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世界の上空を移動していく天空の国。その巨大な世界は、地上の人々の目には映りません。天空の民と呼ばれる魔法使いたちや、多くの魔法の生き物たちを乗せながら、人知れず、今日も空を飛び続けています。
天空の国には中央に死火山がそびえ、その頂上に天空城が建っています。正義と光の王である天空王が住み、貴族とその家族だけが出入りすることを許されている場所です。天空の貴族は血筋では決まりません。大きな魔力と、正義の民として人に尽くす心を持ち合わせた魔法使いが、天空王から貴族に任命されるのです。
その中でも一番若い貴族がポポロでした。まだ、たった十二才です。魔法の潜在能力は貴族の中でもトップレベルだろうと言われていましたが、一日に二回しか使えない制限がある上に、コントロールがまだ悪いので、実際に貴族として働くよりも、他の貴族の子弟に混じって、城の学校で魔法修行をしていることのほうが多いのでした。
今日も学校が終わりました。ポポロは犬のルルと一緒に、城の中庭に出ました。中庭には花が咲き乱れています。一年中、途切れることなく咲き続ける花園ですが、その美しい景色には目もくれずに、ポポロは溜息をつきました。
「どうしたの、ポポロ。また授業で失敗したの?」
とルルが尋ねてきました。人のことばを話し、風の犬に変身できるこの犬は、ポポロの姉のような存在です。物心つく前から、ずっと一緒に育ってきたので、いつだって頼りないポポロを心配してくれます。ポポロは首を振りました。
「ううん、今日は大丈夫だったわ……。今日やったのは、炎の魔法と、いにしえの巨人の召喚魔法。炎の魔法がちょっとはじけて、教室の壁を焦がしちゃったけど、それは減点対象にはならなかったの。巨人の方は幻しか出せなかったけど、今の段階ではそれで充分だって先生から言われたわ……」
けれども、ポポロの顔はやっぱり冴えません。物思うような表情で、じっとうつむいています。
ルルはそれを見上げました。少しの間ことばを選んでから、話しかけます。
「会いたいんでしょ、フルートたちに? 行きましょうよ。私が風の犬になって運んであげるわよ」
とたんにポポロは顔を赤らめました。あわてたように大きく頭を振ります。
「だめよ、ルル……。あたしたちは、地上に困ったことが起きるか、フルートたちが呼んでくれない限りは、地上に下りることはできないんだもの。北の大地から帰ってきてから、まだたった一週間よ。こんなにすぐに呼んでくれるわけないわ……」
本当は呼んでほしいのに、という気持ちを無意識のうちに強くにじませて、ポポロが答えます。今度はルルが溜息をつく番でした。本当に、引っ込み思案でおとなしいポポロです。決まりがどうでも、自分がそうしたいなら、こっそり地上に飛んで行ったっていいと思うのですが、ポポロはそういうことは絶対にしません。ただ、何も言わずにうつむいて、泣きそうな目をしながら、地上の仲間たちが自分を呼んでくれればいいのに、と願い続けているだけなのです。
ルルはフルートの顔を思い浮かべました。世界を救う金の石の勇者などという大役を担いながら、誰よりも優しい気持ちをもっている少年です。
ねえ、フルート、ポポロを呼んであげなさいよ! とルルは心の中で少年に呼びかけました。ポポロはこんなに待ってるのよ。遠慮なんかしてる場合じゃないでしょう。無理やり呼びつけることくらいやってかまわないのよ。男でしょ!?
けれども、優しい優しいフルートがそんな強引な真似をするはずがないことも、ルルには充分わかってしまっているのでした。
すると、中庭の入口から呼ぶ声がしました。数人の少年少女たちが手を振っています。背格好はそれぞれ違いますが、皆、ポポロと同じ黒い長い衣を着ていています。
「おーい、ルル、ポポロ」
「約束よ。今日も北の大地の戦いのことを聞かせてちょうだい」
「ねえねえ、早くぅ。あたし、授業中もずっと、続きを聞きたくてしょうがなかったんだから」
ポポロと一緒に城の学校に通っているクラスメートたちです。笑顔で大きく手招きしています。ルルはすぐに返事をしました。
「わかったわ! 今すぐ行くから!」
天空の国ではもの言う犬は人とほとんど同じ扱いを受けます。犬のルルがそんなふうに答えても、子どもたちは当然のような顔をしていました。
ルルはポポロを見上げました。
「今日はあなたもいらっしゃいよ。みんな、北の大地での話をすごく楽しみに聞いてるのよ。あなたが来れば、みんな喜ぶわ」
けれども、ポポロは黙って首を振りました。以前ポポロが通っていた学校と違って、城の学校の子どもたちはみんな親切です。学校の先生自身に力があって、暴走しがちなポポロの魔力を上手に指導してくれるので、他の子たちも安心してポポロを見ていられるのかもしれません。以前のようにいじめられたり馬鹿にされたりすることがないのはわかっているのですが……ポポロは、どうしてもなじみのない人と一緒にいるのが不安なのでした。何を話していいのか、どんな態度をとっていいのか、全然わからなくて、凍りついたように固く黙り込んでいることしかできないのです。そして、そんな自分がいることで、他の子たちの楽しい気持ちに水を差してしまうと思っていました。
「あたし、もう少し庭を散歩していたいの。ルルだけで行ってきて……」
ホントにこの子はもう、という顔をして、ルルは子どもたちの方へ行きました。子どもたちは少しの間ポポロを待っていましたが、ポポロが動こうとしなかったので、ルルを囲むようにしてどこかへ歩いていってしまいました。戦いの話を聞かせてくれるのはいつもルルです。ルルさえ来てくれれば、彼らはとりあえず満足だったのです。
ポポロはまた溜息をつきました。ルルまで行ってしまって、なんだか、本当にひとりぼっちのような気がします。遠い地上にいる仲間たちの顔を、ついつい思い出してしまいます。優しいフルート、明るくて頼もしいゼン、元気でとても情が深いメール、小さい体でいつだってみんなに気配りしてくれるポチ……。今すぐにもまた会いたくて、涙がこぼれてきそうになります。ポポロはとても泣き虫です。本当に、大きな瞳のすぐ際まで涙がこみ上げてきました。
あの仲間たちなら、ポポロがどんなに引っ込み思案でも全然気にしないでいてくれます。無理に引き込むこともしないかわりに、決して無視したりもしないのです。だから、ポポロも彼らの中でなら、安心してありのままでいることができました。大好きな大好きな仲間たちです――。
ポポロは中庭のさらに真ん中に作られた生け垣の近くに来ていました。赤、白、黄、ピンク、紫、オレンジ、青……さまざまな色合いのバラの花が、ひとつの根から伸びた枝で咲き乱れています。生け垣の正面には、バラの枝を絡ませたアーチがあって、そこが生け垣の内側に続く唯一の入口になっていました。
ポポロが立ち止まって目に浮かんだ涙をこすっていると、バラのアーチをくぐって背の高い男性が出てきました。星のきらめきを放つ黒い長い衣を着て、金の冠をかぶっています。その髪とひげは、光そのもののような銀色をしていました。
ポポロは驚いて、あわてて数歩飛び下がりました。天空王です。挨拶をしようと思うのに、気後れしてしまってことばが全然出てきません。ただ、真っ赤になって深々と頭を下げることしかできませんでした。
すると、天空王がポポロを見ました。温かいまなざしです。まるでよく知っている近所の子どもに話しかけるように、優しい声で話しかけてきます。
「いよいよ明日からだな、ポポロ。友だちと話してこなくて良いのか?」
ポポロはさらに真っ赤になると、大きく頭を振りました。天空王は天と地で起こる出来事をすべて見通す目を持っています。自分がなにを考えているのかも、すっかり読みとられているような気がして、ポポロは本当になにも返事ができなくなってしまいました。
そんな少女を天空王はじっと見つめました。十二才なのに、もっとずっと幼く見える少女です。華奢で小さな体の中に驚くほど強い魔力を抱えています。進む方向さえ間違えなければ、将来はきっと一流の貴族になって行くのに違いありません。
天空王は言いました。
「もしも今するべきことがないのならば、働いてもらいたいことがあるのだが。中に入って鏡の泉をのぞきなさい。そうすれば、そなたのするべき仕事が見えるはずだ」
ポポロは顔つきを変えました。小さくても、子どもでも、自分は天空の国の貴族です。天空王からこんなふうに言われたときには、すぐに命令に従わなければならないのでした。ただ――
ポポロは不安そうに天空王を見上げました。
「あの……あたしは学校でもう今日の魔法を二つとも使い切ってしまったんですが……。それでもお役に立つことができますか?」
天空王は、すべてを見通す目でほほえんでうなずきました。
「むろんだ。そして、これはそなたにしかできないことだ。中に入りなさい」
そして、そのまま天空王は立ち去ってしまいました。もうポポロを振り向こうともしません。けれども、それは信頼の表れでした。そんなふうにポポロに言えば、彼女が必ず命令に従うと、天空王は知っているのでした。
ポポロは生け垣のバラのアーチをくぐりました。生け垣の内側では、バラだけでなく、たくさんの種類の花が咲き乱れ、さまざまな色や形の植物が葉を揺らしています。その真ん中には、鏡のように銀に光る泉がありました。水がこんこんとわき出している魔法の泉ですが、その表面は静かで、本当にガラスのようになめらかでした。そこには地上のさまざまな出来事が映ります。ポポロたちが貴族としての役目を知るためにのぞく場所でした。
ポポロは、いつもそこに近づくとドキドキしてしまいます。泉は必ずその人にできる仕事や役目を映すのですが、ポポロはいつだって、本当に自分にそれができるんだろうか、と不安になってしまうのです。人一倍強力な魔力を持ちながら、ポポロには、自信というものがまるでないのでした。
ポポロは泉の縁に立って、そっと鏡のような水面をのぞきました。黒い衣を着た自分自身の姿が映ります。今にも泣き出しそうな顔をしています。そして、その向こうに、ひとつの地上の光景が映り始めました――。
ポポロはバラの生け垣のアーチからまた中庭に飛び出しました。庭の向こうに向かって大声で呼びかけます。
「ルル! ルル――!!」
ほんの少し間があってから、風の犬が中庭に飛び込んできました。白い幻のような体の中で銀毛が光っています。ルルです。彼女はどこにいても、ポポロの呼び声を聞くことができます。せっぱつまったポポロの声に驚いて、風の犬に変身して飛んできたのでした。
そんな彼女へ、ポポロは飛びつきました。
「急いで地上に行くわよ! 天空王様のご命令なの!」
「地上へ?」
ルルは驚きました。ポポロが今日の魔法を使い切っていることはルルも知っていました。そんなポポロに天空王が出動の命令を出したことに驚いたのです。
けれども、ポポロには説明している余裕もないようでした。ルルの背中に飛び乗ると、首に抱きついて叫びました。
「行って、ルル!」
どんなに小さくてもポポロは天空の国の貴族ですし、ルルはそれを運ぶ風の犬です。二人はためらうことなく飛び立ち、地上に向かって下っていきました。
部屋にフルートのお母さんが入ってきました。
ベッドにずっと前足をかけてのぞき込んでいたポチが、お母さんを振り返ります。その黒い瞳は、うるんでいつもよりいっそう大きく見えます。お母さんはまなざしに優しさを込めて子犬を見つめ返しました。
「フルートの具合はどう? ポチ」
子犬は首を振りました。
「ワン、まだ熱が下がりません……。全然目を覚まさないし……」
うるんだ瞳がゆれました。犬は涙を流すことができませんが、もしも泣くことができたら、ポチはきっと大粒の涙を流しているのに違いありませんでした。
お母さんはそんなポチの頭をそっとなでてやりました。熱を出した息子のことも気がかりでしたが、それを心配し続けるポチのことも同じくらい心配でした。
「大丈夫よ」
とお母さんは安心させるように言いました。
「お医者様も言っていたでしょう? フルートは疲れが出ただけなの。北の大地での戦いは本当に大変だったのね……。お薬も効かないけれど、時間さえたてば、ちゃんとまた元気になってくるのよ」
だから、そんなに心配しないでね、と言い聞かせながら、お母さんはフルートの額から布を取り上げました。熱く湿った感触が手にじんわりと伝わってきます。お母さんの胸にも急に不安がわき上がってきました。
フルートが突然熱を出してからもう三日が過ぎるのに、熱が下がる気配はいっこうにありませんでした。その間、フルートは夢うつつに時々水を飲むだけで、一度も目を覚まさないのです。高熱のために痩せ衰えてた寝顔が痛々しく見えます。頬は真っ赤ですが、額や目のあたりは白く血の気がなく、汗で濡れた額に金色の前髪が貼り付いています。それを眺めていると、ポチでなくても、本当に大丈夫だろうかと心配になってくるのでした。
お母さんは不安を洗い流すように手桶の水で布をゆすぎ、固く絞り直すと、それをまたフルートの額にのせました。フルートが短くうめき声を上げてちょっと頭を動かます。お母さんはあわてて布をのせ直しました。フルートは浅く早い息をしたまま、少しも目を開けません……。
泣きそうな様子でそれを見つめ続けるポチに、お母さんは言いました。
「悪いんだけど、少しの間だけフルートをお願いできる? 畑に行って野菜を採ってこなくちゃいけないの」
ポチは黙ってうなずきました。目はフルートを見つめたままです。お母さんは静かに子ども部屋を出ていきました。
ポチは胸がつぶれそうな想いでいました。
フルートがこんなに長い間、具合が悪いのは初めてのことです。小柄で優しげな姿をしていても、フルートは案外丈夫なのです。どんなに寒い季節にだって、めったに風邪もひかないのに、ゼンが北の峰へ帰っていったその夜から突然高熱を出して、それからずっと下がらないのです。お医者様の言うとおり、北の大地での戦いの疲れが一気に出てきたのに違いありません。けれども、あんまり高熱が続くと、ポチはフルートがこのまま死んでしまうのではないかと、無性に心配になってくるのでした。
ポチは部屋の机の引き出しを振り返りました。フルートの金の石はそこにしまってあります。押し当てただけで、あらゆる怪我や病気を一瞬で治してしまう魔法の石です。けれども、金の石は北の大地の戦いが終わってから眠りについてしまっていました。今はもう、フルートがどんなに苦しんでいても、病気を癒す力はありません。
ふいに、フルートが声を上げました。
「……ない、ポポロ……!」
うわごとです。熱に浮かされながら夢を見ているのです。
「……ろ、ゼン、メール……だ……ポチ、ルル……」
なんの夢を見ているのか、ポチにはわかりません。けれども、きっとそれは戦闘の場面なのです。仲間たちを心配して呼びかけているのが声の調子でわかります。夢の中でもフルートは敵と戦い、仲間たちを守ろうとしているのに違いありませんでした。
フルートの声がひときわ高くなります。
「ロキ、逃げろ――!」
ポチは思わず目を閉じました。それ以上フルートを見ていられなくて、ベッドから前足を下ろし、しょんぼりとうなだれてしまいます。
北の大地の戦いは終わりました。けれども、フルートの中では、きっとまだ戦いが終わっていないのです。熱に浮かされた悪夢の中で、フルートはまだ戦い続けているのです。仲間たちを守ろう、助けようと、死にものぐるいになりながら……。
部屋に足音が近づいてきました。お母さんが戻ってきたようです。畑に行ってきたにしては早いので、何か忘れ物をしたのかもしれません。
すると、足音が部屋の前で立ち止まって、静かにまたドアが開きました。お母さんよりずっと小柄な気配が入口に立っています――。
ポチはびっくりして振り向きました。
そこにいたのはポポロでした。赤いお下げ髪に黒い星空の衣、緑の宝石の瞳は今にも泣き出しそうに大きくなっています。その足下にはルルもいました。茶色い長い毛並みのところどころで、トレードマークの銀毛が光っています。
ポチも、ポポロとルルも、すぐには動けませんでした。部屋の入口と中から見つめ合ったまま、ことばもなく立ちつくしてしまいます。
すると、フルートがまたうめきました。苦しそうな声を上げて頭を動かした拍子に、額の布がずり落ちます。
ポポロがはじかれたように動いて、ベッドに駆け寄ってきました。
「フルート! フルート……!」
けれども、いつもなら絶対に聞き逃すはずのないポポロの声さえ、フルートの耳には届かないようでした。いつまでも夢の中で戦ううわごとだけが続いています。ポポロはベッドに飛びつき、そんなフルートをのぞき込みました。
後について部屋に入ってきたルルが、ちらりとそれを見上げてから、ベッドの足下でうなだれるポチに近づきました。ぺろぺろと顔をなめてやります。
「そんな顔をしないの、ポチ。フルートは大丈夫よ。後はポポロに任せておきなさい」
ポチはルルを見ました。いつもすましているその顔が、今はただポチを安心させるように優しいほほえみを浮かべています。ポチはなんだかたまらなくなって、ルルの茶色の毛並みに頭をすりつけ、体をすり寄せました。ルルはただ、黙ってポチをなめ続けてくれます。柔らかな舌の感触が、泣きたいぐらい優しく暖かく感じられます。
「いらっしゃい、ポチ」
とルルが誘って、二匹の犬は開いていたドアから部屋の外へ出て行きました。
ポポロはフルートのベッドのわきにひざまずくと、手に持っていた植物の葉をそっとフルートの額に載せました。楕円形の大きな葉で、透きとおるような緑色をしています。その上からポポロが小さな自分の手を重ねると、やがて、葉の色がゆっくりと変わり始めました。ほんのりと赤みを帯び始め、その色がどんどん濃くなっていって、やがて血のような赤い色に変わっていきます。
それと同時に、フルートの頬から熱の赤さが消えていきました。ほてっていた顔が普通の顔色に戻り、息づかいが次第に落ちついていきます……。
やがて、フルートは目を覚ましました。
長い間の熱に落ちくぼんだ目が、不思議そうに少女を見上げます。
「これは、夢かな……ポポロがいるなんて……」
かすれた声でそう言います。まだ顔色は悪く、声にも力はありません。ただ、熱だけは下がったようで、葉の色はもうそれ以上赤く変わらなくなっていました。
静かにそれを額から取りのけながら、ポポロはほほえんで見せました。
「夢じゃないわ、フルート……。天空王様がフルートのところへあたしを使わしてくださったの。天空の国から薬草を持ってきたのよ。もう熱は下がったから、大丈夫よ……」
話しながら、緑の瞳から大粒の涙がこぼれました。くすんくすんと泣き出してしまいます。
そんなポポロをフルートは青い瞳で見上げ続けていました。まだ病気が完全に去ってはいない、うるんだ暗い瞳です。それでも、フルートはポポロにほほえみかけて言いました。
「泣かないで、ポポロ……泣かれちゃうと、心配で、また具合が悪くなりそうだよ……」
ポポロがびっくりしたように泣きやみました。
そんな彼女に、またフルートはほほえみました。影の薄い、弱々しい微笑です。そして、疲れたように、ふうっと大きな息を吐くと、そのまま目を閉じました。
「フルート!」
ポポロは思わずフルートにすがりつきました。なんだかフルートが遠くへ行ってしまいそうな、不安な想いにかられます。痩せてしまった胸から、浮き出した肋骨の感触が伝わってきます。
すると、フルートがまた目を開けました。またポポロに笑って見せると、ゆっくりと毛布の中から手を伸ばして、少女の頬に触れます。熱が下がったフルートの手は、逆に今度はいやに冷たく感じられました。
「熱を下げ過ぎちゃったのかしら」
ポポロがまた泣きそうになりながら言いました。持ってきた葉は、天空の国にだけ生える熱冷ましの薬草です。余分な熱だけを取り除くはずなのですが、なんだか、フルートには効き目がありすぎたように思えます……。
「大丈夫だよ」
とフルートが言いました。その手が力なく滑り落ちていきそうになったので、ポポロはとっさに両手でそれを支えました。フルートの手が、ポポロの頬と両手に優しくはさまれる形になります。
フルートはちょっと目を丸くすると、すぐに、ふふ、と笑いました。さっきよりもずっと元気な感じの笑い声でした。
「こんなところを、見られたら……絶対に、後でぶん殴られるな…………」
え? とポポロが不思議そうな顔をしました。フルートが何を言っているのかわからなかったのです。この小さな魔法使いの少女は、自分がフルートとゼンの二人から想いを寄せられていることに、まったく気がついていません。
「なんのこと?」
と尋ねたポポロに、フルートはまた声に出して笑ってみせました。
「ちょっとね……ぬけがけかも、って話……」
ポポロはますます不思議そうな顔になるばかりでした。
そんなポポロに、フルートは言いました。
「このまま、もう少しそばにいてくれる……?」
普段から優しいフルートですが、熱で弱っているせいか、なんだかいつにも増して優しい口調です。ポポロは思わず顔を赤らめながら、黙ってうなずき返しました。
フルートは満足そうにほほえんで、また目を閉じました。もう、どこかへ言ってしまいそうな、はかない気配は漂いません。片手をポポロの頬から離して、今度は少女の手を握りしめます。ポポロはいっそう赤くなりましたが、フルートの手を振りほどこうとはしませんでした。フルートの息づかいが次第に深く規則正しくなっていくのを、かたわらでじっと見守り続けます――。
フルートのお母さんが畑から野菜の入った籠を抱えて戻ろうとした時、家の裏手から突然何かが飛び立ったような気がしました。お母さんは、はっとしました。それは、風の犬のように見えたのです。背中には小さな人影も乗っていたような気がします……。
「フルート! ポチ!」
お母さんは思わず籠を放り出して家に駆け込みました。自分の息子たちは金の石の勇者とその仲間です。世界に危険が迫ったら、いつ何時でも旅立たなければならないのが宿命なのです――が、いくらなんでも、今この時に出発するのは無謀すぎました。フルートは三日三晩の高熱に苦しめられていたのです。
恐ろしい予感に胸が苦しくなりながら、お母さんは子ども部屋に飛び込みました。子どもたちが旅立ったときの常のように、空っぽの部屋と開け放たれた窓が目に飛び込んでくるのに違いない、と思っていました。
ところが、フルートはベッドの上で眠っていました。熱はすっかり下がったようで、落ちついた顔色で寝息を立てています。さっきまでの苦しそうな様子が嘘のような、安らかな寝顔でした。
その足下の毛布の上では、ポチが丸くなっていました。こちらも、フルートが落ちついたことにすっかり安心して、眠ってしまっています。お母さんが部屋に飛び込んできても、まったく目を覚ましません。
「まあ……」
お母さんは思わず声を上げ、ほっと胸をなで下ろしました。さっきの風の犬や子どもの姿は見間違いだったのかしら、と考えます。フルートもポチもぐっすり眠っていて、起き出していたような形跡はありません。
そのとき、毛布の上に出ていたフルートの手の中で、何かが光ったような気がしました。まるで星の光のように、きらきらと小さくまたたきます。けれども、お母さんが、はっと目をこらしたときには、光もまたたきも、なにも見えなくなっていました――。
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