フルート・サイドストーリー集「金の石の休日」
第10話 マグノリア


 一人の少年が夜の街角に立っていました。星のまたたく空の下、星よりまばゆい繁華街の灯りが大人たちを誘っています。酔った男の声や女の嬌声が通りに響きます。
 少年は汚れた布を頭からかぶって、自分の姿を人目から隠していました。輝く銀の髪に浅黒い肌、右が青、左が金の色違いの瞳という容姿は、夜の中でも目立ちます。しかも、どんなに痩せて汚れていても、整った顔立ちは隠しようがありません。まともに姿を見せれば、こういう子どもを好む大人たちから目をつけられてしまうのです。
 実際、さっきから大人たちが通りしなにじろじろと彼を眺めていました。こんな時間に、こんな場所に立つ子どもの目的は決まっています。品定めをするような視線が少年の痩せた体をなめ回し、布の奥をのぞきこんで隠された顔を確かめようとします。
 少年は黙ったまま後ずさり、細い横道に入りこみました。誰かに絡まれては面倒になります。かび臭い壁に貼り付くように身を寄せて、暗がりの中から通りへ、じっと目をこらします。
 少年の名はユギル。その色違いの瞳は底なしに暗く、ただ怒りと恨みだけをありありと浮かべていました。

 ユギルはマントのようにかぶった布の下で一本のナイフを握りしめていました。人の命を奪う凶器です。
 今まで、どんなに盗みや喧嘩を繰り返してきても、人をあやめたことだけはありませんでしたし、仲間の少年たちにも厳しくそれを守らせてきました。その一線を越えないことが、自分たちなりのけじめだと考えていたのです。
 けれども、それも今夜限りです。大切な仲間たちは一人残らず罠にはめられて、ある者は殺され、残りの者たちは憲兵に連行されていきました。つかまった仲間たちがどんな目に遭わされたのか、ユギルにはわかっていました。もう生きて彼らに遭えることはないのです。二度と決して……。
 ユギルは歯ぎしりをしました。冷たいナイフを力を込めて握り直します。許せない者たちは数え切れないほどいますが、その中でも絶対に許すわけにはいかないのは、自分たちを罠にはめたあの男です。

 通りからひときわ賑やかな声が聞こえてきました。若い男がこちらへ近づいてきます。相当酔っていて、まわりに数人の女たちをはべらせてご機嫌でいます。
 ユギルは色違いの目を細めました。あいつらを売った金で豪遊か、と冷ややかにつぶやきます。
 自分には、まわりの誰もがこちらを見なくなる瞬間がわかります。その隙に至近距離まで近づいて、あの男の胸にナイフを突き立てれば、それですべてが終わるのです。
 暗がりの中にユギルはじっと潜んでいました。ためらいはまったくありません。ただ、憎い相手を殺せる瞬間が訪れるのを待ち続けます。
 すると、いきなり一人の女が甲高い声を上げました。
「さわるんじゃないよ、助平ッ!!」
 派手な格好をした女の体に、通りすがりの酔っぱらいが手を出してきたのです。酔っぱらいが笑いながら何かを答え、女がそれをまたののしります。他の女たちと若い男は思わずそちらに注目しました。周囲の通行人たちも騒ぎに目を奪われます。誰一人、こちらを見る者がいなくなります――
 ユギルは暗闇の中から動き出しました。布の陰の顔を伏せたまま、素早く横道から出ます。痩せた少年が音もなく若い男に近づいていくことに、誰も気がつきませんでした。ユギルは、布の下の抜き身のナイフを男に向けて構えました。

 すると、いきなりユギルの後ろから太い腕が伸びてきました。少年の顎の上に強く絡みつきます。
 ユギルは仰天しましたが、腕で口をふさがれているので声が出せません。そのまま引きずられるようにして、また横道の暗がりに引き戻されてしまいました。
 ユギルは、かっとしました。男を殺そうとしているのを見つかったのか、それとも、男色趣味の大人につかまったのか。いずれにしても自分には敵です。絡みつく腕にナイフの刃を突き立てようとします。
 とたんに、すぐ後ろからこんな声がしました。
「早まるんじゃないよ、まったく。今の子どもはすぐに死に急ぐんだからさ」
 それは男の声ではありませんでした。腹の底に響く力強さがありますが、まぎれもなく女の声です。それと同時に、ナイフを握るユギルの手が、もう一つの手につかまれました。大きな手のひら、太い手首、太い腕。むき出しになった腕にはたくましい筋肉が浮かび上がっていて、ユギルの手の動きをがっちりと抑え込んでいます。
 けれども、ユギルは目を丸くして、自分の手をつかむ指を見つめてしまいました。節くれだった太い指の先には、長く形良く伸ばして赤いマニキュアを塗った爪があったのです。驚いた拍子によろめくと、後ろの人物にぶつかりました。丸く大きく盛り上がった胸が少年の痩せた体を受け止めます。ぷん、と強い香水の香りが鼻をつきます。
 それは大柄な中年の女でした。長い髪を太い三つ編みにして、派手な刺繍をした灰色のドレスを着込んでいます。その瞳は黒く、肌はユギルと同じように浅黒い色をしていました。

 驚いて何も言えなくなっている少年に、女がまた言いました。
「早まってどうなるもんでもないだろ。あいつを殺したら、あんたは間違いなくつかまって死刑だ。結末が見えてないわけじゃないんだろう、占い師?」
 ユギルはさらにびっくりしました。相手の腕を振りほどくと、顔を見られる心配も忘れて、頭から布をはずして、つくづくと見上げてしまいます。自分をつかまえて、いきなり「占い師」と呼んだ人間は初めてです。
 すると、女はユギルに負けないほど目を丸くして、からからと声を上げて笑い出しました。
「こりゃまぁ、なんてべっぴんな男の子だろうねぇ! これで占い師だなんて詐欺(さぎ)もいいとこじゃないか!」
 ユギルは顔をしかめて相手を見上げ続けました。どこの誰かわかりませんが、まったく図々しい女です。けれども、笑いながら自分を見る目は、同時に遠いどこかを見ているような、不思議なまなざしをしていました。この世とは別の世界に何かを見いだそうとする者に特有のまなざしです。
 ユギルは思わず言っていました。
「あんた、誰だ? ……占い師なのか?」
 すると、女は大きな口で、にいっと笑って見せました。
「あんたもわかるんだね。そうさ、あたしも占い師だよ。名前はマグノリア。マギーって呼んどくれ」
 屈託もなくそう名乗ります。ユギルはいっそう用心深く見返しました。
「で。俺に何の用だよ」
「馬鹿な真似はおよしって言ってんのさ。仲間の仇討ちか何かしらないけどね、あいつを殺したら、あんたの人生はどう抵抗したって終わりだよ。あたしとしては、若くて優秀な占い師をむざむざ見殺しにはしたくないのさ」
「余計なお世話だ。あんたに何がわかる」
 冷たい拒絶を込めて言い切ると、女がまた笑いました。
「誰のことも信じられない、って感じだねぇ。子どもはもっと素直でいるもんだよ。どれ」
 女が一歩近づいてきたとたん、ユギルの腹にものすごい痛みが走りました。息が詰まって思わず気が遠くなります。女の大きな拳が少年のみぞおちを打ったのです。
「やれやれ。手がかかること」
 女は一人でつぶやいて笑うと、崩れるように倒れた少年の体を軽く小脇に抱えました。表通りでは若い男が、命を狙われていたことも知らずに、女たちとまた歩き出すところでした。マグノリアと名乗った女は、ふふん、と皮肉な笑いを浮かべると、ユギルを抱えたまま横道の奥の暗がりへと姿を消して行きました――。

  



 次にユギルが目を覚ましたのは、明るい部屋の中のベッドの上でした。上等の羽布団にくるまれて眠っていたのです。驚いて跳ね起きたところへ、ドアを開けて大柄な女が入ってきました。マグノリアです。その絶妙なタイミングは、確かに占い師に特有なものでした。
「どこだ、ここ!?」
 とユギルはどなりました。気を失っている間に遠い場所まで連れてこられた感覚があります。
 マグノリアが笑いました。
「なんだろね、起きた早々喧嘩腰かい? ここはジャウルだよ。あたしの家さ」
「ジャウル!」
 ユギルは思わず絶句しました。ユギルがいたボーチェナと同じ南方諸国に属する国ですが、五十キロ以上も北に離れたところにあるのです。すると、女が言いました。
「あんたをあのままあそこに置いておけば、絶対にまた早まると思ったからね。それにしても、あんた栄養不足だよ。まともに食べてないんだろ。そんなにがりがりに痩せてさ。そら、そっちに食事を準備しておいたからね、朝ごはんにおしよ。育ち盛りに食べなかったら、大きくなれないよ」
 女は百七十センチを越す長身で、肩幅は広く胸板も厚くて、筋肉質な体格をしています。その彼女から大きくなれない、と言われると、なんだか妙に説得力があるような気がしました。
 ユギルはまだ用心しながらもベッドから滑り降り、部屋の隅のテーブルへ近づいていきました。パンやハムや卵やチーズ、野菜や果物や飲み物が、テーブルの上にところせましと並べられています。ユギルの腹の虫がぐうっと盛大な音を立てました。確かに、仲間たちをやられて以来、彼はまともに食事をしていなかったのです。かれこれ一週間にもなるでしょうか。憎い男の顔が、激しい怒りと共に浮かんできます――。
 けれども、ユギルのナイフは部屋のどこにも見あたりませんでした。腹の虫はうるさく鳴き続けています。今はそちらを鎮める方が先決でした。
 ユギルは色違いの目ですばやく食べ物を眺め、おかしなものが混ぜられていないことを確かめると、手を伸ばしました。椅子に座るのもそこそこに、夢中で食べ始めます……。

 一週間分の飲み食いをして、ようやく人心地がついた少年は、椅子にもたれて改めてまわりを見回しました。上等な部屋です。ベッドとテーブルと椅子があるだけで、余計な飾り物はほとんどありませんが、大きなガラス窓の向こうに緑の濃い庭が見えています。家の中は不思議なくらい静まりかえっていて、どこからも物音が聞こえてきませんでした。
 すると、マグノリアが言いました。
「この家に住んでるのはあたし一人なのさ。今日は占いの客も来てないからね、そんな時には静かなもんなのさ」
 占い、ということばがユギルの気持ちを惹きつけました。そう、ユギル自身も占いができるのです。彼がこうだと思った未来は、大抵その通りになっていきます。十四年間の人生を生きのびてこられたのは、ひとえにその占いの能力のおかげでした。
 ユギルはマグノリアを見つめました。その姿の向こうに、彼女を表す象徴を見いだそうとします。それは、白い美しい花でした。小さな炎の形の花びらをわずかに開き、灯火(ともしび)のように輝いています。あまりに意外な象徴にユギルが思わずあきれていると、マグノリアがまた笑いました。
「あたしを占ってるのかい? 何かわかったかい?」
 試すような口調に、ユギルはむっとしました。改めて女を見つめると、やがて言いました。
「あんたの名前は本名じゃない。生まれはここからずっと南の、南大陸のどこか。ここに来るまでの間に、何度か人に裏切られてる。家族はいない。男にも裏切られて今は天涯孤独だ。このジャウルでは有名な占い師だけど、その分、商売敵から恨みも買ってる。えらくお節介焼きな性格だ」
 すると、マグノリアは目を丸くして、やがて、あっはっは、と声を上げて笑い出しました。
「媒介もなしにそこまで読んだかい! あんた、本物の資質を持ってるね。上出来だよ! それじゃ、あたしがあんたに何をしたがっているか、それも読んでごらん。当てられたら、飯代と宿代はチャラにしてあげるよ」
 なんだよ、そっちが勝手に連れてきたんじゃないか、と文句を言いながらも、ユギルはさらに念を込めて相手を見ました。占い師としての力を試されているのはわかっています。けれども、それが不愉快ではなかったのです。
 ユギルは自分の力に、密かに自信を持っていました。それなのに、周囲の人間はユギルの人目を惹く外見ばかりを見ていて、彼の持つ能力には少しも目を向けようとしないのです。ずっとそのことに悔しい思いをし続けてきたので、こんなふうに占い師として試されることは、むしろ快感でさえありました。
 と、ユギルはとまどったような表情に変わりました。女の顔を、確かめるように見つめます。
 女はまた笑いました。
「どうだい? あたしはよからぬことを企んでいるかい?」
 少年は首を横に振りました。企みはまったく感じられません。今まで彼に近づいてきた大人たちは、男も女も、必ず何かしら汚い下心を持っていたのに、この大柄な中年女からは、そういうものがまったく伝わってこないのです。ただ、一つの強い想いだけが、象徴で表される占いの場に浮かび上がっていました。
「俺を助けたい……? なんでだよ」
 とユギルは尋ねました。思い切り疑う声になっています。
 マグノリアは苦笑いをしました。
「やれやれ、なんでだよ、と来たかい。ほんとに素直じゃない子だねぇ。まわりにろくな大人がいなかったんだろ。――あたしの通称は『援助者のマギー』。お節介焼きのマギーっても言われるけどね。助けを呼ぶ声を聞くと、駆けつけないではいられないのさ。あんたは助けを求めてた。それが聞こえたから、はるばるボーチェナまで行ってやったんだよ」
「助けを求めてた?」
 ユギルは思わず聞き返しました。目をまん丸にしています。
「俺が?」
 すると、マグノリアは静かに言いました。
「それさえも自分でわからなくなってるのかい。本当に不憫な子だね。まあ、あんたは占い師として、あたしに近いところにいるようだから、それで波長が合って、なおさらあたしにあんたの声が聞こえてきたんだろうけどね。――あたし一人じゃ、この屋敷は広すぎて手が回らなかったんだ。下働きとして使ってあげるから、ここにおいで。食事と寝床くらいは補償してあげるよ」
「な……なんでそうなるんだよ!?」
 ユギルは驚いて叫びました。憎い裏切り者を殺しにボーチェナへ戻ろうと考えていたのです。それだけがユギルの望みでした。
「言ったろう。あんたみたいな優秀な占者は見殺しにできないんだよ。世界の損失になりかねないからね。それに、あんたには見えていないのかい? あんたが憎むあの男が、やがてどんな結末をたどるのか」
 ユギルはとまどいました。自分があの男を殺した後、どうなるのかは見えていました。マグノリアが言うとおり、自分は憲兵につかまり、他の仲間たちの後を追うことになるのです。それでもかまわないと考えていましたが、「そうしなかった時に」どうなるのかは、占ってみたことがありませんでした。
 マグノリアは声を立てて笑いました。
「まだまだだねぇ。占い師はあらゆる可能性を未来に見通さなくちゃならないのさ。ここにいるんだね。気が向いたら、あんたにも占いの奥義ってのを教えてあげるよ」
 ユギルの心がまた大きく動きました。占いの奥義ということばに惹かれます。この女は本当にお節介ですが、確かに、ユギルを上回る占いの力を持っていました。
「……わかった。いてやるよ」
 とユギルは答えました。口をへの字に曲げて、面白くなさそうな表情をします。
 とたんに、マグノリアの大きなげんこつが飛んできました。遠慮もなく、ユギルの銀髪の頭を殴りつけます。
「なんだい、その口の利き方は! 今日からあたしはあんたの師匠だよ。師匠にはそれなりの尊敬を払って、もっと丁寧な話し方をおし!」
 それまでの人の良さそうな笑顔とも違った表情で、威圧的に言い放ちます。
 ユギルは頭を抱えていっそう口をとがらせました。
「いってぇ……! なんでそうなるんだよ、本当に!? 師匠だなんて――」
 けれども、女がまた拳を握ったので、ユギルはあわてて口をつぐみました。男顔負けの大女です。痩せこけた少年が力でかなうはずはありませんでした。
「さあ、さっそく家のまわりの掃除! それがすんだら庭の草むしりだよ! 働かざる者食うべからず。とっとと仕事にかかりな!」
 反論の余地はありません。何か言えば、またげんこつが飛んできそうです。ユギルは不満な顔をしながらも、言われたとおり、家の外にすっ飛んでいきました――。

  



 それから三週間がたちました。
 規則正しい生活と食事で、ユギルは見違えるほどしっかりした体つきになってきました。相変わらず痩せていますが、銀髪は輝きを増し、浅黒い肌には少年らしい張りが出てきています。青と金の色違いの瞳は、相変わらず暗くすねた表情を浮かべていますが、それも、時々年相応の明るいまなざしになる瞬間がありました。
「マギー、いったいいつ教えてくれるんだよ」
 とユギルは時々マグノリアに尋ねました。大柄な女占い師は、いくら待っても占いの奥義とかいうものを教えてくれようとはしなかったのです。
 すると、女は決まって目を細めて少年を眺め、
「まだだね」
 と笑うように答えるのでした。

 とうとう、ユギルは待ちきれなくなりました。マグノリアは奥義など最初から教えるつもりはなかったんだろう、と考えると、いいように働かされている自分がひどく滑稽に見えてきます。
 ユギルはマグノリアが留守の隙にそこから逃げ出すことにしました。死んでいった仲間たちが、恨みを晴らしてくれ、と夜ごと夢枕に立ちます。やはり、故郷のボーチェナに戻って、きっちりけじめをつけなくてはならないとも考えました。
 ボーチェナまでは徒歩で三日ほどの道のりです。旅費が必要でした。マグノリアが占い客から受け取った代金をどこにしまっているのか、ユギルはちゃんと知っていました。それを勝手にいただいていくことに、これっぽっちの良心の呵責も感じません。誰もいない屋敷の中、ユギルは占いに使う部屋へ入りこんでいきました。
 壁の隠し扉を開けると、その奥に金庫がありました。マグノリアはここジャウルでも売れっ子の占い師です。金庫の中には、金貨や銀貨が詰まった袋がいくつも並んでいました。
 けれども、それを二つ三つちょうだいしようとした時、ふいにユギルは振り向きました。誰かから呼ばれたような気がしたのです。マグノリアではありません。いえ、人の声でさえないようでした。何かが、声にならない声で、ユギルを呼んでいました。
 人影のない部屋の中央に椅子とテーブルがあり、テーブルの上に黒い占盤が載っていました。占盤というのは、マグノリアが占いの時に使う道具です。呼び声は、そちらから聞こえてくるようでした。
 ユギルはそっと近づいて占盤をのぞき込んでみました。マグノリアは、絶対にそれに触れてはいけない、そばに寄ってもいけない、と言っていました。「それはあたし専用の占盤だからね。絶対に手を出すんじゃないよ」と。けれども、ユギルはもうここを出ていくのです。彼女の言いつけなど、もう聞く必要はないと考えました。
 占盤は黒い大理石を円盤の形に削ったもので、まるで鏡のようにユギルの顔を映しました。石の表面に意味のよくわからない線や文字のようなものがいくつも刻み込んであります。ここに象徴を映しながら、その意味する未来を読み解いていくのだと、何かの時にマグノリアは言っていました。
 象徴をね、とユギルは皮肉に笑いました。占盤など使わなくても、ユギルには象徴が見えます。その気になれば、水の上にでも何もない空中にでも、象徴を思い描いて読み解くことができるのです。占盤を使わなくてはそれができないマグノリアなど、実は占者として大したことがないんじゃないか、とも考えます。

 その時、占盤の上を何かが走りました。色とりどりの光の群れです。大きな強い金の光が、銀の光と星のように小さな光を従えて、占盤の表面を動いていきます。そのすぐ後を青く輝く炎と緑の光、白い翼のようなものがついて走ります。
 ユギルは、はっとしてそれを見つめました。象徴です。けれども、これほど鮮やかではっきりした象徴を見るのは生まれて初めのことでした。まるで目の前に本物の光が存在して、占盤の上を動いていくようです。
 と、その行く手に得体の知れない影が現れました。形にならない、濃い影です。黒い渦を巻きながら、光の群れだけでなく、その周囲のあらゆるものを飲み込んでいこうとします。ユギルは眉をひそめました。影の渦は暗くて深く、どことも知れない場所につながっているように見えます。――ユギルは好奇心にかられました。本当に占盤がどこかにつながっているか確かめようと、手を伸ばして、影の渦に触れてみようとします。
 とたんに黒い火花が散り、あたりが真っ暗になりました。


 何も見えない暗闇の中に、さらに黒い影がよどんでいました。言いようのない恐怖感がユギルを襲います。よどんだ影が蛇のように鎌首をもたげたのです。その中に血のように赤く輝く二つの目がありました。影が大きな翼を広げたような気がします。なにもかもが、境界線もなく、あいまいとしていて、よくわかりません。けれども、影の翼は二枚ではなく、四枚あるように思えました。
 すると、どこかから声が聞こえてきました。声にならない声、この世ならぬものの声です。地の底のさらに深い場所からはい上がってくるように、ユギルに向かってこう言います。
「キサマハ、ヤガテ私ノ邪魔ヲスル者。今ノウチニ殺シテヤロウ、占イ師。オマエハ生キル望ミナド持ッテハイナイノダカラ」
 再びユギルの全身を寒気が走っていきました。圧倒的な恐怖が襲いかかり、少年の体に絡みついてきます。影が蛇のようにユギルの体を捉え、ぎりぎりと締めつけてきます。咽に絡みついた影に息ができなくなります。
 ユギルはもがき、悲鳴を上げようとしました。声が出ません。影をつかんで引きはがすこともできません。真っ暗闇の中、闇より暗い影にとらわれて、少年はただもがき続けました。
 これは死ぬな、とユギルはあえぎながら考えました。苦しくてたまりません。次第に意識がもうろうとしてきます。
 けれども、今までの人生を振り返れば、ユギルはやっぱりずっと苦しかったのでした――。

 ユギルはとても珍しい色合いの子どもでした。輝く淡い銀の髪、浅黒い肌、青と金の色違いの瞳。ボーチェナでは、色違いの目は悪魔の子と呼ばれます。銀の髪も浅黒い肌も、まわりの者たちとまるで違います。母親とさえ、似ても似つかなかったのです。
 母親が自分を疎ましがっていることは、物心ついた頃から気がついていました。夕方仕事に出かけて、明け方近くになって戻ってくる母親でした。幼いユギルは室内飼いにされているペットのように、昼も夜も家の中に閉じこめられていました。父親もきょうだいもなかったので、いつも一人きりでしたが、その孤独は、母親が一緒にいるとなおさら深まるような気がしました。
 母親が仕事に出かけない日、夜中の時間帯を選んで外に出してもらえることがありました。どの家も明かりが消えて、通りは静まりかえっています。月の光を浴びながら、ユギルは一人で遊びました。月の光が作る自分の影と、どこまでも鬼ごっこをしました。
 ところが、何の拍子でか、そんな彼の姿を見かけた者があったのです。ボーチェナの老貴族でした。こんな綺麗な子どもは見たことがない、ぜひ自分の屋敷に引き取って小姓として育てたい、と、母親に向かって言ってきました。
 母親は目の前に積み上げられた金貨だけを見ていて、ユギルがどんなに泣いても叫んでも、幼い息子を振り返ろうとはしませんでした。
 ユギルは、この頃にはもう、象徴や映像が見え始めていたのです。親切そうな顔をした老貴族の向こうに、残酷な笑い顔の小鬼が見えていました。鞭や焼けた鉄火箸も見えていました。この男と一緒に行けば、必ずひどい目に遭わされるとユギルにはわかっていました。それでも、どんなに懇願しても、母親は聞き入れません。一山の金貨と引き替えに、息子を男に売り渡す契約をしました。
 その夜、ユギルは一人で家を出ました。前金をもらった母親は、上機嫌で酒を買ってきて、酔って眠ってしまっていました。その残りの金を、ユギルはすべて持ち出したのです。それで後々、母親がどうなろうが、老貴族との間でどんな騒ぎになろうが、そんなことは知ったことではありません。ただ生きのびるために、自分が自由であるために、ユギルは夜の中へ一人で逃げ出していきました。わずか五歳の夏でした――。

 その後、彼は大勢の大人たちからだまされました。利用され、裏切られ、見た目の珍しさから愛玩動物のように扱われましたが、そのたびに占いの力を使って最悪の事態から逃げ出してきました。
 やがて、成長するにつれて占いの力も強まってきて、ユギルはめったのことでは大人たちからだまされなくなりました。大人に頼ることなく、自分の力だけで生きる術も身につけました。スリ、万引き、泥棒……占いを利用すれば、人の隙を突いて楽に金を稼ぐことができます。
 そんなユギルに、年下の少年たちが付き従うようになりました。やはり、同じように親に捨てられたり、家を逃げ出したりしてきた子どもたちです。ユギルといれば、絶対に憲兵につかまることはありません。盗みの際に家人に見つかるようなことも起きません。いつしかユギルは不良少年たちのリーダーになり、貧民窟でも一目置かれる存在になりました。
 そこでは、誰もユギルの容姿をとやかく言うことはありませんでした。ただ、ユギルの占いの力だけが頼りにされます。ボーチェナの議会が貧民窟一掃の決議をした時にも、うまく立ち回ったつもりでした。他の不良グループの少年たちが次々に憲兵につかまっていく中、ユギルは先を読んで追っ手から逃れ、隠れ家を変え、そうして、仲間たちを守ったつもりでいました。実際には、最近になって仲間に入った男が、賞金目当てに憲兵に隠れ家の場所を教えるという、新しい裏切りが起こっていたのですが、安心しきったユギルは、さらにその先まで占ってみようとはしなかったのでした。
「どうしてさ、ユギル!? 俺たち、あんたの占いのとおりにしていたよ! なのに――なんで――!?」
 そう叫びながら、小さな仲間は死んでいきました。憲兵に連れ去られた仲間たちも、一人残らず「始末」されました。大人たちにとって、彼らは貧民窟のゴミでしかないのです。
 占いの力があったって、しょせんその程度のことなのだ、とユギルは思い知りました。裏切った男を殺せば、自分も殺されるのだと占いは告げていました。けれども、もうどうだっていい、とユギルは考えていました。どうせ自分はゴミです。生きていても、誰からも歓迎されない存在なのです。生きていくことに疲れた、とユギルは心のどこかで考えていたのでした。


 「ソウ。オマエハ生キルコトニ疲レタ」
 と占盤から現れた闇が語りかけていました。
「ナラバ、ココデ消エルガイイ、占イ師。死ネバ、ソノ苦シミハ終ワリヲ告ゲル。安ラカナ眠リダケガ、オマエニ訪レルダロウ」
 それもいいかもしれない、とユギルは考えました。あの男を殺したところで、仲間たちが生き返ってくるわけもないのです。自分はただ、死ぬためのきっかけを求めて、あの男を殺そうとしていたのかもしれない、と考えます。
 闇は目の前にいました。血のような赤い眼で、じっとこちらを見つめています。ただ一歩、心をそちらへ進ませれば、自分の願いはかなうのだ、とユギルにはわかっていました。絡みついている闇がいっそう力を強めています。少年の細い咽を締め上げ、息の根を止めようとします――。

 その時、ユギルは別の声を聞きました。力強い、太い声です。
「早まるんじゃないよ、まったく。今の子どもはすぐに死に急ぐんだからさ」
 ユギルは、はっとしました。マグノリアの声です。とたんに、冷水を頭から浴びせられたように正気に返りました。自分は何を願っていたんだろう、と考えます。死ぬこと? それが自分の望んでいたことだろうか――と。
 自分に絡みつく闇が、急にまた苦しく感じられ始めました。締め上げられて、今にも息が詰まりそうです。引きはがそうにも、闇をつかむことはできません。ただもがくばかりです。
 何も見えない闇の中に、遠く遠く、かすかに小さな光が見えた気がしました。星よりも小さな金色の光です。ユギルはそちらへ手を伸ばしました。苦しさに、今にも意識がとぎれそうになります。
 嫌だ! とユギルは叫びました。嫌だ、死にたくない! 死にたくなんかない――!!
 けれども、もう声は出ませんでした。うめき声さえ出せません。心の中で必死に叫び続けながら、ユギルは最後の力でもがき続けました。絡みつく闇を振りほどこうとします。
 闇が、じわりと締めつける力を強めてきました。ユギルの肺の底で、最後の空気が尽きていきます――。

 と、遠い光の中で誰かが振り向きました。ユギルの心の悲鳴を聞きつけたように、こちらを見て、一瞬で距離を跳び越えてきます。
 駆けつけてきたのは一人の若者でした。金の鎧兜を身にまとい、手には銀に輝く剣を握っていました。赤い眼をした闇を一瞬で叩き切り、返す刀で絡みつく闇をユギルごと切り捨てます。剣が頭から自分を切り裂くのを感じて、少年はまた声にならない悲鳴を上げました。
 が、次の瞬間、ユギルは目を見張りました。何でもありません。剣で切られたはずなのに、自分の体には傷ひとつなく、ただ、絡みついていた闇だけが、跡形もなく消え去っていました。
 ユギルの目の前で、若者が剣を下ろしました。兜からのぞく顔は、下半分が布でおおわれていて、目元だけがあらわになっています。空の色のように鮮やかな青い目が、ユギルを見て、にこりと笑いました。無事で良かった、と言っているのが、まなざしだけでわかりました。
 と、若者の姿は目の前から消えました。後にはユギルだけが残されます。
 ……今のは? とユギルは考えました。あの若者は誰だったのでしょう。すると、心の中に一つの象徴が浮かびました。輝き渡る、明るい金の光です――。


 とたんに、世界が明るくなり、ユギルは自分が誰かに強く抱かれているのに気がつきました。驚いて見上げると、それはマグノリアでした。繰り返しユギルに向かって呼びかけています。
「大丈夫かい!? あたしの声が聞こえるかい!? しっかり! 返事をおしよ!」
 その顔色が真っ青になっていたので、ユギルはますます驚いてしまいました。こんなに取り乱した彼女を見たのは初めてです。
「マギー、どうしたんだよ?」
 と聞き返すと、マグノリアは悲鳴のような声を上げ、そのままぺたりと床に座りこんでしまいました。腕の中に抱かれたユギルも、一緒に座らされてしまいます。
「良かった。戻ってきたね――。あのまま行きっぱなしになっちまうかと思ったよ。いったい占盤の中で何を見たんだい? こんなに闇の気配が濃いなんて、尋常じゃないよ――」
「闇の気配?」
 とユギルはまた聞き返し、次の瞬間、ぞおっと身の毛がよだつような恐怖に襲われました。自分に何が起きていたのか、ようやく気がついたのです。
 ユギルは占盤をのぞき込んだ時に、得体の知れない闇につかまってしまったのでした。すさまじく強力で深い闇です。あのままでいたら、本当に命まで奪われたかもしれません。あの若者が助けに来てくれなければ、永遠に正気に返ることはできなかったでしょう。
 蒼白になってがたがたと震えだしたユギルを、マグノリアはいっそう強く抱きしめてくれました。声も出せずにいる少年に、繰り返し繰り返し言います。
「もう大丈夫。大丈夫だよ。闇はもう行っちまったからね。もう心配はいらないよ――」
 その声が、暖かくじんわりとユギルの胸に染みていきました……。

  



 その日から、ユギルはマグノリアに逆らうのをやめました。言われたことには素直に従い、できるだけそばにいて、彼女のすることを観察しました。特に、彼女が占盤で占う時には、絶対に近くにいるようにしました。
 そんなユギルに、まもなくマグノリアが言いました。
「どうやら、やっと本気で占いを学ぶ気になったみたいだね。いいだろ、あたしと一緒に占ってごらん。占盤の見方をあんたに教えてあげるから」
 占盤には場所があり、時があるのだ、とマグノリアは教えてくれました。盤に現れる象徴が、どこの方向へ向かうか、いつの方向へ動いていくかで、占いの意味合いが変わってくるのです。
 過去や現在は、占う力と場の強さで見える精度が変わりますが、誰が占っても、出来事は変わりません。けれども、未来を表す映像は、時間の変化と共に、刻々と変化していきます。こうと読んだはずの未来が、別の場所で起こった出来事の影響を受けて変わっていくのです。それはまるで、玉突きの玉が次々に新しい玉にぶつかり、思いがけない動きをしながら、予想もしなかった場所に飛んでいく様子に似ていました。
「だからね、どんなに正確に読んだつもりでも、未来の占いだけには『絶対』ってことばは使えないんだよ」
 とマグノリアはユギルに言いました。
「どれほど詳しく読み解いても、思いがけないことは起こりうるんだ。だから、あたしはいつも、あらゆる可能性をたどって、その中で一番起こりそうな道筋を人に示すよ。未来が読みと違ってきたら、またすぐに占い直す。そうやって、人の一手先、二手先を読み解くことが、占いってものの本当の姿なのさ」

 「象徴ってのは、その人の本質そのものだよ」
 ともマグノリアは言いました。
「どんなにうわべを取り繕っていても、あたしたち占い師には、その人間の本質が見えちまう。人をよく見極めな、ユギル。あんたはこれまで本当にろくでもない大人ばかり見てきちまってるけどね、世界にいるのは、そんな奴らばかりじゃない。尊敬できるような大人だって、この世にはちゃんといるんだからね」
 このあたしみたいにさ、と自画自賛して、マグノリアはからからと笑いました。しょってらぁ、とユギルは肩をすくめます。彼女は確かに良い人間でした。今まで会ってきた中で、一番信頼できる大人です。けれども、他の大人たちが、彼女と同じように信用できるとは、ユギルにはとても思えなかったのです。

 「占うときには決して油断をしないこと」
 と厳しく言い渡されたこともありました。
「結果が出ても、それがゴールというわけじゃないんだ。時間はどこまでも続いていくからね。その先に、また別の本当のゴールがあることも、ゴールが新しいスタートになることもあるんだよ」
 あんたの一番の課題はそれさ、ユギル、ともマグノリアは言いました。
「あんたは自信過剰だ。それがあんたの占いを曇らせる。運命ってのは深く巧妙なものだよ。いくつもくぐり戸を準備して、人に運命の扉をくぐらせようとするんだ。慢心は占い師の最大の敵だと覚えておいで。自分の占いを信じすぎたとき、占い師は、必ず自分自身の占いに裏をかかれる。それが、占い師の一番冒しやすい過ちなんだよ」
 ちぇ、わかったよ、とユギルは答えました。もう、あんなドジは二度と踏むもんか、と失ってしまった仲間たちを思い浮かべながらつぶやきます。
 けれども、ユギルは知りませんでした。そう思うことさえも、実際には慢心の表れだったということを――。


 マグノリアは、外出の時には、よくユギルをお伴に連れて行きました。ユギルは、銀髪に色違いの目の自分の姿を大勢の前にさらすのは苦痛でしたが、彼女はまったく意に介しません。珍しい容姿の少年を人々が振り返るのを楽しんでいる節さえありました。
「あんたのその姿は決して損にはならないんだよ」
 憮然とする少年に、マグノリアは言いました。
「確かに、あんたの外見はあんたの本質を隠してしまってただろう。でもね、あんたが一人前の占い師として押しも押されもしない存在になったとき、今度は、その姿があんたを助けるんだよ。心弱い人間は多いもんさ。占いの結果を告げても、なお疑うような相手に、その顔を向けてじっと見つめておやり。きっと、何も言えなくなって、あんたの言うことを信じるようになるから」
「そんなの、占いじゃなくて脅迫じゃないか」
 とユギルは反論しました。自分では気がつきませんでしたが、いかにも年相応の少年らしい、潔癖な言い方になっていました。
 マグノリアは笑いました。
「なぁに。そういう芝居っ気も占い師には必要なのさ。相手に信じさせてなんぼってのが、あたしたちの商売だ。いくら正確に占ったって、相手が信じようとしなかったら何にもならないんだからね」
「俺の言うことなんか、誰も信じないよ」
 とユギルは目をそらしました。裏切られすぎた少年は、どうしても他人に期待することができません。マグノリアはまた笑いました。今度は優しい笑いでした。
「そんなことはないさ。あたしには見えているからね。……あんたはやがて、世界から必要とされる重要な占い師になっていくのさ。あんたのことばには、一国の王さえ従うようになる。でも、それにはあんた自身がまず、人を信じるようにならなくちゃね。他人を信じてない人間のことばを信じる人間はいないんだから」
「なんだよ、それ。そんなこと、起こるわけないだろう」
 とユギルは答えました。――自分自身の未来を占ってみることもありましたが、ユギルにはどうしてもそれが見えなかったのです。いつもそうなのです。すぐ先に起きる出来事ならば読めるのに、遠い将来の自分の姿だけは、どうしても見通すことができないのでした。

 その時、通りかかった人がマグノリアに声をかけてきました。
「やあ、マギー。一緒にいるのは息子さんかい?」
 マグノリアもユギルも、南大陸の種族の血を引く浅黒い肌をしています。肌の色だけを見れば、確かによく似た二人でした。
 マグノリアは言い返しました。
「やめとくれよ。あたしゃまだ若いんだ。こんなでかい息子がいてたまるかい」
 ユギルは思わず目を丸くしました。マグノリアは三十七歳です。一方ユギルは間もなく十五になります。歳で考えれば、ユギルくらいの子どもがいても、少しも不自然ではありません。
 すると、その表情を見てマグノリアが言いました。
「なんだい、あんたもあたしの息子が良かったのかい? 結婚したこともないのに息子がいるだなんて、あんまりぞっとしないんだけどねぇ」
 そういう意味じゃないよ! とあわててユギルは反論しましたが、マグノリアは勝手に考え続けていました。
「そうだねぇ、あんたもずいぶん素直になってきたし、この際、あんたの母親になってやるってのも悪くはないかもしれないけどねぇ。でもねぇ」
「誰もそんなこと言ってないってば!」
 ユギルは思わず叫びました。自分自身でも気がつかないうちに、その顔は真っ赤になっていました――。

 すると、急にマグノリアが顔を上げて、道に面した家の庭先を指さしました。
「見てごらん、ユギル」
 指さす先を見ると、そこに白い花をつけた大きな木がありました。春の初めの季節でした。まだ葉を出さないむき出しの枝で、白く輝きながら咲く花は、まるで灯火のような形をしていました。
 ユギルは思わずまた目を丸くしました。その花は見たことがあります。
「あんたの象徴じゃないか」
「おや。あんたの占いの中じゃ、あたしはあの花かい?」
 と女は嬉しそうに笑いました。
「あの花がね、マグノリアなんだよ。……あたしゃ、自分がどこの国で生まれたのか、両親が誰なのか、少しも知らないんだ。まだ赤ん坊の頃に孤児院の前に捨てられていたからね。マグノリアの花が咲く季節だった。だから、名前はマグノリア。あんたは初めて会ったとき、あたしの名前は本名じゃない、と言い当てた。でもね、親がつけた本当の名前が何なのかは、あたしにだってわからないんだよ」
 ユギルは何も言えなくなりました。女は遠い目で笑っていました。
「占い師なんて、実際には不便ばかりだよねぇ。他人のことは占えても、自分が本当に知りたいことは、いくら占っても見えなかったりする。あたしが南大陸の生まれだということだって、あんたが占ってくれて、初めてわかったことだったのさ。嬉しかったけどね」
 そして、マグノリアはユギルを見つめました。
「確かにあんたのここまでの人生はつらかっただろう。でもね、つらい想いをしてきたのは、決してあんた一人じゃないのさ。そして、程度の差こそあっても、人が生きるってことは、必ず痛みとつらさを伴うものなんだ。先が見えない不安に苦しみながらね。あたしたち占い師にだって、確かな未来が見えるわけじゃない。でも、一手先二手先を読むことで、人々の不安が少しでも軽減できるなら、それがあたしたち占い師の使命なんだと、あたしは思うんだよ」
 ユギルはさらに何も言えなくなりました。
 すると、マグノリアは笑いながら、ぽんと少年の肩を叩きました。
「息子にするってのは冗談だよ。あんたは本当に世界へ出ていく占い師なんだ。あたしの息子なんかにして、あたしのそばに引き留めておくわけにはいかないさ」
 ふと、その笑顔の中に淋しいものが漂ったような気がして、思わずマグノリアを見つめ返してしまったユギルでした――。

  



 ユギルがマグノリアの元に来てから、いつの間にか半年が過ぎていました。
 最近では、ユギルも一人で占盤を使って占えるようになっていました。マグノリアからもらったお古の占盤を使って、毎日、現在と未来を占うのが日課になっています。もう少し慣れたら、あんたにも客を占わせてあげるからね、とマグノリアには言われていました。
 その日も、彼女は町一番の金持ちに呼ばれて、占いに出かけていくところでした。一張羅の占い師の服を着て、鞄に占盤を入れて馬車で出かけようとします。
「マギー」
 占いの間から出たユギルはマグノリアを呼び止めました。
「今日は馬車で行かない方がいいと思うぞ。途中で事故に遭って立ち往生するって出てる。歩いていった方がいい」
「おやまぁ。弟子が師匠を占いに従わせるかい。でもまあ、確かに、最近じゃ近い未来はあんたのほうが正確になってきたからねぇ」
 気を悪くした様子もなく、マグノリアは笑いました。
「いいだろ。歩いていくことにするよ。どうせガラバンさんのお屋敷は歩いていったって十五分とかからないんだ。ちょうどいい運動だ」
「俺が荷物を持っていこうか?」
 とユギルは尋ねました。占盤を入れた鞄は重たそうです。すると、女は、あっはっは、と声を上げて笑いました。
「馬鹿におしでないよ、ユギル。あたしがそんな非力なわけないだろう!」
 確かに、マグノリアの腕は強く太くて、石の占盤だろうがなんだろうが、軽々と運んでいくだろうと思えました。

 すると、マグノリアは笑うのをやめて、つくづくとユギルを見ました。
「大きくなってきたねぇ、あんた……。出会った頃にはあんなに痩せっぽちだったのに、最近じゃずいぶん背も伸びてきたし。この分だと、間もなくあたしを追い越しそうじゃないか」
 そう言われて、ユギルは肩をすくめました。
「まだまだだよ。あと十センチ以上も差があるじゃないか」
「あんたは男の子だ。そんなもん、あっという間だよ。そうしたら、あんたも一人前だ。早いよねぇ」
 しみじみとそうつぶやいてから、マグノリアはまた笑いました。
「ちゃんと食べるんだよ、ユギル。育ち盛りなんだ。しっかり食べないと、大きくなれないんだからね」
 まるで母親が小さな子どもに言い聞かせるような口調に、ユギルは思わず口をとがらせました。
「ちぇ、わかってるってば」
 あっはっは、とまた声を上げて笑うと、マグノリアは鞄を提げて出かけていきました。

 それを外まで見送って家に戻ると、ユギルはつぶやきました。
「これでよし、と」
 その顔は意外なほど真剣な表情になっていました。
 マグノリアはジャウルでも売れっ子の占い師ですが、その分、商売敵も大勢います。最近、その中でも特に陰湿な連中が、人を雇って彼女を襲撃しようとしていたのです。
 事故で立ち往生した馬車に、そんな奴らが襲いかかってくる、と占盤はユギルに伝えていました。マグノリアが命にも関わりかねない大怪我をする、と。
 けれども、狙う人々はマグノリアの馬車を目印にしています。歩いて行ったときには、道順も違うので、待ち伏せする者たちには気づかれない、と占いは告げていました。目的通りマグノリアを馬車ではなく徒歩で行かせることができて、ユギルは、ほっと一安心したのでした。
「マギーも不用心だよな。そろそろボディーガードくらい雇うべきなんだ」
 そうつぶやいてから、ユギルは思わず変な顔をしました。男顔負けのたくましさのマグノリアです。ボディーガードと並んで立ちながら、逆に、それを守っている姿を想像してしまったのです。
 ユギルは思わず苦笑いすると、また占いの間に戻っていきました。どうしたら危険な商売敵を払拭できるか占うために、占盤の上に彼女の未来を読み出そうとします。
 占盤に象徴が浮かび上がってきました。灯火のように輝く白いマグノリアの花です。彼女自身はあんなにごつい姿をしているのに、象徴は本当に優しげで綺麗です。
 と、ユギルは目を見張りました。象徴が、突然変化を始めたのです。純白の花がみるみるうちに色を変え、音もなく散り始めます。風も吹かない占盤の上で、花びらが舞い落ちていきます。それは、血のように鮮やかな紅い色に染まっていました。

 「マギー!!」
 ユギルは飛び上がりました。これはもうひとつ先の将来です。襲撃を避けて徒歩で客の屋敷に向かったとき、マグノリアが出会うことになっている未来の姿でした。
 恐ろしい予感に息が詰まりそうになりながら、ユギルは家を飛び出し、彼女がたどったはずの道を走りました。追いつき、彼女を引き止めようとします。
 その先にあるのは、襲撃されたのと同じくらい危険な未来でした。何が起こるのか、具体的にはわかりません。けれども、運命はいくつものくぐり戸を準備して、人を定めの中に誘い込もうとするのです。ユギルはまた油断してしまったのでした。

 行く手で大勢の人が騒いでいるのが目に入りました。通りに馬車が停まり、そのまわりに人垣ができています。事故があったのです。
 ユギルはそこへ駆けつけました。不安に胸を締め上げられながら、人を押しのけて前に出て行きます。知らない間に大声を上げていました。
「通して! 通してくれ――!!」
 しゃにむに前へ出て行ったとき、目に入ったのは、血で赤く染まった石畳と、立ちすくむように停まっている四頭立ての馬車でした。馬車の御者らしい男が、血溜まりの中を指さしながらどなっていました。
「あっちだ! あの女がいきなり前に飛び出しきやがったんだぞ!」
 だから、こっちのせいじゃない、と言いたそうな男に、通行人の一人がどなり返しました。
「馬車がはねようとした子を助けたんじゃないか! あんたが前をよく見てなかったんだよ!」
 小さな女の子が声を上げて泣いています。それを別の大人が抱きしめています。集まった人々から無言の非難を受けて、御者の男が黙り込みました。
 ユギルは声もなく進み出ました。血溜まりの中に倒れている人を見下ろします。それはマグノリアでした。
 いくら頑丈な彼女でも、馬にまともに踏まれ、馬車の重い車輪にひかれては、無事でいることはできません。傷口から流れ出す血が通りの敷石を紅く染めています。それはあまりにも大量の出血でした。助かることなど、とても考えられないほどの――。

 ユギルは彼女のかたわらにひざまずきました。蒼白になった顔をのぞき込みます。
「マギー……」
 すると、その声が聞こえたように、マグノリアが目を明けました。ユギルの泣き顔を見て、おやおや、と笑うような顔をします。
「珍しいねぇ、あんたが泣くなんて……。男の子だろ、泣くんじゃないよ……」
 弱々しい声ですが、いつものようにそんなことを言います。
 ユギルは頭を振りました。
「俺……俺、また読み切れなかったよ……。あんたがこんなふうになるなんて、思ってもいなかった……」
 涙が抑えようもなくあふれ続けます。苦い後悔と激しい怒りに体が震えます。自分自身を引き裂いてしまいたいほどでした。
 すると、マグノリアが言いました。
「あんたは読めなかったかもしれないけどね……あたしには、ちゃんと見えていたんだよ……。もう何年も前からね……。あたしには、この先の未来はなかった。人生の舞台から下りなくちゃならなかったのさ……。だから、あたしは後継者を捜したのさ……あたしの後をついでくれる、若い占い師をね……」
 ユギルはことばを失いました。どんどん青ざめていく女の顔を見つめ続けます。
 すると、マグノリアが手を伸ばしました。少年の銀髪をそっとなでます。その指は血に紅く染まっていました。
「こんなにいい子に出会えるなんてさ……占盤も、粋な計らいをしたと思わないかい……? 占盤が、あんたを見つけた。あんたの声を、あたしのところまで届けた……。あたしたちは、巡り会うべくして、巡り会ったのさ……」
「マギー!」
 ユギルは泣きながらまた頭を振りました。死にかけている女に向かってどなってしまいます。
「どうして逆らわなかったんだよ!? どうして、運命だなんてあきらめたんだ! 見えてたんだろ!? こっちの道を来たらこうなるって、あんたにはわかってたんだろう!? それなのに、なんで引き返さなかったんだよ――!?」
 理不尽な怒りがこみ上げてきて、こらえようがありませんでした。また一人にされる。置いていかれて、一人ぼっちにされる。そのことに対する恨みと怒りでした。
 すると、マグノリアが笑いました。銀の髪をまたなでます。
「なんだろね、この子は……またすねちまうつもりかい……? あたしにはね、あんたの将来も見えているんだよ……。あんたはやがて世界を救うよ。そのための、大きな力の一人になっていくんだ。でもね……あたしがいたら、あんたは世界に出ていくことができない。あんたは、あたしを越えて行かなくちゃいけないんだ……。だからね、あたしは引き返さなかったんだよ。あんたに、道の入口を開けてやりたかったのさ……」
 ユギルは絶句しました。その髪から、女の手が力なく落ちていきます。とっさにユギルがそれを受け止めると、マグノリアはまた笑いました。
「お行き、ユギル。世界があんたを待ってるよ……。あんたは一人ぼっちじゃない。あたしはずっと、あんたを見ているからね……。たとえ死んだって、あの世の果てからだって、ずっとずっと、あんたのことを見ていてあげるからね……」
 マギー、とユギルは言いました。他のことばが出てきません。マギー、マギー、と名前を呼び続けます。けれども、その声は何かの表面をかすめるだけで、本当に伝えたいことを伝えようとはしませんでした。
 ユギルは泣きながら、必死で自分の中にことばを探し回り、心の一番奥深いところに、ずっとしまい続けていたことばを見つけ出しました。ようやくのことでそれを声にします。
「……お母さん……」
 けれども、それに応える声はありませんでした。握りしめるユギルの手の中で、大きな節くれ立った手が冷たくなっていきます。遠い世界へ――どんなに優秀な占者であっても占うことができない、遠くはるかな世界へと、マグノリアは旅立ったのでした。

  



 ザカラスの首都ザカリアの大通りは、大勢の人々で埋め尽くされていました。沿道に大勢の市民が鈴なりになって、通りを行進する馬車や衛兵たちに手を振ります。数台連なった馬車の一番真ん中には、隣国ロムドの国王が乗っています。
 半年間続いたロムドとの戦争が終結し、ザカラスは敗北しました。敗戦国にどれほどの補償を求められるのかとザカラスは恐れたのですが、ロムド王はただ恒久的な和平と親睦を求めてきただけで、金品や土地は一切要求しませんでした。この寛大な対処に感激したザカラス王は、末の王女との婚礼をロムド王に持ちかけ、先の王妃を病気でなくしていたロムド王も快くこれを受け、この度めでたく両国の間で婚礼と和平とが成立することになったのでした。
 沿道に詰めかけた人々は、婚礼の挨拶のためにザカラスを訪れたロムド王を歓迎していました。王女とは三十以上も年の開きがありますが、中央大陸に「賢王」の名をはせているロムド王です。きっと王女を幸せにするだろう、ザカラスにも末永い平和をもたらしてくれるに違いない、と人々は期待していました。
 そんな人混みの中で、ユギルはじっと待ち続けていました。灰色のマントをはおり、目立つ髪や目や肌の色をフードの奥に隠しています。
 馬車が近づいてくると、人々の歓迎の声はいっそう熱狂的になります。口々にロムド王の名を呼び、両国の繁栄を祈り、手を振り、花をまき散らします。大銅鑼(おおどら)を沿道に持ち出して、賑やかに打ち鳴らす人々もいます。
 ふん、とユギルは鼻を鳴らしました。
「茶番だな」
 とつぶやきますが、その声は周囲の騒ぎに飲み込まれて、誰の耳にも届きませんでした。
 やがて、目の前に馬車がやってきました。真ん中の、ひときわ華やかに飾られた馬車に、ロムド王が乗っているのです。人々の声が大きく激しくなります。

 その時、ふいに反対側の沿道で人々の悲鳴が上がりました。持ち出されていた大銅鑼が、突風にあおられ、ゆっくりと人々の上に倒れ始めたのです。高さが三メートルあまりもある大銅鑼です。下敷きになっては大変、と人々が逃げまどい、沿道は大騒ぎになります。誰もいなくなった石畳の上に大銅鑼が倒れ、ドジャーーンンン……とすさまじい音を立てます。沿道の人々も、通りを行進する衛兵たちも、思わずそちらに注目します――。

 馬車の中のロムド王もその音を聞きつけました。供の者に尋ねます。
「何事であろうな?」
 黒ずくめの剣士が鋭い目で馬車の窓から沿道を眺めました。人々の動きを確かめて主君を振り向きます。
「単なる事故のようです。心配は――」
 言いかけて、剣士は絶句しました。国王も、ぎょっとしたように自分の隣を見ました。馬車の中にいたのは王と剣士の二人だけだったはずだったのに、いつの間にかもう一人の人物が増えていたのです。灰色のフード付きのマントを着て、国王のすぐ隣に、影のように座りこんでいます。
「何者だ!?」
 と剣士が腰の大剣を抜こうとすると、フードの奥から、意外なほど若い男の声がしました。
「このままザカラス城に行けば、明日の夕方には、ロムド王はもう生きてはいないよ」
「なに――!?」
 と剣士が顔色を変えます。
 ロムド王も驚いたように隣の人物を見つめていましたが、やがて、手を伸ばすと、人物の灰色のフードを引き下ろしました。
 とたんに、銀の輝きが二人の目を打ちました。輝く銀髪に浅黒い肌をした少年が現れます。その瞳は、右が青、左が金色の不思議な色合いをしていました。
 少年は顔を歪めるようにして笑いました。大人びた口調で続けます。
「暗殺者が王を狙ってるよ。気をつけるんだね」
 剣士は再び顔色を変えました。王も真剣な表情になります。それはいったい――と尋ねようとすると、少年はふいに座席から立ち上がりました。その時、通りが曲がり角に差しかかったようで、馬車が速度を落としました。少年は馬車の扉に手をかけると、ためらうことなく外へ飛び出していきました――。

 ユギルは走りました。人混みの間をぬい、通りから横道に飛び込み、曲がりくねった細い道から道へと走り抜け、誰もついてきていないことを確かめてから、ようやく立ち止まります。隣国の王を歓迎する人々の声は、もう遠い潮騒のようにしか聞こえなくなっていました。
 はあ、とユギルは建物の壁にもたれて大きく息をしました。鼓動が激しくなっているのは、全速力で走ってきたせいばかりではありません。相手は賢王と名高いロムド国王でした。その警備の隙を突いて馬車に乗り込めば、それだけで充分死刑に値したのです。
 あの王様、俺の言うことを信じるかな、とユギルは考えました。占盤をのぞいているうちに、偶然見つけた企みです。ロムド王が暗殺されれば、中央大陸全体、やがては全世界が大きな混乱と闇に飲み込まれていく、と占いは告げていました。その企みを止める者がいないことも、占盤は知らせていました。暗殺の動きをつかんだのは、ユギル一人だけだったのです。
 迷った挙げ句、ユギルはザカラスまでやってきました。ザカラス城へ向かう途中でなら、直接王に話せる時間があると、これも占いでわかったからです。
 自分にできることはやり終えました。後は、あの王が自分のことばをどう判断するか、ただそれだけにかかっています。でも……
「どうせ信じるはずなんてないんだよな」
 とユギルは思わずつぶやいていました。皮肉な笑いが顔に浮かびます――。

 その時、ユギルの肩がいきなり男の手につかまれました。仰天して飛び上がったユギルは、それがさっき馬車に乗っていた黒ずくめの剣士なのを見て、また心臓が止まるほど驚きました。後をつけられていたことに、まったく気がつかなかったのです。
 すると、剣士が言いました。
「陛下からの伝言だ。今夜、陛下の元へ来い」
 低い声ですが、刃物のような鋭さを隠しています。一瞬でもおかしなそぶりを見せればたちまち切り殺される、とユギルは肌で感じました。
 思わず震える声を必死で抑えながら、ユギルは聞き返しました。
「何時に、どこへ行けばいいんだよ?」
 すると、剣士がじろりと視線を向けてきました。冷ややかな、けれども、同時に試すようなまなざしでした。
「それくらい自分で判断しろ。おまえは占い師なんだろう――」
 ユギルは、はっとしました。
 黒ずくめの男は、後は何も言わずに、きびすを返して去っていきました。


 その日の夜更け、ユギルはザカラス城のロムド王を訪ねました。賓客を迎えて城はいつにも増して厳重に警戒をしていましたが、ユギルは占いで警備の隙を突き、誰にも見つかることなく王の部屋までたどりついたのでした。
 もう午前零時を回っていましたが、ロムド王はまだ起きていて、同じ部屋の中にあの黒ずくめの剣士だけが一緒にいました。王は寝間着の上に立派なガウンをはおってくつろいでいましたが、剣士は大剣を下げた腰に手を当てたまま、少しも油断なく控えています。刺すようなまなざしを感じながら、ユギルは精一杯王の前で胸を張って見せました。
「来たよ、王様――。何の用さ」
 ユギルは王に対することばづかいなど知りません。ただ、自分に話せる言い方で話しかけます。ロムド王はそれを気にする様子もなく、軽く手を振ってテーブルの前の椅子を示しました。
「座りなさい。私を暗殺しようとする者が、このザカラス城にいるというのだな? それは何者で、目的は何なのだ? わかる限りのことを教えてほしいのだ」
 ユギルは目を丸くしました。王は真面目な表情をしています。それが信じられなくて、思わず聞き返してしまいました。
「あんた、俺の言うことを信じるのか? どうしてだよ?」
「これは不思議なことを言うな。そなたは占い師なのだろう? そなたが占ったことを信じて、どこがおかしいのだ」
「で――でも、だって――!」
 王にとって、ユギルは突然馬車の中に現れた、どこの馬の骨とも知れない子どもです。それなのに、王が何の疑いもなく自分のことばを信用しようとすることが、とても信じられませんでした。
 そんなユギルの様子に、王が笑いました。
「どうやら、そなたは占者になってまだ日が浅いようだな。だが、あれだけの人と警備の中で、誰にも気づかれずに馬車に乗り込むなど、並の占者にできることではない。わしとて、自分の城から一番優秀な占者を同行させていたのだ。ここにいるゴーラントス卿も、城で一番腕の良い剣士だ。そんな彼らを出し抜いたからには、そなたは一流の占者であろう。どんなに年が若くともな」
 ユギルはただただ驚きあきれて、ロムド王の顔を眺めていました。思慮深そうな目をした王は、ユギルの銀髪も浅黒い肌も色違いの瞳も、何も気にしていませんでした。彼が子どもであることさえ、まったく意に介していないのです。
 その時、ふいにマグノリアの声が聞こえたような気がしました。
「あんたはやがて、世界から必要とされる重要な占い師になっていく。あんたのことばには、一国の王さえ従うようになるよ――」
 でも、それにはあんた自身がまず、人を信じるようにならなくちゃね、とマグノリアの声は続きました。他人を信じてない人間のことばを信じる人間はいないんだから、と。
 本当かな、とユギルは心の中で尋ね返しました。本当に、そんな大人がいるのかな――あんた以外にも。
 なんだか、不安と期待で、泣きたいような気持ちになってきます……。
 ロムド王はユギルの話を待っていました。黒ずくめの剣士も、さっきよりはずっと落ちついた雰囲気になって、ユギルを見つめています。ユギルは意を決して話し出しました。
「王様を狙ってるのは、ザカラス王だよ。結婚のための儀式の最中に、刺客に王様を殺させようとしているんだ――」

 「なるほどな」
 ユギルの話をすべて聞き終わると、ロムド王はそう言いました。少し考えてから、こう尋ねてきます。
「そなたは、敵の刺客を防ぐ方法を思いつくことができるか?」
「俺の占いを信じてくれれば」
 とユギルは答えました。我ながら、王様相手にものすごく偉そうなことを言っていると感じます。なんだか、夢でも見ているようです。
 すると、ロムド王はうなずきました。
「よかろう。では、そなたにわしのお抱え占者の身分を与えよう。わしと一緒に来なさい、占い師」
 ユギルはまた目をまん丸にしました。一瞬、本当に声が出なくなります。やっとのことで、こう聞き返しました。
「あんた――今、何て言ったんだ――?」
 とたんに、黒い剣士がこらえきれなくなったように吹き出しました。笑いながら言います。
「まず、そのことばを何とかしなくちゃいかんな。そんな言い方をしていたんじゃ、あっという間に宮廷からつまみ出されるぞ、占い師」
「ユギルだよ」
 名乗りながら、少年はまだとまどっていました。とても現実のこととは思えません。本当に夢を見ているようです……。
 そんな中、また、マグノリアの声が聞こえてきたような気がしました。
 お行き、ユギル。世界があんたを待ってるよ。あたしはずっと、あんたを見ているからね。ずっとずっと、あんたのことを見ていてあげるからね。
 その声は、ユギルの人生の道を照らし出す、白い灯火のようでした――。

(2007年4月6日)





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