フルートの冒険・11 〜赤いドワーフの戦い〜

42章 岩屋


 オパールの扉の向こうは真っ暗でした。
 フルートたちは驚いてあたりを見回しました。フルートの胸の上で金の石は淡く輝き続けています。けれども、その光が届く外側は暗闇に沈んでいて、何も見えないのです。鏡も、岩屋の壁や天井も、まったく見ることができません。
 すると、ゼンの胸からメールが顔を上げました。ポチが飛ぶのをやめたので、ようやく外へ目を向けたのです。ところがそこが一面の暗がりなのを見て、メールは盛大な悲鳴を上げました。
「やだやだ、やだぁぁっ――!!!」
 またゼンにしがみついてしまいます。
 ポチとルルがほえ始めました。
「ワンワンワン……時の翁!」
「時の翁、いないの!?」
 犬たちの声は暗闇の中にうつろに響きます。返事はどこからも聞こえてきません。

 そこへ、扉の隙間から金の石の精霊が飛び込んできました。とたんに扉の向こうでズシン、と重い音がして、扉が弾かれるように閉まりました。扉の向こうの通路が完全にふさがったのです。
 精霊は岩屋の中を見回しました。
「ずいぶん暗いな」
 と言いながら、片手を差し上げます。とたんにフルートの胸の上でペンダントの輝きが強まりました。光が今までよりずっと遠くまで届くようになって、ようやく岩屋の中が見えてきます。
 ほの暗い光の中で、オパールの壁や天井が虹色にきらめいていました。大きな鏡が壁の下から天井近くまでをぎっしりと埋め尽くしています。何千枚、何万枚という数の鏡ですが、銀の縁飾りの中で、鏡は何も映していませんでした。まるで灰色のガラスのような、くすんだ表面をしています。
 それは、一年半前にこの岩屋を訪れたときと、少しも変わらない景色でした。地面の奥底に広がる、妙に淋しげで美しい場所です。ただ、あの時と違ってひどく暗く、人の気配がまったくしませんでした。どんなにあたりを見回しても、大声で呼んでも、石のように歳をとった老人は見つかりません。
「時の翁はもうここにいないんだ……」
 フルートは、がっかりしすぎて茫然としました。他の仲間たちも立ちつくしてしまいます。ひゃっひゃっひゃっ、と風が吹き抜けるような声で笑う老人が、ひょっこり岩陰から姿を現しそうな気がするのですが、どんなに待っても、やっぱり誰も出てきません。
 ゼンがべそをかくメールを抱きしめながら、ちくしょう! と言いました。時の翁がいなければ、ジタン山脈に恐怖の結界を張ってもらうことができません。メイ軍を追い払えないのです――。

 すると、いきなり岩屋の一角で声がしました。
「映せ、時の鏡!」
 とたんに、岩屋中の鏡がいっせいに生き返って、無数の光景をその表面に映し出しました。鏡の中の景色が放つ光に、岩屋が一気に明るくなり、すさまじい音が洪水のように岩屋中にあふれ出します。鏡の中から聞こえてくる音が一度に重なり合ったのです。
 一行は仰天して耳をふさぎ、鏡の前で手を差し伸べている人物を見ました。それは長い髪とひげの小柄な老人ではありませんでした。背の高い女性です。燃えるように赤い髪を高く結って垂らし、赤金色のドレスを身にまとっています――。
「願い石の精霊!」
 とフルートたちは驚きました。ラトムは、声には出さずに、驚き桃の木、とつぶやきます。
 フルートは思わず後ずさりました。いつの間に願い石を呼びだしてしまったんだろう、と考えます。その左腕にポポロが強くしがみつきます。
 金の石の精霊が腰に両手を当ててにらみつけました。
「何故出てきた、願いの。フルートは君を呼んでなんかいなかったじゃないか」
「わかっている。フルートの願いをかなえるために出てきたわけではない」
 と願い石の精霊は答えました。その顔はとても美しいのですが、少しも表情を浮かべていないので、なんだか石の彫刻のようにも見えます。
「じゃあ、何故だ」
 と精霊の少年が聞き返しましたが、精霊の女性はそれには答えませんでした。代わりにフルートたちの方を向いて言います。
「時の翁は私が誰かのものになるまで、時の岩屋で私と共にいる。だが、私に持ち主が現れると、翁は岩屋を離れて旅に出るのだ。世界中を放浪して、私が再びこの世に生まれてくると、それを感じて、また私の元へやってくる。私と翁はずっとその繰り返しなのだ」
「ワン。ということは、やっぱり時の翁はもうここにいないんですね」
 とポチが言いました。しょんぼりと尾を垂れます。
 すると、願い石の精霊は鏡を見ながら言いました。
「私は見たいものがあって時の鏡を呼び起こした。鏡はこの世のさまざまな出来事を映す。そなたたちが探し求めるものも、ひょっとしたら映るのかもしれない。それを勝手に見ることは、そなたたちの自由だ」
 え? とフルートたちは目を丸くしました。願い石の精霊が何を言っているのか、とっさには理解できません。なんだか、とても意外なことを言われているような気はするのですが――。
 すると、金の石の精霊が、ふぅん、とつぶやいて、勇者の一行を振り向きました。
「フルート、鏡の中を確かめろ。これは時の翁が作った鏡だ。どこかにきっと、翁がジタンに恐怖の結界を張ったときのことを覚えている鏡もある。それを見つければ、翁がいなくても、君たちで結界を張れるかもしれないぞ」
 フルートたちは驚いて顔を見合わせました。そんな方法があったのか、と考えます。急に目の前に希望が広がってきます。
「よし! 手分けして探そう!」
 とフルートが言い、全員はすぐに時の岩屋の中に散っていきました。鏡は岩の階段の上の回廊にもずらりと並んでいるので、そちらへ走っていく者もいます。メールでさえ、地下の恐怖をこらえて鏡をのぞき始めました。そこに映るのは過去の場面です。地下の光景ではないので、メールにもなんとか我慢できるのでした。

 後に残った金の石の精霊が、願い石の精霊を見上げました。
「ずいぶんと親切じゃないか、願いの? 願ってもいないのに彼らの願いをかなえるだなんて」
 すると、精霊の女性は、つん、と顔をそらしました。
「私は私のために鏡を起こしただけだ。彼らのためなどではない」
 けれども、フルートたちに自由に時の鏡を見て良い、と言ってくれたのは彼女です。
「まあ、そういうことにしておこう」
 と精霊の少年は大人のように肩をすくめました。


 ラトムはオパールの岩壁の前に立って、時の鏡を見上げていました。
「これが魔法の鏡か。信じられない代物だな――」
 と感心します。鏡には、いつの時代の光景か、大勢の人々が映っていました。港町です。波に揺れる船からたくさんの荷物が下ろされて、人夫たちに運ばれていきます。活気のあるかけ声と共に船歌も聞こえてきます。それはラトムが生まれて始めて見る光景でした。目を丸くしながら、熱心に眺め続けます。

 フルートは足早に鏡の前を歩きながら、鏡の中を確かめていました。鏡は本当に数え切れないほどあります。その一つ一つが違った光景を映しているのです。どの鏡に目ざすものがあるのかと探し続けます。
 すると、ふいに鏡が激しく壊れている場所に出くわしました。何十枚もの鏡が割れ、破片が飛び散って、黒大理石の床の上できらめいています。
 フルートは思わず足を止めてつぶやきました。
「ここは……」
 それは願い石の戦いの時に、魔獣のマンティコアを繰り出してきたランジュールと決戦した場所でした。粉々になった鏡が戦いの激しさの痕を留めています。
 フルートの脳裏に、願い石の戦いの記憶が一気によみがえってきました。この岩屋でフルートは仲間たちから離れ、金の石と共に光になることを願おうとしたのです。それを止めようとした仲間たちを、ランジュールと魔獣が襲ったのでした――。

 とたんに、割れずに残っていた鏡の一つから声が聞こえてきました。
「あきらめるな! 呼び続けろ! あいつを止めるのだ!!」
 オリバンの声です。フルートがそちらを見ると、一カ所に集まって鏡をのぞく仲間たちの姿が映っていました。ゼン、メール、ポポロ、ポチ、ルル……その背後から腕を伸ばして鏡に手をついているのはオリバンでした。鏡に向かってどなっています。
「馬鹿者、仲間を置いてどこへ行くというのだ! 戻ってこい、フルート! きさまのいる場所は、ここだ――!!」
 フルートが光になろうとした、まさにその時の場面でした。
 他の仲間たちも必死で鏡へ呼びかけていました。
「フルート! おい、フルート! 勝手に行くな、馬鹿野郎!!」
「フルート、ダメだったら! あんたがいなくちゃ、あたいたちは全然幸せになれないんだよ!」
「ワン、フルート! 行っちゃいやだ、行っちゃいやだぁ――!!」
「フルート、フルート! もう一度こっちを見て! お願い、私たちを見て――!」

 フルートは立ちつくしてその光景を見つめました。あの時、フルートは鏡の中の世界で願い石だけを見ていました。頭の中も心の中も、ただ光になって世界を救うことだけでいっぱいでした。気がつかなかったのです。すぐそばでこんなに必死に自分を呼ぶ人たちがいたことに……。
 ポポロが鏡にすがりついて激しく泣いていました。鏡を涙で濡らしながら言い続けます。フルート、フルート、フルート……! それはもう声にはなりません。けれども、動く唇は確かにそう呼び続けているのです。
 フルートは拳を握りました。どん、と時の鏡をたたきます。
「ごめん、みんな……」
 あの時にも、フルートは呼ぶ仲間たちへそう言いました。ごめんね、みんな、と。けれども、そのことばの意味は今とまったく違っていました。
 フルートは涙さえ浮かべながら、鏡に映る仲間たちへ言いました。
「一緒だ。最後の戦いまで、ぼくたちはみんな一緒だ。約束する。君たちをもう置いていったりしないから」
 今、本物のゼンたちは時の岩屋のあちこちに散って、結界を張る方法を鏡の中に探し回っています。その約束を聞く者はいません。
 フルートは鏡に向かって泣き笑いすると、浮かんだ涙を拳でぬぐいました。鏡に背を向けて歩き出します。結界の魔法を覚えている鏡をまた探し始めたのです。ジタン山脈の麓で大軍と向き合っているオリバンたちを救うために――。








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