
2章 決心
学校から帰ってきたフルートは、家の前に何人もの大人が集まっているのを見て、目を丸くしました。
フルートの家は町はずれに建っています。家のすぐ前はもう荒野で、その彼方には夏でも雪をいただく山脈が見えます。街道から少し離れているので、用事がなければ人も通りかからないような場所なのですが……。
よく見ると、大人たちは家の中にも何人もいて、せわしなく出入りしながら何かを話し合っているようでした。フルートは突然また不安になってきました。何かが起きたのに違いありません。
フルートは走り出しました。家の中にはお母さんがいたはずです。お母さんに何かあったのでしょうか……。
その時、家の中からフルートがよく知っている人が出てきました。お父さんの仕事仲間のおじさんです。フルートはおじさんに飛びつきました。
「何かあったんですか!? お母さんがどうかしたの!?」
すると、おじさんは一瞬眉の間に深いしわを寄せて、どこかが痛むような顔でフルートを見ました。
「お母さんじゃないよ。君のお父さんだ……。落馬して、牛に踏まれたんだよ……」
そして、おじさんは口をぎゅっとゆがめました。
フルートはぼうぜんとしました。フルートのお父さんは牧童で、数人の仲間と一緒に牧場でたくさんの牛を飼っています。口数はあまり多くないけれど、いろいろなことをよく知っている優しいお父さんです。乗馬も上手で、馬から落ちるなんてことはまず考えられないのに……。
すると、おじさんがまた言いました。
「さっき、空をものすごい数の鳥が飛んでいっただろう? あれに牛たちが驚いていっせいに走り出したんだ。お父さんはそれを止めようとして、馬から振り落とされたんだよ……」
フルートは弾かれたようにおじさんから離れると、家に飛び込んでいきました。
家の中には、近所のおじさんやおばさんたちがたくさんいました。皆、フルートを見てなんとも言えない表情をします。
「フルート……お父さんが牛に踏まれて大怪我をしてね……」
「今、お医者様が手当てをしてくれているんだけれど……」
おじさんおばさんたちの口ごもるような話し方が、お父さんの怪我のひどさを物語っていました。フルートは大急ぎで奥の部屋に駆け込んでいきました。
部屋は窓にカーテンが引かれて薄暗くなっていました。部屋中、薬の匂いでいっぱいです。
奥のベッドの上にお父さんが寝かされていました。頭も体も、たくさんの白い包帯で巻かれています。苦しそうなうめき声が絶え間なく聞こえてきます。
その枕元には、フルートのお母さんが手で顔をおおって座り込んでいました。泣いているようです。お母さんと仲がよい近所のおばさんが、心配そうにそばについていました。
お医者様は、お父さんの牧場で一番リーダー格のおじさんを相手に話をしていました。
「……とにかく、ひどい状態だ。何十頭もの牛の蹄(ひづめ)で踏みつけられて、体中の骨が折れている。おそらく内臓もめちゃくちゃだろう。だが、この町に魔法医はおらんからな。わしにできるだけの手当はしたのだが、正直、助かる見込みは――」
医者はそこまで言って、首を横に振って見せました。
リーダー格のおじさんは、何も言わずに、片手で目をおおってうつむいてしまいました。
フルートは震えながらお父さんのベッドに近づきました。
巻かれたばかりの包帯に、赤い血がにじみ出ています。包帯の隙間からのぞく顔には、赤黒いあざがいくつも見えていて、大きく腫れ上がったまぶたが片目をふさいでしまっています。うめき声の合間に苦しそうに息を吸いますが、それも切れ切れで、今にも止まってしまいそうでした。
フルートは真っ青な顔でベッドの柱を固く握りしめました。涙があふれそうになるのを、歯を食いしばってこらえます。
お父さんは重体です。この状態からお父さんを助けられるのは、お医者様の言うとおり、魔法医しかいないでしょう。でも、ここから馬で二日もかかる大きな町まで行かないと、魔法医はいないのです。呼びに行っても戻ってくるまでに丸四日かかります。それまでお父さんが持たないことは、見ただけで明らかでした。
どうしよう……とフルートは必死で考えました。
このままじゃ、お父さんが死んでしまう。誰かお父さんを助けられる人はいないんだろうか? 怪我を治す特効薬はないんだろうか?
どうしよう、どうしよう。誰か、何か……。思いがぐるぐると駆けめぐりますが、何も手だてが思いつきません。不安が胸にせり上がってきて、息が苦しくなってきます。誰か助けて! と大声で叫びたくなります。
すると、突然、さっきジャックたちに話した言い伝えが頭の中に浮かんできました。
『魔の森の主は人間を憎む。許しなく森に足を踏み入れた者は、魔法にとらわれて気が狂い、獣に八つ裂きにされ、闇の怪物に骨の髄までしゃぶり尽くされる。』
――ここまではジャックたちにも語ったことです。でも、この言い伝えにはまだ続きがありました。
『けれども、森の怪物たちに討ち勝って、泉のほとりから魔法の金の石を得たものは、金の石の勇者と呼ばれるだろう。金の石は癒しの石。どんな怪我でも病気でも、たちどころに治す魔法の力を持つ。』
フルートは、はっとしました。自分が思いついてしまったことにめまいさえ感じて、足ががくがく震え出します。
魔の森の恐ろしさは、シルの住人なら、誰もが十分に知っていました。そばに近寄るだけで禍々しい雰囲気が伝わってきて、怖くて進めなくなるのです。ときたま、魔の森から抜け出した怪物が、シルの町に迷い込んでくることがありましたが、そんなとき、町の住人はありったけの魔よけを家の中に置き、怪物が通り過ぎていくまで、ひたすら祈り続けるのでした。
でも……
フルートはベッドでうめき続けているお父さんを見ました。どんな怪我でも病気でも、たちどころに治すという魔法の石。お父さんを助けるには、それを取ってくるしか方法がないのです。
胸の内がすうっと冷たくなっていき、すぐに熱いものがこみ上げてきました。
フルートは、唇をかみしめると、苦しそうにあえいでいるお父さんを見つめました。
お父さん、待っててね。ぼくがきっと助けてあげるからね……。
そう心の中で話しかけると、フルートはそっと部屋を抜け出していきました。
隣の居間にはたくさんの大人たちがいました。近所の人やお父さんの仕事仲間たちが、時々洩れ聞こえてくるうめき声に、沈痛な表情で黙り込んでいます。
フルートは大人たちの間をすり抜けて、台所に入っていきました。そこには誰もいませんでした。
フルートは、急いであたりを見回しました。魔の森には怪物がいっぱいいます。何か武器と防具になるものが必要でした。
居間にはお父さんが仕事で使うナイフや小刀がしまってある戸棚があります。でも、それを取りに行けば、大人たちに「どうするつもりだ」と聞かれて、魔の森に行くことを止められてしまうでしょう。
フルートは少し考えてから、お母さんが使う料理用のナイフと、家で一番頑丈な金属製の鍋の蓋を取りました。鍋の蓋は、取っ手を持つと盾に似た格好になります。それから、フルートは上着のポケットに火打ち箱とランプ用の油の小瓶をねじ込むと、ナイフを布でくるんで腰のベルトに差し、鍋の蓋を片手に持って、こっそりと裏口から家の外に出ました。
家の裏には、お父さんの愛馬のブランがつながれていました。お父さんは、ブランから振り落とされて大怪我をしたのです。そのことが分かっているのか、ブランはしょんぼりとたたずんでいました。
フルートは近づくと、ささやくように言いました。
「ブラン、ぼくを魔の森まで連れて行ってくれ。お父さんを助けるために、魔法の金の石を取ってくるんだ……!」
一分後、フルートは、馬の背にまたがって、魔の森目ざして全速力で荒野を駆けていました――
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