起きました。ですが、それはあなたご自身に降りかかる災難になるところだったのです。――わたくしがそれを見抜いてあなたを引き留めていなければ」
 ユギルはミントンを見据えていました。この世ならないものを読み取る青と金の目が、じっとミントンを見つめます。その内側にあるものも、過去も未来も、すべてを見透かすように――。ミントンは青ざめ、思わず目を伏せました。すべては、ユギルの言ったとおりだったのです。
 その様子に、王が重々しく言いました。
「この一件の真相に関しては、後ほど詳しく聞かせてもらおう。ミントン殿を連れてまいれ」
 王の命令に衛兵がいっせいに駆け寄り、あっという間にミントンに縄をかけてました。やっと立ち上がれるようになった占者は、青ざめた顔のまま、黙って連行されていきました。

 大広間の真ん中には、まだシャンデリアが砕け散ったままです。人々は騒然としています。城一番の占者が、対抗相手の若い占者を殺そうとしたというのは、刺激好きな貴族たちにも、充分すぎるほど衝撃的な出来事でした。
 その中で、王が言いました。王の声は張りがあって、大広間にもよく響き渡ります。
「では、改めてゴーラントス卿に命じる。ユギル殿の占いのとおり、シルの町へ向かい、魔の森から現れる金の石の勇者を迎えるように。――ロムドのみならず、世界中を闇から守るための大切な役目だ。しかと頼んだぞ」
 ゴーラントスは王の前にひざまずき、うやうやしく頭を下げました。
「陛下のご命令のままに」
 ユギルも、そのかたわらで片手を胸に当て、深々と頭を下げていました。肩まで伸びた銀髪が、さらりと音を立てて揺れました……。

  



 ユギルが自分の部屋に戻ると、そこでラヴィア夫人が待っていました。夫人は、ユギルに続いて、ゴーラントス、リーンズ宰相、国王までが部屋に入ってきたのを見て目を丸くすると、丁寧にお辞儀をしてから、ユギルに笑いかけました。
「どうやらうまくやれたようですね。皆様方の顔を見れば、話を聞かなくてもわかりますよ」
「先生のおかげでございます」
 とユギルは丁寧に答え、老婦人に頭を下げてから、顔を上げました。とたんに、その顔が、にやっと少年らしい笑いを浮かべます。
 ゴーラントスが頭を振って感嘆の声を上げました。
「いやはや。さすがはラヴィア夫人であられる! こんな短期間で彼をここまで仕込めるとは。正直、夢でも見ているのかと思ったぞ!」
「当然だ。わしの先生なのだからな」
 と妙に真面目くさって国王が言い、リーンズ宰相がそれにまた大真面目でうなずきます。
 すると、ラヴィア夫人が言いました。
「ユギル殿は陛下たちよりよほど筋がよろしいですわ。陛下たちはどんなに教えても、いつまでもやんちゃだったり、気が利かなかったりしましたけれど。ユギル殿なら完璧な礼儀作法も身につけられることでしょう。もっとも、今はまだ付け焼き刃ですから、もうしばらく稽古は続けなくてはなりませんけれどね」
 とたんに、ユギルは口をとがらせました。
「ちぇ、けっこううまくできるようになったと思うんだけどな。まだ稽古しなくちゃならないのか?」
「ほらほら、それ! どこででも、そんな言い方は絶対にしてはいけないと言っているでしょう! どこで誰が聞いているかわからないのです。いつでもきちんとしたことばづかいをしなくてはいけませんよ!」
 とラヴィア夫人が叱りつけます。ユギルは亀のように首をすくめ、他の大人たちは声を上げて笑い出しました。
 笑いながら、国王が言いました。
「これで名実共に新しい国一番の占者が誕生したな。よろしく頼むぞ、ユギル。ゴーラントス卿も、頼んだぞ」
 たちまち銀髪の少年と黒衣の戦士は真面目な顔になって、同時に王に頭を下げました。少年は占者として、剣士は勇者を待つ者として、それぞれの勤めに向かうのです。

 けれども、その時彼らは誰も予想していませんでした。
 闇が世界に手を伸ばし、金の石の勇者が魔の森から現れるのは、それから十年も後のことだったのです。
 この後、物語はしばしの眠りにつき、予兆の鳥が空を渡ったとき、再びその扉を開くのでした――。

(2007年4月11日)





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素材提供 STAR DUST