
11.炎の馬
フルートは森の中の道を進み続けました。道は次第に急な上り坂になり、峠を越えて、下り坂になりました。山をひとつ越えたのです。
すると、それまでずっとつきまとっていた黒い霧が、急に晴れてきました。森の中が見通せるようになり、梢の間から青空が見え始めます。黒い霧を抜け出したのです。
「うわぁ……!」
フルートは思わず歓声を上げて空を見上げました。久しぶりの青空です。真綿を引き延ばしたような白い雲も見えています。澄んだ空気に、胸のすくような思いがします。森の中が明るくなって道もはっきり見えるようになったので、フルートと馬は順調に先に進めるようになりました。
空が夕焼けに赤く染まる頃、フルートと馬は小さな空き地に出ました。森の中の大きな木が年とって倒れ、日が当たるようになった場所で、一面に草が生えています。森の中にいるより見通しがきくので、フルートはそこで野宿することにしました。
木の枝を集めて火を起こし、森の入り口の家で買い込んだ食料で夕食にします。おかみさんがくれたぶどうのジュースはとてもおいしくて、フルートは久しぶりに幸せな気持ちになりました。
けれども、ここは獣と怪物が住む黒森です。そういう生き物たちは夜になるといっそう活動的になるので、油断はできません。野宿の時には必ず火をたくように、というおかみさんのことばを思い出して、フルートは暗くなる前に枝をたくさん集めておきました。
夜が更けてくると、あたりはしんしんと冷え込んできました。季節は秋の終わりです。冬はもうすぐそこまで来ているのでした。
フルートは魔法の鎧を着ているので、寒さはまったく平気でしたが、安全のためにたき火に枝を足しました。炎が大きくなって、光の輪が空き地の中に広がります。赤く揺らめく光は優しく暖かで、その中にいれば安心という気がしました。
「火を絶やさないようにしなくちゃな……」
とフルートはつぶやきました。フルートは、夜通し起きて火の番をしているつもりでした。
空を見上げると、星が出ていました。本当に久しぶりに見る星空です。ロムド国のみんなにもこの星を見せて上げたいな、とフルートは考えました。それから、太陽の明るい光も、青空も…………。
ヒヒヒヒヒーーン!!
鋭い馬のいななきが、夜の空気を引き裂きます。
フルートは、はっと目を覚ましました。火の番をしながら、いつの間にか眠り込んでしまっていたのです。
何時間眠っていたのでしょう。たき火の炎は小さくなって、消えかかっていました。
馬が後足立ちになって鳴き続けています。森の中から何か敵が迫っているようです。フルートは急いで火のそばに駆け寄ると、枝を放りこみました。火が燃え上がり、空き地を照らし出します。
「うわっ!」
フルートは思わず声を上げました。空き地のまわりに何かがいます。巨大なナメクジのような半透明の生き物です。それが何百匹も集まって、うねうね、ぐねぐねとうごめきながら、フルートと馬をぐるりと取り囲んでいます。
キーッ!
突然、空き地の端のほうで動物の鳴き声が上がりました。1匹のネズミが草の中から飛び出して、森へ逃げ込むところでした。すると、半透明なナメクジが急に動いて、びしゃりとネズミの上に飛びつきました。ネズミは激しくもがきましたが、ナメクジにすっぽりと包み込まれると、すぐに動かなくなりました。ネズミの体が、みるみるうちに溶けてなくなっていきます――
「スライムだ……」
とフルートは吐きそうな顔でつぶやきました。とても原始的な怪物で、獲物をどろどろした体で溶かして消化してしまうのです。噂に聞いたことはありましたが、実物を見るのは初めてでした。
じわり、とスライムたちが迫ってきました。馬は狂ったように騒ぎ続けています。フルートは馬のくつわをつかんで声をかけました。
「どうどう、大丈夫だよ。落ち着いて……」
そして、フルートは背中の剣を抜くと、すぐ近くまで来ていたスライムを横なぎに切り払いました。スライムはまっぷたつになって宙を飛び、びしゃりと地面に落ちて――また動き始めました。1匹のスライムが2匹になったのです。
「こいつら……切られると分裂するんだ」
フルートは青くなりました。これでは倒しようがありません。
スライムが地面から跳ね上がり、次々に馬やフルートに飛びかかってきました。フルートは必死になって剣で切り払いました。が、切っても切っても、スライムは死にません。どんどん数が増えていくだけです。
ヒヒヒーーン!!
馬がまた悲鳴を上げました。体に数匹のスライムがへばりついたのです。フルートはあわててそれを引きはがそうとしましたが、スライムはびったりと馬の胴体にくっついたまま離れません。みるみるうちに、馬の横腹の皮膚が崩れて血がにじみ始めます。馬が狂ったように跳ね回ります。
「くそっ……!」
フルートはとっさにたき火から燃えている枝を取り上げました。スライムを火で焼き払おうと考えたのです。
ところが、炎が近づいたとたん、馬の体からいっせいにスライムが離れました。地面に落ち、ざざざーっと森のほうへ下がっていきます。フルートは目を丸くしました。
「火を怖がっているんだ……」
森の怪物たちは火が苦手だとおかみさんが言っていましたが、その通りだったのです。
そこで、フルートは急いでたき火に枯れ枝をくべました。炎が大きく燃え上がり、空き地を赤々と照らし出します。とたんに、スライムの群れが大きくしりぞきました。炎の熱が届かない薄暗がりの中で、ふるふる、ゆるゆるとさざめきながら、フルートたちの様子をうかがっています。
フルートは、ほっと一息つくと、馬を火の近くまで引き寄せ、魔法の金の石で怪我を治してやりました。
スライムは、森の中に下がっても、ずっとフルートたちを取り囲み続けていました。
「火が燃え尽きるのを待つつもりだな……」
とフルートはつぶやいて、薪の山に心配そうな目を向けました。集めた枝はまだありますが、この量で今夜一晩持つかどうか、微妙なところだったのです。
それに、このあたりにいる怪物がスライムだけとは限りません。ここにまた別の怪物が襲ってきたら、それこそ窮地に立たされます。フルートは火のそばに座ると、ロングソードを握りしめて、油断なく森を見つめ続けました。
どのくらい時間が過ぎた頃でしょう。
かすかに蹄の音が聞こえたような気がして、フルートは顔を上げました。馬が早駆けしてくる音です。けれども、ここは森の中。馬で駆け抜けられるような道はないはずですが……。
フルートがあたりを見回している間も、蹄の音はどんどん近づいていました。フルートは、突然はっと上を見上げました。蹄の音は、空から聞こえていたのです。
星がまたたく夜空を、明るい光が近づいていました。
光はどんどん大きくなり、やがて、光り輝く馬の姿に変わりました。全身を金の火に包まれ、赤い炎のたてがみと尻尾をなびかせた、炎の馬です。蹄の音を響かせながら、空をまるで地面の上のように駆け、まっすぐこちらに向かってきます。
フルートは跳ね起きて剣を構えました。
炎の馬が、ふわりとフルートの目の前に降り立ちました。とたんに地面の枯れ草がぼうっと燃え上がり、炎の渦が馬を包みます。突然上がった炎に、フルートの馬が驚いていななきました。
フルートは飛び出して、炎の馬に切りかかろうとしました。
すると、炎の馬が口をききました。
「およしなさい、金の石の勇者。わたしは味方ですよ」
フルートはびっくりして剣を引きました。
炎の馬は、賢そうな金の瞳でフルートを見つめていました。
「泉の長老から頼まれて来ました。わたしにお乗りなさい。あなたを案内する場所があります」
「泉の長老から?」
フルートはまたびっくりして、それから、森に潜むスライムの群れを見回しました。
「で、でも、ぼくがここを離れたら……」
フルートがいなくなったら、たき火はじきに消えてしまい、フルートの馬がスライムに襲われてしまいます。そんなことはできません。
すると、炎の馬が前足をあげて、ガツッと地面を蹴りました。とたんに、たき火の炎がうなりをあげて燃え上がり、巨大な火の柱になって空き地を真昼のように照らしました。ザザザザザーッ……と音を立てて、スライムたちが森の奥に下がっていきます。
「わたしたちが戻るまで、火は燃え続けます。さあ、行きましょう」
と炎の馬が言いました。
「う、うん……」
フルートは目を丸くしていましたが、炎の馬がフルートの馬に一言二言何かささやき、フルートの馬が落ち着いたのを見て、この不思議な火の馬を信じる気持ちになりました。邪悪なものではないようです。
「留守番を頼むよ。火のそばから離れないでね」
フルートは自分の馬にそう話しかけると、思い切って炎の馬の背に手をかけました。馬の体は全身燃える炎に包まれていましたが、フルートは魔法の鎧を着ているので、まったく熱さを感じませんでした。
「はっ」
フルートはかけ声と共に、炎の馬の背に飛び乗りました。
馬は赤く燃えるたてがみをゆすって空を見上げました。
「行きますよ。しっかりつかまっていてください!」
そう言うなり、炎の馬は大地を蹴って、空に駆け上がっていきました――
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