フルートの冒険・1 〜黒い霧の沼の戦い〜

39.闇の卵

 「うひゃ、すげえな……」
 神殿の中心にたどり着いたとたん、ゼンがそうつぶやきました。フルートとポチも、思わず声を失って立ちつくしました。
 石造りの広間の中は黒い霧でいっぱいでした。部屋の中でゆっくりと渦を巻き、壊れた天井を突き抜けて、空へ空へと立ち上っていきます。
 ここの霧は、今まで見てきたどこの場所より、もっと濃く黒く、まるで、どろりとした液体のように見えました。そして、その渦の中心には、ひときわ暗い闇が、巨大な丸い塊になって浮かんでいました。
「これだ……これが真実の水盤に映った、闇の卵だよ……」
 とフルートは言って、目をそらしました。闇の卵は、夜の闇よりもっと暗く果てしなく、見つめているだけで吸い込まれてしまいそうな気がしたからです。
 ウーッとポチがうなりました。
「危険ですよ、この卵。ものすごく邪悪な気配がします」
「ああ。さっきから俺も体中に鳥肌が立ってる。ホントにやばいぞ、こいつは」
 とゼンも、薄ら寒そうな顔で答えました。

 ひときわ濃い霧が、ゆるゆると子どもたちのそばに流れてきました。フルートは、はっと気がつくと、あわてて自分の後ろにゼンとポチをかばいました。とたんに霧が黒い触手に変わって、フルートの体に絡みつきました。
「フルート!」
 ゼンとポチが声を上げたとたん、霧がばっと飛び散って消えました。フルートの胸の金の石が突然輝いて、霧を打ち払ったのです。霧は何度も子どもたちに迫ってきましたが、そのたびに金の光に追い払われて、広間の中へと戻っていきました。
 それを見て、ゼンが手を打ちました。
「いいぞ! エルフが言ったとおりだ。フルートの金の石のほうが、この霧よりずっと強力なんだ!」
「ワン。早く早く。この卵をやっつけましょう!」
 とポチも尻尾を激しく振りながら言いました。フルートは急いで首から金の石のペンダントを外しました。

 ところが、それをかざそうとした時、闇の卵の中心で紫がかった光が稲妻のようにひらめきました。
 闇の中心から、鼓膜を破るようなすさまじい音が響いてきます。
 ォオオオオオオーーゴォオオオオオーーーー……
 猛烈な風が吹き荒れるような音に、神殿全体がびりびりと震えます。フルートたちは思わず目をつぶり、耳をふさぎました。ところが、ふさいだ耳の奥で、風の音がはっきりしたひとつの声に変わったのです。
 ――来イ、来イ、我ノ元ヘ来イ……!!!
 それは、強力な召喚の声でした。
 圧倒的な強さで精神の中に食い込んできて、心と体を支配しようとします。 耳をふさいでも防ぐことができません。
 ゼンとポチが、招きに応えるように、思わず一歩二歩と前に進み始めました。
「いけない!」
 フルートは我に返ると、とっさに仲間にしがみついて引き戻しました。とたんに、ふたりも正気に返りました。
「ひぇっ、やばいやばい」
「ワン。引き込まれるところでした」
すると、彼らの背後から、突然ものすごい音が聞こえてきました。フルートたちがびっくりして振り返ると、神殿の入り口の方向から、たくさんの獣や鳥が迫ってくるのが見えました。熊、オオカミ、鹿やタカといった生き物たちが、口々に鳴き叫び、蹄の音や羽音をとどろかせて突進してきます。
 フルートたちがとっさに剣を構えて飛びのくと、獣や鳥たちは、その目の前を走り抜けて、次々と霧の広間に飛び込んでいきました。誰もフルートたちには目もくれません。神殿の前で出会ったカラスの大群と同じでした。
 その集団の中には、人間も何人か混じっていました。男も女もいましたが、皆、とりつかれたような顔をして、広間の闇の卵だけを見つめて走っていきます。その中に見覚えのある顔を見つけて、フルートたちは驚きました。
「あいつは……!」
「シャーキッドだ!!」
 ビスクの町を雪猿で襲っていた、魔法医くずれの男が、獣と肩を並べて走っていました。フルートに切り落とされた両手には、乾いた血がこびりついた布を巻き付けています。着ている服はぼろぼろに裂け、靴を履いていない足からは血が流れ出していますが、それでも信じられないような速さで走り続けているのです。
 子どもたちがぼうぜんと見守る中、シャーキッドは獣たちと一緒に広間に駆け込み、紫の稲妻がひらめく闇の卵に自分から近づいていきました。
「危ない!」
 子どもたちは思わず叫びましたが、シャーキッドはためらうこともなく、卵の中に身を躍らせていきました。卵は一瞬ぐにゃりとうごめくと、シャーキッドの痩せた体を飲み込んでしまいました。他の獣や鳥や人間たちも、同じように次々と自分から闇の中心に飛び込んでいきます。卵は全ての生き物をすっかり飲み込むと、ぐぐっと一回り大きくなりました。

 「こいつ……生き物を取り込んで成長してやがるんだ……」
 ゼンが吐きそうな顔をしながら言いました。
 フルートの顔も真っ青でした。大量の生き物の生命を飲み込みながら育っていく卵。それがかえった時、中からどんな怪物が生まれて来るというのでしょう。
「ワン、早くこれを消滅させてください!」
 とポチが叫びました。
 フルートは金の石を卵に向けてかざそうとしました。

 すると、突然、卵がまたぐにゃりと大きくゆがみ、表面に男の顔が浮かび上がってきました。それは、シャーキッドの顔でした。
 シャーキッドは鋭くつり上がった目で子どもたちを見ると、にたりと笑いました。
「私をそれで消滅させようと言うのか? 金の石の勇者よ」
 声はシャーキッドですが、話し方が違いました。闇の卵が、取り込んだシャーキッドの顔を使って、話しかけてきているのです。
 フルートたちが身構えていると、闇の卵がまた言いました。
「良いのか? 金の石の勇者。私はここまで育っている。この私を破壊すると、私の内側の力が爆発して、おまえたちを残らず打ち倒す。おまえたちは、間違いなく死ぬぞ」
 フルートは目を見張りました。今まさに掲げようとしていた金の石が、途中でぴたりと止まります。
 闇の卵の力は、確かにロムドの国全土をおおうまでに広がっています。こうしてそばに立っているだけで、計り知れないほど強力なエネルギーを感じます。これを壊せば、周囲の者もただではすまない、とフルートは直感したのでした。
 シャーキッドの顔が、闇の卵の上でまた笑いました。
「ことによれば、金の石の勇者は無事ですむかもしれぬな。石がおまえを守るだろう。だが、おまえの仲間たちは助からん。せっかくメデューサの呪いからよみがえった仲間を、また死なせるつもりか?」
 金の石を握るフルートの手が震えました。
 闇の卵はフルートの一番弱いところを突いてきていました。フルートは、自分自身を傷つけられたり殺されたりすることよりも、仲間たちを傷つけられることの方が、何十倍もつらいのです。金の石で卵を消し去らなくては、国中、世界中の人たちが危険になる、とわかっているのに、フルートには、どうしても石を掲げる勇気が出ませんでした。

 すると、ゼンが突然声を立てて笑い出しました。
「責めどころを知ってるじゃないか、卵! だが、そんなことを言い出すからには、おまえにはフルートを止める力がないってことなんだよな。口先でおどかすくらいしか、もうできることはないんだ。へっ。どうせ俺たちは一度死んだんだ。もう一度死んだからって、どうってことないぜ。なあ、そうだろう、ポチ?」
「ワン、その通りです! ぼくとゼンの命で世界中の人間や生き物が助かるなら、安いものですよ!」
 とポチも尻尾を振りながら言いました。ゼンは笑いながらポチを抱き上げると、フルートを振り返りました。
「さあ、フルート。俺たちのことは気にしないで遠慮なくいけ! 金の石の力で闇の卵をぶっ壊してやれ!」
 ふたりの目が、さあ行け! とフルートに呼びかけています。迷いも曇りもない、まっすぐな瞳です。フルートが何をしても――たとえ自分たちを死なせるようなことをしても、それを認める信頼のまなざしでした。
 フルートの胸の内が激しく乱れました。闇の卵を壊さなくてはならないのは、わかっています。けれども、仲間たちを死なせたくはないのです。フルートはどうしていいのかわからなくなって、金の石を握りしめてしまいました……。

 すると、ふいに頭の中に一つの声が響きました。
「小さな勇者たちよ。金の石を信じて進むのだ――」
 フルートは、はっとしました。白い石の丘のエルフの声です。フルートたちが闇の神殿目ざして出発した時と同じように、深く静かに話しかけてきます。
「金の石は守りの石。おまえたちを必ず守るだろう。石を信じるのだ」
 フルートは思わず金の石を見つめました。石は手の中できらきらと澄んだ金の光を放っています。
「フルート、早くしろ! 俺たちの命なんか惜しむんじゃない!」
 とゼンがまた声を上げました。いらだっています。
 フルートは首を横に振りました。
「お、おい、フルート!?」
 ゼンとポチはあせった顔になり、卵の上のシャーキッドの顔は満足そうに目を細めました。
「そうだ。何もしないのが賢明だ。私が壊れる時、闇の力は奔流となってあふれ、周囲のものをすべて消滅させていくぞ。おまえの大事な仲間たちも、跡形もなく消し飛んでしまう。金の石の勇者は、そんな無惨なことは望むまい」
 すると、フルートは仲間たちを振り返りました。その顔は、意外なほど落ち着いていました。
「ねえ、ゼン、ポチ……一つ二つの命が、何十何百の命より軽いなんて、誰が言えるのかな。ぼくには、君たちの命が世界中の人たちの命より安いなんて絶対に思えないよ。この世界を救っても、君たちが助からなかったら、それは世界を救ったことにはならない。ぼくには、君たちが生きていることが何よりも大事なんだもの……。命は誰のものだって、おんなじに大事なんだよ。だから、ぼくは、君たちの命を世界中の命と引き替えになんかしないんだ……」
 それから、フルートは聡明な瞳を闇の卵に向けました。
「白い石の丘のエルフが言っていた。金の石の力を信じろって。だから、ぼくは信じるんだ。――金の石は、守りの石。おまえを破壊しても、きっと、ぼくたち全員を守ってくれるさ!」
 闇に向かって、きっぱりと言い切ります。
 ゼンは目を丸くすると、すぐに、にやりと楽しそうに笑いました。
「へへっ、言うな、フルート。それなら、なお上出来だ。思いっきり行け!」
「ワンワン! 金の石を!」
 ポチも叫びます。
 フルートは、左手の金の石を闇の卵に向かって突き出しました。
「消えろ!!」
 ペンダントの真ん中の金の石がまばゆく輝き、澄んだ金の光があふれ出します――。

 「やめろ! やめろ! やめろぉぉーー……っ!!」
 シャーキッドの顔が狂ったように叫び、光の中で崩れて消えていきました。
 闇の卵が光を浴びて身をよじり、広間の中の黒い霧が、ぐるぐると渦を巻き回転を始めます。激しい風が巻き起こり、神殿中を揺さぶり、古い石の柱を引き倒していきます。あちらこちらで天井が落ち、神殿が崩れ始めます。
 オォオーーーーオオオォオオーーーー…………
 卵から咆哮が響き渡りました。金の光が卵のまわりから黒い霧のベールを一枚、また一枚とはぎ取っていきます。
やがて、卵の表面には無数のひびが走り――

 ……………………!!!

 音にならない音をたてて、闇の卵が砕けました。
 卵の中から真っ黒な光がほとばしり、あたりのものを一瞬のうちになぎ倒します。
 神殿は砂に変わって消滅し、沼は干上がり、黒い霧は激しい風に吹かれて、空の彼方へと吹きちぎられていきます。
 何もかもが激しい流れに飲み込まれ、蒸発するように見えなくなっていきます。
 卵から現れた黒い光は、神殿の上空でねじれるように寄り集まると、一瞬、黒い蛇のような形を作り、そのまま、まばゆい金の光の中で、薄れていきました――――



素材提供 STAR DUST