フルート・サイドストーリー集「金の石の休日」
第9話 雪の空


 ポチが町の通りを一人で歩いていると、空から白いものが降ってきました。ふわりふわりと舞うように落ちてきて、石畳の道に触れると、たちまち見えなくなってしまいます。鳥の羽毛のように大きな雪でした。
 ポチは頭を上げました。空は一面白く輝く雲におおわれていて、そこから雪がどんどん降ってきます。雪のひらは輝く空の中では無数の暗い影になって、まるで上空に群れる小鳥か虫のように見えます。それが目の前まで落ちてくると、真っ白い羽根のような雪の姿に変わるのです。
 白い息を吐きながら、ポチは雪の中を歩き続けました。とても寒い日で、人も馬車も先を急ぐように進んでいます。早く目的地について、暖かい火のそばでほっとしたいのでしょう。でも、ポチは犬なので寒いのは平気でした。暑い日よりも快適なので、ご機嫌で通りを歩き続けます。
 大通りから裏道に曲がると、行く手に教会の鐘楼と、その手前の二階建ての建物が見えてきました。フルートが通う学校です。間もなく授業が終わるので、ポチはフルートの迎えにやってきたのでした。

 ところが、空き地の前を通りかかったとき、ポチはふいに耳をぴくりと動かして、あわてて近くの塀の陰に隠れました。少年たちの声が聞こえてきたからです。
「だからよ、呼び出して目隠ししちまえば……」
「うまく行くかな?」
「なぁに、みんなでかかればうまくいくさ」
「でも、あいつは強いぞ」
「目隠しした上で縛り上げれば大丈夫だ。いくらあいつだって抵抗できねえさ」
「そうだ。みんなで思い知らせてやろうぜ」

 ポチは、そっと塀の陰から頭をのぞかせました。空き地の奥の方で、数人の少年たちがひそひそと相談しあっています。通りかかった人がその声を聞き取るのは不可能ですが、ポチの犬の耳には、話の内容まではっきり聞こえてくるのでした。
 そこにいるのは町の不良たちのグループでした。フルートと同じ年頃の少年たちですが、授業がまだ終わっていないのにここにいるということは、学校をさぼったのにちがいありません。彼らのリーダーはジャックですが、そこにジャックの姿は見あたりませんでした。最近、ジャックはめったにグループに顔を出さないのです。その代わり、副リーダーだったペックが、昔からの仲間だけでなく、新しくグループに入ってきた少年たちまで束ねて、新しいリーダーに台頭してきていました。
 ペックは今でもフルートを毛嫌いしています。金の石の勇者と皆から賞賛されるフルートが、目障りでしかたないのです。普段フルートがあまり穏やかなので、勇者という話をただのデマだと思っている節もありました。ことあるごとにフルートにいちゃもんをつけては、痛い目にあわせようと狙い続けています。
 大変だ、とポチは考えました。彼らはフルートを罠にはめようとしているのです。
 もちろん、普通に考えれば、フルートが彼らに負けるようなことはありえません。どんなに優しく穏やかに見えたって、フルートは紛れもなく金の石の勇者なのですから。ただ、フルートは人と争うのが嫌いです。戦う相手を傷つけたくないばかりに、自分自身が窮地に追い込まれることがよくあるのでした。
 ポチはそっと空き地の入口から離れると、人の通れないような建物の隙間を走り抜けて学校へ急ぎました。フルートは学校の帰りに必ず空き地の前を通ります。それより先にフルートにペックたちの企みを教えなくてはなりませんでした。

 ポチが学校の門についたとき、ちょうど終業の鐘が鳴りました。待ちかねたように、学校の中から子どもたちが飛び出してきます。手に手に教科書を抱え、友だちとしゃべったり、ふざけたりしながら帰っていきます。降ってくる雪に歓声を上げる子どもたちもいます。
 その中に、大柄なジャックの姿がありました。他の子どもたちと同じように教科書の束を小脇に抱え、おもしろくもなさそうな顔で一人で学校から出てきます。校門のわきにたたずむポチに気がつくと、じろりと一瞥を投げてきましたが、そのまま何も言わずに通り過ぎていきました。どうやら、ジャックは子分たちの計画を何も知らないようでした。
 そのまま五分ほど待っていると、ようやくフルートのクラスの子どもたちが出てきました。授業が少し長引いたようです。その中でもさらに終わり近くになって、やっとフルートが姿を現しました。いつものように一人きりで、ゆっくりと学校から出てきます。とても穏やかな表情をしていますが、ポチの姿を見つけると、すぐに嬉しそうに顔を輝かせて駆け寄ってきました。
「お待たせ、ポチ。雪が降ってきたね。寒くなかった?」
 ポチは素早くあたりに目をやりました。もう子どもたちの姿は少なくなっていましたが、それでも念のために人の通らない方へフルートを引っ張っていきます。
「ワン、ペックたちがフルートを待ち伏せしてますよ。目隠しして縛り上げる、なんて言ってます。口先だけじゃない感じでした。危ないですよ」
「ペックたちが?」
 フルートは眉をひそめました。
 前回ペックたちに呼び止められて手を出されそうになったのは、確か半年ほど前のことです。いつもは受け流すだけのフルートなのですが、ポチを殴られそうになって思わず反撃してしまい、あわや乱闘というところを、通りかかったジャックに仲裁してもらいました。以来、彼らはフルートの実力に一目置くようにはなったのですが、その分、機会を狙って叩きのめそうとする動きもいっそう強まっていました。小柄で女のような顔をしたフルートが自分たちより強いということを、彼らはどうしても認めたくなかったのです。
 ふぅ、とフルートは思わず溜息をつきました。反撃して逆に彼らを叩きのめすのは簡単なのです。でも、フルートはどうしてもそれはやりたくありませんでした。自分の敵は闇であり、闇の象徴のデビルドラゴンです。同じ町に住む子どもたちなどではないのです……。
「無視するしかないね。呼び止められそうになったら、走って逃げよう」
「追いかけてくるんじゃないですか? 今日こそ絶対に思い知らせる、っていう感じでしたよ」
「大通りに走ろう。人目のあるところでは、さすがに手は出してこないさ」
「ワン、フルートも苦労しますよねぇ」
 つい先日までは、ロムド王国の王位継承権に絡む騒動に巻き込まれていたフルートです。ポチは思わずしみじみとつぶやいてしまいました。

 けれども、フルートとポチが用心しながら空き地の前を通りかかった時、そこにはもう少年たちの姿はありませんでした。
「ワン、フルートが遅かったから、待ちきれなくて行っちゃったのかな?」
 そうあってほしいという期待を込めてポチが言います。
 フルートは黙ったまま、空き地の入口の地面を見つめていました。雪が溶けて濡れた地面の上には、数人の少年たちが集まって出ていった足跡が残されています。
 ふと、フルートは顔を上げてポチを見ました。
「ジャックはこのことを知ってるの?」
「ワン、ジャックならさっき前を通っていきましたけど、全然知らないみたいでした。たぶん、ペックたちが勝手に計画したんだと思いますよ」
 フルートはさらに考え込みましたが、やがて通りの向こうへ目をやると、急に、そうか、とつぶやきました。その表情がみるみる真剣になっていきます。
「ペックたちが待ち伏せしてたのはぼくじゃない。ジャックだ――」
 ポチは目を丸くしました。
「ワン、だってジャックはペックたちのリーダーですよ?」
「ジャックは最近、ペックたちと全然一緒に行動してない。ペックたちはそれが不満だったんだよ。ジャックが自分たちを裏切ったように感じたんだ。そうだ……ジャックは、ぼくとペックが喧嘩になりそうなのを止めたりしたし。あの時、ペックはジャックにすごく腹を立てていたもの」
「ワン、じゃ、ペックたちは――」
「うん。ジャックをリンチにかけるつもりなんだ!」
 フルートは必死であたりを見回しました。このまま放っておくわけにはいきません。けれども、彼らはもう何分も前にそこを立ち去ったようで、どこにも姿が見あたりませんでした。
 すると、ポチが道に鼻を押しつけながら呼びました。
「ワン、こっちです、フルート! ジャックとペックたちの匂いがします」
「よし!」
 フルートはポチと一緒に匂いをたどって急いで歩き出しました。

  



 町外れの古い建物にジャックとペックたちは集団で入っていきました。昔の羊毛の集積場で、今はもう老朽化して使われなくなった場所です。ところどころで石積みの壁や天井が崩れていて、入口には立ち入り禁止の札が立っていましたが、もちろん、少年たちはそんなものは無視していました。
「なんだ、ペック。俺に見せたいものってのは」
 ジャックが先頭を行く少年に声をかけました。最近、何かというと自分に反抗的な様子を見せるペックです。腹に一物ありそうだと感じてはいましたが、一度きっちり話をつける必要があると思って、あえて誘われるままに一緒に来たのです。
 ペックは建物の奥の部屋の跡に入ると、そこで立ち止まって振り返りました。すぐにその両脇や後ろに、何人かの少年たちが並びます。それは、二年あまり前のジャックの姿と同じでした。あの頃は、ジャックを守るようにペックや他の少年たちが従っていたのです。今ではジャックのそばに立とうという者はいません。使いっ走りの小さな少年たちさえ、ジャックから距離を置いて立っています。
 ふん、とジャックは鼻を鳴らしました。ペックをじろりと見下ろします。
「どうやら、見せたいものがあるってのはただの口実だったみたいだな。何の用だ、ペック。言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ」
 低い声ですが、そこに込められた迫力に、居合わせた少年たちは思わず後ずさりそうになりました。リーダーの座を追われつつあっても、やっぱりジャックには少年たちを服従させる威圧感があります。
 そんな中、ペックだけは少しもひるまず、ジャックを見返しました。
「最近のあんたはなっていない、って話をしたいんだよ。どうしちまったんだ、ジャック。教科書抱えて真面目にお勉強か? 優等生に転向だなんて、フルートに感化されちまったみたいだな」
 ジャックはつまらなそうな目でペックを見ていました。二年あまり前、魔の森へ魔法の金の石を取りに行ったとき、最後まで自分に同行していた子分ですが、森を包む恐怖の魔法にとらわれて、ジャックを突き飛ばして逃げ去ったのです。あの時から、ペックの反抗はすでに始まっていたのかもしれません。今さらそれに腹を立てる気にもなりませんでした。
 ジャックがまったく取り合わないので、ペックの口調が、揶揄(やゆ)の響きを強めました。
「なんだ、ジャック。図星で反論できないのかよ。ホントに最近のあんたは見てらんねぇよな。フルートなんかとつるみやがるしよ。さてはジャック、あんた、あのお嬢ちゃんに惚れたんだろう。そうに違いねえや」
 お嬢ちゃん、というのは、彼らがフルートをからかうときの呼び名です。たちまち仲間の少年たちがわざとらしい驚きの声を上げ、ヒューヒューと口笛を吹き鳴らしました。ジャック、あんたそういう趣味だったか! とあざ笑う少年もいます。
 ジャックは腕組みをしました。
 彼らが何故自分にこうまで反感を強めたのか、ジャックにはわかっていました。彼らがフルートに「思い知らせよう」とするたびに、ジャックがそれを止めるからです。ジャックがフルートに味方しているように見えるのです。
 この阿呆どもめ、とジャックは心の中で苦くつぶやきました。誰が誰を守っているのか、この子分たちはまったくわかっていないのです。
「用はそれだけか? 俺はこれから隣町まで行かなくちゃならねえんだ。そんなくだらねえ話を聞かせるのが目的なら、俺は行くからな」
 話を打ち切って立ち去ろうとすると、ペックが鋭く言いました。
「待てよ、ジャック! 怖くて逃げるのかよ?」
 あざ笑う口調です。ジャックは、たちまち振り向きました。右の手をすでに拳に握っています。
「誰が誰を怖がってるだと!? 寝言抜かしてると、土手っ腹に一発食らわすぞ――!」

 とたんに、ジャックの視界が暗くなって、何も見えなくなりました。頭の上から突然大きな布をかぶせられたのです。二人の少年がいつの間にか建物の上の階に上がり、崩れた天井の穴から布を持ってジャックの上に飛び下りてきたのでした。
 驚いて布をはねのけようとするところを、さらに別の少年たちが駆け寄ってきて、太いロープでがんじがらめにしてしまいます。布の上から縛り上げられ、両足までロープに絡みつかれて、ついにジャックの体が倒れました。灰色のイモムシのような格好で床の上に転がります。
 それを力一杯蹴って、ペックが笑いました。
「いい格好だな、ジャック! きさまみたいな裏切り者にはぴったりの格好だぜ! おい、みんな! ジャックはもう動けねえ! 存分にやっちまえ!」
 ジャックが野牛のようにうなりましたが、布とロープはどんなにもがいてもふりほどけません。床の上を本当に巨大なイモムシのようにのたうつしかありませんでした。その様子に少年たちはいっせいに笑いました。手に手に崩れた石壁のかけらや太い鉄の棒を握り、残酷な笑みを浮かべながら、それをイモムシの上に振り下ろそうとします――。


 その時、激しく吠えながら一匹の犬が飛び込んできました。倒れているジャックの前に立ち、少年たちに向かってワンワンワン……! と吠えたてます。少年たちは思わずぎょっと身をひき、次の瞬間、それが小さな白い子犬なのに気がついて目を丸くしました。
 すると、それを追うように、高い少年の声が響き渡りました。
「馬鹿な真似はやめろ、ペック、みんな――!!」
 小柄な金髪の少年が崩れかけた部屋の中に飛び込んできて、ジャックと子犬の前で両手を広げました。
 少年たちはさらに呆気にとられました。ジャックを守るように立ちふさがる少年は、まるで少女のように優しげな顔をしています。フルートでした。

 ペックが、にやりと笑いました。
「これはこれはお嬢ちゃん。正義の味方の登場かい? ジャックと一緒にやられたいらしいなぁ」
 他の少年たちが、また石や鉄棒を握り直します。目の前にいるのは、身動きすることもできなくなっているジャックと、ちっぽけな子犬と、女の子のような顔をした少年だけです。しかも、フルートは何も武器を持っていません。これこそ、思う存分「思い知らせる」絶好の機会でした。じりっと少年たちが間合いを詰めてきます。
 けれども、フルートは落ちついた声でポチに言いました。
「ジャックを自由にしてやって。こっちは心配いらないよ」
「ワン、わかりました」
 即座にポチがジャックに飛びついて、絡みついているロープをくわえてほどきにかかります。
「大口叩くなぁ、フルート! これだけの人数、どうやって素手で相手するってんだよ!?」
 言いながら、鉄棒を握った少年が飛びかかってきました。フルートの金髪の頭を横殴りにしようとします。
 が、それより早くフルートは頭を下げてやり過ごすと、勢い余ってよろめいた少年に一瞬で駆け寄り、その手元に鋭く手刀を振り下ろしました。少年が悲鳴を上げて取り落とした鉄棒を、素早く足の先で受け止め、宙に放り上げて右手に握ります。そのまま、くるりと鉄棒を回転させて、びしりと構えれば、鉄の棒はもう、フルートの扱い慣れている長剣と同じ存在になっていました。
 ちょっとでも動けばフルートから鉄棒で殴られそうで、少年たちは身動きできなくなりました。本当に、まったく隙がありません。それでも無鉄砲な少年が飛び出してきましたが、振り上げた岩のかけらを鉄棒の先でドン、と突かれ、粉々になったかけらを頭からかぶって、悲鳴を上げて飛びのきました。ほんの一瞬の出来事でした。

 やっと腕が自由になったジャックが、懸命に残りのロープをほどき、頭からかぶせられた布を払いのけました。自分の前で守るように鉄の棒を構えているフルートを見て目を見張り、すぐに苦い顔つきに変わりました。
「おい、俺は助けてくれなんて言ってねえぞ」
「だって、ほっとけないよ」
 とフルートは答えました。ちょっとほほえむような表情でジャックを振り向きます。
 とたんに、それを隙と見て、また別の少年が襲いかかってきました。手にフルートと同じような鉄の棒を握っています。
 フルートは鋭く振り向くと、手にした棒で相手の棒を受け止めました。ガギン、と鋭い音が響いたと思うと、相手の少年がよろめきました。そこへフルートが飛び込んできて、鉄棒を振り下ろします。再び鋭い音が響いて、鉄棒が少年の手から床の上へ落ちました。力任せに叩き落とされた衝撃で、両手がしびれてしまっています――。
 ジャックはまた顔をしかめました。
「こら、手加減しやがれ、フルート。こいつらに怪我をさせるな」
「じゃあ、彼らを引かせてよ。こっちだって戦いたいわけじゃないんだから」
 とフルートが答え、改めて少年たちを見据えました。いつの間にか、少女のようなその顔が厳しく鋭い表情に変わっていました。百戦錬磨の戦士の顔つきです。少年たちの背筋を、ぞおっと冷たいものが走り抜けていきました。手に手に石を握ったまま、思わず後ずさっていきます――。

 その時、ペックが叫びました。
「石だ! 石をぶつけてやれ!」
 その声に少年たちがはっとしました。自分たちが握っている石を見て、フルートやジャックたちに投げつけ始めます。大人の拳や、赤ん坊の頭ほどの大きさもある石ばかりです。
「ワン、危ない!」
 ポチが即座に風の犬に変身しました。ごうっとうなりをあげながら渦を巻き、石をすべて風の体に巻き込んで、遠くはね飛ばしてしまいます。
 少年たちはポチが風の犬になったところを見たのは初めてでした。ちっぽけな子犬が爆発するようにふくれあがり、異国の竜のような巨大な生き物に変身したので、肝を潰して悲鳴を上げ、我先にそこから逃げだそうとします。
 その後を追い立てるように、ウォン!! とポチが風の声で吠えると、少年たちはさらに悲鳴を上げ、転がるように駆け出しました。
「こら待て、みんな!! 逃げるな――!!」
 ペックが金切り声を上げて仲間を呼び止めようとしていました。けれども、恐怖に駆られて逃げていく子分たちを引き留めることはできません。
 ジャックは何も言えなくなっていました。それは本当に、二年あまり前、魔の森に入ったときの自分自身の姿でした。あの時も、自分に忠実だったはずの子分たちは一人残らず自分を置いて逃げ去ったのです……。
「馬鹿が」
 と思わずつぶやいたジャックの声が、ペックの耳に届きました。ペックは歯ぎしりをすると、額に青筋を立てて叫びました。
「腰抜け! 卑怯者! どいつもこいつも、みんな俺を裏切りやがって! きさまらなんか、全員、この建物に押しつぶされちまえ――!!」
 フルートとポチは、同時に、はっとしました。彼らの頭上で、何か黒い影が動いた気がしたのです。目をこらしても見えません。ただ、半ば崩れた建物の天井と、その向こうの白い空が見えるだけです。空からは雪が降り続けています。
 と、再び、空を影が走りました。それは四枚の翼を広げた、巨大な竜のように見えました。

 「デビルドラゴン――!?」
 フルートとポチは同時に叫びました。影はまた消えてしまっています。まるで、この世ではない場所から、ちらちらとこちらの世界に姿を現しているようです。
 とたんに、建物全体が地響きを立てて揺れ始めました。そこここで石積みの壁や、天井が崩れ始めます。どうっと出口の向こうで壁が崩れる音がして、少年たちの悲鳴が上がりました。すぐに、真っ青な顔で全員が駆け戻ってきます。
「つ、通路がふさがれた! 閉じこめられちまったよ!!」
 と少年たちが叫びます。彼らのいる部屋に、そこ以外の出口はありません。そんな彼らの周囲で、部屋の壁も天井も、ゆらゆらと大きく揺れ始めているのでした。
 フルートは鉄の棒を投げ捨てました。首にかけていた鎖をつかんで引っ張ると、金のペンダントが出てきます。その先端では、花と草の透かし彫りに囲まれて、小さな石が金色に輝いていました。
「やっぱり目覚めてた!」
 とフルートは叫びました。そのまま金の石を握って、空にかざします。
「立ち去れ、デビルドラゴン!! おまえなんかにみんなを狙わせるもんか!!」
 石から金の光が空へほとばしりました。雪の降りしきる空に見え隠れする影を、澄んだ輝きで包みます。たちまち、空で金の火花が散り、耳には聞こえない咆哮があたりを揺るがしたような気がしました。
 とたんに、部屋の天井が崩れ落ちました。立ちすくむ少年たちの上に大小の石が降りかかってきます。
「ワン!」
 風の犬のポチが一声吠えて舞い上がりました。彼らの頭上で渦を巻き、岩を吹き飛ばしていきます。その風の渦の中央から、金の光が天に差し続けています。四枚翼の竜が、一瞬濃くはっきりと姿を現し、また、霧が消えていくように薄れていきます――

 すると、少年の金切り声が響きました。
「よくも、フルート! きさまなんか、きさまなんか――!!」
 どこから取りだしたのか、ペックが両手にナイフを握りしめていました。ぎょっとしたように立ちすくむ仲間の少年たちを尻目に、フルートに向かってわめき立てます。
「きさまなんか、金の石の勇者なんかであるもんか! きさまみたいなヤツが強いはずがない! フルートのくせに生意気なんだよ! 絶対に生意気なんだよ――!!」
 フルートは金の石を天に差し伸べたまま、驚いたようにペックを見ました。ペックは本物の殺気を放っています。危険だ、と瞬時に感じましたが、石はまだ光を放ち続けています。デビルドラゴンの影はほとんど薄れていますが、まだわずかに空に見えかくれしていたのです。フルートは動けません。
「ワン、フルート! よけて!」
 とポチが叫びました。ポチは崩れ落ちる建物から皆を守っているので、フルートを助けにいけません。
 ペックが握ったナイフを突き出して、フルートに向かって駆け出しました。うなるような声を上げながら、フルートに体当たりし、その小柄な体に刃先を突き立てようとします。
 が、それより一瞬早く、ペックの肩がむんずとつかまれました。勢いよく引き戻されて反転した体に、大きな拳が飛んできます。ペックは顔をまともに殴られ、吹き飛んで倒れました。その拍子にナイフが手から離れて、遠くへ飛んでいきます。

 金の光が空の彼方へ吸い込まれて消えていきました。空にはもう、四枚翼の竜の影はありません。デビルドラゴンは別の場所へと逃げ去ったのです――。
 フルートは金の石を下ろして振り向きました。倒れて気絶しているペックと、そのかたわらで拳を握っているジャックを見ます。空からポチも舞い下りてきて、フルートの足下でまた子犬の姿に戻りました。
 ほほえむように自分を見るフルートとポチに向かって、ジャックは渋い顔でどなりました。
「おまえを助けたんじゃねえぞ! こいつを人殺しにしたくなかっただけだ。誤解するんじゃねえ!」
「誤解はしないよ」
 とフルートは答えて、小さく、くすりと笑いました。

  



 フルートとジャックとポチは、崩れた建物を抜け出して、鍵のかかっていなかった近所の納屋に潜り込んでいました。大人たちが建物の周りに集まって大騒ぎしているのが聞こえます。誰か中にいるのか、と呼びかけている声も聞こえてきます。もう、中には誰も残っていないはずです。少年たちはてんでに逃げ去り、気を失ったペックも、ジャックが抱きかかえて、同じ納屋の中にいます。ペックはまだ目を覚ましていませんでした。
 ふん、とジャックが鼻を鳴らしました。納屋の床に座って片膝を抱え込んでいます。
「一応、ありがとうと言っておくべきなんだろうな。助けてもらったんだからな」
「それなら、ぼくも同じだ。助けてくれてありがとう」
 と言って、フルートは笑いました。やっぱり納屋の床に座りこんで、干し草の束に寄りかかっています。にこりとした顔は、また少女のように優しい表情に戻っていました。
 それを見て、ジャックは顔をしかめました。
「まったく、本当にやな野郎だよな、おまえは……。普段からもうちょっとそれらしくしてろよ。そんなふうだからこの馬鹿どもが勘違いするんだぞ。もっと勇者らしくしてやがれ」
 フルートは目を丸くしました。そんなこと言われても、と困ったような表情をする少年は、本当に、どこをどう見ても、世界を闇から守る勇者には見えません。
 ふん、とジャックはまたそっぽを向きました。そのまま沈黙になります。

 やがて、ポチが口を開きました。
「ワン、ペックや他の子分たちはどうするんですか、ジャック?」
「後でとっくり説教してやるよ。今度はこいつらも思い知っただろうからな」
 とジャックが渋い顔のまま答えて、気を失っているペックを見下ろしました。
 フルートは、今度はあいまいにほほえむと、そっと胸元のペンダントを手に取りました。金の透かし彫りの中で、石は灰色に変わっていました。金の石はまた眠りに戻ったのです。
 それを見て、ジャックが言いました。
「金の石を持っていたんだな……いつもそうやって持ち歩いてんのか?」
 フルートは何故だか、ほほえんだ顔のまま目を伏せました。
「最近はね。そうしたほうがいい、って金の石が言うから……」
 デビルドラゴンが新しい宿主を探しているよ。どこに魔王が出現してくるかわからないから、いつも用心していた方がいい――。夢の中で金の石の精霊にそう言われてから、フルートはずっとペンダントを肌身離さず身につけているのでした。そこに今回の出来事です。精霊の言うことは正しかったのでした。
 ジャックが、納屋の戸の隙間から外を見ました。雪が降り続ける空を見て言います。
「あの時、空に何かいたんだな?」
 フルートとポチは驚きました。
「ジャックには見えなかったの?」
「何も。ただ、おまえのペンダントが光って空の雲を照らしたのが見えただけだ。だが、おまえは金の石の勇者だもんな。あそこに闇の敵がいたんだろう?」
 フルートは黙ってうなずきました。ジャックも、やっぱりな、と言っただけで、後はまた黙ってしまいました。

 雪は降り続いていました。地面が次第に雪におおわれ、空も景色も薄暗い夕暮れの色に染まっていきます。
 ちっ、とジャックがふいに舌打ちしました。
「今日は稽古にいけなかったな」
「稽古?」
 とフルートは聞き返しました。ジャックが何か習い事をしているというのは初耳です。すると、ジャックは言いました。
「隣町の道場で剣を習ってるんだよ。俺は来年の夏には卒業だからな。そうしたら、軍の入隊試験を受けるんだ」
「ジャック、軍人になるの?」
 フルートはいっそう目を丸くしました。――ジャックの祖父は軍人でした。ロムド正規軍の隊長までしたのだと、以前ジャックが自慢していたことがあります。そんな祖父をジャックが尊敬していたのは知っていたのですが、なんとなく、ジャック自身が軍人になるとは想像もしていなかったのです。
 すると、ジャックが吐き出すように言いました。
「じいさんはじいさん、俺は俺だ。じいさんが偉い軍人でも、俺が同じように偉くなれるとは限らねえもんな。偉くなりたかったら、俺だって、ちっとはがんばんなくちゃならねえってことだ。ただそれだけのことさ」
 ぶっきらぼうな口調は、どこか照れ隠しをしているようにも聞こえました。
 フルートは、またにっこりしました。
「すごいや。偉いね、ジャック」
 ジャックはたちまち、ものすごいしかめっ面になりました。
「おまえな、皮肉にしか聞こえねえぞ。金の石の勇者がなに感心してやがる」
 すると、フルートはほほえんだまま言いました。
「本気で言ってるんだよ。……だって、ぼくは軍人にはとてもなれないんだもの」
 はぁ? という顔でジャックは見返してきましたが、フルートはそれ以上は何も言いませんでした。フルートが抱える矛盾とつらさは、他の人にはまず理解できないと自分でわかっていたのです。

 フルートは立ち上がりました。
「ぼくはもう行くね。あまり遅くなると、お母さんが心配するから……。ジャックはどうするの?」
「こいつが目を覚ますまでここにいるぜ。誰がリーダーか、じっくりと話して聞かせてやらぁ」
 とペックを見ながら、ぽきぽきと指を鳴らします。一見物騒ですが、実際には手荒な真似はしないだろうとフルートは考えました。なかなか目を覚まさないペックを、ジャックが密かに心配していたからです。
 すると、そのペックがうなり声を上げました。ようやく正気に返り始めたのです。ジャックが一瞬ほっとした雰囲気を漂わせ、すぐにフルートとポチが見ているのに気がついて顔をしかめてきました。
「そら、行けよ。夜になっちまうぞ」
 フルートはほほえんでうなずくと、ポチを連れて納屋を出ました。
「やっぱりおまえは、やな野郎だぜ――」
 ひとりごとのようなジャックの声が追いかけてきました。

 薄暗くなってきた町の中を家に向かって急ぎながら、ポチがフルートに言いました。
「ワン、でも意外ですね。あのジャックがあんなふうに変わっちゃうなんて」
「そうかな?」
 とフルートは答えました。その顔は微笑を浮かべ続けています。
「ジャックは本当はけっこういい奴なんだよ。それは最初に魔の森に行ったときからわかっていたんだ。それに、ぼくたちは、ずっとそのままなんてことは絶対にないんだよ。変わろうと思ったら、きっと変わっていけるんだ……」
 そう言って雪の空に向けたまなざしは、たった今まで一緒にいたジャックを思っているようにも、はるか遠い場所にいる仲間たちを思っているようにも見えました。
 けれども、すぐにフルートはまたポチを振り返ると、笑顔で言いました。
「さあ、走って帰ろう。本当に、お母さんが心配してるからね」
「ワン、そうですね」
 そこで、少年と子犬は通りを家に向かって駆け出しました。雪は夕暮れの空から、後から後から降り続きます。やがて、通りは真っ白になり、夜がその景色を包み込んでいきました――。

(2007年4月2日)





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