
9.盗賊
次の朝、フルートは立派な宿を後にして、また旅を続けました。
案の定、宿代はかなり高かったのですが、水盤に映った渦巻く黒い霧と影のことで頭がいっぱいだったフルートは、気にもとめずに支払いをすませました。
街道を進みながら、フルートはなおも考え続けていました。
黒い霧の中心にあったあの丸い影はいったいなんでしょう? この霧は国の南からわき起こっていると国王は言っていましたが、いったい、そこで何が起こっているというのでしょう? そして、あの音の正体は?
そんなことを考えていると、フルートは一刻も早く、南へ、霧の発生する源へと駆けつけたい気持ちになるのでした。あれを放っておくのは危険だ、と占い師のユギルが言っていましたが、フルートもまったく同じ気持ちがするのです。時間がたてばたつほど、危険はどんどん大きくなってくる予感がします。
けれども、フルートは今、南ではなく、仲間を捜して北へ向かって旅をしています……。
ぼく一人ででも、南へ行った方がいいんじゃないかな、とフルートは考えました。
仲間を捜している間に、手遅れにならないだろうか。今すぐ、南に向きを変えて、霧の源へ行かなくちゃいけないんじゃないかな……。
フルートは馬の足を止めました。迷いながら、今来た道を振り返ります。
すると、そちらからたくさんの蹄(ひづめ)の音が近づいてくるのが聞こえてきました。馬に乗った人たちが、大勢こちらに向かって進んでくるのです。まもなく、暗い霧の中からこんな話し声も伝わってきました。
「……本当に大金を持っているんだな?」
「ああ、金貨で支払っていた……金持ちの貴族のガキだ」
「ほんの子どもだ。道連れはいない。チョロいもんだぜ……」
フルートは、はっとしました。自分のことを言われているのだと分かったのです。
こんな話をするのが、まともな人間であるはずがありません。フルートは急いで道のわきの木の陰に隠れると、鞍から下りて、馬の口を押さえました。
やがて、霧の中から現れたのは、大きな馬に乗った五人の男たちでした。見るからに乱暴そうな顔つきをしていて、腰には剣を下げています。この街道を根城にしている盗賊団でした。
フルートは、宿の客引きがやたらと「安心です」と繰り返していたのを思い出しました。実は、北の街道では黒い霧の薄暗がりに紛れて盗賊たちが町の中にまで現れるようになっていたのです。盗賊たちは警備員のいる町中では騒ぎを起こしませんでしたが、獲物になりそうな金持ちに目をつけては、町から出たところで襲いかかっていたのでした。
フルートは息を殺して、じっと隠れ続けていました。
盗賊団は、それには気づかずに目の前を通り過ぎていきます……
すると、ふいにフルートの馬が頭を振って、ぶるると鼻を鳴らしました。押さえつけられているのが、うっとうしくなったのです。
たちまち、盗賊団が立ち止まりました。
「そこにいるのは誰だ!?」
どすの効いた声が響き渡ります。
フルートは唇をかむと、馬を木陰に残して街道に出て行きました。
とたんに、盗賊たちから、どっと笑い声が上がりました。
「これはこれは。獲物が自分からこっちに来てくれたぞ! おかげで手間がはぶけたわ!」
「こんなチビなのか。なるほど、こりゃ朝飯前だ」
盗賊たちは、フルートがあまり幼いので、すっかり油断して笑っていました。
フルートはロングソードを抜くと、低く身構えました。
「おうおう。いっちょ前にやる気だぞ、このぼっちゃん。俺たち五人も相手に、何をしようって言うんだ?」
と盗賊がまた大笑いをしました。
フルートは飛び出すと、五人の中で一番偉そうにしている男の馬に切りつけました。
ヒヒヒヒーーーーン!!
馬が悲鳴を上げて後足立ちになり、乗っていた男が振り落とされます。
「お頭!」
他の四人がいっせいに声を上げました。やはり盗賊の首領だったのです。
フルートは素早く駆け寄ると、盗賊の首領の首に剣の切っ先を突きつけました。
「離れろ! こいつの命はないぞ!」
とフルートはどなりました。
盗賊の首領は冷や汗を流し、子分たちに下がるように目で合図を送りました。盗賊たちは数歩下がり、馬から下りました。もう誰も笑っていません。 フルートが見た目と違って油断のならない相手だとわかったのです。
「馬を追い払え」
とフルートは言いました。子分たちは黙ったまま、すぐには従いませんでしたが、フルートが剣の先を首領にぐい、と近づけると、舌打ちをして自分の馬の尻を叩きました。馬たちはいななき、街道をどこかへ走っていってしまいました。
これで、盗賊たちは馬で追ってくることができなくなりました。フルートが自分の馬で全速力で逃げれば、盗賊たちを振り切ることができるでしょう……。
フルートは、自分の馬が隠れている木陰に、ちらりと目をやりました。
そのとたん。
盗賊の首領が剣の切っ先をかわし、そばに立つフルートの体をむんずとつかみました。
そのまま高々とフルートを持ち上げます。
「わぁーーーーっ!!!」
フルートは思わず悲鳴を上げました。
首領が笑いました。
「こんなチビ助に不覚をとったとあっては、北の盗賊団の名折れだ。この俺様に剣を向けた代償は高いぞ。思い知れ!!」
そう言うなり、首領はフルートを思い切り投げつけました。ガシャン!! と派手な音がして、フルートの小さな体が石畳の道に叩きつけられます。そこへ、いっせいに子分たちの剣が振り下ろされてきました。
ガシャ、ガシャ、ガキーン!!
堅い音が響き渡り、うめき声が上がりました。――盗賊たちの驚きの声です。
「馬鹿な……剣が折れたぞ!?」
フルートの鎧の隙間を狙って剣を繰り出したはずなのに、まるでそこも強固な鎧でおおわれているように、剣がはじかれ、途中で折れてしまったのです。フルートの顔を狙った剣は、フルートがとっさに腕でかばったので、銀の腕あてに当たって、まっぷたつに折れていました。フルートが着ている銀の鎧は魔法の鎧。軽い上に、あらゆる衝撃や攻撃から完璧に守ってくれるのでした。
フルートは道の上に跳ね起きると、盗賊たちをにらみつけました。
「な、なんだ、こいつ……!?」
盗賊たちが思わず一歩後ずさりました。あれほどの勢いで地面に叩きつけられたのに、フルートにまったく応えた様子がないので、思わず気味が悪くなったのです。
フルートは剣を握りなおしながら、改めて敵を見回しました。一対五、しかも相手は大人です。手を抜けば、間違いなくこちらがやられてしまいます。
「悪いね、おじさんたち。思いっきりやらせてもらうよ」
そうつぶやくなり、フルートは飛び出していきました。疾風のような勢いで駆け抜けながら、盗賊たちの腕や体に切りつけ、飛びかかってくる敵をかわして、また剣で切りつけます。大人顔負けの剣さばきでした。ゴーリスと剣の特訓をしてきた二ヶ月間は伊達ではなかったのです。街道はたちまち男たちのうめき声でいっぱいになりました。
すると、フルートの背中を狙って大剣が振り下ろされてきました。盗賊の首領の刀だけは無傷だったのです。
フルートは、振り向きざま、自分の剣でそれを受け止めました。
「よくもよくも……小僧!」
首領が歯ぎしりをしながら言いました。
「これほどコケにされて我慢できるか! 貴様をその鎧の中から引きずり出して、細かく切り刻んで犬のエサにしてやる!」
首領の剣がじりじりとフルートを押していきます。剣技は優れていても、フルートはまだ小さな子どもです。力で大人にかなうはずがありません。
それを見て、首領が、にやりと笑いました。
「おい、こいつを押さ込んで動けなくしろ!」
と子分たちに命じます。
子分たちは怪我をかばいながら立ち上がり、フルートに飛びかかろうとしました。
フルートは大きく飛び退いて首領から離れると、男たちに向かって剣を構え直しました。
すると、フルートは突然、後ろから忍び寄っていた盗賊の一人にはがいじめにされてしまいました。
「しまった!」
フルートは腕をふりほどこうとあばれましたが、とても振り切れません。動けなくなったフルートに向かって、首領が言いました。
「手こずらせおって。死ね、小僧!」
大剣がフルートの顔を狙って突き出されてきました。
フルートは、とっさに自分の剣を握りなおし、首領に向かって突き出しました。
肉が切れ、血が噴き出す音が響きます。
フルートの右の頬がぱっくりと傷口を開けて、そこから血があふれています。フルートの剣も、盗賊の首領の肩口を傷つけていましたが、どう見てもフルートのほうが重傷です。
「ざまあみろ、小僧! とどめだ!」
と大剣を振り上げ直した首領が、不意にその顔つきを変えました。
「な、なんだ……どういうことだ……?」
首領の目の前で、フルートの顔の傷がたちまちふさがってしまったのです。血が止まり、傷の奥から肉が盛り上がり、健康な皮膚がその上をおおっていきます……。あっという間にフルートの顔の傷は消え、どこにもその痕が見えなくなりました。
首領は真っ青になって後ずさりました。
「お、おまえは何だ……何者だ……? ……まさか、闇のアンデッドか……!?」
その声に、子分たちも顔色を変えて、ざーっとしりぞきました。フルートを後ろから捕まえていた男も、放り出すようにフルートを放して、大きく飛びのきました。
アンデッドとは、「死なないものたち」という意味の、地獄の怪物たちのことです。暗がりと共に現れて、傷つけても殺しても、まったく頓着なく動き回り、人間に襲いかかります。アンデッドは人間の生き血をすすり、肉を食らい、骨までしゃぶり尽くすと言われていました。
フルートの顔の傷が治ったのは、もちろん魔法の金の石のおかげだったのですが、そう言われてフルートは、とっさにこう答えました。
「そうだったら……どうするのさ?」
芝居っ気を出して、わざと意味ありげに、にやりと笑って見せます。
とたんに、盗賊たちは完全に顔色を変えました。人を殺すことも何とも思わないような悪党どもですが、案外迷信深く、闇の生き物を恐れるところがあったのです。
「ひ、退け! 退くんだ!」
首領が大声で言いました。
ピーッと口笛を鳴らす音が響き渡り、盗賊たちの馬が街道を駆け戻ってきました。盗賊たちは馬に飛び乗ると、つむじ風のように、あっという間にどこかへ逃げ去ってしまいました。
「ふう……」
フルートは大きなため息をついて、道の上に座りこみました。魔法の鎧と金の石のおかげで、どうやら助かったようです。膝にぐったりともたれかかると、しばらくは身動きもできませんでした。生まれて初めて経験した本物の死闘です。剣を寸止めする稽古とはわけが違いました。今さらになって、全身が震えるような恐怖が襲ってきます……。
けれども、フルートはやがてまた目を上げると、南の方角を見ました。そこでは黒い霧がわき起こり、得体の知れない影が深まっています。
フルートは握ったままの抜き身の剣を見つめ、すぐに頭を振りました。
「今はまだダメだ……」
ただの盗賊相手にこんなに苦戦しているようでは、霧の中の邪悪な敵と戦うことなどとてもできません。フルートはまだ小さな子どもです。どうしても強い仲間が必要でした。
「よし」
フルートは思い切って立ち上がると、北に目を向け直しました。剣を収め、木陰から馬を引き出してまたがると、あとはもう振り返ることもなく、仲間に出会えるという北の峰を目ざして進み始めました。
そして、それからというもの、フルートは鎧の上から自分の旅のマントを着るようになりました。輝く銀の鎧はいかにも目立つので、それを隠そうとしたのです。宿に泊まるときも、分相応の安宿に泊まるようにしました。
やがて、旅を続けるうちに銀の鎧は埃にまみれ、フルートが貴族の子どもに間違われることはなくなりました……。
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