渦王の軍勢は海を進んでいきました。
海上を数え切れないほどの海鳥たちが群れをなして飛び、それを追いかけるように、イルカや海面近くを泳ぐ魚たちが進みます。身につけている防具が、朝日に鈍く光ります。
海上の部隊と平行して、海中でも軍勢が移動していました。信じられないほど巨大な集団です。ありとあらゆる魚や海の生き物が、海上部隊と同じように武具に身を包み、海中をすごい勢いで泳いでいきます。
海中を泳ぐ一団のすぐ後に、戦車部隊が続きました。渦王の戦車だけは、海中部隊の先頭を走っていますが、他の戦車はすべて最後尾です。マグロ、サメ、シャチ、カジキ、カツオといった強い魚たちが、戦士を乗せた車体を飛ぶような速さで引いていきます。
その中でも一番最後に近い場所を、フルートたちの戦車が走っていました。魚たちにつないだ手綱をフルートが握っています。突然出現した天空の国に青ざめていた顔も、今ではもう普通に戻り、落ち着いた目で行く手を見つめていました。
前方で誰かが大きな声を上げました。それが何か聞き取れないでいると、突然、ぐん、と戦車のスピードが上がりました。びっくりするほどの早さで海中を進み始めます。
ワン、とポチが吠えました。
「今、前の方で『海流に入るぞ』って言ってましたよ。海流に乗ったんです」
「なんだ、海流って?」
とゼンが聞きました。
「ワン、海の中の川ですよ。でも、ぼくも話に聞いただけで、実物を見るのはこれが初めてなんだけど。海の中には水が川みたいに早く流れている場所があって、その流れに乗ると泳がなくてもどんどん流されていくし、船もこがなくても先に進むんだそうです」
見れば、周りの戦車では、精一杯泳いでいた魚たちがひれをゆるめ、戦車の上の戦士たちも、心なしかくつろいだ顔になって行く手を眺めていました。
「海流に乗って、海王の城に着くまでの体力を温存しようとしてるんだね」
とフルートは感心しました。彼らの戦車を引くカジキたちも、流れに乗って進むようになったので、フルートが手綱を操る必要はほとんどなくなってしまいました。
ゼンが言いました。
「今度は俺が手綱を持つよ。フルートとポチは今のうちに少し休んでおけ」
行く手に待ちかまえるのは、海王の力を手に入れた魔王です。途中のどこかに罠が仕掛けられているかもしれません。休めるうちに休んでおくことは、食べられるうちに食べておくことと同じくらい、戦士には大事なことなのでした。
フルートはうなずくと、素直に手綱をゼンに渡しました。ポチを抱いて戦車の中に座り、車体にもたれて仮眠を取ろうとします。
すると、フルートの腕の中から急にポチが伸び上がり、匂いをかぐようにあたりをきょろきょろしてから、すぐ左前を進んでいる小さな戦車を見ました。
「え?」
と黒い瞳がまん丸になります。
「どうしたの?」
とフルートが尋ねると、ポチが言いました。
「あの戦車から、知っている匂いがするんです。あれって、もしかしたら……」
フルートとゼンは、思わずその戦車を眺めました。銀のウロコをつづり合わせたような鎧兜を身につけた、細身の戦士が乗っています。その後ろ姿を見るうちに、少年たちも驚きの表情に変わりました。
「まさか……」
とフルートがつぶやきます。その戦士の兜の下から、一筋、長い緑の髪がなびいているのに気がついたのです。
ゼンは顔を真っ赤にすると、これ以上ないくらいの大声で、戦車に向かってどなりつけました。
「おまえ、そんなところで何してるんだ、メール!!?」
細身の戦士が、ぎょっとしたように振り返りました。勝ち気そうな青い強い瞳――それは確かに渦王の姫のメールでした。
メールは、驚いている少年たちを見ると、ふふん、と鼻で笑いました。
「もう気がつかれちゃったか。けっこう上手に紛れ込んだつもりだったんだけどね」
「いったいどういうつもりだ、メール!? なんでこんなところにいる!」
ゼンが戦車をメールの戦車に寄せながらどなり続けました。かみつきそうなほどの形相です。
メールは顔をしかめました。
「うるさいね。水の中では音がよく伝わるんだから、そんなにどならなくても聞こえるよ。どういうつもりかって? 決まってるじゃないか。あたいも一緒に海王の城へ行って、魔王と戦うのさ」
そして、手にしていた銛(もり)をくるくるっと回すと、またどなろうとしていたゼンの胸元へ、ぴたりとその刃先を突きつけました。青い瞳が炎のようにひらめき、全身から青白い気迫がほとばしっています。
「あたいは鬼姫さ。王の軍勢と一緒に出撃して戦う権利があるんだよ」
そう宣言するメールの瞳は、紛れもなく戦士の目つきをしていました。
少年たちはあっけにとられて、何も言えなくなってしまいました。
軍勢の最後尾は大騒ぎになりました。まったく知らない間に渦王の王女が紛れ込んでいたのですから、当然です。
すぐに先頭から戦車を駆って渦王が飛んできました。娘の姿を見るなりどなり出します。
「おまえ、こんなところでいったい何をしているのだ!!?」
とゼンと同じようなことを言われて、メールはまたうるさそうに顔をしかめました。
「ちゃんと聞こえてるったら。あたいも一緒に戦うんだよ」
「馬鹿を言うな! これは海戦だ! おまえの出番ではない!」
と渦王がどなり続けます。とたんに、メールの表情が変わりました。また青い瞳がひらめき、父親をにらみつけながらどなり返します。
「どうしてさ!? あたいだって渦王の娘だよ! 一緒に出撃して何が悪いってのさ!」
海の王と王女がどなり合うたびに、海流が乱れ、戦車が大揺れに揺れます。戦士たちはあわてて車体にしがみつき、心配そうに王の親子喧嘩を見守りました。
渦王がまたどなりました。
「寝ぼけるな! おまえが苦手な海で、どうやって戦うというのだ!? 今すぐ島へ戻れ!」
すると、とたんにまたメールの表情が変わりました。透きとおるほど青ざめた顔になると、父親を憎らしげににらみつけます。
「海でだって、ちゃんと戦えるさ。馬鹿にしないでよ」
「どうやって戦うというのだ! 海にはおまえに使える花はないぞ! そもそも、戦いに女の出番はない! 王の命令だ、即刻島へ戻れ!」
王のことばに、メールはますます青ざめ、瞳に青い怒りの炎を燃え上がらせました。
「いやだよ。ここまで来てしまったら、いくら父上の魔法だって、あたいを島に戻らせることはできないもんね。絶対に帰るもんか!」
そう言い捨てると、メールは手綱を繰って部隊の前の方へ行ってしまいました。心配そうに見守っていた戦車部隊が、あわてて道をあけて右往左往します。
「あの跳ねっ返りが……」
と渦王がうなりました。頭痛がするように頭を抱えてしまっています。
ゼンが王に話しかけました。
「メールにあんなに頭ごなしに言ったって聞き入れるもんか。どうして、もっと優しく言ってやらないんだよ」
すると、世界の海の半分を統べる王は、じろりとゼンをにらみました。
「わしは渦王だぞ。たとえ王女であっても王の命令には従わなくてはならんのだ」
「でも、全然言うことを聞いてないじゃないか」
とゼンは容赦なく言い切って、続けました。
「メールがあんたのことを誤解してる訳がわかった気がするぜ。いつも娘にはあんなふうにどなってばかりいるんだろ。それじゃあ、伝わるものも伝わらないさ」
渦王はまた、じろっとゼンを見ました。
「子どもがわかったようなことを言うものだな、ゼンよ」
遠い雷を思わせる声でしたが、ゼンは悪びれもせずに答えました。
「悪いな。俺は、相手が誰でも思ったことは言わずにいられない性分だからさ。メールは島で人魚たちにいじめられてたぜ。海もろくに泳げないできそこないの海の王女だ、って。あんたがそれに追い打ちかけるようなこと言ってどうするんだよ。父親なんだろ?」
渦王は目を見張ると、すぐに渋い顔つきになりました。
「人魚どもか……! なるほど」
「まあ、他にもあることないこと噂する連中はいるんだろうけどな。メール、自分のことを鬼姫だと言っていたぜ。人魚がそう呼んでいたんだ」
渦王はますます苦い顔になりました。腹をたてているものの、今はどうすることもできなくて、突然、どん、と手の矛を戦車にたたきつけます。
渦王はいまいましそうに頭を振ると、少年たちを見ました。
「メールは連れて行くしかない。帰れと言っても、絶対に帰るような奴ではないからな。すまんが、あれと一緒にいてやってくれ。とんでもない跳ねっ返りだから、きっと、おまえたちの手をわずらわせるだろうが――」
渦王は一瞬、ひどく真剣な目をしました。
「あれを守ってやってくれ。頼む」
それは、海の王の声ではなく、娘の身を案じるただの父親の声でした。
ゼンがあきれたように肩をすくめました。
「だから、どうしてそれをメールに直接伝えてやらないんだ、って言ってんだよな。父親ってのは、みんな娘が苦手なのか?」
ゼンは、天空の国で出会ったポポロの父親のことも言っているようでした。
フルートが渦王に向かって口を開きました。
「わかりました。絶対に守りきるとはお約束できませんが、ぼくたちの力が及ぶ限り、メールは守ります。渦王は行く手の敵に専念なさってください」
「ま、放っておくわけにもいかないもんなぁ」
とゼンがぼやくように言いながら、気がかりそうにメールが去った方向を見ました。たくさんの戦車に紛れてしまって、今はもう、どこにメールがいるのかわかりません。
「すまん。よろしく頼むぞ」
渦王は少年たちに深々と頭を下げると、また軍勢の先頭へ戻っていきました。巨大な軍勢の彼方に渦王の戦車が消えていきます。
「どれ、メールを探そうぜ」
とゼンは言うと、すぐさま手綱を繰って、部隊の前の方へ向かいました――。