フルートの冒険・1 〜黒い霧の沼の戦い〜

20.通路

 源の間を出たフルートは、ゼンの父親が教えてくれた出口とは、逆の方向へ歩いていました。
 町の中の道には、ドルーンがしたたらせてきた血の跡が、点々と続いています。フルートはそれをたどりながら進んでいたのです。
 途中、大勢のドワーフたちが逃げ出してくるのとすれ違いました。女性も子どもも老人もいます。皆、手押し車や背中の袋にいっぱい家財道具を詰め込み、グラージゾが襲ってくる方向から少しでも遠ざかろうと走っていました。ゼンの父親が言っていたとおり、自分たちが逃げるのに必死で、人間のフルートが町の通りを歩いていても、それを見とがめる者はいませんでした。

 やがて、フルートは町はずれに出ました。大空洞の端の壁に、ぽっかりと入り口があいていて、その奥に地下へ下りる通路が見えています。血の跡は、その通路に続いていました。
 通路が暗いのを見て、フルートは、近くの家の門口から灯り石を取り上げました。石は小さな金属の籠に入れられていて、戸口の上に差し込んだり、手に持ったりできるようになっていました。
「お借りします」
 とフルートはつぶやきました。家の住人はもうとっくに避難していて、そこにはいなかったからです。
 フルートは光る石のランプをかざしながら、地下へ向かう通路に入っていきました。
 岩の中に掘った通路は、床が平らに削られ、等間隔に浅い溝が掘られています。地下から掘り出した金属や石を荷車に載せて運びやすいように、整備されているのです。溝は車輪のすべり止めでしょう。
 その石の床に、血は点々と続いていました。片腕を食い切られ、これだけの出血をしながら、ドルーンは途中で倒れることもなく源の間までやってきたのです。フルートは、改めてドワーフ族の頑強さに感心してしまいました。

 通路を下るにつれて、あたりはしんと静かになりました。大空洞に反響する町の喧噪も、もう届いてきません。灯り石が放つ淡い光の輪の外側は、インクを流したような真っ暗闇です。それでもフルートは恐れることなく進み続けていきました。
 すると、背後からひたひたと何かが近づいてきました。忍びやかな足音です。フルートは立ち止まって、ランプの明かりをそちらに向けました。通路の後ろから近づいてくる淡い光があります。
「おう。やっと追いついたな!」
 そう言って光と共に現れたのはゼンでした。光る石を小さな金属の籠に入れて、腰のベルトに下げています。
「ゼン」
 フルートは目を丸くしました。
「どうしたのさ、いったい?」
「おっと。どうした、とはご挨拶だな。もちろん、おまえと一緒にグラージゾ退治に行くんだよ」
 とゼンはすまして答えました。
 フルートは驚いて、あわてて首を横に振りました。
「だめだよ、ゼン! これはぼくが一人でやらなくちゃならないことなんだから……!」
「おまえ一人でグラージゾが倒せるもんか」
 とゼンが言い返しました。
「ヤツはものすごい怪物だぞ。『獲物の生態を知らない猟師に獲物はない』ってのが俺たち猟師のことわざだ。俺はヤツの生態を知ってるんだからな。俺を一緒に連れて行けよ。きっと役にたつぜ」
「でも……」
 フルートは困った顔になりました。
 ゼンに一緒に来てほしいのは山々です。グラージゾがどんなやつなのか、どうやったら倒せるのか、フルートはずっと考え続けていたのですが、敵の正体がわからないので、なにも思いつかなかったのです。
 でも、ゼンは自分の身を守るものを何も持っていません。弓矢は背中につけていますが、毛皮と布の服を着ているだけで、敵の攻撃を防ぐものが何もないのです。グラージゾとの戦いになったら、あっという間にやられてしまうでしょう……。
 すると、ゼンがフルートの表情を見て、愛嬌たっぷりに片目をつぶってみせました。
「心配するなって。一撃で殺されたりしないように気をつけるからさ。俺が怪我をしたら、金の石で治療をよろしく頼むぜ」
「ゼン――」
 フルートは思わず何も言えなくなりました。この勇敢なドワーフの少年は、フルートが必ず自分を助けてくれると信じているのです。出会ってまだ間もない、しかも、人間の自分を。
「……わかった。グラージゾを倒しに行こう」
 フルートが、ようやくそう答えると、ゼンは、よっしゃぁ! と歓声を上げ、フルートの背中を何度も叩いて、突然その場に座りこみました。
「そうと決まったら、まずは腹ごしらえだ。フルート、おまえ、ずっと何も食ってないんだろう? 装備を整えるのに家にまわったついでに、食い物も持ってきたんだ。食いながら作戦会議と行こうぜ」
 これから危険きわまりない怪物を退治に行くというのに、ゼンは声も表情もとびきり陽気です。
 フルートも、思わずつられて笑顔になると、うなずいて一緒に床に座りこみました。

 ゼンは腰に下げた袋の中から紙包みを二つ取り出すと、ひとつをフルートに渡しました。包みを開くと、塩漬け肉とタマネギをはさんだ黒いパンが出てきます。さらに、ゼンは水の入った水筒も床に起きました。
「地下にも水はあるんだが、水辺にはグラージゾが出てくるからな。用心して家から水を汲んできたんだ。この肉は俺がしとめた鹿の肉だぜ。冬になる前に塩漬けにしておいたんだ。いけるだろう?」
 パンや肉で口をもぐもぐさせながら、ゼンは話していました。フルートはうなずきました。鹿の塩漬け肉はもっちりした歯触りで、本当においしかったのです。
 ところが、ゼンはふとパンをかじるのをやめて、考え込みました。
「ドワーフの町では牛や豚も飼っているんだが、グラージゾは一度だってそれを襲いに来たことがなかったんだよな……。確かに肉食で凶暴なヤツなんだが、ずっと地底湖で魚とかを捕って生きていたんだ。ドワーフも魚を捕るけど、魚は有り余るほどたくさんいて、俺たちには何の影響もなかったからな。誰もグラージゾを退治しようなんて考えたことがなかった。グラージゾはたいてい湖の底のほうに棲んでいて、ドワーフを襲うこともなかったし。それが、なんで急にこんなに変わっちまったのか……」
 フルートはそれを聞いて、一緒に考え込みました。
「よくは分からないけど、たぶん、やっぱり黒い霧が影響しているんだと思うな……。地底湖の水って、山に降った雪が溶けて地下に流れ込んでいるんだろう? ゴジゾやワジたちみたいに、黒い霧が変わった雪の影響を受けたんじゃないかな」
 それを聞いて、ゼンはふーむ、とうなりました。
「山にはたくさんの生き物たちがいる。確かに、黒い雪が降ったら、おかしくなったヤツらがたくさんいたな。でも、たいていの動物はひどくおびえているだけだったぜ。鳥はさえずるのをやめていたし、ウサギやリスはねぐらから出てこなくなった。キツネも姿を現さなくなっていた」
「でも、逆に気が荒くなった動物もいるよ。オオカミ、熊……それと、スライム」
「ああ。この北の山脈にスライムはいないけどな。その代わり、ゴジゾやワジみたいな毒虫が、ものすごく凶暴になった。本当は、すみかの湿地に足を踏み入れて巣穴を踏みつぶしさえしなければ、全然危険じゃない生き物だったんだぜ」
「たぶん、動物によって黒い霧や雪の影響を受けやすいのがいるんだと思うよ。人間もそうさ。ほとんどの人は黒い霧におびえて家の中に引きこもっていたけど、中には、それを逆に喜んで、強盗や乱暴を働く人たちもいたんだもの。黒い霧に含まれる邪悪な気配に敏感なんだ、きっと」
「なるほどな」
 とゼンはうなずきました。
「ゴジゾもワジもグラージゾも、大きさは違うけど、同じ毒虫だからな。毒虫たちは黒い雪の影響を受けやすかった、ってことか」
 そして、ゼンは残りのパンを口に放りこんで水で流し込むと、服の袖で口をこすりながら言いました。
「さて、それじゃ今度は俺が話す番だな。グラージゾについて俺が知っていることを全部話すぜ。それから、一緒に作戦を考えよう」
 フルートは真剣な顔になって、うなずきました。


 「まず、グラージゾは水中も泳げるし、陸地を這うこともできる」
 とゼンが話し始めました。
「姿形はムカデに似ているな。いくつもの節に分かれていて、たくさんの足が生えている。じいちゃんも言っていたけど、全長は十五メートルくらいだ。でかいぜ。武器は長い二本の前足と鋭いくちばしだ。前足には毒を出す腺があって、獲物を突き刺して、毒でしびれさせるんだ」
「毒で死ぬことはないの?」
 とフルートは聞き返しました。
「ああ、獲物を動けなくしてかみつくための毒さ。毒の強さって点では、ワジのほうが上だな。あっちは一刺しされたら、すぐにあの世行きだ。そのかわり、グラージゾは顎の力が異様に強い。岩でもなんでもかみ砕くんだ。岩のように固いウロコを持つ石魚をエサにしているようなヤツだからな。俺たちみたいなのは、チーズより柔らかく感じてるだろうよ」
 とゼンは顔をしかめました。
「動きは素早い?」
 とフルートがまた尋ねました。
「早いな。特に水中では魚より早く泳ぎ回る。陸上でもけっこうな速さだ。おまけに、ヤツはやたらと頑丈なんだ。なにしろダイヤモンドの殻を持っているからな。知ってるか? ダイヤモンドって、魔法の石は別として、すべての石の中で一番硬いんだぜ」
「本物のダイヤモンドなの?」
 フルートは目を丸くしました。
「ああ。だが、もともと持っていたものじゃない。このあたりの地下からはダイヤモンドが採れるんだ。ヤツは岩をかみ砕いたときにダイヤモンドを見つけると……と言っても、まだ研磨してないヤツだから、そんなにきらきら光るわけじゃないけどな。とにかく、ダイヤの原石を見つけると、それを前足で自分の体に埋め込むんだ。おかげで、ヤツの体は今じゃダイヤの原石だらけさ。たぶん、剣や斧で切っても、びくともしないだろう」
 それを聞いて、フルートは眉をひそめました。
「その話からすると、グラージゾって、かなり頭がいいみたいだね。炎の剣が効くといいんだけど……」
 すると、ゼンが突然にやっと笑いました。
「ダイヤモンドのもうひとつの特徴を知らないのか? ダイヤはよく燃えるんだぜ。『燃える石』の仲間なんだ。だから、おまえのその剣は、きっとすごく頼りになるぞ。俺はこの弓矢さ。家から、一番強力な鋼の矢を持ってきたんだ。十本しかないから、大事に使わなくちゃならないけどな。あとは普通の矢が二十本。ヤツの体に埋め込まれたダイヤを避けて射れば、きっと効果があるはずなんだ」
 そう言って、ゼンは背中の矢筒を下ろして、中の矢をフルートに見せました。普通の矢は木の矢軸に鉄の矢尻と鳥の羽根がついていますが、鋼の矢は矢軸も矢尻も羽根もすべて金属でできていました。手に取っただけでずっしりと重い矢です。ゼンはさらに太くて頑丈そうな弓も見せました。
「この矢はこの弓でないと撃てない。張りと返しが強すぎる弓だから、狙いが狂いやすくて、普段は使わないんだ。だが、グラージゾとは、これでなくちゃ戦えないだろうからな」
 フルートは試しに弓を引いてみましたが、とても固くて、ほとんど動きませんでした。
「ちぇっ。力ねぇなあ」
 ゼンが笑いながら弓を取り上げて弦を引いてみせると、くくくっと弓が大きくしなりました。
「すごい……!!」
 フルートは思わず驚嘆しました。さすがは怪力のドワーフというところです。たとえ半分人間の血が混じっていても、ゼンは確かにドワーフの特徴を色濃く引き継いでいるのでした。

 さらにフルートとゼンはグラージゾについて話し合い続けました。どんなふうに地底湖の中を泳ぎ回るか。水上に出てくるときにはどんなふうに見えるか。岸に上がってくると、どんな動きを見せるか……。
 ところが、そのうちに、通路の下の方からなにかかすかな音が聞こえ始めました。ガガガガ……と何かを勢いよく叩き続けるような音です。
 ゼンとフルートは、はっとして、耳を澄ましました。音は、地底からこちらに向かって近づいてきています。
 ゼンが素早く水筒を袋の中に戻し、矢筒を背負って立ち上がりました。弓は手に握ったままです。フルートも跳ね起き、背中の炎の剣に手をかけました。
 音がどんどん近づいてきます。岩を激しく叩くような音です。ゼンが厳しい声で言いました。
「向こうから来たぞ。グラージゾだ」
 とたんに、ガガガガという激しい音が止みました。しん、と緊張した静けさがあたりを充たします。
「……ちくしょう。こっちに気づきやがった」
 ゼンが喉の奥でつぶやきました。
 フルートは、すらりと炎の剣を抜きました。整備された通路に身を隠す場所はどこにもありません。フルートはゼンの前に出て、通路の真ん中に立ちました。ゼンは少し後ろに下がり、強力な弓に矢をつがえました。まだ、普通の矢です。
 ガガガガガガ……
 岩を連打する音が再び響き始めました。
 グラージゾは、まっすぐこちらに近づいてきていました――。






素材提供 STAR DUST